第19話 リディーナ
テントから顔を出すと、男は焚火の前で毛布に包まり、目を閉じていた。
(寝ている?)
回復魔法は、自身の治療は勿論、他人の治療には特に大量の魔力を消費するらしい。男は魔力を回復する為に仮眠を取っているのかもしれない。
(この男は得体が知れない)
無意識に剣を握る。しかし、怪我の治療をしてくれたのは確かだし、あの
剣を握る手を緩め、テントから出た。水が飲みたいのもあるが、体を拭きたい。近くに水場があるはずだ。そこに向かうことにする。
私には精霊の存在がわかる。人によって、感じられる程度からはっきり交信できるまで人それぞれだ。エルフが森の民と呼ばれ、精霊の少ない平地より、森に国を作るのはその方が生活に便利だからだ。私は、エルフ族の中でも精霊との親和性が特に高いらしく、探さなくても水場の場所はすぐに分かる。水の精霊が教えてくれるからだ。
…
見つけたのは、小さいながらも綺麗な水がゆっくり流れる小川だ。
被っていた毛布を脱ぎ、川に入って身体を洗う。まだ日も高く、木々から差し込む木漏れ日で、辺りは森と小川の美しい風景が広がっている。だが、水面に映る自分の醜い顔を見て涙が溢れてきた。
「ううっ……うっうっうっ……」
傍に置いた
一瞬、自死を考えたが、まだやるべきことがある。それに、綺麗に治った左腕を見て、希望があるかもしれないとも思い始めていた。
冷たい川の水でいくらか冷静になってきた思考で思い返す。
(襲われた私をどうやってかわからないけど、助けてくれたのは事実。怪我もこうして動けるまでに治療してくれたのも事実。妹の仇を討ってくれたのも事実だろう……)
これが壮大な詐欺だったなら、自分の見る目が無かったということだ。
私は意を決して男の元へと向かった。
…
……
………
俺は、小川に向かったリディーナに気づいていたが、何も言わなかった。顔を晒してもいないし、名乗ってもいない。エルフ語を使ったのは拙かったかも知れないが、大したことではないだろう。このまま去ったとしても問題ないと思っていた。顔は綺麗にしてやりたいとは思っていたが仕方ない。必要な実験は高橋で済ませてある。
あのリディーナと名乗ったエルフと勇者の関係も、勇者達の動向を知る手掛かりにはなるだろうと思ったが、まあいい。
高橋に関しては、あの後気になることだけ聞いて始末した。桐生隼人の死体を見て、泣いて命乞いをしていたが、桐生の鎧のことも抜けていたし、そもそも使役していた魔獣が高橋とリンクしており、それで桐生が追ってくることを隠していた。本人は追って来るとは思ってなかったと言うが、それを信じたとしても情報に洩れがあり過ぎる。時間を掛けて尋問していけば、その穴も塞げるだろうが、あまり子供の話を鵜呑みにするのも危険だし、時間も掛けたくなかった。
四人の遺体と
飛竜の魔石はピンポン球ぐらいの真っ赤な魔石で、この辺りにいる
このベースキャンプにも稀に魔物が現れるが、特に苦労することなく排除し、魔石は取っておいてある。獣の解体は前世で経験してるし、四足歩行の獣はどれも解体方法は大体同じだ。魔石の位置はどの魔物も心臓近くとギルドの資料で読んだ。大狼は毛皮が素材として売れるらしいが、嵩張るので剥ぎ取ってはいない。小鬼の討伐証明の耳も同様だ。今は売れば目立つので、討伐依頼を受けるようになってから少しづつ売るか、この街から出る際にまとめて売ろうと思っている。
勇者達に関して、新たに分かったのはアイツら文字の読み書きができないらしい。ならどうやって会話してるのか謎だったが、高橋との会話に違和感は無かった。試しにエルフ語に切り替えてみたら、通じなかった。大陸共通語だけの翻訳チートなのだろう。なんとも
殺す前に日本語で話しかけたが、高橋は言語の切り替えに気づいてなかった。と言うことは、大陸共通語だけ勝手に脳内で日本語に変換されてることになる。
召喚とはどういうプロセスを経るのか気になった。異世界に渡って、超能力に目覚めるのは百歩譲ってまだ分かる(いや分からないが)。だが特定の言語だけ、しかも本人が認識できないレベルで勝手に翻訳するなんて都合良過ぎる。有り得るのか?
日本人の多くが勘違いしているが、二か国語以上話せる者は、一々、母国語に訳さない。「サンキュー」は「サンキュー」で理解し、「ありがとう」と置き換えて処理しない。日本の教育では、文章は理解できても、会話ができないのはこれが原因だ。英語の質問は、英語で考えなくては会話できるようにはならない。
高橋達が、
……何かの能力だろうか? ラノベなんかじゃ、言語理解なんて便利なご都合能力なんかがあったが、現実にあり得るのか?
意図的な何かを感じる。俺の言語能力とは別物で、酷く簡易的で杜撰な能力だ。
あの女神は知ってるのか? 何か隠してやがるかもな……。
「need to knowの原則」。情報は知る必要のある者にだけ伝え、知る必要の無い者には伝えない。情報漏洩のリスク回避の原則だが、何も裏の世界の原則じゃない。一般企業でも当たり前の原則だ。裏の仕事の場合、依頼人に対して依頼の裏を問うのはタブーだが、それが読めなければ長生き出来ない。依頼を受ける時に提供された最低限の情報と、普段の情報収集の量と質が生死に直結する。依頼を受ける、受けないの判断は勿論、依頼を完遂してもその後に口封じされたり、自身を殺す為の偽の依頼かもしれないからだ。そして殺しの依頼にはそれが高確率で起こる。殺しの世界で生き抜くためには、殺しの技術だけではプロになれない。
「勇者達を殺す本当の理由を俺が知る必要は無い」そういうことかもしれん。まあどうでもいい。俺は一度死んでいる。裏があろうとなかろうと、依頼を成功しようがしまいが、いずれ死ぬことに変わりない。一度死んだことで、自分の生死にさらに頓着が無くなってしまった。何も知らないまま死ぬのは歯痒い気持ちはあるし、魔法をもっと極めてみたいという思いはあるが、それぐらいだ。ファンタジーの世界をもっと見てみたい願望はあるが、未練があるほどでもない。歯に物が挟まった状況が気持ち悪いだけだ。
(まあ、暴走したクズ勇者から殺していけば見えてくるかもしれないな。焦らずゆっくりやるか)
この世界の情報がまだ少な過ぎる。それに勇者関連以外の情報も知りたくなった。もう少しこっちの世界に慣れたらと思ってたが、聖女とコンタクトを取る手段も考えておくか……。だが、聖女のいる国の名前は分かっていてもこの国との位置関係が分からない。まだ、今いるこの国が女神の地図上でどこにあるかも分かっていない。魔法や他の知識もそうだが、情報の欠落が多過ぎる。意図的なのか、単に女神の性格なのか、これもまだ判断がつかない。
因みにロメルで地図は手に入らなかった。恐らく文化的にまだ「地図」が軍事物資だからだろう。情報化が著しい現代の地球と異なり、地形図や国の拠点配置の詳細などは戦争に利用される。恐らく勝手に地図を作ろうものなら他国の
まあ色々考えても今は何もできない。まずは冒険者の等級を上げることか。あのリディーナと名乗ったエルフと勇者の関係もヤツらの動向を知る手がかりにはなるだろうと思ったが、まあ仕方ない。ただ細剣の出所は知りたかったな……。中々良さげな剣だった。
…
俺は、金属製のポットを焚火にかけ、湯を沸かし茶を入れる。ロメルで手に入れた紅茶だ。お茶には様々な効能もあり、なるべく飲むようにしている。異世界と言えど茶の効能にそれほど違いはないだろう。個人的にはコーヒーの方が好みだが、存在するかはわからない。この世界、歯ブラシはあるが、歯磨き粉はない。なので、定期的に紅茶で口を濯ぐようにしている。抗菌作用による虫歯予防だ。虫歯になったら自力で抜いて、魔法で再生するしか治療の術はない。この世界で虫歯はあまりポピュラーではないのか、治療法などは聞いたことはない。ひょっとしたら虫歯菌が少ないのかもしれないが、予防は大事だ。麻酔も無しに自力で抜くとか、やりたくない。
そうこう考えてるうちに、エルフの女、リディーナが戻ってきた。
目が赤い。泣いていたのだろうか?
『今までの態度を謝罪するわ。ごめんなさい。怪我も治してくれて有難う』
神妙な面持ちでリディーナが頭を下げてきた。
『まだ顔が終わってない』
『……本当に治せるの?』
驚いた表情でサッと顔を上げるリディーナ。
『ああ。治せる』
そう言って、俺は淹れた紅茶をリディーナに手渡した。
…
治療は深夜まで及んだ。鼻の修復は案外すぐに終わったが、歯の再生には時間が掛かった。休憩を挟みつつ、欠損した歯を一本一本再生した。割れた歯の再生は難しくはなかったが、完全に根本から抜けてしまった歯は、かなり難航した。何日も掛けたく無かったので、一気に終わらせたが、かなり疲れた。睡眠のコントロールはある程度できるが、最近は碌に寝ていなかった。治療を終えたところで集中が途切れ、魔力も消耗し、疲労が押し寄せた。この女に敵意が無かったとは言え、不覚にもそのまま寝てしまった。
…
翌朝、目が覚めたらリディーナが紅茶を入れていた。
『おはよう』
『あ、ああ……』
朝日に照らされたリディーナの美しい笑顔に、不覚にも呆けてしまった。
昨夜は治療に夢中で気づかなかった。
この女、こんなに美人だったのか……。
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