第16話
彰比古と紅姫は地下の最奥部に到達していた。
「この部屋か」
「はい。病に罹った女達が収容されていると思われます」
突き当たりには部屋があり、中から苦しげな声や、か細い呻きが零れてきていた。
先程から酷い陰気が辺りを充満している。こんなところに女達を押しやったところで、病が治るはずもない。
「若様」
「わかっている。そっちも抜かるなよ」
「はい」
互いに目配せしてから、同時に構えた。
「オン!」
「っ!」
彰比古が陰気を吹き飛ばし、紅姫が部屋の襖を蹴破る。
すると、中からぶわっと得体の知れない黒い靄のようなものが噴き上がった。鼓膜を破らん勢いで、怨嗟の叫びが溢れ出す。
「っ……死霊共か!」
その怨嗟は全て女の声だった。意識を吹き飛ばしそうなそれに、彰比古は思わず耳を塞ぎ、結界で防御に走る。しかし、人間ではない紅姫はまだ許容範囲だった。体勢を立て直そうとする彰比古よりも先に室内の状態を確認する。
「……これは」
部屋に入った刹那、陰気と死霊によって押し込められていた異臭が鼻をついた。術師ならば嗅ぎ慣れてしまっている、忌まわしい臭い。死臭だ。
確かに、綺麗に並べられた床の上で、病に侵された女達は横になっている。しかし、誰一人として、既に生きてはいなかった。それなのに、その腐りかけた口腔からは、苦痛の声が出続けているのだ。異様な光景だった。
普通の人間が目にすれば、悍ましさで胃の中身を全て吐き戻しているだろう。
「紅姫、患者達は……こいつは」
「……全員、亡くなっているかと」
死霊を蹴散らして室内にやって来た彰比古は、痛ましげに眉間に皺を寄せた。
「死霊に集られたことで生気を失ったか」
「……若様。この者らを助けることは叶いませんでした。しかし」
「……せめて、綺麗にしてやらなきゃな。こんなジメジメして、顔色が悪いとあっちゃ可哀想だ」
「はい」
そして、紅姫が懐刀を構え、彰比古も印を組んだ。
その時だった。
ついに……
「っ、まだ居るのか⁉」
暗闇のあちこちから怨嗟の声と死霊が再び溢れ出す。
彰比古が咄嗟に纏めて祓おうとした。しかし、紅姫は聞き逃さなかった。
私達を解き放ってくれそうな御方が来てくれた……
「若様、お待ち下さい!」
「紅姫、何を」
「この者ら、強い陰気を放ってはおりますが、理性があるように見受けられます!」
紅姫は着実に増殖して室内を包み込もうとしている死霊に声を掛けた。
「お前達は……病で命を落とした者達か」
……ええ。そうよ。
死霊達が静かに応じた。攻撃の意思なしと受け取った彰比古は静かに印を解く。しかし、異変が起こればすぐに対処できるよう、気は張り詰めたままだ。
黒い靄の中から、薄っすらと裸体の女達が現れた。死病で亡くなった女達の魂だろう。女達は辛そうに目を伏せ、語り出した。
最初は、ほんの少しの嫉妬でした。
死病のきっかけは、とある遊女の死です。その娘は愛した間夫による身請けが決まり、幸せの絶頂にいたそうです。しかし、娘は不運にも、身請けの直前に性の病で斃れました。そして、享受するはずだった幸せを突如奪い取られた娘は世を呪ったのです。身請けされていく女が妬ましい、羨ましい、何故、と。挙句、娘を身請けするはずだった男は間もなく別の遊女を囲い、暫くしたらその遊女を身請けし、本妻としたそうです。仕方ないこととは言え、裏切られたと感じた娘の憎悪と無念は呪力を生み、この辺りの遊郭を覆い始めました。
そして、その強い怨念はじきに呪詛と化し、病という形で身請けが決まった遊女達を見境なく襲い始めました。その呪詛と怨嗟は、死に逝く遊女達の魂に受け継がれ、今に至るまで続いていきました。私達も、この昏い気を祓われるまでは、怨念に我を忘れておりました。
貴方達がいらっしゃってくれたから。私達は正気を取り戻したのです。
さあ、どうか、我々を祓って下さいませ。もう、誰も殺したくはないのです。件の娘の魂は既に、呪詛の根源へと至り、助かる状態ではありません。我々を纏めて浄化頂きたいのです。この地獄から、解放して頂きたいのです。今ならば、呪詛の力を我々の意志で抑えていられます。どうか、お早く……!
それは必死な訴えだった。
死病の根本たる呪詛はまだ無効化されていないため、一時的に我に返っている女達の魂を今も着実に犯しているのだろう。この女達が正気を失ってしまえば、呪詛の根源ごと祓うことは難しい。やるならば、今しかなかった。
彰比古が紅姫に目を向けた。紅姫は式神とは言え、女。男である自分よりも、彼女らの魂、気の流れがよく見えているし、感じることが出来ているはずだった。男は陽気、女は陰気を司る。どうしても、男である彰比古では女達の魂の在り方が読み切れない。
「紅姫」
彰比古の呼びかけに、紅姫は霊力を爆発させて応じた。清純な気が辺りを覆い、陰気と怨嗟を浄化していく。だが、まだ周囲の気を祓っているだけの段階であり、根本的な解決には至らない。
「……無念の死を強いられた女達よ」
彰比古は静かに呼びかける。
「お前達は正気を取り戻しているとはいえ、膨大かつ強力な呪詛と一体化してしまっている身だ。……酷なことを言うが、お前達が三途の川を渡り、輪廻の理に戻るためには、もう一度、死の衝撃を味わってもらう必要があるだろう。邪気に犯された魂を浄化するということは、実質もう一度殺されるのと同じくらいの衝撃を伴う。それでも」
構いませぬ。呪詛に呑まれていたとはいえ、我々は沢山の女を、生きていた頃には同じ釜の飯を食った子達を殺めました。そのくらいの苦痛、いくらでも耐えてみせましょう。
「好い覚悟だ。……だが、そんなに案ずるな。そこにいる紅姫は」
彰比古は霊力を放って霊気の嵐を生んでいる紅姫の肩を抱き、不敵に微笑んで見せる。
「殺しの腕は随一の式神。我が祖父、政彦が造りし、殺戮人形だからな」
触れている箇所から彰比古の霊力が紅姫の身体に流れていく。先刻の口付けもあったことから、紅姫の霊力は通常よりもずっと強い状態にあった。
「無駄な苦痛なんて味わうことなく、お前達を彼岸に送ってやる」
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