……そう、このときはそう思っていました。

 ヴェルナー伯爵家から工房に帰還して数日。




 金貨四十枚の収入を得た私は、ひとり本屋にやって来ていました。


 古代語の書物を購入するためですね。




 十冊の書物を厳選して、購入します。




「学者先生が亡くなっちまったからね。古代語の書物を買っていってくれるのはお嬢ちゃんくらいなものだよ」




「そうですね。スロイス先生が亡くなったのは残念です。もっと古代語の本について語り合いたかったです」




「そういえば学者先生が死んだときに現場にいたんだって? どんな状況だったんだい?」




「本屋のおじさんはスロイス先生が領主一族に連なる貴族であることをご存知ありませんか?」




「え? あの学者先生、貴族だったのかい!?」




「貴族ですよ、れっきとした。しかもこの迷宮都市の領主の一族に連なる方でした。なので死因を迂闊に述べるわけにはいきませんね」




「そ、そうか……それなら仕方がないな」




 私は本を買って、ついでに不足がちのお菓子の素材も購入して工房に帰りました。


 ホルトルーデはしっかり留守番ができるようになっていますので、安心して私は買い物に出られます。




「ただいま、ホルトルーデ。何か変わったことはありましたか」




「お姉さま、おかえりなさい。……はい、薬屋のおばあちゃんがいらして、依頼をしたいとのことでした」




「どんな依頼でしたか?」




「そこまでは聞いていません。お姉さまでないと分からないことですから、と一旦お断りしておきました。薬屋さんに伺ってもらえますか」




「分かりました。お隣に行ってきますね。……あ、これ錬金術の素材です。〈ストレージ〉に仕舞っておいてください」




「はい。そろそろ素材がなくなりそうだったので助かります」




 私は素材をホルトルーデに渡した後、お隣の薬屋に向かいました。




 * * *




「ああ、わざわざ来てくれたのかい。すまないね」




「いいえ。依頼があるとのことでしたので。留守にしていてすみません」




「いいんだよ。それで依頼なんだけどね……魔素抜きの薬液を大樽で欲しいんだよ」




「魔素抜きの薬液……魔物の肉を漬け込んで無毒化するアレですか?」




「そうさ。普段は薬師ギルドが生産しているんだけどね、どうも原材料の魔素吸い草が足りなくて、作れないんだそうだ。魔物肉は安価な食料だから、薬液がないと飢える住民が出てくるんじゃないかと心配でね」




「ちょっと待ってください。魔素吸い草がないのに、どうやって私に薬液を作れと言うんです?」




「フーレリアなら知っていると思うんだけどね。魔素吸い草の代わりに魔素食い花を使って薬液を作れないかい」




「ああ、まあ確かに薬液は作れますけど。しかし魔素食いの花があるのなら、薬師ギルドが薬液を作れるのでは?」




「それが魔素食いの花はダンジョンの中でも奥の方で咲くだろう? 薬師ギルドは採算が合わないから薬液を作れないと言ってきたんだよ」




「そうでしょうね。素材が割高になるので、魔物肉の値段が高騰してしまいます」




「フーレリア、あんた冒険者に伝手があるだろう。魔素食い花を取ってきてもらって、薬液を錬成してもらえないかね」




「いやいや。素材の買い取りにお金がかかりますってば。結局、薬師ギルドと同じで採算が合いませんよ」




「うーん、駄目かい。なら仕方がないね」




 おばあちゃんは眉を寄せて言いました。


 私もおばあちゃんも慈善事業をするつもりはサラサラありません。


 採算が合わなければ、仕事はできないのです。




 ……そう、このときはそう思っていました。

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