48. 近寄るのは、“蛇”か、あるいは……
老婆がまた新たな和菓子――この小さな店の目玉商品である“かりんとう
だが、普段店頭に並んでいる物ではない。
三つ並べられたそれは、新たなシーズンに合わせて考案された、いわゆる“新作”だ。
皿の上にはそれぞれ、桃色、緑色、黄色のカラフルな饅頭が並べられ、すぐ隣には湯気の立つ緑茶が添えられている。
それぞれの見た目を吟味した後、アイリスは左から順番に手に取り、口に運んだ。
一つ、また一つと食べる姿を、静かに見守る老婆。
一方、少女が新たな饅頭を頬張るたびに、その相変わらずの“大食漢”ぶりに目を細めてしまうナデシコ。
この店に入ってから少女が“試食”を終えた饅頭は、これでちょうど20個目になる。
「“桜餡”は、もう少し塩加減があったほうが、あっさりして食べやすいかも。“ずんだ餡”はとってもいい感じ。“さつまいも餡”も悪くはないんだけど、お芋の味がちょっと濃すぎるかも――」
少女の述べる率直な感想を、老婆はメモというアナログな手法で残していく。
ナデシコも最初こそ、この“試食会”に付き合ってはいたが、三つ目の饅頭を食べ終えた段階でギブアップを出していた。
数々の“試作品”について、率直な意見をもらえたことが随分と嬉しかったらしく、老婆は柔らかい笑顔を浮かべている。
「いやあ、ありがとうねえ。若い子の意見をもらえる機会なんてなかなか無いから、助かったよぉ」
「改善点はあるけど、でもどれもすごく美味しかったです。お茶もとても良い香りで、素敵なお店ですね」
老婆とアイリスのにこやかなやり取りを
饅頭20個と緑茶5杯が、あの小さな体のどこに入っているのか――相変わらず、その原理はどうにも理解しかねる。
商店街にある小さな和菓子屋――かつてナデシコが“ひったくり”から鞄を取り戻した老婆が営む店だ。
ふらりと立ち寄った店で依頼された、まさかの“試食会”を終え、ようやくナデシコは本題を切り出すことができた。
探偵の問いかけに、老婆も熱い茶に口をつけた後、「ええ」と頷き語りだす。
「私も知ってるよぉ、その『ワールドエイド』っていう人達は。この商店街でも、ちらほら見かけるねえ」
「うちらが知らなかっただけで、結構昔から活動はしてたみたいだね。それで、その 『ワールドエイド』の名を語って乱暴している奴らがいるらしいんだけど、そういう話って何か知らない?」
「それも聞いたことあるよぉ。ちょうどこの前も、なんでも深夜に駅前広場で若者と乱闘になりかけたとか。怖いもんだねえ」
老婆の
こちらはスマートフォンを使ったデジタルなメモを取りつつ、そこに記載された内容の数々に思いを馳せてしまう。
数日前――ひょんなことから、慈善団体・『ワールドエイド』が警察に依頼した内容について、ナデシコらも独自に調査を続けていた。
慈善団体の名を語り、大都市・ワンドゥの各地で“自警団”として活動をする集団。
聞こえこそ良いが、その活動内容はどうにもきな臭い。
依頼主であり、団体運営者の女性・ヒガナから聞いた情報では、『ワールドエイド』の運営方針から逸脱した乱暴な振る舞いが目立つようだ。
ナデシコの行きつけの店や商店街の人々からも情報を収集したところ、その“噂”自体は有名らしい。
和菓子屋の老婆は、不意にスマートフォンに視線を落としていたナデシコに問いかけてきた。
「ナデシコちゃん、ヒガナさんには会ったのかい?」
「え……うん、まあね。おばあちゃん、知ってるの?」
「知ってるも何も、ヒガナさんはうちの常連さんでねえ。商店街に寄るたびに、イチゴ大福をいつも買ってくれてたんだよぉ」
伝えられた事実に、「へええ」と素直に感嘆の声を上げてしまう。
アイリスは茶を飲みながら、ガラスケースの中に並んでいるイチゴ大福を見つめていた。
おそらく、食べようと思えばまだまだ余裕といったところなのだろう。
老婆の反応と同じく、慈善団体の運営者・ヒガナについての評判は悪くない。
慈善団体を切り盛りし、現在の巨大な団体まで成長させたその堅実な手腕は確かなものなのだろう。
弱きものに手を差し伸べる“人格者”――様々な意見こそあるが、おおむねその一点については誰も彼もが共通の思いらしい。
「ただ、団体の運営が忙しいみたいで、最近はめっきり商店街にも来れなくなっちゃったみたいでねぇ。うまくいっているんなら安心なんだけど、どうにも寂しいものだよぉ」
「そりゃあまぁ、複雑だね。今度、会いに行くときには、こっちからお土産持っていくよ。おばあちゃんのことも、ちゃんと伝えておくからさ」
ナデシコの配慮が嬉しかったようで、老婆は「ありがとうねぇ」と笑った。
どこか切ない彼女の笑顔に、ナデシコとアイリスはなんともやるせない気持ちになってしまう。
しばしの談笑を終え、二人は和菓子店を後にした。
往来で賑わう古い商店街を歩きながら、二人は“推理”を交わしていく。
「ヒガナさんが言ってた通り、その『ワールドエイド』のふりをした“自警団”って奴ら、色んな所で目撃されてるみたいだね。はた迷惑な連中もいたもんだ」
「一体、なにが目的なのかな……わざわざ『ワールドエイド』の名前を語って乱暴するって、やっぱり恨みとか、嫌がらせかな?」
「そういう“線”はもちろん、あるだろうね。ただなんというか――どうもひっかかるな」
探偵の歯切れの悪さに、アイリスはその横顔を覗き込む。
「なにか、変なところがあるの? その、“自警団”の人達に」
「まだ、はっきりとは言えないけどね。ただ、どうにも“妙”に見えるんだな、これ」
どうにもナデシコの真意を汲み取れず、アイリスは首をかしげてしまう。
一方で、まっすぐ歩きながら、ナデシコは少しだけ背後を気にした。
見慣れた商店街の姿をじっと眺めた後、再び前を向きなおす。
不思議そうにこちらを見つめるアイリスに、微かに笑ってみせた。
「まぁ、そのあたりも、“あの子”と合流してからかな? お昼ついでに、じっくり話し合おうよ」
「そっか。ええと、確か……待ち合わせは、『バーガー・クイーン』だったよね」
仕切り直したかのように、アイリスも前を向きなおす。
目的地を思い浮かべる少女の横顔が、どこか嬉しそうに見えた。
その理由にいち早く気付き、ナデシコはたじろがざるを得ない。
「あんたさ……えっと……当然、食べるつもりだよね? バーガー」
「え? うん。なんで?」
「いや……なんでも」
不思議そうに首をかしげるアイリスに、ナデシコはため息をつく。
おそらく少女の脳内は、チェーン店のハンバーガーの味で支配されつつあるのだろう。
少女の細い体の奥底で消化されつつある饅頭20個のことをナデシコはいったん忘れ、とにかく目的地へと急いだ。
***
バーガー店の二階に上ると、窓際の席に“彼女”の姿を確認した。
アイスコーヒーを片手に何やら書き物をしていたようだが、向こうもこちらに気付き、満面の笑みを浮かべる。
桃色のニットにスカートというラフな姿だったが、その白い長髪と同様に白く鋭いまつ毛や、凶暴さと無邪気さを混ぜ合わせたような力強い眼差しは、まるで変わらない。
「ナデシコさん、アイリスさん、どうもですぅ!」
二人も手を振りながら歩み寄り、席に着く。
アイリスが嬉しそうに、対面に座る“彼女”――女流作家・ミハルに微笑んだ。
「こんにちは、ミハルさん。待たせちゃって、ごめんなさい」
「全然大丈夫ですよぉ。私もついさっき、到着したばかりだったんでぇ」
はつらつと喋るミハルの姿に、自然と二人も笑顔になってしまう。
ナデシコもどこか安心し、肩の力が抜けた。
「相変わらず、“作品”作りしてたのかい?」
「もちろんですっ! 今度また一つ、小さいけど雑誌での連載枠をもらえたんですよぉ。なんで、そっちの構想を練ってるところです」
「へえ。なんだかんだで“小説”で戦えてるってのは、さすがだなぁ」
困ったように後ろ頭を掻きながら「いやいや」と
かつてのような“売れっ子”ではないが、それでも彼女はまだ大好きな“作家”としての道を歩み続けられているようだ。
その“芯”の部分が変わっていないことが、ナデシコらにとっては嬉しくてしかたがない。
「なんか悪いね、そっちも作家業に集中したいってタイミングで、呼び出しちゃってさ」
「何をおっしゃいますやら! 新たな“事件”に新たな“推理”――また、新しい“リアリティ”に出会えそうで、願ったりかなったりですよぉ」
“作家”としてのなんともしたたかな姿に、苦笑してしまうナデシコ。
探偵が抱えている“厄介事”も、ミハルにとっては貴重な“ネタ”の一つなのだろう。
一同は昼食のバーガーセットを卓上に並べ、しばらくは談笑を続けた。
くしゃくしゃに丸められた包み紙がいくつか並び始め、一息ついたことでようやくミハルが“本題”を切り出す。
「それで、今度はたしか『ワールドエイド』でしたっけ? また、凄い団体が登場しましたねぇ」
「ああ。ミハルはこの団体、知ってるの?」
「まぁ、名前だけはって感じですねぇ。ただ調べてみても、ナデシコさん達が手に入れている情報と、おおよそ同じようなものしか見当たらなかったですよ。団体自体の活動も、その“自警団”騒動についても」
烏龍茶をストローですすりながらも、「ふうむ」と唸るナデシコ。
しかし、ここでポテトを頬張りながら、アイリスが探偵に問いかけた。
「ナデシコ。そう言えば、さっき気になってたよね。なにか、ひっかかるって」
「え……ああ、うん。まぁね」
ミハルもメモを取りながら、「ほお?」と興味津々に見つめてくる。
ナデシコはため息をつき、気持ちを落ち着かせ、その“違和感”の正体を伝えた。
「今回の件、私の知り合いや町の人達に聞いても、やっぱり“自警団”の噂自体はかなりの数が出てくるんだよ。路地裏、飲み屋街、商店街や土手、公園やショッピングモール――いろんな所で、『ワールドエイド』を語るやつらが“自警団”として暴れてる。そういう情報は、叩けば叩くだけ出てくるんだ」
「そうだね。でも、それが何かおかしいの? ヒガナさんが言っていたように、変な人達がいるってことでしょう?」
アイリスの問いかけに、ナデシコは大きく頷く。
「ああ。だけど、その“噂”ってのがどうにも変な感じがするのさ。なにせ“噂”はあっても、明確な“目撃情報”が一つもないんだよ」
一瞬、アイリスとミハルは、探偵が言わんとしているところを理解できずにいた。
だが一歩早く女流作家が気付き、声を上げる。
「つまり、こういうことですか? “自警団”について、どこかで暴れた、どこかで活動をしている“らしい”……そういう話自体はあるけど、はっきりとそれを“見た人間”がいない――と」
「ああ。皆、あくまで“らしい”止まりなんだよ。これだけの数の情報だけはあるのに、その現場に遭遇した人間が出てこない――これはこれで、変じゃあないかい?」
なおもポテトを口に放り込みながら、「ああ」と声を上げている。
街中、至る所から“自警団”の情報は出てくる。
だが一方で、その“自警団”を直接見たり、彼らが横暴を働く現場に居合わせた人間は、一向に現れてこない。
あくまで“自警団”は“噂”の存在でしかなく、まるで実体を掴めない状態になってしまっているのだ。
そんなことが、ありえるのか――慈善団体・『ワールドエイド』には各所から苦情が送られてきていると聞いている。
だが、“噂”だけで人はわざわざ苦情を伝えようなどとは思わない。
情報の“数”こそあれど、まるでそれに“重み”がないという状態が、どうにも気持ちの悪いものがある。
ミハルとアイリスもその事実に首を傾げ、悩んでいた。
「なんとも妙ですねぇ。でも私もネットで調べてみましたけど、全部、誰かから聞いた情報ばかりなんですよね。だからナデシコさんの仰る通り、手掛かり自体がどうにも
どうやらミハルもまた、手元に出揃った情報の数々に違和感を抱いていたようだ。
彼女の場合、出版関係のメディアを中心に打診してもらったようだが、そこから出てきた情報も大差はなかったらしい。
ナデシコは椅子にもたれかかりつつ、天井のくすんだ照明を眺めた。
「最初は単純な“迷惑行為”の取り締まり――って思ってたんだけど、どうにもそういう単純な事件じゃあなさそうだ。これは案外、
「なんだか、気持ち悪い話だね……団体の人達も不安なんだろうな……」
「だろうなぁ。なにせ、自分達の名前を語る“誰か”の実体が掴めないんだからさ」
「まさかこれも……あのシヴヤって人と同じで……“幽霊”――か、なにかなのかな……」
不安げな眼差しで怯えるアイリスに、ナデシコは苦笑してしまう。
ミハルも同様に「むう」と唸っているが、二人の心配をよそに、ナデシコはちらりと窓から外を見渡した。
バーガーショップの外の往来に、しっかりと“それ”を確認し、また席に戻る。
「なあ、二人共。ちょっといいかな?」
意味深な言い回しに、アイリスとミハルが不思議そうに探偵を見つめた。
ナデシコは皆まで言わず、わざと身を乗り出し、二人に顔を近付けるように
意味も分からず顔を近付け、アイリスがどこか小声で問いかけた。
「どうしたの、ナデシコ? 急にひそひそ話なんて……」
「その窓から、外を見てほしいんだ。向かい側に“映画館”があるよね。そこの左から二番目の柱――その影に、白いパーカーの男がいるだろ? できるだけ目を合わせないように、さりげなく確認して」
ナデシコに伝えられた通り、アイリスは席を窓側に移動し、ミハルと一緒に外を見る。
できるだけ景色を流し見るふりをしつつ、言われた通り“映画館”の前の人混みに焦点を絞った。
ナデシコに言われた通り、柱の陰に“彼”はいた。
白いパーカーを着た男性が、なぜか一同がいるバーガーショップの二階を、じっと見つめている。
その視線はどちらかというと、“見張っている”と言ったほうが良いかもしれない。
視線をテーブルの上に戻し、ミハルが小さな声で問いかけた。
「たしかに、男の人がいますねぇ。なんですか、あの人? こっちをずっと見てましたけど」
「昨日――いや。もしかしたら、もっと前かもしれない。あいつずっと、私とアイリスを“尾行”してるんだよ」
思わずアイリスが、「ええっ」と声を上げた。
周囲の客達が驚いてこちらを見たことで、慌てて椅子に座りなおす。
できるだけ声のトーンを落とし、不安げに少女が問いかける。
「尾行……全然、気付かなかった……私達ずっと、見張られてたってこと?」
「みたいだね。私も気付いたのは、ついこの前さ。事務所から外を見た時、電柱からこっちを見張ってるのを発見したんだ」
ミハルがまたちらりと、気付かれないように視線だけを外に向けた。
「どういうことですか? ナデシコさん達を尾行するなんて……一体全体、何の目的があって?」
「さあね。どうにも熱烈なファンってわけでもなさそうだし、手を出してこないあたり、うちらに恨みがある誰かさんってことでもないみたいだ。ただ――」
アイリス、ミハルが期せずして同時に「ただ?」と問いかける。
その様子がおかしくて、ナデシコは苦笑してしまった。
“探偵”の眼差しに、真剣な色が宿り、輝く。
「慈善団体の調査を始めた途端、うちらについてくる謎の影――そんなこと、“偶然”に起こるとは思い難いよね? じゃあむしろ、向こうから来てくれたってことかもしれないよ。今回の妙な事件の“手掛かり”――もとい、解決のための“チャンス”がね?」
不敵に笑うナデシコに対し、アイリスとミハルは思わず互いの顔を見合わせてしまった。
不気味に近寄る謎の気配を前に、唯一ナデシコだけがこの状況を楽しんですらいる。
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