49. 大追跡

 少女達がバーガーショップから出てきたのを、男は見逃さなかった。

 タイミングを合わせるように人混みの中に身をさらし、流れに合わせて歩き出す。

 うつむきがちに、しかし離れた位置を行く三人の女性に狙いを絞ったまま。


 付かず離れず、彼は街を行くターゲットを追う。

 何やら他愛のない話に一喜一憂しながら、三人の女性はリラックスした様子で歩いていた。

 団子髪シニヨンに革ジャンの探偵と、黒薔薇のゴスロリドレスを着た少女。

 二人の隣を歩く見慣れない白髪の女性までをも、しっかりと観察していた。


 いくつもの横断歩道を渡り、角を曲がり――街の中心部を離れれば離れるほどに、目に見えて人影はまばらになってきた。

 大通りを外れ、どこか閉鎖的で薄汚い路地を行くその三つの背中に、男は疑問の念を抱かざるをえない。

 どこに行こうというのか――また一つ、少し間をあけて角を曲がった。


 視線がアスファルトの地面から走り、電信柱、ゴミ袋が積み重なった集積所へと流れる。

 ターゲットがいるであろう前方を見つめ、初めて男は足を止めてしまった。


 角を曲がったその先は、袋小路になっている。

 住宅が連なった結果、生まれてしまったデッドスペースで、目の前には2メートルほどの塀が立ちはだかっていた。

 そこに三人の女性の姿はない。

 思わず壁に歩み寄ってみるが、どこにも抜けられそうな隙間は見当たらなかった。


 馬鹿な――狼狽うろたえ、視線を走らせる彼の背後から、なんとも意地悪な声が響く。


「残念だったねぇ、悪いけどここは行き止まり。帰るんなら、さっきの通りまで戻るしかないよ」


 ぎょっとし、振り返る。

 なおも三人の姿はないが、すぐにその声の出所に気づくことができた。


 角を曲がった電信柱の影――そこに設置された粗末な“ゴミ置き場”の袋が、モゾモゾと動く。

 一つ、また一つとゴミ袋をどけ、その中に身を潜めていた女性達が姿を現した。


 唖然とする男を前に、ナデシコはアイリスに手を貸し、立ち上がらせながら笑う。


「ねっ、うまくいったでしょ?」

「う、うん。でもナデシコ、知ってたの? ここのゴミ捨て場に、身を隠せるだけのゴミ袋があるって」


 少女の問いかけに、わざとナデシコは大きめの声で返答した。

 離れた位置で壁を背に立つ男にも、しっかりと聞こえるように。


「そんな都合良くいかないよ。あらかじめ用意しておいたのさ。身を隠せられる“ポイント”をね」

「あらかじめ用意する? で、でも、もしゴミを回収されたりしたら――」

「されないさ。だってそもそも、ここにゴミ置き場なんて“ない”んだから」


 アイリスの「ええっ」という言葉に重なるように、男が息をのむ。

 少し遅れて立ち上がったミハルが、ゴミ袋の一つを観察して気付く。


「ほっほぉ、そういうことですか。これ、ゴミじゃなくて、軽い布とかを詰めただけの“ダミー”ですねぇ。つまりこのゴミ置き場自体が、ナデシコさんが作っておいた“偽物”だと」


 ご明察――と言わんばかりに笑うナデシコの横で、信じられない、とアイリスは改めてゴミ置き場を見る。

 言われてみれば作りは簡素で、貼られている集積所の注意書きも、別の地域のコピーを使っていた。


「探偵なんてやってると、誰かに付け狙われたり、追いかけられたりなんてこともしょっちゅうだからね。住民の皆さんに協力してもらって、こういうのを色々仕込んでるのさ。ちょうど、この裏に建ってる靴屋の主人が顔馴染みでね」


 きっとそれは、大都市・ワンドゥで長らく探偵というものにたずさわってきた、ナデシコだからこそ出来た芸当なのだろう。

 街の様々な箇所に、万が一に備えたスポットを用意することで、追撃の手から逃れる。

 探偵のしたたかさに呆然ぼうぜんとする二人を前に、ナデシコはなおも笑った。


「忍者でいうところの“隠れみのの術”ってやつさ。これはこれで、定期的にメンテしたりで大変なんだけどね。でもまあ、そのおかげでこうして、怪しいやつを追い詰めたりもできるわけだ」


 唖然あぜんとして言葉を聞いていた男が、息をのむ。

 ナデシコが一歩を踏み出し、強い眼差しと共に前を見た。


 ナデシコ、アイリス、ミハル――“追われる者”と“追う者”の視線が、ぶつかる。


「さて、と。悪いんだけど、ちょっと色々答えてもらえないかな? か弱くて可愛い女の子をずっとツケ狙うなんて、なかなかの執念じゃあないのさ。一体全体、何が目的だい?」


 随分と盛った言い方にアイリス達も苦笑してしまいそうになったが、毅然きぜんとした眼差しのまま、袋小路に立つ男を睨みつける。

 男は無言のままたじろぎ身を引くが、すぐに背後の壁に阻まれ、身動きが取れなくなってしまう。


 ナデシコらは自分達が尾行されてるのを承知の上で、あえて誘い込んだのだ。

 尾行者を完全に閉じ込められる、“罠”の中に。


 じりりと、ナデシコが距離を詰める。

 男が凶器かなにかで抵抗したなら、即座に組み伏せるつもりでいた。

 アイリスとミハルも少しずつ肉体に力を込め、いざという時に備えている。


「観念しなよ。別に取って食おうってわけじゃないんだ。色々と質問に答えてくれるだけでいいのさ。なんで私達を付け狙うのか。そして――『ワールドエイド』と、なにか関係があるのか……とかね?」


 その一言が、引き金になったのだろう。

 男は意を決し、動く。


 目の前のナデシコらに飛びかかったりはしない。

 男は真横――袋小路の“壁”に目掛けて、走った。


 驚いた三人の反応が遅れる中、男は地面を蹴って跳ぶ。

 迷うことなくアスファルトを踏み抜き、壁に向かって真っすぐと。

 そして事もあろうに、さらに“壁そのもの”を蹴り、さらに上へと跳躍してみせた。


 まさかの“壁蹴り”に驚く三人の前で、男は堂々と塀の上へとよじ登り、高所からこちらを一瞥いちべつする。

 鋭い視線が走った後、彼はきびすを返して塀の向こう側へと姿を消した。


 予想だにしない事態に、アイリスがたまらず声を上げた。


「すごい――じゃ、なかった。ど、どうしよう! 逃げられちゃった……」


 だが、狼狽うろたえる少女の前で、ナデシコはなおも不敵に笑う。


「なかなかやるじゃんか。となればここから先は、こっちが追う番ってことさ。ミハル、“プランB”でいくよ!」


 ひるまず前を向く“探偵”に、すぐ後ろの“小説家”が呼応する。

 ミハルは「はいなっ!」と頷き、すぐさま駆け出した。


 ミハルが男の乗り越えた高い塀を背にして立ち、腰を落として身構える。

 彼女は両手をすぐ目の前で組み、ナデシコに頷いた。

 ちょうど、バレーボールの“レシーブ”にも似たフォームのまま、ぎらりとミハルが笑う。


「ナデシコさん、どうぞっ!!」

「おうよ!!」


 呼応し、躊躇ちゅうちょすることなく駆け出すナデシコ。

 彼女もまた跳躍し、ミハルの差し出した掌に足をかけた。

 

 タイミングを合わせ、ナデシコを持ち上げるミハル。

 その勢いを使って、一気に“足場”から跳躍するナデシコ。

 鮮やかな連携によって、ナデシコは塀の上に手をかけることができた。


 その成果に、アイリスが「おお~」と声を上げる。

 ナデシコはなんとか塀の上によじ登り、振り返って笑った。


「ナイス、助かったよ!」

「いえいえっ。ナデシコさん、私達は手筈てはず通り、後から追いつきますねっ!」


 万が一、男が逃げてしまった場合の“プランB”――ナデシコが男を追いかけ、ナデシコが持つ携帯端末のGPSを頼りに、アイリスとミハルが続く。

 男に追跡を許している間、三人は気楽に世間話に興じていたわけではない。

 どうやって事態を好転させるのか、その“作戦”を念入りに練っていたのである。


 ナデシコが視線を前に向けると、くだんの男が路地を駆けていく小さな背中が見えた。

 走っていく彼を睨み、ナデシコは足元の二人に告げる。


「ああ、頼んだ。こっちは任せときな。なにせこういうのは、慣れっこなんでね!」


 言うや否や、ナデシコは塀を蹴って高らかに跳ぶ。

 向こう側の路地に着地し、一気に駆け出した。


 路地から抜け、大通りへと飛び出る。

 閑静かんせいな住宅街の中を走っていく男の背に向けて、迷うことなく肉体を押し込んだ。


 なんだか久々だね、こういうの――久方ぶりに到来した“追跡”のための全力疾走に、どこか肉体の内側がむずがゆい。

 探偵としての性分をたぎらせながら、風を受け、ひたすらに距離を詰めた。


 逃げおおせたと安心しかけた男が、不意に背後を見て驚いてしまう。

 こちらに向けて駆けてくるナデシコに、男は慌てて再び加速を始める。


 人を避け、自転車を避け、ごみ箱や花壇を飛び越え――男の動きはやはり、想像以上に身軽だ。

 ナデシコも負けじと食らいつくが、その只者ではない身のこなしから、思ったように距離が縮まらない。


 挙句、男はまたもやポリバケツを足場に跳び、マンションの自転車置き場の屋根へと登ってしまった。

 その予想外の“進路選択”に、たまらず吐き捨ててしまう。


「まじか……あんた、そういうの“不法侵入”になるんだぞ。分かってる、おい!?」


 だが、そんな忠告で男が怯むわけもない。

 躊躇ちゅうちょすることなく高所を移動する男に、ナデシコも覚悟を決めた。

 男同様にポリバケツを使い、屋根の上へと飛び乗る。


 不意に始まった“逃走劇”は、ひったくりや痴漢を追いかけるいつものそれとは、あらゆる点で異質だった。

 男は屋根から屋根へと飛び移り、標識や車止め、街路樹などを器用に利用し、縦横無尽に駆けていく。

 一般人ならば怯んでしまうようなルートを、わずかな足場を頼りに、決して速度を落とさず鮮やかに突破していった。


 その奇抜な行動に道行く人々も驚いていたが、一方であまりにも見事な身のこなしに、まるで大道芸人を見るかのように魅了されている者もいた。

 そして彼を追うように登場したナデシコの姿に、また不意に驚かされてしまう。


 いくつもの塀を乗り越え、屋根の上を跳び、衝撃を殺しながら着地した。

 ナデシコとて追跡劇で後れを取るつもりはないが、それでも街中を使った尋常ではない“障害物競走”に、全身を汗が伝い始める。


 一進一退の攻防を繰り広げながら、肉体の熱に歯噛みしつつ、それでもナデシコは考え続けた。

 何者だ――目の前を逃げる男のその姿は、ただのストーカーや変質者の動きではない。

 しっかりと訓練され、肉体を操ることに卓越したその様は、彼のただならぬ素性を予感させる。


 追跡劇を初めて十分ほど経ったところで、ようやく男の動きに変化があった。

 塀を何とか乗り越えたナデシコの前で、事もあろうに男は立ち止まり、こちらを見つめていたのである。

 男も肩で息はしていたが、どこかナデシコよりも疲労感は少なく見えた。


「あら、どうしたの。もしかして、もう降参? だったら、かなりありがたいんだけどなぁ」


 ぜえぜえと呼吸を繰り返しながら、それでもなんとか不敵な笑みを作って見せるナデシコ。

 男はしばしこちらを黙して見つめていたが、やがてまたきびすを返し、走り出す。

 

 意味深な行動に首を傾げてしまうが、結局また、“走る”ことには変わりない。

 ナデシコは「ああ、もう」とため息をつき、痛みが走る足裏にかまわず、大地を蹴った。


 男は住宅街を抜け、どこか人気のない工業地帯へと進む。

 殺風景な建物が立ち並ぶその一画――地下道まで走ったところで、今度はナデシコが思わず足を止めてしまった。


「おっと……?」


 汗をぬぐい、肺を中心に広がる熱と痛みを感じながら、それでもナデシコは目をそらすことができない。

 追跡を止め、立ち尽くし、男が消えた“それ”をじぃと眺めていた。


 やがて随分と遅れてアイリス、ミハルも追いつく。

 なんとかナデシコの持つ携帯端末の信号を辿たどってきたようだ。

 息を切らしながらも、黒薔薇のドレスを着た少女が問いかけてくる。


「ナデシコ、大丈夫!?」

「あ……ああ、追いついたのか。お疲れお疲れぇ」


 汗だくで笑うナデシコに、ミハルがため息をついてしまう。


「お疲れなのはナデシコさんのほうですよぉ。いやぁ、びっくりしました。GPSがやたらめったらに動き回ってるんで、どこを走ってるのかと思ったら、まさか屋根の上まで追いかけてるなんて」

「いやぁ。あんなにすばしっこいとは思わなかったんだよ。久々に良い運動しちゃったよ、まったく」


 驚異的な逃げ足を見せた男も男なら、それについていくナデシコもナデシコである。

 アイリスはひとまずナデシコが無事であることを確認し、安堵あんどのため息を漏らした。


「良かった、何事もなさそうで。それにしても凄かったな、ナデシコ。本当の“忍者”みたいだったよ」

「へっへっへ、恰好良かったでしょ? まぁ、ここまでの経験は、私も初めてだったけどね」


 にこやかに会話を交わす二人に、ミハルがどこか緊張した面持ちで問いかける。


「そ、それで……“奴”はどこに? 姿が見えませんけど、まさか――」

「安心しなって。なにも逃げられたわけじゃあないんだ。あいつは、“あそこ”に入っていったんだよ」


 ナデシコの指差す先を、二人は同時に見つめる。

 地下道のちょうど中間地点――おそらく下水道などへと繋がる“点検通路”への入り口のドアが、そこにはあった。


 一般人はまず立ち入らない、未知のエリア。

 日常にありながら、決して踏み込まないはずの開かずの扉。

 その奥へと消えていった“彼”に、ナデシコは思いをせる。


 逃走劇は、まだまだ終わりそうにない。

 扉の奥に広がっているであろう、新たなステージ――街の“地下”の世界を予感し、三人がそれぞれ息をのんでいた。

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