47. 暗躍する“自警団”

 また一つ、すぐ隣に座るアイリスがか細いため息をつくのが分かった。

 目の前の光景に見惚みとれているようで、丸い目を大きく開き、ただただ言葉を失っている。

 ナデシコもまたポケットに手を突っ込んだまま、背もたれに体重を預け、同様に目の前の“それ”を見つめた。


 建物の二階――エントランスホールの壁面を覆う“ステンドグラス”の造形は、とにもかくにもその大きさにまずは圧倒されてしまう。

 色とりどりの着色ガラスが組み合わされ、巨大な一本の“大樹”が描かれていた。

 木の根元には花畑が広がり、子供たちが蝶や小鳥とたわむれている。


 陽光が差し込むことで、より一層、その巨大な“絵画”が力を持ち、エントランスホールに幻想的な輝きをばらまいていた。

 圧巻の光景に目を奪われていると、不意に背後から女性の声が響く。


「綺麗でしょう? うちの自慢の一作なんですよ」


 慌てて振り返ると、そこにはえんじ色のスーツに身を包んだ、妙齢の女性が立っていた。

 微笑む彼女のすぐ隣には、ナデシコらと同伴していた女刑事・ユカリの姿もある。


 ナデシコとアイリスは慌てて立ち上がり、頭を下げた。


「あ、どうも。いやぁ、びっくりしました。こんな大きなステンドグラス、見たことがないんで」

「ふふふ。うちにいる子供たちと協力して作り上げた、大作なんですよ。下絵から皆で考えて、色を決めて、ガラスを組み合わせて――こうやって飾れるまで、だいたい4年くらいかかってるかしら」

「へえ。これを子供たちが?」

 

 改めて七色の輝きを放つ“絵画”に振り返るが、とても素人が作り上げた作品とは思えない。

 長年の積み重ねが成し遂げた偉業なのだろう。


 見惚れていると、なおも笑ったまま妙齢の女性は言葉を続けた。


「はじめまして。『ワールドエイド』の運営をさせていただいている、ヒガナと申します。本日はわざわざご足労そくろういただき、ありがとうございます」


 手を揃え、実に美しいお辞儀をするヒガナに、ナデシコとアイリスも慌てて頭を下げ、自己紹介をした。


「ユカリさんからお聞きしましたが、探偵さんなんですってね? 随分お若いので、正直なところ驚いてしまいました」

「ああ、いえ。よく言われます。すみません、なんか急に押しかけちゃって」

「とんでもないです。ユカリさんからも“優秀”だとお聞きしているので、とても心強いですわ」


 にっこりと笑うヒガナの姿には、まるで嫌味がない。

 その笑顔に歳相応のしわこそ刻まれているが、“老い”というネガティブな感情ではなく、時間や経験を積み重ねたからこその“気品”があふれ出ている。


 元々、ナデシコらの同行は予定外の事であったため、ユカリが前もって彼女に確認を取っていたのだが、どうやら無事、受け入れてくれたらしい。

 立ち話もなんだということで、一同はヒガナの案内で応接室へと移動した。


 ナデシコは移動している最中も、二階の廊下から見える庭園の姿を横目に眺め、随所を観察していた。

 自分達が通ってきた正門から建物に至るまでは、色とりどりの花が並ぶ庭園が広がっており、ちょっとした植物園のようである。


 慈善団体・『ワールドエイド』の拠点は三階建ての巨大なもので、団体の活動場所であることはもちろん、身寄りのない孤児を引き取る児童養護施設も兼ね備えているらしい。

 それもあってか、建物に踏み込んでからは幼い子供たちの姿を何人も見かけたし、一室で講師が外国語を歌を交えて教えている姿も見えた。

 身寄りのない子供たちを保護し、職を失った大人にも職業支援を行うなど、ワンドゥにおける“弱者”を救済する、いわば一筋の“光”として、この団体は機能しているようだ。


 案内された応接室のふかふかの椅子に座り、人数分の紅茶とお茶菓子が並んだことで、ようやく場が整った。

 紅茶で微かに喉を潤し、熱い吐息と共にユカリが切り出す。


「早速で恐縮なのですが、今回の相談内容について改めて確認させてください。確か警察に連絡があったのは、この組織――ワールドエイドを名乗る偽の集団の検挙……ということで、間違いなかったでしょうか?」


 ナデシコやアイリスらも見守る中、ヒガナは紅茶には手を付けず「ええ」と頷き、重々しく語り始めた。


「我々、『ワールドエイド』はこの発展を続けるワンドゥで、時代の流れから取りこぼされてしまった人々に救いの手を差し伸べたい――そう思い、元々は小さな団体として活動を続けていました。幸い、活動に助力いただける方々も多くおられて、今ではこのような大規模な施設を運営できるまで、成長できたのです」

「なるほど。調べさせていただいたところによると、たしか皆さんが活動を開始したのは6年前でしたよね?」

「ええ、そうです。当時はアパートの一室――お恥ずかしいことに、私の自宅だったんですが――そこを拠点に、数名でボランティア活動に明け暮れていました。このような大きな団体になれたことはまさに夢のようで、我々の活動が実を結んだのだと、当時のメンバーと喜んだものです」


 ここで少しだけ、ヒガナの表情に陰りが見えたのを、ナデシコらは見逃さなかった。


「ですが、団体が大きくなればなるほど、また新たな問題が出てくるものです。私達、上に立つ者の力不足なのでしょうが、お恥ずかしいことに我々の管理できない所で、予想だにしていなかった“問題”が色々と起こっていましてね……」

 

 ナデシコは小さく「ふむ」と唸り、思考を巡らせる。

 奇しくも目の前のヒガナが抱いている悩みはどこか、かつて出会ったマフィア「ベスティア・ファミリー」の抱いているそれに似ているようだった。

 組織が肥大化すればするほど、そこに敷かれた“秩序”という枠からはみ出る者が出てきてしまう。


 自分達をうれうように、少しだけ視線を落としてヒガナは続けた。


「人間ができることには限りがあると思っています。だからこそ我々は互いに力を合わせ、誰しもが小さな幸せを享受きょうじゅできる世界を作りたい――そんな思いから、あのステンドグラスに描かれていたような、“一本の大樹”をシンボルとして掲げ、ここまで歩んできました。一人一人の力は小さくても、それらを合わせれば、かならず一本の力強い樹――大きな“幸せ”が生まれるはずだ、と」


 再び、誰しもの脳裏に、あの大きなステンドグラスの姿が蘇っていた。

 と同時に、ナデシコはどこか納得し、口を開く。


「なぁるほど。ワールドエイドのメンバーの方々がつけてるあの“四葉のクローバー”も、そういう意図があったんですね。あれは一人一人が持つ“幸せ”の象徴だった、ということか」

「ええ、おっしゃる通りです。あれも当初は、私が思い付きで作ったものだったんですが、今では皆さんに広まってくださって、嬉しい限りで」


 ヒガナは過去を懐かしみ笑ってはいるが、どこかやはり表情は険しい。

 その理由に、ユカリが素直に切り込んでいく。


「先程おっしゃっていた“問題”――もっと具体的に、どういうことが起こっているんでしょう?」

「はい。実はここ最近、我々の団体を名乗りつつ、“自警団”としてワンドゥで活動している人々がいるようなんです。ですが、その活動内容は非常に過激で……例えば、夜の街に出歩いている若者に因縁をつけたり、時には暴力を働くことも多いようなんです」

「ほお。それは『ワールドエイド』のメンバーではない誰かが、団体のふりをして動いている、ということですね」

「メンバーの人間なのか、あるいは部外者なのか……それすらも、まだ分かっていません。ただ、“四葉のクローバー”のシンボルをつけていたことから、我々の団体の人間だと思われているようで、被害者の方々から我々にクレームが多数寄せられているんです」

 

 大まかだが事件の流れが見えてきたことで、ナデシコは顎に手を当て、少しだけ身を乗り出した。


「なるほどねえ。つまるところ、『ワールドエイド』の人間を装って、やりたい放題やってる輩がいる、と。今の段階じゃあ、シンボルが同じってだけで、本当にそいつらが団体の人間かも怪しいね」

「ええ……もしかしたら、なにか団体に良くない感情を抱く方々なのかもしれないと、あれこれ考えてしまいまして。鎮静ちんせい化するなら良かったのですが、連日、至る所でそういった事件が起こっているようで……」

 

 また一つ、ワンドゥという街が抱える“闇”を垣間見た気がして、なんとも気分が悪くなってしまう。

 隣に座るアイリスも黙してこそいるが、不安そうに手元に視線を落としていた。

 

 ユカリはさらに事件の詳細や手掛かりを聞き出し、手元の手帳に美しい字でメモを残していく。

 ある程度、情報が出揃った段階で、女刑事は“頃合い”とばかりに眼鏡を直し、小さくため息をついた。


「なるほど、ありがとうございます。おっしゃる通り、似たような特徴の暴行事件も警察に報告されていますので、おそらくいまだにその“自警団”とやらが活動しているのは確かでしょう。今回の一件、本格的に調査を開始させていただきます」


 その一言でヒガナは「お願いいたします」と、深々と頭を下げた。

 つややかな黒髪の下の眼差しは、不安と悲哀の色に染まっている。


「本当にご迷惑をおかけします。私達としても、どうしてこのような事態になっているのか、皆目かいもく見当がつかないのです。一体、どのような思惑があって、“自警団”と名乗る方々がそのような行いに走ってしまうのか……それこそ、団体に関わっているメンバーや、保護している子供達にまでなにか影響があるのではと、日々心配で……」

「お察しします。現段階ではまだ何とも言えませんが、警察としても全力で当たらせていただきます」


 また一つ、深々と頭を下げた彼女の姿を見ていると、なんともいたたまれなくなってしまう。

 人々を守りたい――そんな善意から活動を続けてきた彼女らにとって、今回の一件はまさに“天災”のようなものなのだ。


 あらかた確認し終えた一同の中で、最後にナデシコは一つだけ、少し角度の異なった問いを投げかける。


「ところでなんですが、フドウって“国防”の方、ご存じですか?」


 アイリスが顔を上げ、ユカリも表情こそ変えなかったが、横目でナデシコを見た。

 唐突な質問だったが、ヒガナは微笑んだまま答えてくれる。


「フドウさんですか? ええ、なにせこの団体に資金援助をいただいている方ですから」

「ほお、資金援助。じゃあ、団体の運営にもあの人は関わっているってことですか?」

「運営については、我々に一任されているんです。一年前にフドウさんから、我々のバックアップを行いたいと提案を受けまして。“国防”と連携するということには賛否がありましたが、それでも互いにうまく手を取りながら、ここまでやってこれています」


 妙な質問だとは、ナデシコ自身が理解している。

 だが、その事実確認だけを終え、ナデシコは「なるほど、ありがとうございます」と会話を終えてしまった。


 事情聴取を終え、ナデシコら三人は応接室を後にする。

 庭園をつっきって入り口の門まで辿り着き、改めて巨大な建物の姿を一望した。

 先程まで裏側から見ていたあの“大樹”をかたどったステンドグラスが、ここからでもよく見える。


 大きな白い建物を眺めつつ、ユカリが問いかけてきた。


「なんとも妙な事件ね。ナデシコは今回の一件、どう見る?」

「う~ん。まぁ、今の状況だけではなんとも。あるとすれば団体の方針に納得できない身内の犯行か、あるいは団体そのものをよく思っていない外部の人間の偽装工作か……どっちにせよ、その“自警団”ってのを絞ってみない事にはね」

「そうよね。まずは警察に報告があった、“自警団”の足取りを追ってみることにするわ。何か分かれば、できる限りそっちにも共有するんで、よろしくね」

「あいあい。首突っ込んだからには、こっちもちゃんとお手伝いはするからさ」


 白い歯を見せて笑うナデシコだったが、ユカリはまた眼鏡を直し、問いかける。


「ところであなた、なんで“国防”のことなんかを聞いたのよ。なにか、気になる点でも?」

「ああ、いや。さっき駅前で、あのフドウっておっさんの演説を聞きに来てた、団体の人間達がいたでしょ。どういう関係があるのかを、はっきりさせておきたくってさ」


 ヒガナから聞き出した内容も、やはり別段おかしな点はなかった。

 「ワールドエイド」の活動に目を付けた“国防”の人間・フドウは、団体の活動への支援を決め、両者が手を取り合いワンドゥの街で活動している。

 それだけ聞けば実に真っ当で、何一つ、きな臭い点はないように思えた。


 「ワールドエイド」の拠点である、巨大な白い建物を見つめるナデシコの目線は、どこか鋭い。

 その横顔を眺めつつ、あえてユカリはそれ以上のことは踏み込まなかった。


「とりあえず、私は署に戻って今回の内容を掛け合ってみるわ。それじゃあ、互いに頑張りましょう。今回の件、解決出来たら、この前の“借り”も精算してあげるわね」

「あー、やっぱり覚えてたか……」

「あたりまえよ。あなたまさか、踏み倒そうとしてたんじゃあないでしょうね?」

「いやいや、とんでもない! だ~いじょうぶ、ちゃんと借りた分は働くからさ」


 なんとも都合の良い笑顔だったが、それでもユカリは「やれやれ」とため息をつき、その場を去っていく。

 彼女の背中を見送りつつ、ナデシコとアイリスも歩き出した。


 離れていく「ワールドエイド」の建物を見つめながら、アイリスがようやく、気になっていた点を問いかける。


「ナデシコ……あの時、フドウさんのことを聞いたのは――」

「ああ。なんか妙に最近、あのおっさんが私らの周りをちらつくな、って思ってさ」


 かつて共に対峙した仲だからこそ、アイリスも気付いていたのだろう。

 ミハルの“ストーカー事件”や今回の“自警団事件”のそれぞれに、都合よくあの“国防”の男が関わってくるという、明確な“違和感”を。


「でも、あんな慈善団体に手を貸しているんだから、別に悪い事はしてないんじゃあないかな? あの建物にいた大人や子供は皆、楽しそうにしていたし……」

「それはもちろん、そうなんだけどね。たまたまって線だってかなりあると思う。けど、どうにも“匂う”んだよね」

「それって、つまり……探偵としての“カン”ってこと?」


 長らく共にいるせいか、随分とアイリスもナデシコのことを理解してきたようだ。

 ナデシコは歯を見せて笑いながら、なおもポケットに手を入れたまま進んでいく。


「“自警団”ってのがただの迷惑な連中なら、それはそれで捕まえちまえばいいのさ。私だって、ねえさんへの“借り”が返せるわけだからね。でももし、その裏に私達が求めてる“カギ”があるなら――つまり、どっちに転んでもおいしい話ってことさ」


 相変わらずのポジティブな考え方に、アイリスは今更苦言をていするつもりもない。

 とにもかくにも、今は慈善団体・「ワールドエイド」の周りで起こっている不穏な事件を追うために、行動することが先決だ。


 新たな難問に向かって歩いていく二人。

 あれこれと推論を交わしながら歩いていくその二つの背中を、電柱に身を隠し、じっと観察している一つの“影”があった。


 瞬きせず、感情の揺らぎすら確認できないその眼差しに気付くことなく、ナデシコ達はなおもどこか楽しそうに、昼下がりの商店街へと消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る