32. 共鳴する稲妻

 日が傾いたこともあり、昼下がりの公園には散歩に来た貴婦人や子供連れ、休憩中のサラリーマンなどの姿が見える。

 

 公園の端で、ベンチに腰掛けたアイリスが問いかけた。

 

「これから、どうするの? さっきのシヴヤって人のこと、調べるの?」

 

 対して、すぐ目の前の遊具にまたがるナデシコは、前後に揺れながら「うーん」とうなる。

 バネがついたパンダは、探偵の重みを受けて不規則に揺れていた。

 

「そうだね。例の仏さん、確か“若くして大出世した”ってことだけど、こうなると色々と怪しくなってくるな。そんな製薬会社のエースが、なんでまた“マフィア”なんかと繋がってたのか。なかなかきな臭くなってきたね」

 

 物騒な推理を働かすナデシコの顔は、なんとも楽しそうだ。

 それはどこか、悪戯いたずらを考えている悪ガキのそれに似ている。

 

 ビヨンビヨンと跳ねながら思考を巡らす彼女を見て、アイリスまでも苦笑してしまった。

 

「でも、マフィアのことなんて、そんな簡単に調べられるのかな。警察の人に聞くとか?」

「それもいいけど、まさか警察も黒社会の全てを知り尽くしてるわけじゃないからねぇ。ましてやそれを、私らにすんなり教えてくれるかも怪しいし」

 

 アイリスが「そうかぁ」と、少し残念に視線を落とす。

 ナデシコの知り合いである女刑事・ユカリに問い合わせてみる、という手も考えたが、いまいち得策ではないように思う。

 

 そもそも、警察組織がシヴヤ――つまり、製薬会社とマフィアの繋がりを知り得たとしたら、とっくの昔に検挙に乗り出しているだろう、と考えたのだ。

 

 ならばやはり、警察もそこまでの事実に踏み込めずにいるのだろう。

 そうなれば、ナデシコの中でこれから動くべき“方向”は固まりつつあった。

 

「まっ、やっぱりこういうのは、“本家”の方々に直接聞くのが早いだろうね」

「そ、それってつまり……マフィアの人に、聞くってこと?」

「そうそう。“餅は餅屋”――ってやつだね」

 

 あっけらかんと言ってのけるが、アイリスは思わずたじろいでしまう。

 マフィアと聞くと、反射的にかつて襲われた悪漢の群れを思い出してしまった。

 

 二人がこれからの方針を話す中で、また別の遊具――バネ仕掛けのうさぎにまたがる“彼女”が、うなる。

 

「ほおほお、今度はマフィアが相手ですかぁ。いやぁ、これは新展開ですねぇ。ついに黒組織との邂逅かいこう――どんな曲者くせものが出てくるんでしょうねぇ」

 

 ナデシコとアイリスは、同時に彼女に振り向く。

 

 遊具の上でナデシコとは違い、じっと座るミハルが、どこか不敵な笑みを浮かべていた。

 その姿に、ナデシコがため息をつく。

 

「なあ、ミハル。重ね重ねだけど、こっからは私らのお仕事の領域さ。もしかしたら荒事になるかもしれない。なにもついてくる必要はないんだよ?」

 

 洋食屋を出てすぐ、ナデシコとアイリスは、かつての殺人事件の被害者・シヴヤの調査に乗り出すべく、再び探偵としての活動を始めた。

 

 三人の打ち上げはひとまずお開き――と、思っていたのだが、ミハル自らが志願して、二人の調査についてきたのである。

 

 あくまで彼女は小説家であり、これ以上、巻き込むわけにはいかない。

 そう配慮したつもりが、ミハルはやはりいつもの笑顔で返した。

 

「なにをおっしゃいます。お二人にはお世話になりっぱなしですから、私もお手伝いしますよ! 幸い今は自粛中ですし、時間だけはたっぷりありますから、ご心配なく!」

 

 笑う彼女に、ナデシコは「はあ」と返すのが精一杯だった。

 そのどこか噛み合わないやりとりに、アイリスがまた少し笑ってしまった。

 

 だが、ミハルが何気なく放った言葉に、息をのむ。

 

「でも、そこまで危険を承知で踏み込もうとするなんて、そのシヴヤさんって方の事件、よほどお二人にとっても重要なんですねぇ」

 

 思わず、返答に困ってしまう。

 重要なのはもちろんなのだが、あいにくその理由を易々と彼女に伝えることができない。

 

 なぜならそれは、ベンチに座る黒いドレスの少女――アイリスに潜む闇に、足を踏み入れる必要があるからだ。

 

 アイリスが家出をし、ナデシコと出会ったことは告げていた。

 しかし、アイリスが殺人事件に巻き込まれたことは、依然として触れないようにしていたのである。

 ましてや、その容疑者になっている、など。

 

 たまらずナデシコが思考を巡らせ、言い訳を考える。

 だが先手を打ったのは、ベンチに腰掛けたままの少女だった。

 

「うん。私達、ずっと探してるの。この人がどういう人なのか。この人が――なんで、殺されなきゃいけなかったのか」

 

 息をのむナデシコ。

 あくまで何気なく視線を送るミハル。

 

 顔を上げたアイリスの表情にはいつしか、言い知れぬ“覚悟”の色が見えた。

 

「この人の殺された理由が分かれば……私が――あの日、あの場所でなにがあったのか、分かるから」

 

 思いがけない独白に驚いたのは、ナデシコだった。

 戸惑う探偵を察し、少女は笑う。

 

「大丈夫。ずっと悩んでたけど、やっぱり伝えたほうがいい、って思ったんだ。ミハルさんは、一緒に戦ってくれたから。それに今も、協力してくれようとしてるから」


 それはナデシコが今まで彼女と歩んできた中で、最も強く、はっきりとした“決意”の表れだったのかもしれない。

 

 ミハルに真実を告げれば、それがどんな結果を生むのかは分からない。

 どれだけ一緒に戦い抜いたと言っても、それはあくまで一つの“ストーカー事件”を通して作り上げられたえにしだ。

 素性を明かすことで、それが良い方向に転がるとは言い切れない。


 いつものナデシコならば、そんなリスクを前に口八丁で乗り切るのだろう。

 だが今回ばかりは、安易な選択肢をとることができない。


 打算的に考えようとする探偵の思考を、少女の眼差しから伝わる決意が押し勝った。


「そっか、うん。そうだね。あんたがそう言うなら、止める必要もないか」


 笑顔で頷くナデシコにアイリスは少しだけ驚き、それでもすぐに微笑む。

 一方で、いまいち状況が飲み込めないミハルは、二人の顔を交互に眺めていた。


 やがて、アイリスはゆっくりと、ミハルに説明を始めた。

 アイリスが巻き込まれた事件の概要を。

 今日、こうしてここに至るまで、歩んできた道を。


 たどたどしく言葉を選びながら、自身のペースで。

 ナデシコもミハルも、ただ彼女の言葉を待ち、耳を傾ける。


 事の顛末てんまつを聞き終えたミハルは、しばし唖然あぜんとしていた。

 だがやがて、顎に手を当て、うなる。


「なんとも……なんとも奇妙な話ですねぇ。じゃあ、もしかしてですが、あの時――私達を襲った、あの黒いフードの人物は――」


 彼女の言葉で、誰もが思い出してしまう。

 ミハルを“雷帝の親衛隊”なるファン達が襲撃したあの時、不意に姿を現した“黒フードの乱入者”。

 二刀のナイフを巧みに操り、親衛隊の面々とは比べ物にならない戦闘力で、三人を追い詰めた謎の強敵だ。


 警察にも事件のあらましは伝えているが、あれから怪しい人物が捕まったという報告はない。

 となれば、いまだにその襲撃者は逃げ延び、息を潜めているということだろう。


 ナデシコはいつしか遊具で無駄に揺れることを止め、顎に手を当てて推理を始めていた。


「可能性は高いだろうね。あの時、例の“黒フード”は、ミハルを狙っていなかった。むしろ明確に、アイリスに的を絞って行動していたんだ。つまり、あいつはどさくさに紛れてアイリスを殺そうと、あの場所に参上したわけだ」

 

 探偵の一言に、身震いしてしまう。

 狙われた本人は、少し不安げな眼差しを浮かべていた。


「じゃあ、やっぱり……あの人が――私の巻き込まれた事件の関係者……」

「ああ。関係するもなにも、恐らくアイリスを殺さなければいけない“理由”があるんだろうさ。こういう場合、真っ先に考えられるのは“口封じ”だろうね」


 二人の思考の打ち合いに、自然と小説家も参加する。


「つまり、あいつはアイリスさんに“何か”を喋ってもらっては困る――だから、あの場で殺そうとした。そういうわけですか?」

「おそらくは、だけどね。けど、そう考えると、しっくりくる気がするんだ」


 こめかみをトントンと叩きつつ、ナデシコは二人に見つめられたまま、自身の思いを吐露とろする。


「アイリスが巻き込まれた“殺人事件”と、ミハルの“ストーカー事件”――この二つは、それぞれ別々に起こったもので、繋がりはなにもないはずだった。けれど、おそらくアイリスの存在が、二つの事件を絶妙にリンクさせたからこそ、この間みたいなことが起こったんだと思う」

「私が? でも、一体どうして……」

「あの“黒フード”は恐らく、チャンスをうかがってたんだよ。事件のことを知っているアイリスに、手を出す瞬間をね。だけど、大っぴらにそれをやってしまえば、もし失敗した時にバレちまうことになる。アイリスのあの事件に、なにか“裏”があるのでは、ってね?」


 にわかに理解できないアイリスより一足早く、ミハルが頷いた。


「なるほどぉ。“真犯人”からすれば、“殺人事件”をアイリスさんになすりつけたいわけですからねっ。もし、アイリスさんを襲って失敗したら、それはむしろ“アイリスさん以外に、犯人がいる”ってことを強調してしまう結果になりかねない」

「ああ、そのとおり。だから、アイリスが“襲われても不自然ではない状況”を伺っていたんじゃあないかな? それがたまたま、今回の事件に重なった。もっとも、そいつが来ようが来まいが私が見抜いてたわけだから、取り越し苦労だったわけだけどね」


 意地悪に笑うナデシコを前に、なおもアイリスは考え込んでしまう。


 もし、アイリスがナデシコと出会わなければ、きっとどこかでアイリスはあの“黒フード”の人物に襲われていたのかもしれない。

 つまり“真犯人”からすれば、アイリスの存在は邪魔者でしかないのだ。

 アイリスが自身の潔白を証明してしまえば、今度はその“真犯人”にいよいよ捜査の目が向けられることになる。


 改めて、アイリスは自身が置かれている状況に、ぞっとしてしまう。

 もしかしたら、街のどこかから常にあの“黒フード”は、こちらを監視していたのかもしれない。


 だが、そんな冷たい感覚は、ナデシコの言葉ですぐに振り払われる。


「つまり、だ。今回、色々と大変だったけど、予想以上に“収穫”があったってわけさ。ミハルの事件が片付いただけじゃあなく、アイリスの事件の“真犯人”まで出てきてくれた。つまりこれでより一層、アイリスが殺人者ではない――って仮説が真実味を帯びてきたじゃあないか」


 顔を上げると、少女と探偵の眼差しがぶつかった。

 きっとアイリスの考えなど、お見通しだったのだろう。

 ナデシコは彼女を引っ張り上げるべく、痛快に笑った。


「いいかい。確実に“真犯人”はどこかにいるんだ。もちろんそれ自体は恐ろしいことだけど、相手はあくまで人間――凶器を使おうが、裏をかこうが、私らと同じ体を持つ“ただの人間”ってことさ。あとはそいつを追い詰めてやればいい。今までと同じように、“探偵”として、ね?」


 今やるべきことは、どこかに潜む巨悪に恐れおののくことではない。

 逃げ隠れてしている邪悪に、着実にこちらが近付いているということを理解し、歩みを止めないことだ。


 探偵の言葉と眼差しを受け、アイリスはどこか心が和らぐ。

 こちらを見つめる遊具の上の彼女に、こくりと静かに頷いた。


 その二人に、なおも小説家――“雷帝”が続く。


「なるほど。なんだか本当、思ったより何倍もスリリングで、ドラマチックな過去を歩んできたんですねぇ、アイリスさん」

「そ、そんなことないよ……私、ただいつも巻き込まれてばかりで……」

「なにをおっしゃいます! アイリスさん、私を守るためにしっかり戦ってくださったでしょう? 私、ちゃあんと見てましたから」

 

 ミハルの強い眼差しに、「えっ」と声を上げるアイリス。

 なおも嬉しそうに笑い、ミハルははっきりと告げた。


「前もお伝えしたように、ナデシコさんとアイリスさん――お二人がいたからこそ、事件も解決できたし、私もこうして無事でいるんです。誰か一人でも欠けてたら、きっと結果は別のものになってました。あの事件の中で“無意味”だった人なんて、誰もいませんよぉ」


 素直な賞賛を、どう捉えて良いか分からないアイリス。

 狼狽ろうばいする彼女を、ナデシコは少し意地悪な笑みを浮かべ、横目に眺める。


「もちろん、アイリスさんの過去には驚きました。でも、だからこそより一層、お力添えできればと思います! アイリスさん達が私の“事件”を解決してくれたように、今度はアイリスさん自身の“事件”をやっつけちゃいましょうよ」

 

 胸を打たれ、言葉を失う少女。

 しばらくして彼女は、どこか目を潤わせつつ、うろたえながらも「ありがとう」と礼を告げた。


 ナデシコは見守りながらも、ため息をつく。


 取り越し苦労だったか――ミハルの性格を理解していれば、彼女がアイリスにどう返事をするかは、容易たやすく分かったはずだ。


 突き付けられた理不尽な刃に、“雷帝”は退かない。

 それが自分に向けられていようが、他人に向けられていようが、だ。


 頼もしい“協力者”を得たところで、ナデシコは仕切りなおす。


「さて、と。その上で今回の一連の事件、やっぱり怪しいのは例の“製薬会社”だね。さっきのマスターの言葉からすりゃ、例のシヴヤって若手社員、どうにも“黒い方々”とつるんでたみたいじゃあないのさ」


 この一言に、さっそく戦線に加わったミハルが思考を巡らす。


「製薬会社・ヤドリギですよね。あまり悪い噂は聞かないですが、やっぱり隠して裏で色々やってるんでしょうか?」

「かもねぇ。そもそも、ミハルの“ストーカー事件”にも、例の会社の新社長さんが絡んでたくらいだ。その辺りもいまだに、気になるところだよ」


 数日前、“国防”の本部ビルで出会った、あの新社長の顔を思い出し、ナデシコだけでなくアイリスまでも押し黙ってしまう。

 彼が“白”なのか“黒”なのかは、今となっては謎だ。

 だがやはり、どこかあの不敵な笑みに、彼の裏に見え隠れする“影”の気配を感じ取ってしまう。


 アイリスがベンチに腰かけたまま、不安げに問いかける。


「でも、さっきも言ったけど、“マフィア”について調べるなんて見当もつかないよ」


 だが、この不安げな一言に、ナデシコは驚くほどあっさりと“答え”を言ってのけた。


「いや、その点はご心配なく。正直、もう次の手は考えてるんだ」

「次の手、って……どうするの?」

「こういう時はあれこれ、策をろうするのは無駄さ。ストレートに、直接聞けばいいんだよ」


 思わずアイリスが「えっ」と目を丸くする。

 ミハルも恐る恐る、問いかけた。


「んん? 直接聞く……まさか、それって――」

「ああ。もちろん、“マフィア”に関係する人に、さ」


 アイリス、ミハルが「ええ」と声を上げるのは、同時だった。

 その二人の反応に、苦笑してしまうナデシコ。


「マフィアの人だなんて……でも、私達、そんな怖い知り合いの人、いないし……」

「もちろん、直接的にマフィアの人間と繋がりがあるわけじゃあないからね。でも、マフィアってのは大抵、色々と枝葉の分かれた“組織”ってものを持ってるのさ。その端――いわゆる“小物”から少しずつ、探っていくんだよ」


 きっとそれは、ワンドゥで長らく探偵業を営む、ナデシコだからこその機微だろう。

 いまいち理解していない二人に、ナデシコは腕を組んで説明する。


「いやぁ、色々考えていたんだけど、思えば“丁度良い相手”がいたなぁ、ってさ。まぁ、アイリスは知ってると思うんだけどね?」


 ここまで言われても、アイリスには皆目見当がつかない。

 またもアイリスとミハルは、互いの目を見合わせてしまう。

 

 迷うことなく、ナデシコは自身の思惑を告げる。

 その計画にやはりミハルは首をかしげていたが、アイリスは驚き、またも声を上げてしまう。


 少女の分かりやすいその反応に、苦笑する探偵。

 思えばナデシコ自身、“彼”がこんな形で役に立つとは、思いもしなかった。


 いわゆる腐れ縁ってやつかな、これは――苦笑いしながら、遊具のばねを利用して立ち上がる。

 

 昼下がりの向かい風を押しのけながら、三人は公園を後にし、再び“街”の奥底へと進んでいった。

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