第3章:影の世界の「獣」達

31. 暗く燃える“点”

 大通りから中道に入り、人気のない路地をいくつも曲がった先。

 唐突に現れる赤レンガの階段を下りた先に、すすけた看板がうすぼんやりと光を放っていた。

 

 店名を確認し、扉を開ける。

 こもった熱気と調味料の香りが一瞬で肉体を包み、心地良く迎え入れてくれた。


 カウンターとテーブルが3つという簡素な造りの店内。

 カウンター席は埋まっており、テーブル席も手前の1つでは、男達が大皿を平らげ談笑している。


 決して小奇麗とは言えないその空間が、ナデシコにとっては妙にしっくりとくる。

 隣に立つ黒いドレスの少女・アイリスもまた、その居心地の良さをすぐさま感じ取った様子だった。


 店主の「いらっしゃい」という声に応えつつも、視線を走らせる。

 一番奥の席に“彼女”の姿を見つけ、待ち合わせであることを告げた。

 二人が席に歩み寄ると、彼女は立ち上がってにっこりと笑う。


「お二人とも、お久しぶりですっ!」

「やあやあ、どうも。一週間ぶりくらいかな?」


 さっそく腰掛ける二人に、若き女流小説家・ミハルは「ですねえ」と嬉しそうに笑った。

 今日は黒いニット帽に伊達眼鏡という、お忍びスタイルである。

 ナデシコ達の登場に安堵あんどしたのか、彼女はそれらの“変装道具”を外し、いつもの素顔を見せてくれた。


「その節はどうも、お世話になりましたっ」

「思ったよりも元気そうでなによりだよ。色々と大変だったから、心配してたんだ」


 店主が水を2つ、新たに持ってくる。

 喉を潤す探偵と、その横でじっとこちらを見る少女に、なおもミハルは快活に笑った。


「そうですねぇ。あれからしばらくは本当、てんやわんやでしたよ。警察に呼ばれたりもしましたし、しばらく執筆活動もお休みって感じです。なのでしばらくは、いわゆる“プータロー状態”ってやつです」

「むずがゆいだろうけど、それがいいさ。世間もあれやこれや好き勝手言うだろうし、今はじっくりと腰を据えて休んだ方が良い」


 ナデシコの提案に、笑いながら頷くミハル。

 その笑顔を見てもなお、アイリスはどこか不安げな眼差しを浮かべていた。

 

「ミハルさん……これから、どうするの? その……小説を書くのは……」


 今日この時に至るまで、アイリスが思い悩んでいるということを、ナデシコも見抜いていた。

 

 ストーカー被害は去ったものの、若き女流小説家――“雷帝”に対する世間の目は厳しかった。

 彼女の最も近くにいたマネージャーが個人情報を横流ししただけでなく、ファンを利用して襲わせたなど、メディアと世間が黙っているわけもない。

 かつ、世間というものは常に無責任で、ありもしないことを堂々と噂し、ばらまく。


 そういった好奇の目が去るまで、実質、ミハルは小説家としての自粛を余儀なくされた。

 そんなミハルのことを今日まで、ことさらアイリスは心配していたのである。


 彼女がもう二度と、筆を取ることができないのではないか。

 彼女にとって“物語を描く”ということが、辛いことにしかならないのではないか、と。


 弱弱しく震える少女の眼差しを受け、それでもなお、ミハルは笑っていた。

 瞳の光の中に、少しだけかげりが見える。

 だが真っすぐ、凛とした眼差しは消えない。


「もうしばらくは、お休みせざるをえないですよね。それに正直、やっぱりちょっときつかった、っていうのもありますから。ファンの人の気持ちも、マネージャーさんの気持ちも、私、何一つ分かってなかったんだなって思うと、なんだか滑稽こっけいで……」


 寂しげに語る彼女に、アイリスは返せない。

 何か言わねばと言葉を探すが、どうしても一言は湧いて出てこなかった。


 小説家としてミハルが真剣に取り組んでいたということは、疑う余地がない。

 だからこそ、その頑張りの果てに待っていたものが、どれだけ辛いのだったかも十二分に伝わってくる。


 自身と一緒に歩んでくれた仲間を、ことごとく失った――それは“雷帝”と祭り上げられた女性にとっての、あまりにも容赦のない現実だったのだろう。

 

 考えても考えても、アイリスは言葉が出ない。

 今の少女にとって、生きる目標を失いつつあるミハルにかけられる言葉がない。

 

 だからこそ、水を飲み干した“探偵”が語りだす。


「どれだけ仲良くても、どれだけ気が知れてるつもりでも、結局、最後の最後は他人――信じても、別の生き物だってことさ。悲しい現実かもしれないけど、こればっかりは今も昔も変わりはしないよ」


 それはどこか、冷たい一言にも思えた。

 だがそれでも、下手な励ましなどでミハルが救われるとは思っていない。

 短いながらも、それでも自分なりに泥臭く、仄暗い“道”を歩んできたナデシコだからこそ、投げかけられる一言だった。


 ミハルは「ええ」と寂しそうに笑う。


「まだまだ勉強不足だった、ってことですねぇ。現実は小説みたいに綺麗じゃあないし、やっぱり率直で、容赦なくて、汚い――そういうことも、いっぱいあるんだなって。本当、“雷帝”にとって、とてつもなく痛い経験になりましたよ」


 なおもアイリスは言葉を選び、そして喋れずにいる。

 少しでも彼女を救いたい――そんな気持ちが、少女の中に焦りを生み出していた。


 だが、ミハルの笑顔に強さが戻ってくる。

 彼女は抱いた率直な気持ちを、飾ることなく、ありのまま伝えた。


「でも……やっぱり何度考えても、ダメなんです。どれだけ誹謗中傷を目にしても、どれだけ心無い言葉を見ても――それでもやっぱり、“辞める”ってことだけは選べませんでしたよ」


 ミハルの笑顔に、アイリスが「えっ」と声を上げる。

 ナデシコも笑みを浮かべ、半ば予測していたミハルのその決意に、真っすぐ向き合った。


「だって、こんなことがあっても、それでも私を励ましてくれる言葉、応援してくれる言葉もたくさん目にしたんです。待ってるから、とか。楽しみにしてます、とか。それに改めて、考えもしたんですよ。あの時――チセさんが言っていた言葉を」

「マネージャーさんの、言葉?」

「ええ。チセさんはあの時、私に答えてくれました。なぜこんなことをしたのか、その理由を。もちろん彼女のやったことは、間違ったことだと思います。ただそれでも彼女は精一杯、彼女なりに私と一緒に歩く方法を探そうとしていたのかな、って」


 ナデシコらもまた、あの時の犯人――マネージャーである女性・チセの独白を思い返していた。

 

 悲しく、虚ろで、しかしどこか純粋な眼差しで崩れ落ちた彼女は語っていた。


 “雷帝”が好きだった。

 それこそがチセという女性を狂わせ、がむしゃらに突き動かした、ある種の原動力だったのだろう。


 間違っていると、なおも思う。

 だが同時に、強く伝わってくる感情があるのも事実だ。

 

 何かを好きになるという純度。

 誰かについていきたいという、混じり気のない感情を。


「だからこそ、やっぱり私、もう少ししたらちゃんと戻ろうと思うんです。小説家として……物語を描く、“雷帝”として」


 彼女の独白に、しばし二人は言葉を失ってしまう。

 だが、事件に打ちひしがれ、それでもなお再起しようとするミハルの笑みに、ようやくナデシコ達も笑顔を浮かべることができた。


 強い女性だ――ナデシコらは目の前で笑う女流作家の姿に、素直にそう思ってしまう。


 ミハルは改めて前を向き、ナデシコとアイリスを見つめ、嬉しそうに告げた。


「沈んだり、へこんだり、痛い思いもしちゃいましたけどね。それでも改めて、お二人に出会えて良かったって思いますっ! 探偵さんと一緒に事件を解決する――こんな経験、そうそうできるものじゃあないですからね!」


 不当な力にどれだけ打ちひしがれても、折れず、あまつさえそれを活力にすらしてしまうミハルに、もはや誰も憂いなど覚えない。

 アイリスもようやく肩の力を抜き、快活に笑った。


「良かった……ミハルさんが、小説家を諦めちゃったらどうしようって心配で……」

「事実は小説よりも奇なり――って言いますけど、本当にその通りですね。生きてる限り、面白いネタばかりですから、まだまだ辞めるわけにいかないです!」


 おおよそ、すでに次の作品の構想を、頭の中で組み立てているのかもしれない。

 ナデシコらが思った以上に“雷帝”はしたたかだった、ということだろう。


 場の空気から険が取り払われ、ミハルは「さて」とテーブル端のメニューを手繰たぐり寄せ、開いた。


「お二人にはさんざんお世話になっちゃいましたから、せめて、と思いましてねぇ。ここ、私のおすすめのお店なんですよ。支払いは私に任せて、ぱぁっとやっちゃってください!」


 言うや否や、ミハルは開いたメニューをこちらに差し出してきた。

 事件を解決してくれた二人への、彼女なりの気遣いなのだろう。

 隠れ家で三人だけで行われる、ささやかな“打ち上げ”というわけである。


 メニューを二人して覗き込むナデシコとアイリス。

 一般的な洋食屋のそれではあるが、和食やデザートにも力を入れているらしい。

 手書きで並ぶ料理名の数々と、所々に載せられた写真がきっぱらを刺激した。


 いわゆる“オゴリ”というやつに、ナデシコは遠慮するつもりはない。

 嬉々としながら、メニューに目を滑らせる。


「いやぁ、有名小説家さんイチオシの店となりゃあ、さぞかし絶品が食べられるんだろうね」

「ハードル上げすぎですよぉ。でも、味は保証します! 隠れた名店なんですよっ」


 ナデシコは「ほお」と唸りながら、ちらりと厨房にいるマスターを眺めた。

 腕を組み、黙して注文を待っている姿は、なんともどっしりとしている。


 あれは絶対、美味うまいタイプだ――根拠のない確証を抱き、再び視線を戻す。


 だが注文内容より、すぐ横で同様にメニューを眺めているアイリスの横顔に、ぎょっとする。

 少女は実に真剣な眼差しで、並ぶ料理を見つめながら、なにやらぶつぶつと呟いている。


「メンチカツ定食……いや。お魚、ホッケ定食って手も……でも洋食屋さんがベースなら、デミグラスは味わっておいたほうがいいし……なら、ど真ん中でハンバーグに――」

「お、おい。アイリス?」

「すごい、ピザもある! 石窯で焼いてるのかな……でも付け合わせのデザートから考えるって手も――」


 目の前に並ぶ“ご馳走”の群れに、完全にスイッチが入ってしまったようだ。

 膨大なデータを脳内で照らし合わせ、彼女なりの戦略を組み立てているのだろう。


 その脅威的な集中力に、あきれてため息をつくナデシコ。

 かたや、おかしくて笑ってしまうミハル。

 終始和やかなムードのまま、注文が決まるまではゆうに十分程の時間がかかった。


 運ばれてきた料理はミハルが太鼓判を押した通り、どれもこれも絶品であった。

 ヒレカツカレーとハンバーグ定食とナポリタン。

 それらを彩るサラダや副菜、漬物に至るまで、隙のない構成にナデシコらは夢中になって食らいついていた。


 全員が食べ終わった頃には他の客の姿はなく、三人のみが残される形となった。

 静かな店内で、ナデシコらはドリンクを片手に談笑を続ける。


 烏龍茶を飲みながら、またもミハルが笑った。


「いやぁ、改めてですけど、本当に面白いお二人ですよねぇ。対照的だけど、なんだかそれでいてうまく噛み合ってるというか」


 ナデシコは口元を拭きながら、苦笑いする。

 遠くから、マスターが皿を洗う音が微かに聞こえた。


「まあ、探偵っぽくないとは、よく言われるよ。アイリスが助手になってから余計、そう見えるのかもね」


 横に視線を流すと、ホットコーヒーを飲んでいるアイリスと目が合う。

 彼女は驚き、意地悪に笑うナデシコに返した。


「わ、わたし? そんなに、変……かな」

「あぁ、いやいや。変ってことじゃなくて。そんな可愛い服着た“探偵助手”は、珍しいだろうなって。あと、あんたは色々と見た目とは違うしね」


 それを受け、ミハルが少し大きめの声で笑った。


「確かに確かに! なにより、やっぱり凄い食べられるのには、驚いちゃいますよねぇ」

「そう、かなぁ……いつもと同じくらいなんだけど」


 これにはナデシコも笑みを浮かべてしまう。


「でっかいハンバーグに白飯二杯と、追加でエビフライとアヒージョ、それにポトフ平らげといて、平然としてるんだもんなぁ。本当、この中、どうなってるわけ?」


 躊躇とまどうことなく、アイリスの横腹をぶすりと指でつくナデシコ。

 不意をつかれ、アイリスは思わず声を上げてしまった。


「ひゃああ!? や、やめてよ! なんにもなってないよぅ」


 頬を赤らめ、ムスッとするアイリスに、あくまで意地悪に笑うナデシコ。

 そんなやりとりを眺めていたミハルが、どこか嬉しそうに問いかけた。


「探偵と助手――っていうよりも、仲の良い親友って感じですよねぇ、お二人。良いなぁ、羨ましい」

「あたしらからすりゃあ、売れっ子作家も十分羨ましいけどなぁ」

「でも、私は仕事の時は、基本的に一人ですからねぇ。もちろんスタッフの人はいますけど、いつも一緒――って仲間は、なかなかいませんからぁ」


 それはきっと、小説家としての道を歩くミハルならではの感覚なのだろう。

 多くの人に支えられ、協力し、興行に取り組んでくれる人々は、いくらでもいる。

 しかし、小説家の本分――“物語”をつづるのは、あくまで彼女一人での戦いだ。


 もしかしたら、ミハルにとっては純粋に、ナデシコら二人の関係性が羨ましかったのかもしれない。

 共に何かに向かって歩み、迷い、立ち向かう――そんな“仲間”と呼べる関係が。


 談笑をしている三人の元に、マスターがデザートを運んでくる。

 それぞれの皿を並べ終え、彼はすぐ近くにいるアイリスに問いかけた。


「どうだい、お嬢ちゃん。お口にあったかな?」

「えっ――あ……は、はい! もちろん! すっごく、美味しかったです!」


 緊張して返すアイリスに、マスターは嬉しそうに笑った。


「それなら良かった。君らみたいな若い女の子が来るのは珍しいからね。期待に添えられるか心配だったんだが、存分に楽しんでくれたようでなによりだ。もっとも、あんなに食べてくれるとは思ってなかったんで、驚いたが」


 痛快に笑うマスターに合わせ、ナデシコ、ミハルも笑う。

 アイリスはまたも顔を赤らめ、少しだけうつむいた。


「君達が、ミハルちゃんの言っていた“探偵さん”だね。ミハルちゃんの力になってくれて、ありがとう。俺からも礼を言うよ」


 唐突な言葉に、ナデシコ、アイリスは少し驚いてしまう。

 だがミハルが困ったように笑い、説明してくれる。


「すみません。マスターには時折、色々と相談に乗ってもらうことがあって。お二人の活躍も、話しちゃったんです……まずかった、ですかね?」


 心配するミハルだったが、ナデシコは納得し、笑みを取り戻す。


「なーるほど、そういうことね。いやいや、全然! でもミハルとマスター、そんな仲良い関係だったわけね」

「ああ。ミハルちゃんはもちろんだが、彼女の一家にはお世話になったからか」


 思わず、アイリスが「一家?」と首をかしげた。

 マスターは優しく補足してくれる。


「私の料理は全部、ミハルちゃんのお母さん仕込みなんだよ。若手の時、随分と勉強させてもらったんだ。それ以来の付き合い、というわけさ」

「ええ? ミハルさんのお母さん、コックさんなの?」


 たまらずミハルを見つめる二人。

 少し気恥ずかしそうに、ミハルははにかむ。


「ええ、まあ。今も一応、別の街で料理人として働いてます。もっともマスターとは違って、母さんは“中華”が本職ですけどね」

「ほえー、すっげ! てかたしか、あんたの“格闘技”も、お母さん譲りじゃなかったっけ?」

「はいっ。母は若い頃から拳法も料理も、なにかと“修行熱心”な人でしたからぁ。私も小さい頃から、『女も強くならなきゃダメだ』って、色々と叩き込まれましたよぉ」


 あっけらかんと言ってのけるミハルに、二人は肩の力が抜けてしまう。

 女流小説家としてだけでなく、まだまだ彼女の背後には色々と“規格外”な一面が潜んでいそうだ。


 驚いてしまう二人を見て、笑うマスター。

 だが少しだけ真剣な色を取り戻した瞳で、ナデシコらを見つめた。


「ミハルちゃんのために、色々と奮闘してくれたって聞いているよ。大人の悪意から彼女を救ってくれたこと、感謝する。もっとも、製薬会社だったか――最後の最後にけむに巻かれた、というのは悔しいがね……」


 マスターもまた、様々な悪意に翻弄ほんろうされるミハルを、心から心配していたのだろう。

 過保護ともとれるその姿にミハルはどこか恥ずかしそうだったが、ナデシコはあくまで笑顔で返した。


「例の社長さん、結局、おとがめなしってことみたいね。うまくやられちゃったなぁ。できれば、とっちめたかったけどね」

「製薬会社・ヤドリギについては、前々から怪しいと思っていたんだよ。だが、まさか本当に、裏で黒いことに手を染めているとはね……」


 腕を組み言いよどむマスターに、ナデシコは眉をひそめる。

 一拍遅れて、アイリス、ミハルも違和感に気付いた。


「前々から? マスター、それはどういう――」


 ナデシコの問いかけに一瞬、男は躊躇ちゅうちょした。

 しかし、店内に他の客がいないのを確認し、少しだけ声のトーンを落として語り始める。

 

「いや、まぁね。これはあくまで個人的な憶測でしかないんだが、こういう商売しているといろんな人間の“関係性”っていうのが透けて見えたりするものなのさ。早い話が、ここを利用する客同士の繋がりってのも、あれこれと見えてくるもんなんだよ」

「ほおほお。人間、食べる時ってのは無防備――っていうものなぁ。でも、それとヤドリギにどういう関係が?」

「実はそのヤドリギの社員さん、うちの店で度々、“黒社会”の人と会ってたみたいなんだよね。そんなことにうちを利用されるのもしゃくではあったんだが、きちんと注文してくれるし、残さず食べる以上はあくまで“客”だから、どうにも歯がゆかったのを覚えてるよ」


 たまらず「ほお」と唸るナデシコの横で、アイリス、ミハルも目を丸くしていた。

 アイリスはどこか不安げな眼差しで、問いかける。


「黒社会の人……それって、犯罪者とか?」

「いやぁ、そう決まったわけじゃあないんだが、どうやら“マフィア”と繋がりがあったみたいなんだ。会話こそ聞こえなかったが、随分とガラの悪い連中といつも食事していたよ」


 思いがけない名前が飛び出し、三人は戦慄してしまう。

 うろたえるアイリスに、ミハルは顎に手を当てて考え込む。


「マフィア……ほ、本当にこの街にいるの?」

「まぁ、噂は色々聞きますよねぇ。表には出てこないだけで、あれこれ活動はしているみたいですよ。都市伝説みたいなもんですが、人身売買や薬物の取引とか」


 次々と口をついて出る物騒なワードに、アイリスは「ええ」と驚く。

 一方で、表情を崩さず、ナデシコが補足した。


「ワンドゥみたいな成長途中の大都市は、そういう連中からしたら“旨味”だらけだろうからね。人が集まってくる分、そいつらを利用して色々と利益を得ることができるだろうし、新しい組織が入ってきてもそれほど違和感がないだろうからさ」


 これもまた、ワンドゥという大都市が急成長を遂げる中で生まれた“歪み”のようなものなのだろう。

 世間の人間が思うほど、この大都市はクリーンでもなければ、眩い場所でもない。


 光の裏には、どこまでいっても影がある――光が強ければ強いほど、そこに潜む色濃い影が。


 身震いするアイリスをちらりと見つつも、ナデシコはマスターに問いかける。

 どうにも、この店に来ていた“製薬会社の社員”という存在が、気になっていた。


「マスター。ここを利用していたそのヤドリギの社員てのは、何人もいたの?」

「いや、一人だけさ。随分若い男だったね。ただ、羽振りは良かったよ。だから、かなり稼いでいたんじゃあないかな。あどけない顔からは分からなかったが、もしかしたら相当なやり手なのかもしれないね」


 あどけない――その何気ない一言を、ナデシコは聞き逃さなかった。

 

 製薬会社・ヤドリギに所属する、若い男性社員。

 なぜか度々この店で“マフィア”と思われる連中とかかわりを持っていた、一人の男。

 無論、ただの友人であったり、偶然が重なっただけという見方もできる。

 マスターの目からそう見えただけ、という説も捨てきることはできない。


 だがしかし、なにかが引っかかる。

 そしてその“違和感”の理由を、ナデシコはようやく思い出した。


 自身の携帯端末を取り出し、そこに保存されていたある画像を開く。

 そしてそれを、マスターに見せつけた。


「ねえねえ。もしかしてだけど、その“ヤドリギの社員さん”って、こんな顔してなかった?」


 ナデシコの突然の一言に、アイリス達は呆けてしまう。

 だが一方で、マスターの顔に明らかな動揺の色が覗いた。


「おお、そうそう。この人だよ! お嬢ちゃん、知り合いなのかい?」


 まさかの一言に、アイリス達が息を飲む。

 ただ一人、ナデシコだけはどこか“予想通り”という、不敵な笑みを浮かべていた。


 来た“かい”があったね――ナデシコが机の上に置いたその携帯端末の画面を、アイリスとミハルは覗き込む。


 きょとんとしているミハルに対し、アイリスは「ああ」と声を上げた。


 そこに映っていたのは、ナデシコとアイリスが追いかけ続けている“殺人事件”の被害者。

 路地裏で刺殺された製薬会社・ヤドリギの社員、シヴヤの顔だった。


 いまいち事態が理解できないままのミハル。

 一方で、アイリスの瞳がわなわなと震えだす。


 まるで関連性のないはずの“点”同士が共鳴し、引き合い、やがて繋がる。

 見えてきた一筋の“線”に、ナデシコもまた真剣な眼差しを浮かべていた。


 テーブルの上の画像を見つめたまま、ナデシコはマスターに静かに返す。


「知り合いっちゃ、知り合いかな。なるほど。どうやら思った以上に彼、腹の中は“真っ黒”だったみたいだね」


 全員が、画像の中で黙しているシヴヤの顔を見つめていた。

 清楚で、純朴そうなその表情の裏に潜む“なにか”が、少しだけナデシコらに影を見せたように思える。


 食事が消化され、血の中に栄養素として巡っていく。

 だがナデシコらは昼過ぎの眠気など忘れ、ただただ再び思考を巡らせ始めていた。


 マフィア――新たに登場した“点”はあまりにも大きく、そして漆黒の輝きを放っていた。

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