6. 探偵の喧嘩術

 男達の行動は早かった。

 ナデシコに対峙した三名のうち、最も近い一人が躊躇なく近付く。


 少し太った男は、目の前の小娘を引き倒すべく、その腕を荒々しく掴んだ。


 驚くナデシコ、悲鳴を漏らす少女、怒りに顔を歪める男。


 悪漢が力を込めた瞬間、ナデシコもまた動く。

 掴まれた腕を逆に利用し、男の手首を捻る。

 更に腰を落とし、肉体そのものを素早く捻り込んだ。


 その絶妙な体捌きが、男のバランスを狂わし、傾かせる。


 悲鳴すらあがらない。

 男は真横に投げ飛ばされ、コンクリートの地面に叩きつけられてしまう。


「なっ――!」


 モヒカンの男が、そんな間の抜けた声を上げる。

 もう一人の男も、そして壁際に身を寄せる少女もまた、目の前で起こったその「奇跡」に言葉を失う。


 その投げで、悪漢は気を失ったらしい。

 ナデシコを掴んでいた手から力が抜け、ぱたりと倒れる。


 一方、ナデシコはというと、上体を起こし、ため息を漏らす。


「なんだ、思った以上に脆いなぁ。受け身も取れないなんて、素人じゃんか」


 緊張も敵意もない。

 ただただ「がっかりだ」と言わんばかりに力が抜けている。


 その何気ない表情の変化が、男達の怒りをさらにあおってしまう。


 もう一名――今度は疵面の大柄な男が、ナデシコに向けて突進してくる。


 雄叫びを上げ、大地を揺らしながら殺意の塊が近付く。

 その圧倒的な迫力にも、探偵はまるで動じない。


 慣れきっているのだ。

 「この程度」の敵意など。


 こんな男も、こんな状況も、こんな場面も。

 ワンドゥで探偵を生業にする上では「いつも通り」のことだ。


 胸糞が悪く、うんざりするほどに。


 慌てることなく、ナデシコは男の動きを見極め、そして動く。

 両手を広げた前傾姿勢から、男の狙いが「タックル」であると判断した。

 体格差を見ても、実に有効な手段だろう。


 その最適解を真っ先に取るという「安直さ」を、ナデシコは利用する。


 真後ろに跳びながらも、向かってくる男の顎目掛けて蹴り込んだ。

 がら空きになり、開き切ってしまった無防備な下顎が、スニーカーによってピンポイントに跳ね上げられる。


 その一撃が男の脳を揺らし、一瞬で意識を断ち切った。

 男はナデシコを素通りし、背後の瓦礫置き場に音を立てて突っ込む。

 木材やポリバケツをぶちまけ、そこに頭を突っ込んだ形で静止した。


 鮮やかな姿に、残ったモヒカンの男も、怯えていた少女も唖然としてしまう。

 しばし身動きできず、悠然と立つナデシコの姿を見つめることしかできない。


 何者だ――モヒカン男の額に、一気に汗が浮かんだ。


 見た目はどこにでもいる若い女。

 細い腕に薄い胸板。

 おおよそ「強さ」などみじんも感じないその風貌から、警戒など不必要だと判断してしまう。


 その判断こそが間違いだと、改めて「判断」した。


 モヒカン頭の男が構える。

 握った拳を顔の前に持ち上げ、少しだけ顎を引いた。

 前後に軽く開いた足は体重を小刻みに上下させ、臨戦態勢であるということを表している。


 先程までの二人とは違う男のスタンスに、ナデシコは「おっ」と声を上げた。


「なんだ、ちゃんとしてんじゃんか。なにそれ、カンフー?」

「うっせえよ!! なめやがって…もう後戻りできねえぞ、オラァ!!」


 ありったけの罵声と共に突進するモヒカン頭。

 素早い身のこなしで拳を繰り出し、ナデシコの頭部を狙う。


 迅速はやい――――左右、リズミカルに放たれる拳を避けつつも、ナデシコは少しだけ驚いてしまう。

 無駄がなく、洗練された迷いのない打撃。

 それゆえに最短距離を、間違うことなく飛んでくる。


 左右のコンビネーションを、ただただひたすら突風のように浴びつつ、ナデシコは肉体を傾けてかわし続けた。


 お返しとばかりに右の足で蹴り込んだが、空を切る。

 男はすでにバックステップで距離を取り、射程から身を引いていた。


 その思いがけないディフェンス技術に、またもナデシコが驚きの声を上げる。


「おおー、やるじゃん。見かけによらず、しっかり身に着けてるんじゃん、トサカ先輩」

「この野郎、その名前で呼ぶんじゃあねえよ!!」


 怒り心頭のまま、なおも男は突進してくる。

 滾る憤怒をしっかりとその両拳に込め、なめた口を利くナデシコの顔を穿つべく、ひたすらに打ち込む。


 差し込まれる拳の嵐を、ナデシコは左へ右へと避け続ける。

 飛び散る汗すら向かってくる連撃が砕き、散らした。


 離れた位置から、黒いドレスの少女は二人の攻防を、固唾を飲んで見守っていた。

 すぐ目の前で繰り広げられる浮世離れした光景に、息をするのも忘れてしまいそうである。


 洗練された格闘技の拳と、それを紙一重でかわし続ける体捌き。

 高度なディフェンスとオフェンス――それらが創り上げるハイレベルな「戦い」の光景に、逃げることすら忘れてしまう。


 ナデシコと男は共に額に汗を浮かべ、狭い路地裏で噛み合う。


 とはいえ、体力は無限ではない。

 徐々にナデシコの回避に遅れが見え始める。

 それは少女の目から見ていても明白だった。


 事実、男もまた自身の拳が、あと少しで届くということを確認している。

 こう見えて、実は真面目に格闘技を習い続けた過去があるのだ。


 空を切る拳は、身に着けたスタミナで着実にねじ込む。

 積み重ねた「暴」は、必ず実る。


 また一歩、強く踏み込み、右のストレートをえぐり込む。

 向かってくる一撃を見据え、ナデシコは――笑った。


 惜しいなぁ――――積み重ねてきた「武」が本物だと理解できる。

 力任せなどではなく、鍛錬し、時間をかけ、苦しみに打ち勝つことで手に入れた拳なのだと分かる。


 目の前の男もまた「強くなりたい」という願いをかなえるため、技術を学んだのだろう。


 だからこそ、それがこのような間違ったことに使われることが、残念でならない。


 叩き込まれた一撃は、やはり空を切る。

 だが、その虚しい感触以上に、目の前の光景に男は息をのんだ。


 ナデシコの姿が消えた。

 真実にいち早く気付いたのは、二人の攻防を離れた位置から見つめる、少女だった。


 ナデシコは向かってくる全力の拳を、避けていた。

 しかしそれは、上体を反らすだとか、距離をとるだとかという「正攻法」ではない。


 その場に大きく沈み込む――極端に言えば、わざとこけてみせたのだ。


 しゃがみ込むのではなく、両手や頬まで地面につきそうなほどの、超低姿勢に。


 命中あたるわけがない。

 立っている相手を打つための拳が――立っている相手しか想定しない技術が、「寝ている相手」に届くわけなどない。


 沈み込むと同時に、ナデシコは低姿勢から蹴りを放つ。

 まっすぐ伸びたスニーカーの先端が、モヒカン男の下腹部――すなわち股間にめり込んだ。


 致命傷ではない。

 しかし、男にとってあまりにも強烈な痛みが肉体を貫き、顔をゆがめる。


「ふぐぉお!?」


 悶絶する男。

 彼は体を丸め、両手で股間を押さえる。

 激痛に脂汗が吹き上がった。


 その人間の「反射行為」が命取りになる。


 沈み込んでいたナデシコが、反対に肉体のばねで跳ね上がる。

 後転しながら伸びた蹴りが、男の降りてきた顎をかちあげた。


 そのうまくできすぎた、それでいて「奇抜」すぎる刹那の攻防に、壁際の少女は唖然としてしまう。


 相手の裏をかき、動きの先を読み、大胆に、緻密に動く。

 その手際が、あまりにも鮮やかすぎるのだ。


 もっとも、ここまでの展開はほぼ、ナデシコが無意識に組み立てた「シナリオ通り」だった。

 あえて言葉で相手を激情させ、攻撃性を引き出すことによって先手を与える。

 躊躇なく間合いに入ってきたところを、順番に迎撃し、ここぞというときに「虚」をつく。


 全て、この街――ワンドゥで培った「喧嘩術」であった。


 モヒカン頭の男は天を仰ぎ、そのまま膝から崩れ落ちてしまった。

 うつぶせに倒れた彼を見て、ナデシコはため息を漏らす。


「ごめんねえ、トサカ先輩。思いっきりはやってないから、安心して。大丈夫、すぐ直るよ」


 おそらく、男の股間の容体を気にしているのだろうが、その声は男には届いていない。

 彼女は立ち上がり、ようやく少女に目を向けた。


「まあ、結構いるんだよね、こういう輩。だから、そんなナリで、こういう大通りからそれた場所に来ちゃあだめだよ」


 悠々とアドバイスをしながら、笑顔を浮かべるナデシコ。

 少女はどう返して良いのか分からないようで、口をパクパクしながら、視線を泳がせている。


 礼を述べるべきだとは分かっている。

 だがそれ以上に、目の前のナデシコという存在への疑問ばかりが先行する。


 何者なのか。

 なぜ助けてくれたのか。


 そして何より―――—なぜそんなに強いのか。


 まごつく少女に、ナデシコは笑みを崩さず一歩近寄る。

 ナデシコからしても、この少女の素性が分からない以上、まずはこの危険区域から彼女を退避させるのが先決と判断したのだ。


 一歩、近寄るナデシコ。

 その足首の動きが止まる。


「――――って、ええ?」


 思わぬ感触に目を見開き、驚く。

 少女もまた「あぁ」とか細い悲鳴を上げた。


 倒れたはずのモヒカン頭の男が、ナデシコの足首を掴んでいた。

 地に伏せ、いまだに全身を貫く痛みに悶絶している。

 しかしそれでも、彼は汗と泥にまみれた顔を持ち上げ、ナデシコににたりと笑う。


 探偵の表情に焦りの色が浮かんだ。

 再び全身に力を込め、引き抜こうとする。


 引き離そうとするナデシコと、掴み続ける男。


 その向かい側で倒れていた巨漢が、実に間が悪く気絶から目を覚ましてしまう。


 自身が吹き飛び、ばらまいた瓦礫――その中の角材を手にして。

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