第1章:探偵と黒薔薇の少女

1. 若きつむじ風

 昼前の商店街はいつもとは違うざわめきに包まれていた。

 人の往来おうらいが激しさを増すその真っただ中を、一人の男が駆け抜ける。

 ニット帽とジャージ姿の青年はぜえぜえと息を荒げながら、障害物を避けて走っていった。

 その異様な姿に皆、慌て驚いている。


「おら、どけよ、どけって!!」


 乱暴に腕を振り回し、進行方向をさえぎる人間に吠える。

 あわや自転車にぶつかりかけるも、すんでのところでかわし、更に加速した。


 その背中に向けて、遥か後方から真っすぐ、甲高い声が叩きつけられる。


「逃げんなこら、危ないだろうが! 止まれっつーの!!」


 駆け抜けていく青年を、必死に追いかけていく女性。

 深緑の髪の毛を両サイドで団子状にまとめ、耳には銀のピアス。

 茶色のジャンパーに白シャツ、半袖のジーンズにスニーカー。


 彼女は猛スピードで、そして華麗に通行人をかわしながら前に進む。

 その身のこなしは遥か前方の青年よりも軽く、曲芸のように人や物の隙間をって進む。


「ごめんなさい、ちょっと通るよ! はい、ごめんね! 危ないよ危ないよ!」


 商店街の人々に早口で謝罪しつつ、更に前に進む。

 時には跳び、回転し、潜り抜け――鮮やかな動きで、一直線に男の背中に迫っていく。


 そんな彼女に、理髪店の店主が激励げきれいの言葉を投げた。


「朝からご苦労なこったな、ナデシコ! きっちり捕まえるんだぞぉ!!」


 彼の一言を背中に受け、少し振り返りながら団子髪の女性――ナデシコは笑う。


「ご協力、どうもぉ! 安心して。すぐに終わらせるからさあ!」


 ぶつかりそうになった本屋の看板を飛び越える。

 空中でくるりと回転し、鮮やかに着地して見せた。


 その軽業に周囲から「おお」と歓声が上がった。

 ぐんぐんと近付いてくるナデシコの姿に、青年はさらに速度を上げて逃げていく。


 もうどれくらい、この追跡劇を繰り広げているのか。

 青年は左脇に茶色い女物のバッグをしっかりと抱え、手放そうとしない。

 彼が先程、駅前広場で通勤中の女性からひったくった品である。


 いつも通りの“軽犯罪”のはずだった。

 健脚で逃げ切り、中身から金目のものを抜き取り、どこかに残りを捨てる。

 もう何度も成功してきたし、誰一人、その足に追いつく者などいなかった。


 しかし今日は違う。


 先程から青年を追いかけるこのナデシコという女性は、とにもかくにもしつこい。

 そもそも、駅前でバッグを“する”場面を見張っていたようだ。


 決してアスリートには見えない。

 だがそれでも、あんなボロボロのスニーカー一つで、堂々と自身の健脚に追いついてきている。

 その速度と身のこなしに、焦りがつのる一方だ。


 青年は走りながら、妨害の手も緩めない。

 店の看板を倒して道をふさいだり、時には道端に落ちていたがれきやブロックを投げつけたりもした。


 だがいずれも、効果をなさない。

 ナデシコはそれらをありとあらゆる手で避ける。

 軽やかに跳び、身を引き、時には受け止め――障害を一つ取り払う度、彼女の射るような強い視線がぎらりと光る。

 太陽を受けてぎらつく、その不敵な眼差しとの距離に、なによりも焦りを覚えてしまう。


 逃げ切れないと判断した青年は、細い路地へと入り込んだ。

 酒場が集結したエリアを、右へ左へと進む。

 ナデシコもそれを見失わないよう、必死に追った。

 着実に、少しずつだが、二人の距離は縮まりつつあった。


 やがて青年は、路地の先にある袋小路へと駆けこむ。

 ビルとビルの隙間にあるちょっとした広場だ。

 普段は廃材やゴミ置き場に使われている、よどんだ空間である。


 逃げ場がないと判断し、ついに青年の足は止まった。

 肩で息をしながら、顔中から流れ落ちる汗をぬぐう。


 少し遅れて、ナデシコも広場へとたどり着いた。


「ご愁傷しゅうしょうさん。ほら、もう逃げ場なんてないって。おとなしく観念しなよ」


 彼女は呼吸を整えつつ、ゆっくりと青年に近付いていった。


 青年は振り、汗だくで笑う。

 その不敵な笑みに、ナデシコは嫌な予感がした。


「逃げるだぁ? んなもん、もう必要ねえよ。ここまでくりゃ、何にも問題はねえ」

「ああ? それってどういう――」


 その言葉の意味を、背後の気配で理解してしまう。


 慌てて振り返ると、そこには四名の男が立っていた。

 青年と似た風貌ふうぼうの男達は、ぎらぎらした眼差しでこちらを睨みつけている。

 溢れ出る殺気をなんら隠すことなく、目の前のナデシコに向けてぶつけていた。


 自身の置かれた状況に、冷や汗を垂らすナデシコ。

 苦笑いを浮かべ、にじり寄ってくる男達に後ずさってしまう。


「あ~、な~るほど……あ、あはは。追い詰められたのは、私のほうってことね」


 おどけて見せるも、まるで効果などない。

 男達はあっという間にナデシコを取り囲み、退路を断ってしまう。


 どうやらひったくりの捕獲という、楽な仕事じゃあ終わりそうにない――ナデシコは苦笑いを浮かべつつ、男達を一瞥いちべつした。

 太い二の腕に薄っすら浮かぶ傷跡。

 こういう荒々しいやり取りは、どうやら慣れっこらしい。


 すぐ目の前に二名。

 更に、唯一の出入り口である通路にも、鉄パイプを携えた二名が張り付いている。


 取り囲む男達のうち、一際大柄な一人がナデシコを睨みつけたまま口を開いた。


「なんだ。追われてるって言われてきてみりゃ、なんてことはねえ。小娘じゃねえか」


 これに対しナデシコの背後――先程まで彼女に追いかけられていた“ひったくり犯”がようやく呼吸を取り戻し、答えた。

 手にした盗品のバッグを放り投げ、すぐ脇に捨てる。


「しつこいんだよ、こいつ。駅前でずっと俺のこと、見張ってやがったんだ」

「へえ……おい、小娘。“サツ”かなんかか?」


 巨漢の問いかけに、ナデシコはぎこちない笑顔のまま答える。


「ま、まあそんなところ。同業者ってやつだよ! ほら、だからあんまり、手荒なことはしないほうがいいんじゃないかな? これ以上、悪いことはしないほうが――」


 言いくるめようとするナデシコの言葉を、男の足踏みが止めてしまう。

 ブーツが“ズンッ”とコンクリートを揺らし、空間を震わせた。


「なるほど。じゃあますます、このまま帰すわけにはいかねえ。世の中にゃあ、足を踏み込むべきじゃない領域ってのがあるんだよ」


 じりじりと男達との距離が詰まる。

 その言葉が虚勢ではない、ということが彼の鋭い眼光から伝わってきた。


 よどんだ空気の中に、肌を震わす濃厚な殺気が張り詰めている。

 ナデシコは両手を上げながら、なおもひきつった笑みのまま説得を試みた。


「そ、そういうのは良くないと思うなぁ。ほら、何事も暴力なんて使わないほうが良いよ。平和的に解決したほうが、人間、後味が悪くないってもんじゃない?」


 わざとらしくおどけて見せても、まるで男達は考えを改めるつもりはないらしい。

 ナデシコの背後――先程まで追いかけていた“ひったくり犯”が、ポケットから折り畳みナイフを取り出し、展開する。

 かちゃり、という金属音にナデシコの動きが止まった。


「余計な手間とらせやがって。たかがババアのバッグ一つで、あちこち走り回るはめになっちまっただろうが」


 他の男達も各々の武器を構える。

 襲い掛かってくるのも、どうやら時間の問題らしい。


 絶体絶命――の、はずだった。


 両手を上げた姿勢のまま、ナデシコは微動だにしない。

 背後の男は、ナイフの切っ先をその背中に向けつつ、える。


「ったく、くそだせえジャケット着やがって。無事に帰れると思う――」

「あんたら、そのバッグを狙ったってわけじゃあないんだね」


 初めて、男の言葉をナデシコがさえぎる。

 その明らかな反抗の意思に、悪漢達のいら立ちがまた少し色を増した。


 ああん? とすごむ男に、なおも静止したままナデシコは問いかける。


「そのバッグが誰の、どんなものか――知らずに適当に盗んだ。そういうことだね」

「だったらなんだってんだよ、ああ!? いちいち、る相手が誰だの知ったことかよ!」


 叩きつけられた乱暴な言葉にも、なおもナデシコは動かない。


 ただ静かに、重々しいため息をついた。


 張り詰めた殺気だけが支配する空間。

 風一つ吹き込まないその澱んだ路地裏のど真ん中で、ナデシコは冷静に――そして、鋭く言い放った。


「分かった分かった、ありがとう。そうか。なら、もういいや。あんたら、やっぱり――」


 しびれを切らし、男達が襲い掛かる。


 四方八方から向かってくる殺気の嵐のその中心で、ナデシコはようやく腕を下ろす。

 自然体のままゆっくり、目を見開いた。


 こちらに向かってくる二人の巨漢。

 その後ろで退路を断っている二人の武器を持った男。


 ナデシコはまた一つ、言葉を吐き捨てる。

 己の中にたまりにたまった、熱く煮えたぎる感情を乗せて。


 空気が停滞した路地裏の空間に――風が生まれた。


「ただの小悪党だね」


 男の剛腕よりも、蹴りよりも、凶器よりも。

 なによりも早く動いたのは、ナデシコだった。


 一気に加速し、真っすぐ後ろへと跳ぶ。

 そして振り向きながら狙いを定めた。


 驚き、ナイフをまだ構えたままのひったくり犯がいる。

 ナデシコは高速で流れる視界の中で、しっかりとその男の形相ぎょうそうを捉えていた。


 肉体をひねり、目いっぱい加速させる。

 そしてあらん限りの力で、蹴りを放った。


 汚れたスニーカーが、男の顔に真横から突き刺さり、ゆがめる。

 悪漢達の表情が驚きの色に染まった。

 一方、被弾した一人は横殴りの衝撃に耐えきれず、ナイフを手放し倒れ込んでしまう。


 軽やかに着地し、前を向くナデシコ。

 見開いたその双眸そうぼうに、先程までとは明らかに違う光が宿る。


 意外な一撃によって虚を突かれたものの、すぐに闘争心を取り戻す男達。

 巨漢二人が拳を振り上げ、襲い掛かってくる。


 微かに左が速い、ということを見極め、ナデシコが迎え撃つ。

 放たれた乱暴な拳打を冷静にはたき、その軌道を反らして直撃を避けた。


 一発、二発、三発――空気をかき回し、岩石のような巨拳が振り回される。

 しかし、一度たりとナデシコの体にかすることすらない。

 冷静に、正確に攻撃の軌道を見極め、受け流されてしまう。


 四発目が振りかぶられた瞬間、合わせるようにナデシコが前に出る。

 男のがら空きになった股目掛けて、鋭い前蹴りが突き刺さった。


 鈍く、嫌な波長のうめき声と共に、股を押さえて倒れ込む男。

 ずんと地面が揺れた時には、ナデシコは腰を落として構え、もう一人の巨漢に照準を合わせていた。


 残された三名が同時に察する。


 何者だ――ただの小娘ではない。

 先程の蹴りの速度や精度、そして威力。

 さらには向かってくる拳をさばく回避術。


 何より、今、目の前で見せている緊張した構え。


 腰を落とし、肩を引き、両手を開く。左手は下ろし腰の辺りへ、そして右手は顔のすぐ前、顎を守るように置いている。


 素人のそれではない。向かってくる攻撃を迎撃し、そして自身の一撃を“刺す”ための臨戦態勢である。


 見よう見まねや虚勢でやっているのではない。

 その身に、なんらかの“格闘技”のノウハウを身に着けている、ということが分かる構えだ。


 その姿を見たとしてもなお、男達に撤退の二文字はなかった。


 雄叫びと共に駆け出し、大振りの一撃を放つ男。

 ナデシコもまた半歩、男に向かって前進する。


 今度は捌かない。

 放たれた拳を避けつつも、その手首、肘を受け止め、肩に担いで捻り上げる。


 男達が目を丸くした時には、ナデシコ渾身の“一本背負い”が炸裂していた。

 大柄の男はなすすべなく、コンクリートに背中から叩きつけらえてしまう。


 身動きができなくなった男を見下ろしつつ、ナデシコは上体を起こして大きく息を吐いた。

 汗一つかいていない。


 そんな彼女の虚をつくように、鉄パイプを持った一人が駆けてくる。

 ナデシコが振り返った時には、目の前に武器をかついだ男がいた。


 かわすか、受け止めるか――だが、男も喧嘩の素人ではない。振り上げた凶器という“虚”に意識を向けさせ、“実”である前蹴りを放つ。

 鮮やかなフェイントにはナデシコも対応できず、ブーツをはいた丸太のような足が胴体を捉え、吹き飛ばした。


 後方に残された一人が、手ごたえから微かに笑みを浮かべる。

 だが一方で、蹴り込んだ本人は足先に伝わってきた違和感に、目を見開いた。


 大げさに吹き飛んだナデシコは、空中でくるりと身をひるがえし、音もなく着地する。

 蹴りが炸裂したはずの胴体には、いつのまにか両腕が挟み込まれていた。


 蹴りは当たった。

 だが効いていない。


 一撃が炸裂する瞬間、わざと自分で後ろに跳び、衝撃を消してしまったのだ。


 何者なのだ――男達は目の前で不敵に笑い、構えなおすナデシコを見つめ、戦慄しなおす。


 並みの小娘の身のこなしではない。

 明らかに戦うということに対して訓練され、洗練された立ち振る舞いである。


 戸惑い、焦りを振り切るように、男は雄叫びを上げ駆けだす。

 今度はフェイントなどは使わない。

 あらん限りの力で振りかぶった鉄パイプで、ナデシコの頭部を狙う。


 構えを作りながら後退して距離をとるナデシコ。

 しかし、気が付けばすぐ背後に壁が迫っている。

 裏路地の端まで追いつめられてしまっていたらしい。


「あらら、やっば」


 目を開き、慌てるナデシコ目掛け“好機”とばかりに男は鉄パイプを振りぬく。

 ギャリッという音と共に先端がコンクリート壁に打ち付けられ、火花を散らした。


 後方に控えている男が、たまらず「あぁ!」と声を上げてしまう。

 鉄パイプの一撃が振り下ろされるよりも早く、ナデシコは跳躍していた。

 背後の壁に張り付くように跳びつき、パイプの一撃をかわしてしまう。


 そしてそのまま、彼女は壁を蹴って跳んだ。

 身をひるがえし、すぐ目の前にある男の顔面目掛けて、真っすぐに膝を叩き込む。

 鈍い音と共に前歯が砕け散り、鼻血をまき散らしながら巨漢が沈んだ。


 着地したナデシコが「ふぅ」と息を吐き、背筋を伸ばす。

 たいした傷もない。蹴りを受け止めた際にできた汚れこそあるが、先程までといたって変わらない彼女がそこにはいた。


 残った一人と、彼女の視線が交わる。


 鉄パイプを両手で握りしめる男と、リラックスした体勢で立つ女。

 片や戸惑いと恐怖を、片やあっけらかんとした楽観的な笑みを浮かべて。


 先に動いたのはナデシコであった。


 すぐ横に落ちていた凶器――先程の男が手にしていた鉄パイプを、残った一名に目掛けて蹴り上げる。

 飛来したそれを、男は慌てて自身の武器で打ち落とした。


 カァンという乾いた金属音と共に、前に向き直る。

 すぐそこに、同時に駆けだしたナデシコの姿があった。


 悲鳴にも近い雄叫びを上げ、男は鉄パイプを振り下ろす。

 しかし、それよりも圧倒的に早く、ナデシコが跳びあがって男の首に組み付いた。


 肉体をくるりと背後に回らせ、そして瞬間的に締め上げる。

 頸動脈を圧迫され、男は一瞬で意識を断ち切られてしまった。


 最後の巨漢を沈め、悠々と立ち上がるナデシコ。

 手をはたきながら、倒れて白目をむく男に向かって言い放つ。


「喧嘩殺法だの凶器だの、野暮やぼったいったらないよ。修練が足りないんじゃない?」


 もっとも、気を絶している彼にその言葉が届くことなどない。

 ため息をつき、改めてひったくりにあった品――あの投げ捨てられたバッグを取り戻すため、顔を上げた。


 だがそこでナデシコの動きが止まる。


「あれ?」


 見れば、最初に蹴り倒したはずの男――ひったくり犯の青年が再びナイフを手にし、立ち上がっていた。

 頬がれ上がり、鼻からはぼたぼたと血が垂れ落ちている。

 歪んだ形相ぎょうそうから、あらん限りの怒りが滲み出ていた。


 肩で息をしながら、汗だくで男は吠える。


「なんだよ、マジで……なんなんだ、お前……」


 刃の切っ先が震えている。

 真上から降り注ぐ太陽光を浴び、冷たい凶器がキラキラ輝いていた。


 それでも全く動じることなく、ナデシコは歩き出す。

 実に面倒くさげに、ため息をつきつつ。


「順番が色々おかしいんじゃない、その質問? まぁ、どっちにしろ痛い目見てもらう気だったから、手間が省けたけどねえ」

「てめえ……分かってんのか、こんな舐めた真似しやがって。どうなっても――」

「はいはい、分かってるよ、うっさいな! あんたらみたいな“ちんけな小悪党”でも、悪いことするんなら、放っておくわけにはいかないのさ」


 言葉をさえぎられ、殺気すら受け流され、唖然あぜんとする男。

 ナデシコはなおも前に進みながら、堂々と言い放つ。


 臆することなどなく、悠然ゆうぜんと、風を切って歩きながら。


「人の物、ひったくって、それを雑に放り投げて――そしておまけにあんた、私に何て言った?」

「え……えぇ……」

「覚えてないの? さっき私に言ったよね。誰が――」


 瞬間、突風がはしる。

 大地を蹴り、ナデシコの体が急加速した。


「くそださいジャケット――だぁ?」


 吼えると共に大地を蹴り、跳ぶ。

 ナイフを構えたままの男は一歩も、その場から動くことはできなかった。


 高速で身をひるがえし、今度は逆から顔面に蹴りを叩き込む。

 衝撃が男の頭を真横に弾き飛ばし、再びゆがめ、潰した。


 一切の容赦などない。

 ひったくりと、侮辱と、そしてほんの少しのわがままを乗せた渾身の一撃を、躊躇ちゅうちょせず振りぬく。


 なすすべなく、再び地に伏せる男。

 カランと音を立て、何一つ使われることのなかったナイフがコンクリートに転がった。


 男の捨てたバッグを拾い上げ、はたくナデシコ。

 そして意識を失った悪漢達に向けて、聞こえていないと分かっていても堂々と言い放つ。


 先程までとまるで変わらぬ、不敵な笑みと共に。


「口が悪い小悪党の成敗。関係ないことないさ。これも“探偵”のお仕事なんでね」


 それだけ言い放ち、彼女は悠々と裏路地を後にする。

 狭く暗い空間には、先程までの静けさが戻ってきた。


 物言わぬ倒れた男達。

 いつしか遠くから、サイレンの音が近づいてくる。

 警告音が大きさを増すその中で、いまだなお路地裏には軽快な“つむじ風”が渦巻いていた。

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