第三十二話

 少しして、虚構生物の背に乗って加賀美が深宿駅前へ降り立つ。二体の虚構生物が、それぞれ背中に人影をのせているのを見て首を傾げるが、そこから足元に花を散らして羽深が降り立つのを見て、五樹は目を見開き哀川が言葉を失う。

「加賀美さん、香椎! 羽深さん?!」

 加賀美が香椎を横抱きにしながら、ゆっくりと虚構生物の背を降りる。彼が香椎を救ったのはわかるが、何故羽深がここにいる。

「話は後。急いで次のこと話し合いましょ、斑鳩は今も商店街に居るみたいよ」

 彼は早足に哀川の側に寄り、そして座り込んだままの五樹を見下ろすと、少し目線を泳がせ、深呼吸をする。

「斑鳩は、アタシに殺らせてほしいの」

「殺すの?」

 深緑の目で五樹を見据える彼は、冗談を言う雰囲気ではなく。真摯な思いで言ってると理解できた。

「人殺しが、犯罪になるとしても?」

 加賀美は強く一度頷く。五樹は思い悩んで俯くが、即座に「わかった、止めない」と頷き返す。

 殺しが良いものと思わないのは今も変わらない。彼が一時の感情にのって殺すと言っているのなら止めるつもりだった。

 けれど彼は、固い決意があるように思えたから。悪いものと理解した上でそれを選ぶ時もあると、今の五樹は理解している。

 五樹は哀川に肩を支えられて立ち上がり、木偶の坊になった足を奮い立たせるように膝を叩き気合を入れる。

「でも、俺も手伝う」

 アトリエテラスに脱獄囚の捜索を頼んだのは五樹だ。伊依を探す目的も終わっていない。

「わかった。で、問題はどう殺るかよ」

「加賀美さんさ、昔磁力の才能で悪戯してたことがあるって言ってたよね」

「あるけど、アンタよくその話覚えてるわね」

「その磁力の才能って、どういうの?」

「触れた物を磁石にするって才能よ。AとBの物質にそれぞれ磁力を付与して、引き合わせるって才能だから、なんでも吸い寄せられる訳じゃない。使い勝手はそんなに──」

「俺を磁石にすることもできるの?」

「まぁ、できるけど」

「じゃあ簡単。俺に磁力を付与して」

 自信満々に胸を叩いて言えば、加賀美が訝しげに眉を寄せて五樹を見る。

「なにするつもり?」

 ふと五樹は屋根の一角を見る。老朽化しているのか、今にも折れそうな錆びた骨組みが危ぶなっかしく揺れていた。

「あれを斑鳩へ叩き落とす。虚構生物が庇うかもしれないけど、少しは時間稼ぎになるかもしれないから」

 姿を消して彼女に近寄っても良いが、バレたら肉弾戦になってしまう。こちらが既に消耗している分、前より不利な戦いを強いられるだろう。それだけは避けるべきだ。

「その後キルケゴールで下に降りて、俺が斑鳩の側に行く。加賀美さんは──斑鳩を挟んで俺に対して刃を飛ばして」

「正気? 下手したらアンタが串刺しになって死ぬのよ?」

「死ぬつもりなんて無いよ、死んだら意味がないもん。だから、その時が来たら俺が加賀美さんを動かす。絶対に死なないタイミングを見極める──俺、目がいいからさ。心配しないでよ」

 言い切って挑戦的に笑うと、加賀美は呆れて髪を掻く。羽深が心配そうに、けれど優しく笑っているのが見えた。五樹を支える哀川の笑い声が微かに聞こえる。

「わかった、アンタを信じるわ」

「哀川さんと羽深さんは、香椎とカミガタをよろしく」

「嗚呼、任せてくれ」



 六人は再び空を飛び、深宿の外れの商店街へ飛ぶ。質屋や食堂など、高い建造物に囲まれた一本道の商店街は閑散としており、けれども白い虚構生物が三十体程、買い物客のように彷徨いている。

 四人は一度屋根へ降りて、斑鳩の様子を窺った。

 彼女が探してるのはおそらく、大解放の原因となった亀裂だろう。思えばこの場所は、死刑囚が解き放たれた地点ちょうどだ。空間についてはカミガタに聞いたのか、はたまた自己回答で辿り着いたのか。

 虚構生物も彼女のように、青果店の品を掻き荒らして踏みつけては、小物の陰に至るまで探している。

 加賀美は既に幻で姿を消し、商店街入口で待機している。五樹は彼から手渡された重い鉄の塊を持ち、五樹は目一杯息を吸うと、骨組みの脆く折れた部分へ力任せに叩き下ろす。

 ばぎゃり、と骨組みは轟音を立てて一気に崩れ、雪崩のように商店街へ降り注ぎ、爆発的に埃が舞い上がる。

 五樹はその煽りを受けて体制を崩す。落っ死んでたまるかとバランスをとるも、自重を支えきれずに、瓦礫の上へ落ちて地面を転がる。

 背中を打った痛みに堪えながらも、瓦礫の山を見据える。風塵が晴れて開けた視界では、虚構生物が斑鳩に覆い被さり落下物から守っていた。

 しかし虚構生物の背には深々と骨組みの鉄柱が突き刺さっており、白い右腕は瓦礫に当たってもがれている。

 一本道の狭い商店街の入り口で、加賀美が指輪に触れるのが見えた。斑鳩はもう目の前だ、今しかない。

「『放てッ!』」

 瞬間、加賀美の手に青白い閃光が走り、ばちっ! と何かが弾ける音がして。放たれたナイフが二つ、斑鳩の背にずぶりと突き刺さり、反動で彼女が身をびくりと震わせた。

 刃の一つが五樹の左腕を深く掠め、ぐぢゅりと鈍い音がして顔をしかめた。

「キルケゴールッ!」

 斑鳩が血を吐きこぼして叫ぶ。直後、近場にいた虚構生物が一心不乱に走り出し、五樹の右脇腹を抉るように蹴る。

「ぐふっ」

 その衝撃に吹き飛ばされ、虚構生物と一緒に店のシャッターにぶつかり、ナイフで切れた左腕を強く打ち付けて顔を苦痛に歪めた。

 斑鳩が五樹の側で膝から崩れ落ちるのが見える。彼女はまだ生きていた。血を流しながらずるずると地面を這おうとして、入り口の加賀美が止めるべく走ろうとするが、虚構生物にそれを阻まれている。

「キルケゴールッ! 私を連れて空へ──」

 慟哭混じりに斑鳩が叫ぶのを、

「フリークスをお探しですか」

 穏やかな耳心地の良い声が遮る。はっと声の方を見れば、地べたに蹲う斑鳩の目の前に、気づけば羽深が立っていた。

 五樹は直感的に、不味いと思う。虚構生物が彼女を襲ってしまうと──けれど、動かない。斑鳩が何処か一点を見つめて、虚構生物に指示を出さないからだ。虚構生物は斑鳩の命令を淡々と熟すのみ。命令が無ければ次の行動に移らない。

 けれど斑鳩は、何かを見つめ続けている。一体何がと、五樹もその視線を追う。

 隣店の本屋。昭和を思わせる塗装の剥げた看板を提げたその店の入り口。硝子張りの引き戸が開かれており、店の内装が見えた。

 草原だ。紛れもない、仮象空間の景色。

「抜錨。開闢の時来たれり。死してなお、忘らるることなかれ。才能開示【万象回帰】」

 羽深が後付のように呟く。扉を何処かに繋げたらしく、木枠の先には青々とした草原がある。

 そうか。大解放の日、この商店街に脱獄囚が現れたのは、ここが中枢の絵画から2km内であることの証明。絵画範囲内なら、彼女は自在に扉を繋げられる。

「私です。私が貴方を逃した元凶の、羽深弥です」

 見惚れたように草原を見ていた斑鳩は、「嗚呼、嗚呼」と光悦に顔を火照らせ、心酔した目で羽深を見上げ、羽深を得ようと手を伸ばし、血を吐き零して羽深を呼ぶ。

「羽深様! 今一度大解放を起こしましょう! そして今度こそ全ての囚人を──」

「ごめんなさい。それが貴方の幸せだとしても、世界平和になるとしても、私はその全てを否定する。だから、死んでください」

 ぐぢゃり。

 言うが早いか、蜃気楼の如き幻が消えて、斑鳩の上に馬乗りになった哀川が現れて、彼女の背に深く刺さった刃を更に押し込むと。

 斑鳩は羽深へ伸ばした手を、力無く地に落とし、虫のように痙攣すると。やがて、ぱたりと動かなくなった。

 同時に羽深も夢を終えるように才能を解除して、本屋の扉は草原の景色ではなく内装を映す。ただの扉に戻ったらしい。

「ごめんね景。区切りをつけたかったのは、僕もだから」

 鮮血に濡れたナイフを抜き取って、赤々とした手の水気を落とすように払いながら、哀川が消えて薄笑み溢して言う。

 その表情を見た瞬間。終わったんだと思い、五樹を支えていた強制の才能が切れて、ふっと手足から力が抜ける。同時に先程切れて打ち付けた腕がどくどくと痛んで、見れば深く切り傷ができている。

「いった、加賀美さん手加減なしかよ」

「言ったでしょ、アンタを信じるって。だから手加減なんてしないわよ。で、どうするのよこれ」

 嘆息混じりに、けれど少し安堵した顔で加賀美が五樹を助け起こし、なおも破壊活動をする虚構生物を見る。

「作者が死んでも作品は残る。身を持って実感していますが、これが残り続けるのは厄介ですね」

「でも、こいつら燃えるでしょ?」

「燃えるけど、こいつら火見ると逃げるのよ。消失の子の近くに居たのもそうだった。それに燃やしても、動き回ってたら危ない。炎の才能で燃えないのは本人の体だけで、燃やした対象から建物には燃え移るの。せめてもう少し広い場所で、動きを止めないと」

 開けた場所なら、商店街から出るだけでそこそこ広い道路に出る。動きを止めるのは──ふと思い至った五樹はスマホを取り出して、

「廃墟で伊依の聞いて、こいつ動かなくなっメタよ。歌を流したら止まるんじゃない?」

 と、LINALIAの楽曲を大音量で流す。けれど虚構生物は相変わらず商店街を漁り、亀裂を探し続けてる。

「駄目なのかな」

「嗚呼、生歌じゃないからかな」

「生歌?」

「録音した音声は、ある程度加工が加えられるだろう? その過程で、若干ではあるが才能の効果が薄れるんだ。マイクや機械を通す程度なら大丈夫なんだけどね。目の前で歌うとか画面越しとか、リアルタイムの歌唱が一番効果が強いよ」

 録音であってなおカミガタの洗脳を塗り替えた伊依は、一体どれほど強い感情伝達の持ち主なんだ。ならば本人に歌ってもらおうと、五樹は位置情報を見る。

 伊依のアイコンは商店街を示して──

「もしかして、あれの中?」

 先程五樹を蹴飛ばして、再度目の前の電気屋荒らしに戻った虚構生物。それと全く同じ位置に、伊依のアイコンがある。

 ふと思う。カミガタが斑鳩を野放しにしたなら、事件後も斑鳩は廃墟に居た事に。そして五樹は家出する伊依を見放してしまった。希死念慮に塗れた彼女が行く場所の見当が、ようやくついた。

「加賀美さん。キルケゴールに食われかけた時、中身ってどんな感じだった?」

「確か、洞窟みたいだったわ。外見よりも広くて、少しだけ明るかった。そうよ、あの時虚構生物の腹を裂いたから、中に光が入ってきてたわ。あと腹の中に、黒い粉が積もってるのが見えた。なんか鉛筆みたいな匂いがしてたわ」

「わかった。行ってくる」

 加賀美の支えを振り払い、斑鳩の遺体を超えて、向かいの店の虚構生物へ近づく。ずりずりと足を引きずる五樹を制止するように、哀川がその手を掴む。

「探すって、中へ行くつもりかい?」

 心配げな顔の彼に、五樹は強く頷いて虚構生物を見る。あの中に居る確証も、生きてる保証も無い。虚構生物の腹に入った人がどうなるかは知らないから。

「俺は今度こそちゃんと、伊依と正面から向き合いたい」

 虚構生物から目を逸らさず言うと、加賀美の溜息が聞こえて、次いでどんっと強く背中を押されて五樹はよろける。

 振り向けば、呆れた顔で見下ろす加賀美と。不安げに、けれど何も言わず見つめる羽深。憂うように虚構生物を見る哀川の姿が見えた。

「五分。五分出てこれなかったら、こっちから腹切り裂いて何が何でも助け出す!」

 激励の声に強く頷き、五樹は再度足を引きずって歩く。

 五樹が伊依を見つけ出し、その間に哀川が幻で虚構生物を誘導して大通りに出して、伊依が歌い虚構生物の動きを止めて、後は焼く。全ては伊依に寄り添えるか、五樹次第だ。

「中にはいったらできるだけ身を屈めて。上部を外から裂くから、刃に当たらないように気をつけなさい!」

 加賀美の声を背にしながら、電気屋の虚構生物の肩にぽんと触れると、それは五樹を振り返り。

「『口、開けて。中に入れて』」

 と、頼み事のように伝えると、虚構生物はがぽりと、裂けそうな程大きく口を開いた。頭を掲げれば優に入り込めそうな洞窟のような喉が見えるけれど、腹の底は伺えない。洞窟探検のようだなと思いながら、五樹はその中に踏み込んだ。

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