第三十一話

 ガードレールに保たれるように、脇腹を押さえてげほげほ咳き込む五樹を尻目に、カミガタは自身の顔に触れる。梶谷より目元や鼻筋の堀が深い彼なら、触覚で充分理解できるだろう。

 顔を割られたと痛感した彼は、その整った顔立ちに怒りのシワを深く刻み、射殺すほど強く五樹を睨む。梶谷の顔を奪う罪悪感はあったらしいが、彼の生活を手放す気は無かったのか。彼は自身の顔が嫌いなのかもしれない。

 五樹は地面に膝を立てたまま、ふと自身の足が子鹿のように震えているのを自覚する。恐怖や痛みではない、むしろアドレナリンが出てるのか無痛だ。これが哀川の言った、筋肉疲労の激化だろう。

 自力では立つのも一苦労だ。これからの動作は全て、才能任せの操り人形と同じ。反射神経が物を言うから、あまり戦いを長引かせたくない。

 そういえばと思い周囲を見ると、すっかり人気は無くなっていた。哀川の避難誘導が終わったらしい。無人になった大型液晶のショッピングセンター前で、五樹はガードレールを支えに立ち上がり、つうと切れた額から垂れた血を荒々しく服の袖で拭ってカミガタを睨み返す。

「梶谷さんだけじゃない。お前らの計画に、香椎も巻き込むな」

「巻き込んでいない。彼女がそれを望んだから、手助けをしただけだ」

 少しでも休憩するように話しかければ、カミガタもそれに答える。彼は、戦う気が無いのだろうか。怒りに煮立つ目で五樹を見ながら、即座に襲ってくる気配はなく、両腕にも未だ替え刃が生えていない。

 五樹を、表現者を殺すことに躊躇いがあるのだろうかと、勝手な考えが浮かんで──ふと思う。

 香椎が望んだから、手助けをした?

 手助けとは何だ。消す相手と絶好の機会を用意することか。五樹の見た香椎は消失を願いながらも、消えることに怯えて見えた。彼女が進んで見境もなく消し歩くとは思えない。

「お前まさか、香椎を洗脳したのか」

 問うと、横目に見ていたカミガタは、正面向いて五樹を見下ろす。

「嗚呼」

 五樹は驚愕に目を見開き、呼吸を止める。

 香椎は消失を望んでいない。彼がそれを、強制している。なら香椎の意思はどうなる? 消失した末路を見て、彼女は何を思う?

「俺の才能は、行動の強制だ」

「何?」

 反射で口走っていた。哀川にバレるなと言われたのに。

「お前の洗脳と違って、何人にでも命令できる──俺の世界観と画力はまだ未熟だから、さすがに百人にかけるとは無理だと思うけど。必死に努力してきたつもりだから、十人はいける自信がある。だから」

「何が言いたい」

「香椎じゃなくて、俺にして。俺なら一般人に命令して自害させることも、殺人を犯させるのもできる」

 震える足に鞭打って、両手を地面につき体を支えながら立ち上がる。ふらふらと覚束ない足取りでカミガタへ歩み寄ると、彼がおかしな物を見る目で、けれど少し困惑した様子で眉をひそめているのが見えた。

「何故そこまでする?」

「香椎は嫌がってるんでしょ。俺は別に、この才能をどう使われたって構わない」

 嘘だ。自分の才能で人殺しも、自殺の強制なんてしたくない。

「だからもう、香椎は自由にしてあげて。お前の憎悪で、俺が人を殺すから」

 けれどあの廃墟で涙する香椎を見たら、捨て置ける訳無いじゃないか。

 洗脳されて精神を押し殺される感覚を五樹は知らない。ずっと、感情を殺させる側だったから。 

 自分が手を汚す事になる辛さと、感情を殺して動く香椎の辛さ。天秤に乗せて、香椎への同情が勝った。

──これは『香椎の為の自己犠牲』か。また人のせいにして、と伊依に怒られる。けれど矢張り、誰かの為にを捨てられない。

 考えを自分の選択で行動に移すのだから、これは五樹の意思と行動だ。誰の理由も無い。

「嗚呼、わかった」

 歩みの遅い五樹の前に、カミガタが数歩で辿り着くと、五樹の顔を覆うようにぐわりと大きく手を開き、指先で血の付着した額に触れる。

──五樹は人殺しになる。伊依にも軽蔑されるだろうけれど、仕方がない。利用された香椎を解放する為なら、それで良い。

 洗脳解除は、意識を自分で塗り替える方法を試そう。不可能と羽深は言ったが、試さねばわからない。でなければ哀川に直撃雷でも落として、気絶させてもらおう。最悪死ぬとは思うが。

──もう、気合でどうにかするとしか考えられない。いつだって理性が勝ってきた、だから今回も、きっと。

「嗚呼、同胞よ。希わくばあらざらん。我が征く道に祝福を。才能開示【愚か者共の夢の跡】」

 どぐんと、脈動が全身を駆け巡る感覚がした。

 四肢の力が抜け、だらりと腕を垂らし、体を支えられずに地面に両膝をつく。

 身体が動かない。動こうとしても、思考が勝手に別の何かへ置き換わる。人を探せ、操って殺せ、殺させろ。

 動こう、立ち上がれ、という意思が次第に薄らいでいく。頭の中に非表現者への憎悪が芽生える。奴らは人を殺し、誰かの助けになることもしない。ただ生産性無く生きてるだけの無駄な人間達に過ぎない。だから殺してしまえ。

 段々と、意識が薄れて、

──歌声がした。

『靴紐の結び方も電車の乗り方も 知らなかったはずなのに』

 聞き覚えのある、澄んだ歌声。

『世界が冷たくなったんじゃない 冷たい大人になっただけだ』

 伊依の声だ。淀みのない耳心地の良い低音の声の後ろに、ベースやギターの重低音が僅かに聞こえる。

『待って待って繰り返して なんでなんでこんな結果 だってだって知らないんだ この先ことも』

 鳴き声のように震わせるビブラート、悲鳴のようなしゃくり。嘆くような歌詞に乗せた歌声が、雲のような心を晴らす。

 一瞬、音楽が止む。

『世界が終わる瞬間まで 枯れた声で自由を繰り返し叫ぶ 私はここだって答えてって泣いて 変わりもしない今日を歌うんだ』

 叫び声にも似た全身全霊のサビ。透き通ったミックスボイスの高音、空気を震わせる芯のある声。

 五樹はばっと振り向いて声の方を見た。駅前の巨大モニタいっぱいに流れる、LINALIAの『レコードランド』。伊依の全力の歌声が、無人の深宿駅前の空気を地震のように震わせる。

──『今度、新宿駅前の巨大広告で、MV流すの!』

 彼女が言っていた。数秒の広告なんてものじゃない、一番丸々の映像なんて。

 やっぱり伊依は、すごいじゃないか。

『優しい夢を見ていたかった 大人になんてなりたくなかった それでもまた明日、なんて 嘘で割って終わって仕舞ってよ』

 ぶわりと全身を鳥肌が覆う。

──伊依の感情が流れてくる。

 快晴無風の空の下、誰もいない草原で高らかに歌う爽快感。迷いも憂いも無い、ただひたすらに満開の喜びを顕にして、悩みも吹き飛ばして大笑いをするような、果てない歓喜に包まれる。

 憎悪も何も、一瞬で吹き飛ばして上塗りする正の感情。

 嗚呼、

「おまえは本当に、最高の歌姫だ」

 呟いて、五樹はだんっと強く地面を踏んで立ち上がる。

「果実一粒、罪一つ。世の理は神にあらずッ! 才能開示【残穢一閃】──『動くなッ!』」

 唱え、目を見開き石像のように硬直するカミガタを見て、五樹は拳を振りかぶり、

「うおらぁぁぁぁァァァァッ!」

 その顔面目掛けて、勢い良く振り下ろした。

 ごじゃっ! と重い音と共に、カミガタが仰け反って倒れ、背中を強く打ち付けて倒れる。五樹は即座にカミガタの腹に乗り上げると、彼の腹に腰を落とし、再度替え刃を作ることがないように踵で腕を踏みつけにする。

「は、はぁ、は、」

 ままならない呼吸を整えながらカミガタを見る。どんな反撃が来るか、また自身に命令をして対処を──と考えても、彼はまるで戦意喪失したように天を仰ぎ見て、びくりとも動かなかった。

 違う、動けないのだ。五樹がそう命令したから。

 気づけばLINALIAの楽曲は流れ終わって、新作ゲームの調子の良い広告が流れているけれど、ばくばくと鼓動の音に掻き消されて上手く聞こえない。

「何故、最初からこうしなかった。お前が命令すれば、俺は動けなくなるのに」

 放心のカミガタに言われて、口を噤む。

──空の上で、五樹は哀川に問うた。『自分の才能はどんなことができるのか』と。彼は『身体が限界に至るまでの行動、反動で肉体疲労がある。でも君がカミガタに止まれと命令すれば、全て解決するんだよ』と言った。

 五樹の頭でもそれは理解していた。だが、それをしようと思えなかった。したい事や感情を抑えさせるのは、伊依にやったのと同じだから。

「止めろ、って命令するのは簡単だ。でもそれは、根本的解決にはならないから」

 羽深が囚人の扱いを変えたのと同じ。無理矢理抑え込んでも、逆に不満を抱かせるだけ。膨れ上がった風船はいつか爆発する。

 けれど伊依の感情を伝達されて感じた。人の感情を抑えさせているカミガタにそれを気遣っても、苦しむ被害者が増えるだけだ。

「それに俺も、復讐を考えてた時期があったから──ねぇ。非表現者に復讐してどう思ったのか、羽深さんに一回話したんだよね。あれから、考えは変わった?」

「わからない」

「もしかして、人助けが楽しくなってたの?」

 問うと、カミガタは金眼を僅かに見開く。

「梶谷さんの顔を奪ったとしても、一回は普通に生きてたのに。なんでまた人を殺したの? なんで、香椎を洗脳したの」

 少しの静寂。五樹の耳には風音と広告音声も消えてるように思えて、ただ静かにカミガタの言葉を待った。

「廃墟でお前を見送った後、香椎に相談されたんだ。死にたいのに死ぬのが怖くて、全部を消してしまいたいと。でも消えてほしくない思い出や人も居て悩んでると。彼女の心情やいじめられたことを聞いて──非表現者への怒りがぶり返した。こいつらは何も変わらないんだと。だから、香椎に言った『その不安を忘れさせてやる』と」

 彼はぽつりと呟く。横たわったその目に、僅かに涙が浮かんで、そのままつうと顔の側面を流れた。

「だが、香椎は泣いていた。全て消えろと願っていたのに、あたりのものが消えていくのを見て、彼女は涙を流していた。思考も何も奪ったはずなのに。どうして泣いていたのか、わからないんだ。消失は彼女が望んだことなのに、どうして涙を流すのか」

 五樹にも体験して理解できた。カミガタの洗脳は意識が薄れるけれど、完全に無くなる訳じゃない。洗脳に抵抗しようとする意思を抱きながら、命令通り動くしかない。

 五樹が伊依に行ったのと同じだ。感情を抑えるだけで、その感情が消える訳では無い。

 カミガタは香椎に心の底から寄り添っていた。彼女の為を思い洗脳し、『誰かのため』の復讐をやり通したのだ。

 五樹は彼の腕を踏みつけにした踵を外し、よろよろと立ち上がろうとするにも力が上手く入らず、べしゃりと彼の側に尻餅をつき、そのまま体育座りに顔を埋める。

「悪人は悪人のまま、変わることはできないって、ちょっと前までの俺なら言ってた。でも今は違う。変われるよ、悪人も。死ぬ気で変わろうと思えば、誰だって変わることはできる。ただあんたは、後少しで変われたはずなのに、そのチャンスを自分で手放したんだ」

 自分の欲望の為もあるが、香椎の為に。カミガタは再度復讐の道を選んだ。

「でも多分、悪では無いんだと思う。目の前の人のためにやったことが、悪い結末を呼んだとしたら。それは悪じゃなくて、失敗とかって呼ぶんじゃないかな」

 その言葉は自分に言い聞かせたのかもしれない。けれど、心底そう思った。

 五樹が少し顔をあげると、カミガタは嗚咽を零し、両腕で顔を覆っている。その隙間からつうと涙が伝うのが見えた。

「ただ、笑ってほしかったんだ。だからどうか、あの子を止めてくれ……頼む」

「いや、その必要は無いかもしれない」

 ふと声がして見上げると、大通りの向こうから金字の虚構生物を連れて、哀川が歩み寄ってくる。

「哀川さん! 避難誘導終わったの?──ってか出てきちゃ駄目だって!」

「嗚呼、終わったよ。洗脳は──そんなにくたびれて居るのなら、僕の顔に触ることすらできなさそうだけれども。話を戻すけど、多分彼女を止める必要はもう無いよ」

 そう言って彼は右手に持っていたスマホを操作した。通話状態らしく、スピーカーからざざざと荒いノイズ混じりに誰かの声がする。

「もしもし、五樹?そこに居るの?」

「加賀美さん!」

「こっちは無事。消失は抑えた!もう誰も消えることなんて無い!」

 晴れやかな加賀美の声がして、カミガタが一瞬肩を震わせる。

「ありがとう、ありがとう」

 彼はなんどもそう呟いては、また大粒の涙を流した。

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