第六章 君を救えた物語

第二十九話

「哀川さん、伊依がでない」

 驚愕してニュースに釘付けになった三人へそう言うと、哀川は五樹を振り向いて、つうと冷や汗を流しながら焦燥に顔を歪める。

「伊依ちゃんが? くそ、何が起きてる」

「そうだ、位置情報!」

 思えば人形の際に、冗談で位置情報アプリをダウンロードしていた。五樹は慌ててそれを開き、伊依のアイコンの居場所を確認する。

「深宿?」

 深宿の商店街で、彼女のアイコンが点灯している。彼女はその付近を移動しているようで、アイコンが連動して小刻みに動く。都合悪く、深宿に居るのか。五樹はチッと舌打ちを零す。

 香椎も斑鳩も、管理局と梶谷に一任したはず。それなのに何故二人が暴れている。梶谷は一体何を──考えて、思考が凍る。 

 違和感はあった。彼は大解放以降かなり無愛想になった。コウの死がかなり堪えているのかと思ったけれど。そもそもあれが、別人だとしたら?

「SNSで【深宿 虚構生物 犯人】で調べたわ。そしたら逃げながらの動画とか写真が沢山。そしたら見た感じ、各地で三人の写真が『あれが犯人じゃない?』って文章で投稿されてる」

「各地?」

「えぇ。商店街で修道服の女が、大通りで女子高生が。深宿駅前で、黒髪短髪の──管理局の制服の男が、虚構生物を従えて暴れてるって」

 レザーソファの背もたれに乗り上げながら、加賀美が五樹の前にスマホを掲げる。五樹が多慌てでその画面を覗き込むと、SNSのタイムラインを埋め尽くすような数の画像映像が、怒涛の勢いで拡散されていた。

 かなり至近距離のぼやけた画像を見てわかる。マゼンタ髪の少女は香椎、深緑の修道服の女は斑鳩、黒髪短髪の男は梶谷に違いない。

「梶谷さんが、カミガタなのか」

 斑鳩と対峙したあの日、管理局は斑鳩を拘束せず野放しにしていたのか。もし一度でも拘置所に入ってからの脱走なら、それも取り立ててニュースになるはず。梶谷と共に廃墟に来ていた管理局員は──殺したのだろう。 

「羽深さん、カミガタの洗脳の才能って詳しくわかる? 夜警は囚人の情報を把握してんだよね」

「彼の才能は、手で顔に触れた相手を洗脳するというものです。洗脳の対象は一人。新たに別人を洗脳したら、先の洗脳は自動で解除されます。対象人数が少ない代わりに、思考や感情、行動に至るまでの全てを操作できるというのが、彼の危険な点ですね」

「その洗脳って、どうやったら抜け出せるとか無いの?」

「気絶や死亡による思考停止、目的をやり遂げる、別の洗脳によって意識や感情を上書きする……後は、命令に対して自己意識で強く拒絶をする方法もありますが、意識を乗っとられている内は、不可能といっても過言ではありません」

「俺の才能で上書きってできるかな」

「五樹さんの才能は肉体に対する命令ですので、難しいかと。同じく意識を上書きするタイプのものでないと」

 


「景、キルケゴールを出して貰っても良いかな? おちおち電車なんかに乗って向かっていられないし、どうせ交通網は麻痺してる。文字通り飛んで行くよ」

「行くって、どこへ」

「伊依ちゃんが、深宿に居るんだろう? 早く探さないと、危険な目に遭うかもしれない。消失の子も心配だしね。そのうち管理局も動くし、要請があれば夜警も出るだろうけれど──それを待つ程、悠長な性格をしていないんだ。作戦は空で話そうか」

「嗚呼もう。あの女の才能使うのは癪に障るけど、今回ばかりは仕方がない!」

 争いになることを予期してか、哀川と加賀美は邪魔な上着をコートハンガーにかけて置く。肩掛けのロングジャケット、紫のライダースを脱いだ二人の姿は少し新鮮だった。

 五樹もお気に入りの上着をコートハンガーに掛け、勇んで伸びをして、ボディバッグを背中へ回す。伊依を見放した自分が悪いのに、指くわえて見ている訳がない。

「俺も行く、羽深さんはここに居て」

「弥、アンタは仮象空間内なら敵無しでしょうけど、キルケゴールを一体残しておくわ。好きに扱き使ってやんなさい」

 金細工の指輪や耳飾りをつけた加賀美が指をぱちんと鳴らすと、彼の掌がぶくりと膨れ、そこから湧き立つように白肌に金字の刻まれた虚構生物が産まれる。

 斑鳩のものと形態は変わりないが、彼は負の感情や紙などの前提はなく、そのまま『生成』という行動を模倣できるらしい。

 虚構生物を一体残し、加賀美は三つ編みを弄りながら気怠そうに、哀川は普段の落ち着きを取り戻しながらも少し憤りを孕んだ目で、ぱたぱたと玄関へ歩いていく。五樹は身支度を整えて廊下の戸口へ手をかけると、ふと振り返って満面の笑みを浮かべ、

「いってきます、羽深さん」と彼女に大きく手を振る。

「はい、お気をつけて」

 そういって笑う羽深の瞳はどこか哀愁に暮れていて、扉が締め切られる瞬間まで、三人を憂うように見つめていた。



 足元の住宅街が倍速のように瞬きの合間に過ぎ去っていく。五樹は振り落とされないように虚構生物の背にしがみついて、ばたばたと風になびく髪を押さえる。

 空気抵抗はあるが速度はバイクと同じ程度のため、そこまで苦ではない。空の上は信号もなく、直線距離で深宿まで飛ばすため、加賀美曰く三十分もすれば着くらしい。

「おかしいわね……」

「どうしたの?」

 耳元で加賀美の声がする。飛行中は会話不可能だが話さざるを得ないため、スマホにイヤホンを挿してグループ通話をしていた。これなら風音も軽減するため耳を痛める心配もない。

「斑鳩は商店街に居るでしょ? でもあの女も虚構生物も、建造物の破壊はしてるけど人間には興味がないって感じで、人を殺したり食ったりしてないみたいなの。何か一心不乱に探し物してる感じなのよ。他二人の方も何か変なのよね」

「カミガタと香椎の方は?」

「カミガタは管理局の制服着てるから、普通の顔して人に話しかけては、殺すか見逃すかしてるみたい。『お前は表現者か?』って聞かれたって言ってる人が居るわ。香椎って子の方は、あの子が近づいた人が消えるってんで、皆逃げ回ってる感じ。今のとこ被害総数が多いのは消失、死者が出てるのはカミガタ、得体が知れないのはあの女ね」

「つかなんでそんな目撃情報出てんの?」

「だって皆、逃げないんだもの。少し離れた場所でスマホのカメラ向けて。命より映像の方が大事なのかしら? 大解放の時もそういう輩は一定数居たみたいねぇ」

 嗚呼、と哀川が嘆息するのが聞こえた。事件や事故に限らず、死人が出る程のことも、他人事だからと映像を取ってテレビへ流す輩は偶に見る。命を顧みないのが不思議でならない。

「斑鳩の目的は多分、廃墟で本人が言ってた通りに、大解放をもう一回起こすことじゃないかな。香椎は嫌いなものを消したい、カミガタは非表現者を殺すこと。だから手を組んでるのかな」

「その可能性は高いね。でも一花ちゃんは本当に消失を望んでいるのか? 嫌いな人間を消して喜んでいるように見えたけれど、同時にかなり傷ついているようにも……」

「ねぇ、香椎って子のこと、アタシに任せてくれないかしら」

「どうして?」

 思い詰めたような加賀美の声に、五樹は首を傾げる。

「廃墟で、アタシはあの子をスルーすることを選んだ。大人が手を出したら悪化する、って理由で。今あの子が消失をしてるのは、アタシが何もしなかったことも原因だと思うの。だから、その責任をきちんととりたい。あ、考え方は変わってないわよ、無理に口出したら悪化するとは思ってる。だから、口は出さない。でも子供が悪い道へ行かないよう、ガードレール舗装するぐらい良いじゃない」

「わかった。じゃあ、お願い。俺はカミガタの方に行くよ。哀川さんはどうする?」

「それじゃあ僕は、君と一緒に行こうか」

「ねぇ。カミガタは、俺を洗脳してくるかな」

 ふと思う。カミガタが非表現者を殺すことが目的なら、五樹の才能は好都合だ。皆に自殺でも命じれば、きっとその通り動くから。

「いや、現時点で彼らは、君の才能が強制だと知らない。それが露呈したら、どうなるかはわからないけれど。君の才能が要だよ」

「はは、俺の力ってそんなに強いんだ」

「嗚呼。君の才能はまだ未熟だが、それでも強力であることに変わりはない。可能な限り、バレないように」

「なんか、厨ニ心くすぐられるね」

 弄るように言えば、電話口の向こうで哀川が戸惑ったような声を漏らし、「なんでそれを知って──景に聞いたのか。忘れてくれ」と誤魔化して言って、加賀美が声をだして笑う。

「五樹くん。カミガタは、洗脳以外にも才能があるはずだ。気をつけるんだよ」

「どういうこと?」

「管理局員に擬態していたなら、その人と才能を扱えてなければ、直ぐにに正体が露呈するはず。ニ年間もバレなかったのは、似た才能で誤魔化していたからだろう。君は、その梶谷という人の才能はわかるかい?」

「ううん、わかんない」

 梶谷はコウの部下だが、夜警では無いらしい。哀川も面識が無いのだろう。

「そうか。彼は死刑判決を下る事件でも洗脳しか扱っていない。だが収監されている間に新たな才能を習得した、とは考えられないな。収容所では創作が制限されていたからね。実力の研鑽と世界観の確立が重要な才能は、労せず手に入るほど──あ、一つだけ方法がある」

「方法?」

「トラウマに起因する世界観の構築だよ」

「カミガタのトラウマって言うと、大切な人が刺殺されたってやつかな」

「嗚呼。武器の創造、ぐらいにアタリをつけて、刃物方面の才能を警戒しておこう。作戦はどうする? 斑鳩のときと同じく、僕が才能で姿を隠しては現れる方法か──」

「天災は、どういう力なの?」

 問うと、一瞬彼は息を呑む。

「天変地異だよ。海を裂いて道を作り、山を開いて土地とする。けれど海を裂けば波は乱れ、魚が居場所を失い死に絶える。あまり、使いたくはないな」

「そっか。じゃ、使わないでいいよ。万が一のために聞いただけ。哀川さんは離れたとこで待機して、逃げ遅れた人の救援に回ってほしい」

 哀川が拍子抜けして「えっ」と声を漏らすのが聞こえて、五樹は苦笑いをした。嫌なことを強制するほど性格は悪くない──否、五樹がそれを言っても説得力はないか。

「だって、使いたくないんでしょ? というか哀川さんが洗脳されたらやばいじゃん。相手の目標がこの国の破壊で、こっちの目標がこの国の守護なら、相手にとって天才は好都合。獲られたら一瞬で負けだよ」

「わかった。じゃあ僕は幻で管理局員に擬態して、カミガタ付近の一般人の避難誘導をするよ」

「あ、そうだ。一つだけ聞いても良い?」



 五樹を乗せたキルケゴールは深宿駅前にばさりと降り立って、「ありがとう、ちょっと離れてて」とその頭を軽く撫でてやれば、虚構生物は一人で大翼を開いて空を泳ぐように飛び上がり、ガラス張りの駅校舎の上へ登る。

 それを見送って、五樹は梶谷を探すべく辺りを見渡す。大通りは車もなく、まるで歩行者天国のようだ。広々とした道路とかかる歩道橋、電気屋か服屋が立ち並び、ショッピングセンターが場違いに明るい音楽の広告を流している。

 けれど道路を囲うように、数十m離れた歩道のあたりで、一般人が数百人、物見客のようにスマホを五樹へ向けていた。

 ショーじゃないのか。退いてくれ。なんで皆逃げないんだ。これって映画の撮影でしょう? なんて話し声が集まったどよめき。

 五樹はそれを見て思う、逃げないのではく逃げられないのだ。右へ左へと行く人々が押し合い、中には立ち止まる者もあって。避難誘導が

 ふとその集団の、異様に人のはけた一角に、梶谷の姿を見る。管理局員の灰色の制服の、腕部が引き裂けたように破け、血のこびりついて固まったのを風になびかせる姿。彼は通りがかりの女性に詰め寄って、何か問答しているらしい。

「梶谷さんッ!」

 慌てて駆け寄って、女性を梶谷から庇うように立つ。梶谷は驚愕したような顔をして、五樹をじっと見つめた。

 手はだしてこない。五樹は怯える女性に「ここから離れて、道路を走って逃げてください」と耳打つと、彼女はこくりと頷いてガードレールを乗り越え逃げていく。

『皆さんこちらへ! 焦らず押さず、避難してください!』と、ひび割れた哀川の声が響く。そちらを向けば拡声器を持った管理局員数十人が、避難誘導すべく手を振っていた。間違いなく、哀川の幻だ。

「五樹、どうしてここに居る。危険なことに首を突っ込むなと──」

「梶谷さんって、カミガタなの?」

 ぞろぞろと大挙して離れていく集団を横目に、純粋な声音で問えば、彼は心底驚いたように目を見開いてから、疑心に眉をひそめて五樹を睨む。

「何故知ってる?」

「方垣に聞いた。起こした事件については──羽深さん達に」

「羽深?」

「お前に事件のことを聞きに行った、空間の管理者の少女。覚えてない?」

「なら話は早い、そこを退いてくれないか」

 彼は目を瞬かせ、懐古するように顔を伏せる。懇願めいた、何処か哀愁の漂った声音だった。同情を誘うそれを無視して、五樹は彼に短刀の切っ先を向ける。

「退かないよ。殺すつもりなんでしょ? 一般人のこと」

「俺はお前と戦うつもりは無い」

「表現者には手を出さない主義なんでしょ、知ってる。俺は退かないからそっちが諦めて」

 頑として言えば、梶谷は煩うように自然を泳がせて。けれど再び五樹を見た瞳は何か決心したらしく、ぎらりと狩猟者の目をして五樹見据える。

「表現者には手を出さない主義だった。けれど、その考えはもう改めた」

 凍てついた声で呟いて、彼は破けた制服の袖を捲る。

「いざ征くは万里の先、無明むみょうの待つ旅の終わり。才能開示【剪断】」

 カミガタの前腕部外側に、ぐぢゃりと生々しい音を立てて半月状の刃が生える。弓なりのそれは骨を変形し、肉を突き破って生えているのか、刃の根本には赤々とした血肉が覗き、刃を伝ってぼたぼたと流れた血が地面へ垂れ、赤い染みを作る。

 肉を破った痛みがあるのか、彼は苦痛に顔を歪めながら、黒々とした目で五樹を捉えて離さない。

 一目でわかった。これは、彼のトラウマからなる才能だ。大切な女性を刺殺した刃を腕に生やした歪な姿。痛々しさに目を逸らしたくなるのを堪え、五樹は姿勢を落とし身構える。

 ブジャッ!

 何かが切れる音がした直後、五樹は道路にがくりと左膝をつく。

 一瞬状況を理解できなかった。

 立ち上がろうにも力が入らず、足が異様に熱を持つ。驚いて左足を見れば、ふくらはぎの外側にカッターで切ったような、一文字の傷がどくどくと血を流している。

 カミガタを見上げ、彼の左腕に生えた刃が無くなっているのを見て理解する。彼の才能は刃を生成し、それをブーメランのように飛ばすものだ。

「痛むだろうが許せ、直ぐ終わる」

 カミガタが右腕を構え、刃を射出。ぐわんと弧を描きながら血に濡れた刃が、五樹の首を分断さんとするのを見て、咄嗟に声をあげる。

「『弾けッ!』」

 叫んだ瞬間。短刀を持った五樹の右腕が、どくんと大きく脈動し、腕が勝手に短刀を縦に構え、顔の目の前で刃を迎える。刃同士が触れた瞬間、がぎんっ! と金属音がして、腕は刃をいなすようにその軌道を右へ逸す。カミガタの刃が明後日へ飛び、直ぐ側の街灯にぎんっとぶつかって落ちた。

 行動の強制の才能。その使い方を哀川に聞いた。彼曰く、肉体に無理な運動を強制することもできると。反射で動くのに近い。脳を介さずに肉体に命令を下し、人間の人体構造においての最大限の行動を引き出す──代わりに筋肉疲労が酷くなり、使いようによっては靭帯すら切れるらしいが。

「なんだ、身体強化の才能か?」

 カミガタが目を見開く。彼の両腕には刃が無く、しめたと思い五樹は道路を蹴ってカミガタの方へ走り出す。だが彼は即座に顔をしかめ、その両腕にぐぢゅっと替え刃を生やすと、左腕を横に払って迎撃のように刃を射出。

 再度首を狙うそれに、肉体に『しゃがめ』と命令し、咄嗟にがくりと両足を曲げてそれを避ける。そのまま両膝を強く打ち付けて道路を滑り込み、カミガタの前に躍り出ると、手を払った体制で開いたままの脇を狙って短刀を付きあげる。

 カミガタは強く歯を噛んで気張りながら、足をあげて五樹の顎を蹴り上げた。五樹は「がふっ」と声を漏らして唇を噛んで短刀を取り落とし、バランスを崩し仰け反ってアスファルトを転がる。

 転がりながら、カミガタが短刀を拾うのが見えて、このままでは刺されると思い、後転して地面についた手をバネのようにぐわんと跳ね上げ、体操選手のようにしなやかに着地する。

 カミガタから数メートル離れた地点で五樹は、唾と溜まった血をぷっと地面に吐き捨て、口を腕で雑に拭ってカミガタを睨む。

「今更何で人殺しなんかするんだ」

「非表現者を恨んでる、それだけだ」

「じゃあなんで、二年も管理局員やってたんだよ。わざわざ顔隠して隠れなくても、こうやっていつでも暴れられただろ」

 正直な内心として、五樹はカミガタを強く憎めない。彼は復讐をやり遂げた人間、五樹は復讐を諦めた人間。彼は憎悪に囚われ続け、五樹は憎悪を振り払った。カミガタの姿が五樹の末路に思えて仕方がない。

 人を殺しているはずなのに、方垣と違って同情できてしまうのが悪い。つくづく、犯人の心情を知って良いことなど無いなと思う。

 だがそれと、梶谷の顔を奪うことは別問題。

「梶谷さんも表現者だ。その顔と人生を奪って生きるのに、罪悪感は無かったのか?!」

「あったに決まってる!」

 攻め立てれば、カミガタは憤怒に顔を歪めで怒声をあげる。

「悪行から足を洗い、人のために才能を使う達成感を得ても、梶谷として接される度、故人を生き殺しにする罪悪感に苛まれた」

 彼は一度、悪行を脱したのか。管理局員として人のために生きることに、喜びを感じていたのか。

「じゃあ、なんでまたこうやって、人に危害を加えてる」

「復讐は何も産まないとでも?」

「そういう話はしてない。人を救う喜びを得たのに、なんでわざわざそれを手放した?」

 カミガタは射殺さんとする形相で、何も言わず五樹を睨む。梶谷の整った顔立ちを怒りに歪め、黒い瞳を曇らせる。

「復讐すれば喜ぶ人も居るだろうけど、そればっかだとお前もいつか一人になるよ。どれだけ孤独を選んでも、孤独は人を生かさない。お前はいつになったら納得する? 非表現者を全員殺すまでやるのか?」

「嗚呼」

「そうか、じゃあもう何も言わない。でも俺はお前を止める。そしてお前の復讐に、他人を巻き込むな──これ以上梶谷さんの顔で、声で! 好き勝手やってんじゃねぇ!」

 駅前で梶谷が刃を構えるのを見て、道路を挟んだ位置の五樹はガードレールに乗り上げて、つんのめりながらその上を走り回り込むようにカミガタへ迫る。体制を崩すべく足を狙って投げられた三日月の刃に、五樹は自身の味へ『飛べ!』と命令して跳ね避けながら、だんっと地面に降り立ったのは、カミガタへ続く横断歩道の対面。

 彼の両腕には未だ新たな刃がなく、しめたと思って五樹は一気に足を踏み込んで走ると、恐れを知らずカミガタの目の前で拳を振りかざし、その顔面に強く拳を叩きつけた。

 ばぎんっ! と石が割れるような音がして、『梶谷』の顔に亀裂が走る。鼻が陶器のように折れて破片が五樹の額を掠め飛び、細かな破片が散る先に、『カミガタ』の金目がぎろりと睨む。

 憤慨した形相のカミガタに左脇腹を蹴られて、勢いのまま地面をゴミ袋のように転がりガードレールにぶつかると、五樹は膝を立てて起き直し唇を拭い、得意げに笑う。

「お互いに一発貰った、これでイーブンな!」

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