第二十五話

 扉をぱたりと閉じて納屋に戻れば、銀朱の髪をした男が、そこに仁王立ちで居た。見上げるほど高い上背と、がっしりとした体つき。銀朱の髪に紺碧の瞳。管理局員の灰色の質素な制服を着た猪戸コウ。

 昔よりシックで小綺麗になった納屋で、彼は鉄面皮を崩さずに小さな羽深を見おろし、平坦な声音で言う。

「話したのか、囚人と。どう思った」

 開口一番怒られると思っていたため、だいぶ拍子抜けだったけれど。羽深はしおらしく俯いて、カミガタの様子を思い出して腕を抱く。

「哀れだと思いました。暴行や罵倒を受け、自由もなく閉じ込められて」

「それは違う。彼らは罪を犯したからここに居るんだ。人を殺め、物を盗み、誰かを苦しめた。彼らをどう思うのも自由だが、彼らに苦しめられた被害者がいることを忘れるな」

「はい、申し訳ありません──ですが彼らが悪人であっても、過度な制裁を与えることは正しいのでしょうか。罪人に罵詈雑言を吐き殴って良いのは、被害者本人と家族だけのはず。関係のない外野が、相手が罪人だからと武器を取る行為は、決して正義ではありません」

 ふと、思う。彼らは才能により、殺人などの犯罪を行った為に投獄された。ならばここに居る羽深と夜警は罪人か。

「私も悪人なのでしょうか。罪を犯してしまったから、私は今ここに居るのですか」

「違う、そんなことは──」

「ならばどうして、私は外に出られないのですかッ!」

 憤慨を顕に声を荒らげて、羽深はふっと我に帰り、鎮めるように片手で目を覆いすぅぅと深呼吸をする。

「空間は私が内部に居なくても成り立つというのに。私の才能はただ、空間と扉を繋げるだけ。繋げた後は、私が居なくとも成り立つというのに、私は何故ここにいるのでしょう? 才能を使い、後は用無しとされる方がマシだというのに」

 コウは石像のように口を閉じる。その顔からは一切の感情が感じられず、冷淡に突き放されたような心地を覚え、羽深は紅赤の目を悲しみに震わせる。

「なんで、何も言わないんですか」

 一度、上の人間に言われたことがある。『この空間が乱れれば、囚人が外に放たれかねないと自覚しろ。罪無き一般人の平和のため、生温い感情は捨てるべきだ』と。

 羽深が空間を改変できるのは、自身が内部に居る時のみ。扉の指定は遠隔でも可能だが、空間の風景を自在に操るのは、現在の実力では自身の周辺2kmが限界だ。

 不変に怯えるのなら、羽深を外に出すか収容所から遠ざければ済む話。

──だが問うておきながら、羽深は理由を知っている。

 空間内の収容所である以上、外部からの侵入者や囚人による暴動が有り得る。管理局員は優秀だが、対処しきれない可能性に備え羽深が居る。

 反乱を制さなければ自由になれると思った事はあるが、実際その選択肢は無い。空間で荒事が起きれば羽深も身を危ぶまれるのだから、嫌でもやるしかない。

「何にせよ、今後囚人には近づくな。理由があれば危険な行動が許される訳ではない。悪いことは悪いことだと、誰であっても叱らなくてはならない。わかったか、弥」

「はい」

 項垂れて言うと、ふと窓にぽつりと水滴がつく。またぽつぽつと増えるそれは、どうやら雨のようで、羽深はそれを横目に自嘲気味に笑った。

 急激な感情の起伏があると、それに呼応した天候変化がままある。注意してはいるが、喜怒哀楽の予測などつくわけもない。

「雨。また文句を言われてしまいますね」

 雨が降れば、屋外型の防雨監視カメラの故障リスクがあがる。少しの降雨では何も変わらないだろうに。管理局は万が一にも囚人が脱走する可能性に怯えているのだ。

 仮象空間から囚人が放出されれば、きっと外の世界は大惨事に陥るだろう。だから囚人に粗暴な扱いをして、恐怖を与えて抑え込もうとしている。

 それで何かが変わるわけではないのに。

 膨れ上がった風船と不満は、爆発するのを待つのみだ。


 その後羽深は、更に囚人の扱いを憂うようになった。彼らは昼夜問わず監視され、重い拘束具を嵌めて就寝する。酷い場合は常に拘束衣を着て生活するという。

 羽深曰く、「囚人を更生させるための場であるべきなのに、不満を溜めさせることは何も良い結果は生まない」と。

 だが管理局の上層はその要求を無視。しかし羽深はコウへ「囚人に対する言動を改めるよう、夜警と一般の刑務官に周知してほしい」と希望を出し、コウはそれを受諾。ほぼ独断で囚人への対応を改革した。

 彼女の空間が鮮やかになるほど、管理局は更に厳重に羽深を閉じ込めた。活動範囲制限や、日中に彼女が描く作品のノルマ増加。絵を描く以外のことへ思考が向かないように。羽深の空間操作の影響が、牢獄内に出ることが無いように。

 管理局は怯えていたのだ、空間が姿を変えることに。才能が成長し、想像もできないような変質を遂げて、監獄の形態すら変わってしまう可能性に。

 そして羽深が危険視されると同時に、羽深を含めた夜警を改心させた内海の存在が注目されるようになる。


 約一年後。哀川はその日、深宿にある管理局の一室で行われる会議に、コウと共に参加していた。といっても彼の指示のもと幻を用い身を隠し、盗み見ているのだが。コウ曰く、「最近管理局の動向が怪しい」と。哀川からすれば管理局は普段からおかしいものだが。

 会議の議題は、内海初への処置について。

 哀川の倫理観獲得、加賀美の更生などを見た管理局の上の人間が、「内海の教育の才能は、全国の表現者を掌握しかねない。非常に危険である」と判断。羽深の成長を恐れた管理局は、羽深を無感情で比較的従順だった頃に戻そうと画策した。

 その手段が、内海の海外渡航である。

 彼は知識欲が旺盛で、空き時間にも勉強を好んでする。彼曰く、気になったことはな調べるタイプ。施設でも自身の勉強だけでなく、他者に教えて高め合っていた。

 彼の教育の才能は、童話として様々な知識を他社へ伝えるもの。彼の持つ知識であれば、何であれ教育できる。

 

 日本とは違い、世界にはまだ才能戦争下の国がある。特に有名な国の一つ、デボア。才能による犯罪率が急増するあまり、政府と反政府による対立が起きた紛争地域だ。その両勢力に表現者が居り、空爆や銃撃のみならず、才能を攻撃の道具として混沌を極めている。

 つまりは『その国には子供の教育問題があるんだ。才能を活かせる場だろう? 心配無用、渡航の手配は任せてくれ。どうか君の能力を存分に生かして欲しい』という便宜上の理由だ。つまるところ、

 

 コウは当然猛反対した。だがその本意には触れられず──殺すつもりかと問えば「そんな意図は無い」と言われるだけなので──あくまでも羽深について。

「羽深を危ぶむなら、むしろ無理に行動を起こすほうが、感情を刺激するだろう」

「その平和が今、脅かされているのです。英雄である貴方にならわかるでしょう。今の羽深弥の状態は危険だ、彼女の喜怒哀楽は予想ができない」

「人が感情を持つことに疑問を抱けば、人間などは瞬きの間に滅んで終わりだ」

「羽深弥は一度、無断で死刑囚に接触しています。また勝手な行動を取らないとも限らない」

「その件に関しては注意した、本人も深く反省している」

「注意をすれば再発が無くなる訳ではありません」

「であれば俺が可能な限りあの子の側に居よう。弥が常に笑顔なら起伏もなく、人々も平和に暮らせる。これなら互いの主張が叶う」

「そんな希望的観測、上手くいく保証がありますか。感情論で平和は保証できません。子供数名程度のために、国中の人々の命を犠牲にするつもりですか」

 局員は代わる代わるコウの反論に答える。ふと一人が諭すように言った言葉に、コウはぎろりと一同を睨みつけると、だんっ! と割れそうなほど強く会議机を殴りつけた。

「ッ嗚呼、子供だ! そうだ、お前たちもわかっているじゃないか! 思考が読めない、勝手な行動をとる。そんな子供の空間を利用しているのはどこの誰だ。紛れもない、俺達大人だろう!」

 静まり返った室内に、コウの怒号が響く。珍しく激情を顕に声を荒げる姿に、局員は怖じた様子で彼を見ていた。

「理由をつけて子供達をここへ集め、利用しようと画策したのは誰だ。空間での事件全ての責任を弥に問うつもりか?! それはあまりにも虫が良すぎる。弥はまだ十六だぞ。子供が笑って生きる世を作るのが大人の役目だというのに、笑顔を奪ってどうする。絶対の平和など存在しない。空間の崩壊に怯えるなら、それが起きた際の補強策を用意した方が早いと思うがな。代わりの対応を急がなければ、いつか均等は崩れるぞ」



 会議後、皆の足音に紛れて部屋を出た哀川は、コウと共に仮象空間へ戻るべく、その入り口へ歩く。空間の入り口は、現実世界に収容所として建てられたパノプティコンの監視塔入り口。もぬけの殻となった収容所とそれを囲う壁が、外敵から扉を守っている。

 収容所の門を抜けてパノプティコンへ向かう。コウは毅然とした態度で、波が立ちそうな苛立ちを抑えながら、重々しく口を開いた。

「仙。弥に今回の事は話すな、無理に感情を揺さぶる意味はない」

「ですが」

「大丈夫だ。なんとかする」

 諭されて、哀川は悔しさを噛み殺しながら、草臥れた花のように俯いた。未だ齢十九の、力ない自分が憎くてたまらず、やるせなさが泥のように胸につく。

「わかりました。ですが、初さんはどうするおつもりですか。彼はああ見えて馬鹿じゃない、頭がよく回る人間だ。僕達が何かを誤魔化しても、容易に気がつくでしょう」

「お前、嘘をつくのは得意だろう? 昔から内心は人を小馬鹿にして、それを取り繕うのが格段に上手かった。だから大丈夫だろう」

「え、気づいてたんですか」

 哀川が驚愕して足を止める。全身の血が沸騰したように、体温が上がるのを感じた。

 内海の教育を受ける前、哀川は周囲の人間を見下して生きていた。今も馬鹿にすることはあるが、マシになった方だろう。思い出すと、虫が這うような羞恥が襲う。恥ずかしさを噛み殺すように唸りながら、早足にコウの背を追った。

「初による更生が悪いものだと、俺は思えない。人が変わることを咎めたら、悪人は一生悪人のままだ。悪人でも変わることはできる。だが逆もまた然り、善人も善人のままではいられない。人間とはそういうものだ」

 コウは紺碧の瞳を憂いに染め、何処か虚しそうにぽつりと言うと溜息を吐いた。

「俺は父親失格だな、本当に。息子に誇れることなんて何一つできていない」

「息子さんですか。確かもう十三になりますよね」

 顔も名前も知らないが、コウの口から度々家族の話は聞く。著作を解説してくれと強請られたとか、自分に似て頭の良い子だとか。いわゆる自慢話だ。

「コウさんは英雄です。きっと息子さんも誇らしいですよ」

「英雄? そんなもの、誰かが勝手に呼んだだけだ。こうして子供を閉じ込め人生を縛る人間を、英雄と呼べるはずもない」

 コウの口から弱々しい言葉が発されるのを、人生で初めてきいた。彼が感情を顕にすること自体が珍しい。昔、羽深と加賀美が喧嘩をした時も、羽深が囚人と話した際も、内心怒りや心配を抱いてるだろうに、それを全て押し殺し、毅然と対処していたから。 

 感情を理性で抑え、冷静に動くタイプなのだ。

「仕方ないですよ。ここは僕達の教育施設ですから」

「確かに最初はそうだった。危険な才能を持った青少年を正しく教育しなければ、いつか大きな事件が起こる。強引な手段だが理解はできた。だが今はどうだ、初の助力でお前たちは成長したのに、何故まだここに居る。管理局は適当な理由をつけ、優秀な人材を縛っているだけだ。リーダーなど馬鹿馬鹿しい、俺はお前達に枷を嵌め続けているのに」

「そんなこと言わないでください」

 現実で暮らす人々の平和を守るため、と言われても。哀川にしてみれば、外の人間も家族も興味無い、ほぼ全て赤の他人なのだから。見知らぬ人よりも、施設にいる夜警の方が大切だ。

 例え空間が崩壊して囚人が外をのさばろうと、きっとそれは弥に全てを背負わせた神罰だ。

──倫理観と価値観は違う。命の重みを理解した上で、数千人より夜警の数十人の方が大切なだけ。

「それに、管理局が弥と景とお前を常に一緒に居させたのは──三すくみだからだろう。それが、申し訳なくて仕方ないんだ」

 羽深はこの空間を統治し、邪魔者を排除するために。

 加賀美は羽深の急死時、その代わりとなるために。

──哀川は、羽深に叛逆の意思が芽生えた際、彼女を殺すために。

 羽深と加賀美は知らないが、三人はそういう関係だった。

 施設に入る際に哀川は、「羽深が完全に手に負えないと判断された時、彼女を殺せ」と、羽深の監視を命令された。けれど随分前から、それに従う気は失せた。

 大切な仲間を誰が殺し、殺されてたまるものかと。

「むしろ、感謝していますよ。僕にも大切なものができた」

「そうか、なら良い」

「思ったんですが、コウさんって言葉足らずですよね。元純文学作家なのに」

「そうか?」

 コウは心底分からないといった顔で首を傾げる。もしや理性的なのではなく、単純に表情と言葉数が乏しいだけか。

「言葉にしなきゃ、伝わらないことはありますよ」

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