第二十四話
少女が、動物を殺していた。
否、動物ではない。大方、誰かが暇つぶしに作った虚構生物の類だ。
白兎が彼女に跳びよって背面を取ると、彼女は静かにとそれを見る。すると地面からずるりと細い木の根が腕のように伸びて、愛らしい兎の頭をどちゃっ! と無惨にも潰すと、その遺骸を喰らうように巻き付いて、地面へと引きずり込んで消えた。
どうにも食指は動かなかったらしい。手早く空間を操り植物の根で圧し殺し、早々に地面へ埋めたようだ。彼女は小さく残った血溜まりを指先でなぞると、油絵の具のかわりにキャンバスへ塗りつけた。
嗚呼、床の掃除が面倒そうだ。哀川は小さく嘆息して思う。
コンクリートの無機質な壁と床に蛍光灯が明滅する納屋。家具は無いが、画材は業務的に部屋の隅へ積んである。少女を囲うように設置された、数十台の木製イーゼルとキャンバス。手近な位置に散乱した木製パレットや絵の具、ペインティングナイフに筆。
その中心で絵を描く羽深弥は、辛うじて服の体を保った灰のぼろ切れを着て、冷たい床にべたりと裸足で座り、油絵の汚れと匂いを嫌うこともなく、淡々と絵を描いていた。
まるで独居房のような部屋だと哀川は思った。けれど彼女にとっては、この環境が普通なのだろう。
「これは、厄介だなぁ」
スチール製の引き戸ががたがたと荒々しく開いて、快活そうな顔立ちの青年が顔を出す。くすんだ緑青色の長髪をひとつ結びにし、前髪は男らしくオールバック。紺青色の吊り目を瞬かせながら部屋を見渡して、部屋の簡素さに彼は苦い顔をする。
ふと彼は、扉の側の壁にもたれて立つ哀川を見ると、はつらつとした笑顔で軽く手を振った。
「やぁ、お前は確か哀川仙だったな。俺は内海初だ、これから宜しく。ところで、あのイカツイのは何処にいったんだ?」
「嗚呼、確か──加賀美景、でしたか。彼なら、こんなところに居られるかと、仕事を放ってどこかに行きました」
「はは、弥と一悶着あったからな。相性は悪そうだと思っていたが、まさかここまでとは」
夜警が始まった初日に、二人は熾烈な大喧嘩を繰り広げていた。加賀美が羽深に突っかかり、それを不快に思った彼女が言い返すと、そこからは才能を交えた大乱闘。
哀川からすれば程度の低い争いだったが、才能が無駄に優秀なだけあって、制止するのには手を焼いた。もう二度と面倒事はごめんだ。
「まだ設立から四日と経って居ませんが、大丈夫なのでしょうか」
「まぁ、なんとかするさ。俺にはその責任があるし、ここはそのための矯正施設だ」
羽深は十一、哀川は十五、加賀美は十七。夜警は全員が十代だが、内海は夜警最年長の十九歳。皆の面倒を見なければ、という責任感があるのだろう。
ここの人間は共通して、非行や性格の難、倫理観欠如などの烙印つき。彼も矯正される立場だというのにご立派なものだ。
「内海さん。確か貴方が彼女をここに連れてきたのだ、とお聞きしたのですが」
「嗚呼。弥の父親に、面倒を見るように頼まれたんだ」
「──そうですか」
内海はそう言ったが、羽深という少女の存在についての実態を、哀川は多少把握している。
羽深の父はロクデナシの画家だったらしい。羽深の足に枷を嵌め、擦り切れた服を着させ、納屋に閉じ込めて絵を描かせ続けて居たという。彼女が納屋で絵を描くのはその影響だろう。
そして画家の父の作品を経緯に、羽深の存在を知った内海が、父親を説得し羽深を引き取ってきたと聞いた。
「マ、まずはあの性格をどうにかしないとだな。怒りっぽいところは特にだ。次は身なりと──やることが多いな」
内海は楽観的に言うと、奮い立てるように肩を回し、大手を振って羽深に歩み寄った。
「やぁ弥、おはよう。お前の世界は今日も天気がいいな! 外は驚くような砂漠だぞ、暑くてたまらない」
彼女の空間は飾り気がなく、施設の外は、梅雨だというのに真夏の暑さだ。局員の一人がオアシスの幻覚を見たらしい。施設内が涼しいのは、羽深が才能で室温調節したからか。
名を呼ばれた羽深は振り返ると、秀麗な面持ちを不快そうに歪め、氷塊のような紅赤の目で内海を睨む。
「貴様は確か──」
「ウチウミウイだ。ウチ側のウミに、ウイ陣で内海初。お前をここに連れてきた人間だぞ、顔ぐらい覚えてくれ。で、さっきの虚構生物は何故殺したんだ?」
彼女は鬱陶しそうにそっぽを向くと、側のキャンバスにそっと、灰色の絵の具を細筆で塗る。
「無断で侵入した者には処罰を下せと、この空間を管理する際に命令された。私はそれに従ったまで」
「処罰をくだせと言われていても、殺せとまでは言われていないだろう?──おお、弥は絵が上手いな」
内海はずかずかとイーゼルの隙間を縫って、その絵を順繰り眺めながら詰問する。羽深はあからさまに嫌悪を顕にしながらも、相手をするものかと内海を無視して筆を走らせた。
「対処を徹底しただけだ」
「なるほど、お前は怖いんだな」
「『こわい』?」
「嗚呼、お前は怖がっているんだ。今の虚構生物と、上からの命令がな。命令に従わなかったら怒鳴られるんじゃ、ってな」
「はっ、この私が恐れていると? 何を言っている」
「理解できなくて当然だ。お前にとってはそれが当たり前で、お前はそれしか知らないからな」
「知らない? 私が知らぬことがあると?」
「嗚呼、知らないことだらけだ」
「はっ、馬鹿なことを言う。私はこの空間全域を掌握している。知らないことなど存在しない」
「ははは、会話は苦手か?」
「何?」
「ここは世界じゃないぞ」
内海はけらけら笑う。馬鹿にしてるようではない。
「確かにここではお前が神だ。けれどお前は、外の世界を知らない。外にはたくさんの国があり、人が居る。この空間を知っているだけで、世界を知った気になっちゃいけないぞ」
彼は少しの間熟考すると、ぽんと手を打って陽気な声を出す。
「よし! 弥、これからお前に毎日一つ、童話を聞かせよう」
「童話? 一体何のために」
「意味なんてない、ただの日常会話のようなものさ。表現者は自由に創作を行うもの。だから俺も、自由勝手に物語を話すだけだ」
「──命乞いをしようと?」
羽深の言葉に内海は不可思議そうに首を傾げ、何の話だと言いたげに哀川を振り返る。話に巻き込まれた面倒臭さを覚えながらも、哀川は顎に手を当ててふと思いついた。
「アルフ・ライラ・ワ・ライラのことでしょうか」と呟くと、羽深は「嗚呼」と小さく頷く。
「処刑の悪習がある王の妻となった女性が、毎夜おとぎ話を語り命乞いをする話だ。世界観を広めろと、納屋にいた頃様々な本を読まされた──お前こそ、私を怖がっているのか?」
彼女は嘲笑と共に内海を蔑むような目で見るが、彼は一切気にする様子は無く、あははと能天気に笑って腕を組んだ。
「別に命乞いをするつもりはなかったんだがなぁ。まぁいい、それでいこう。毎夜お前が眠る時、寝物語を語ろうか。お前が何も苦しまず、明日を夢見て眠れるように」
彼は慈しむような目で笑い、一つ結びの髪を左右に引いて整えると、思い出したように戸口側に寄りかかる哀川を振り向いた。
「仙、お前も一緒に聞け。嗚呼それと、景も連れてこいよ」
「俺も、ですか」
「嗚呼。お前も景も、教えることはたくさんだ。腕がなるなぁ」
肩を回し、内海は上機嫌に笑い声をあげた。
そうして三人は毎夜、内海から様々な物語を聞いた。泉のほとりの錆びた銅像、小鳥になった少年など、彼が考えた童話の数々。そして過去の童話作家が残したもの。
教訓を織り交ぜたそれらでもって、無感情な羽深に感情を、不品行な加賀美に道徳を、倫理観の欠如した哀川に事の善悪を教育した。
彼は物語を語っては、いつか絵本作家になりたいと願いをこぼしていた。
そして内海は教育だけに冴えず、三人──主に加賀美を上手く扱う術も熟知していた。
彼が「野菜は食べねぇ」と言えば、「景が身長を伸ばせば、弥を更に物理的に見下せるぞ?」と答え、「確かにそうじゃねぇか!」と納得させる。
そして外出許可を度々申請し、加賀美が過去に迷惑をかけた人物を訪ねては、共に頭を下げて奉仕活動をした。
羽深も、彼の力を持って感情を得たことで成長した。当初彼女は、対して絵が上手くなかった──当然年齢の割には上手いが──特段目を惹くわけでもなく、まるで指示された通りに描くだけの機械的な、薄暗い彩色の絵だった。
だが感情をのせて描くようになると、彼女は格段に上達した。濁った色合いの絵が、見る者の感情を揺さぶる鮮やかな赤や青で、一目見れば脳裏に焼き付き、鮮烈な印象を残すようになったのだ。
そして羽深が感情豊かになるほど、空間は色鮮やかになった。牢獄のような施設を、近代校舎のレトロモダンに。砂漠の様相を呈する景色は、羽深の気分に呼応して四季折々色の花が咲き、暖かな風が吹いた。
夜警が始動して三年後、羽深が十四歳の時。
子供らしく好奇心旺盛になった羽深はある日、外の人間に──囚人に、興味を抱いてしまった。殺人犯の考えを知りたくなったのだ。
それが悪い事、危険な事であると、当時の羽深はまだ知らなかった。
「こんにちは」
死刑囚運動場の二畳程の個室。コンクリートと金網に三方と天井を囲まれ、小窓のついた扉から度々監視される閉鎖的な空間で、囚人服を着た黒髪金目の堀の深い顔の男が、マニュアル的に身体を動かしていた。
羽深はその入り口をいきなり開き入室する。運動をしていた男は、見るからに刑務官でも囚人でもない冠を戴いた少女を見ると、驚愕をあらわに後退る。
羽深はそれを見て曇り無く笑って軽くお辞儀をし、扉をぱたりと閉める。
「お前は、受刑者か? いや違うな。子供がどうしてこんなところに」
「私はこの空間の管理人です」
「空間?」
「はい。ここは私の仮象空間にある、特殊ドームの中です」
理解できないと言いたげに、男は目を見開いて石のように固まる。羽深はそれを気にせず淡々と続けた。
「少し、興味が湧いたのです。ここにはどんな人が居て、何を考えているのか──貴方は確か、カミガタさんですよね」
「知っているのか」
「はい。ここに収容されている囚人の概要は、原則として夜警全員が把握しています。把握の度合いはまちまちですが」
羽深は年相応に花のように笑うと、すっとその目を細めてカミガタを見る。彼女は囚人の危険さも省みず、好奇心で死刑囚と触れ合おうというのに、肌寒さを感じる支配者ぜんとした態度だった。
「貴方は被害者の思考を洗脳し、殺人を犯させた。どうして、そのようなことを行ったのですか?」
「容易く答えると思うのか?」
「話して頂けないのなら構いません、別の方をあたります」
そういって踵を返すと、カミガタが深く嘆息するのが聞こえた。彼女がここに来た手段も状況も、彼からすれば不明というのに、質問ばかりで呆れたのだろう。
羽深が彼を振り返ると、カミガタは諦めたように顔を曇らせて腕を抱く。
「俺と同じく表現者の、大切な人が居たんだ。けれど彼女は非表現者に刺殺された。だから非表現者に復讐してやろうと思って、非表現者を洗脳し殺人を犯させた。単純な話だ」
非表現者。才能を持たない人間に対する差別用語と内海に聞いた。良い言葉ではないから使ってはいけないとも。
そう語るが、彼は自首して逮捕された。何故なら、表現者も殺してしまったから。当たり前だ。通り魔では、相手が表現者かどうかなど判断できない。
「貴方が殺させた中には、表現者も混ざっていたと聞きました。それを聞いて、どう思いましたか?」
問えば、カミガタは詰まったように返答に困ったように唾を呑み、悲痛そうな顔をして腰を擦る。
「申し訳なく思った。見知らぬ表現者の輝かしい人生を奪ったことが。けれど憎しみは変わらない、俺はきっとまた同じことをする。今度は表現者は巻き込まない」
「私に暴力を振るうことなく、質問に答えてくださるのも、私が表現者だからでしょうか」
「無駄に暴力に走れば、懲罰房送りは免れない。相手が素性不明なら、変に何かをして問題が発生する可能性があるのなら、悪夢と会話してると思うのが早い」
そういって片手で頭を掻いた彼の袖の下に、ちらりと痛々しい青痣が覗くのを羽深は見た。思えば彼は先程から腕や腰など、服に隠れた部分をよく触っている。
夜警の誰かが話してるのを、風の噂で耳にしたことがある。刑務官による囚人への暴行と罵倒が繰り返されていると。自らが正義であり囚人が悪であると確信し、それを罰しようとするのだろう。
痛ましいそれに気づかぬふりをして、羽深は静かに頷く。
「なるほど、合理的ですね」
「それに、話さねば他を当たると言うから──お前は、無闇矢鱈と囚人の前に顔を出すな。この空間の支配者であるならなおのことだ」
羽深は少し驚いて息を飲んだ。殺人犯というのに、人を気遣う心があるらしい。
否、厳密には殺人犯ではないが。もしくは無駄な慈愛があるために、自身の手で殺人は犯せなかったのか。
「ここは私の空間というのに、何故自由にしてはいけないのでしょうか」
ふと思い至ってぽつりと呟く。カミガタは不思議そうに首を傾げた。
「この作品を名付けたのは、数年前の私です。当時の私は自分の作品さえ、都合よく管理できる
「豊かな?」
「私は、ここの管理人。ですが、ドーム内には干渉ができないんです」
「なら、ここにはどうやって?」
「才能の隙間を縫って一時的に扉を繋げました。ですがこれが限界です」
「限界?」
「ドーム内は治外法権、とでも言うのでしょうか。他人の才能で出来たものなので、私は手出しできないのです。今回の移動も直ぐにバレるでしょう。そのうち新たな才能が使用され、隙間は埋められる」
ドームどころか、空間全体の天候を操ることすら、勝手に行えば注意される。管理局は仮象空間に不変を望むのだ。だから羽深はせいぜい、花を咲かせて矯正施設の模様替えをするしかできない。
「そのことも、囚人に話すべきではない。そもそもその情報は機密事項では無いのか? 情報を軽んじるな。無闇矢鱈と話せば、脱獄を企てられるやもしれないんだぞ」
「そう、ですか。では、どうか秘密にしてください」
支配者の風貌は何処へ、年相応の柔和な表情に僅かな空虚さを滲ませて、羽深は力なく笑う。カミガタはそ思うところあり気に顔を歪ませると、素っ気なく目を逸らした。
「──そろそろ運動時間が終わる。見つかる前に帰れ、いたずらは見つかったら怒られるものだ」
「はい。さようなら」
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