第五章 お花畑の夢を見た

第二十三話

 どん、と、崖から突き落とされた心地と浮遊感がして。一瞬、呼吸が止まる。

 感情がダムに堰き止められ放心し、彼の言葉が理解出来ず──単語はわかるが真意はわからず、五樹は頬を掻いて苦笑いを溢す。

「ちょっと待って。今、変な冗談に付き合ってる余裕、さすがに無いんだけど」

「冗談ではないよ」

 笑えない冗談だと思っていた。けれど五樹を見下ろす哀川の、薄透明な黄色の瞳は、影が差すように暗く濁った色をして、彼は無表情のまま頑として静かに首を振る。

 ようやく、思考が戻る。言葉を反芻して意味を理解し、

「本気で言ってんの?」と、低く圧すような声で哀川を睨み上げた。彼は臆さず頷くと、ちらりと後方を振り返り、泥濘んだ道の先を顎で示す。

「もうすぐ家に帰り着く。弥と景も混ぜて、四人で話そうか」



 アトリエエラスの入り口扉が、今日はやけに重く感じた。違う、五樹の気が重いのだ。

「あらおかえり、早かったわね」

 リビングの茶色いレザーソファに腰掛けた加賀美が、振り向きながら軽く声をかける。羽深は紅茶片手に休憩をしていたらしく、ダイニングチェアに腰掛けながら、「おかえりなさい」と優しく微笑んだ。

「五樹くんに話したよ、フリークスのこと」

 先んじて入室した哀川が、淡々と言う。外履きを放って入った屋内の、やけに静けさの漂うこと。加賀美と羽深は何を思ってか口を閉ざし、しんと静けさが部屋を満たす。表情に色は無く、その裏にあるのが焦燥か驚愕かはわからない。

 加賀美は付けっぱなしのニュースが淡々と天気情報を読むのを、リモコンで消してそれをテーブルに投げ置いて、気怠げに足を組み五樹に背を向ける。

 否応無いその動作は、哀川の発言を肯定しているように見えて、五樹は嗚呼と思い唾を呑む。冗談では無いのかという、失望と驚愕めいた感情。

「何処までお聞きになられましたか?」

「まだ何も。焦んないでよ、別に話しも聞かないような馬鹿じゃないし。ちゃんと聞くから、ゆっくり話して」

 羽深の隣に腰をかけた哀川を見て、五樹はダイニングテーブルを挟んで彼の向かいに座る。

「僕達がフリークス、というのは確かに間違いだ」

「やっぱり──」

「フリークス、という組織はそもそも存在しない」

 耳元で鳴る心臓の鼓動が喧しくて、彼の言葉を聞き逃しそうになる。嗚咽すら漏れず息を呑み、五樹は無表情のまま呆然と彼を見た。感情に表情が追いつかない。

 フリークスが存在しない? なら大解放は何故起きた?

「これは、話すと長くなるけれど。人形の時に君は、子供の表現者は見たこと無いと言ったね。あの時僕らは、その感覚が理解できなかった。何故なら景は十六、僕は十五、弥は十一歳の時点で既に、才能を得ていたから」

 それは薄々感じて居た。彼らは幼くして才能を扱うのが当たり前のように考えていたから。

「僕らは幼くして強力な才能を有し、同時に性格に難があった──だから、教育施設に幽閉されていた。対才能犯罪チーム【夜警】としてね」

「夜警……父さんのチームだ」

 ぽつりと溢すと、哀川は真面目な顔つきを崩し、少し緩んだ笑みを浮かべる。

「嗚呼、コウさんは僕らのリーダーだったよ」

「父さんって、どんぐらい偉い人だったの? 俺、詳しく知らないんだよね」

「偉いの基準を遡ると、内閣がどうのの話になるけれど。会社でいう部長ぐらいは偉いよ。夜警の仕事は囚人の監視補佐、凶悪犯罪者の対応。ながどちらも本来は、一般の管理局員と刑務官の仕事だ。つまり僕らは緊急時にのみ出動するチームさ」

 三人が夜警ならば、昔テレビで父と共に働いていた中にも彼らは居たのか。だがテレビで見た夜警は、間違いなく大人だった。それに一定の年齢に達していない未成年の労働は法律違反だ。

「夜警が子供ってのはどういうこと? テレビで見た夜警は大人だったよ」

「身体年齢操作の才能を使っていたんだ。子供の労働は法に触れるが、精神年齢含め大人になっているから、法の抜け穴だよ」

「さっき言ってた、性格の難っての何?」

「弥は無感情と傲慢、景は不品行、僕は軽度の倫理観欠如。他の夜警は強度の自己否定とかまぁ色々居たよ」

 思えば加賀美は言っていた。親に見捨てられ施設に入り、羽深や哀川と出会ったと。羽深と喧嘩をしただとか、全て夜警での出来事だったのか。

「じゃあ仕事してない時は、俺達学生みたいに勉強?」

「嗚呼。日替わりで数名が監視の補佐をし、それ以外の人は勉強さ。性格を矯正し将来的に有用な人材を育てる。人材育成ってところは創生塾と同じだね。寮制の教育施設だから、入所時に保護者への説明もあったし、外出許可があれば外にも行けた」

「あくまで合法的な場所だったわよ。気分は幽閉の身だけど」

 リビングから加賀美が言う。素っ気ない返答をして、彼はまた気怠げに組んだ足をぶらぶらと揺らしていた。

「幽閉って、その施設何処にあったの? 国外?」

「仮象空間だよ──そしてそこに、収容所もあった。管理局は弥の空間に、才能犯罪者専用の収容所を新設したんだ。名を、【マザーボード・リモート】」

「マザーボード・リモート?」

 マザーボードとは確か基盤のことだったか。収容所の名前にしては異質に思える。

「管理局が仮象空間に建てた、巨大な二重壁構造のドーム。その名前さ。内部にはパノプティコン六棟や刑務作業場があって、死刑囚や無期懲役囚があわせて五百名ぐらい居たよ」

「え、死刑囚は拘置所に行くじゃないっけ」

 死刑囚は死刑自体が刑であるため刑務作業はない。逆に無期懲役刑は、どれだけ罪が重くても結局は懲役刑の為、三年や五年の懲役刑囚と変わらない扱いがされるはず。死刑囚と無期懲役囚専用の収容所、というのは初耳だ。

「あくまでも収容所であって、刑務所でも拘置所ではない。凶悪な才能犯罪者を入れる特別な収容所だったんだ。一応、死刑囚の棟という区切りはあったよ」

 確かに仮象空間はいうなれば別世界だ。ドームやパノプティコンから脱出しても、世界から出なければ脱獄にはならない。そう考えると確かに、危険な表現者を収監するにはうってつけだ。

 にしてもパノプティコン六棟とは、現実なら敷地と耐震の問題で、北端の平地でなくては難しい構造だろう。

 だがふと思う。収容所が羽深の空間にあるのなら、「じゃあ深宿のパノプティコンは一体──」

 と、呟いてふと思う。あの日、脱獄囚は監獄から離れた商店街に現れた。

 普通であれば、深宿の収容所から離れた場所に脱獄囚が現れるのは、転移か何かを疑うはず。だがそもそも囚人が空間に居たのならば、

「脱獄囚は空間から出てきたから、商店街に突然現れた? もしかして囚人も表現者だから、才能を使って脱獄されたの?」

「少し違うね。あの空間において才能は、弥の許諾した者──特殊なバッジを目印としてつけた人間のみ使用できた」

 バッジを持たない囚人でも、それを刑務官から盗めば可能ということか。

 哀川はふうと溜息を吐くと、改まるように背筋を伸ばし、憂うように目を細めてどこか虚空を静かに眺めた。

「それじゃあ、大解放のことを。いや、それよりもっと前の、夜警ができた時のことから話そうか」

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