第十八話

「ところで、この雨は誰の才能?」

「仙よ──アンタなら話しても大丈夫ね。仙の才能は一つじゃないの。幻の才能ともう一つ、天災を操る力」

「天災、か」

 天災といえば雨を降らすだけでなく、天を穿つ雷も海を裂く大波も等しい。彼がどれほどの規模でそれを扱えるか不明だが、この国は彼のその手一つでどうとでもなりかねない。

 少し考え込んだ加賀美が、傘の外へ手を出して雨を受けて、その指輪をぼたぼたと水に濡らしながら言う。

「仙は自分のこと、滅多に人に話したがらないし、この才能を嫌ってるの」

「どうして?」

「天は容易く人の命を奪うから。季節の変わり目によくある雨だとしてもね。だから仙は毎朝天気予報を欠かさずに見て、豪雨が近づけばその進路をズラしてるわ」

 斑鳩の調査をする日、アトリエテラスへ行った際、彼は確かに天気予報を見ていた。周りの声も聞こえないほどに。調査のために雨でも気にしていたのかと思っていたが、まさか天気を操るためだとは。

 ふと五樹はそれを聞いて、加賀美が何故それを自分に話したのかと勘ぐった。聞いたところで何も思わないが──むしろ哀川は人徳者だと思ったが、勝手に話して彼も快く思わないはず。

「勝手に俺に話していいの?」

「アタシの口から話してって頼まれてたのよ。自分からは話しにくいんでしょ」

「なんで俺のこと、そんなに信頼してくれるの?」

 五樹になら話せると思われるのは嬉しいが、謙遜を抜きにしても、そこまで認められる間柄とは思えない。冷たく言って、ただの依頼者た何でも屋たま。

「アンタが猪戸五樹で、英雄の息子だから」

 加賀美の言葉に五樹は不快感を覚えて眉を寄せる。

「俺のこと信じてくれるのは嬉しいけど。父さんがすごいからって信頼するのは、筋が違うじゃん」

 コウの功績は彼のものであって、五樹のものではない。父が人格者だから子も人格者に育つわけではない。

 同時に、五樹を信頼した訳ではなく親の威光で話されたように思って、落胆で心が沈んだ。加賀美は居心地悪そうに目を泳がせると、ふうと溜息を吐いてまた、髪を乱暴に掻く。

「アタシ達三人、英雄に命を救われたの。だから英雄の死後、息子であるアンタに恩返しするのは、何よりも当然のことだと思ってる。ごめんなさい、気分悪くさせたわね」

 五樹は小さく首を振って俯いた。複雑な気分だが、恩人の家族にも恩義を抱く感情は理解できた。同時に、父は大勢を救っていたのだなと実感して、喜びと同時に誇らしく思う。

「加賀美さんさ、最初俺のこと避けてたでしょ。今こうして相手にしてくれてんのも、俺が英雄の息子だから?」

 自分でも捻くれたことを聞いた気がするが、悩みは晴らして起きたかった。加賀美は一瞬何も言わずに固まると、直後ぷっと吹き出して声を上げて笑う。そんなに笑うこと無いだろうと睨むと、彼は「ごめんごめん」と笑い涙を拭う。

「最初はアンタのこと、昔のアタシみたいなイキったガキだと思ってたのよ。でもアンタと接してきて、勘違いだって気づいたわ。今更だけど謝るわね、ごめんなさい」

「ううん、大丈夫。ありがと」

 心の鬱々としたのが解消されて安堵しながらも、ふと思う。

 彼らは何故、何でも屋をやっているのだろう。

 模倣、天災、空間。扱い用によってはどれも、コウのように英雄と呼ばれそうな才能ばかり。彼らが管理局員として働けば、犯罪の抑止力になる。

 なのに何故彼らは小さな場所で細々と、怪奇現象を解決して人知れず活躍しているのか。称賛に興味が無いと言われればそれまでだが。

 思えば知らないことばかりだ。五樹は強く傘の柄を握った。加賀美は五樹の気も知らず、沈んだ空気を振り払うように快活に笑う。

「さて、依頼を続けましょ。でも、アンタの予想は間違ってたみたい」

 彼は斜面に向き直ると、残念そうに肩を竦める。雨粒で濡れて色濃くなった坂を、薄く川のように水が流れていた。空が雲に覆われたことで光が遮られ、当然ながら影は消えている。

「でもアタシちゃんと考えたのよ。見えない存在が居るのなら、雨を降らせればその表面を水滴が弾いて、輪郭が浮かぶはずでしょう?」

 五樹は再度耳を澄ませる。先程も聞こえた何かの落下音は、雨音に混ざりながらばしゃりばしゃりと一定の周期で鳴っていた。

 影が消えた今も落下音は鳴っている。音と影に因果関係は無いのだろうか。影の動きに連動して音は鳴っていたが、落下音とそれが別の現象であるとしたら。

 落下音? 坂を転がるのに落下音がする。

「本当に影は、坂を転がり落ちてたの?」

「何よ急に。実際に見たでしょう?」

「見た。でも何かの落下音も聞いた」

「だから人が居るってんで、こうして確かめたでしょ?」

「違うんだよ。坂を転がってるなら、落下音なんてしないはず」

 落下音は、物体の落下が始まる高度と地面の高度の差異によって生み出される。高度が高いほど接地した際の音は大きくなる。

 つまり、転がり落ちるという現象に落下音はほとんど発生しない。坂道を沿うという過程があるため、転落の開始点と接地の高度の差異が埋まるのだ。

「俺が聞いたのは、接地する瞬間の音だけ。坂を擦る摩擦音がするならまだしも」

 であればあの影は何だったのか。何故落下音が発生したのか。二人の知らない場所で何かが落下し、影があった事実は変わらない。

「それでも影は坂に映ってた。まさか」

 五樹は慌てて周囲を見渡した。傘の向こうでは雨が薄膜のように落ちていて、雨音の静謐と匂いに満ちている。

「居た」

 その雨の中に、五樹はあるものを見つけた。 

 否、何も無いものを見つけた。

 細かく降る雨の中、坂で五樹を挟むような位置に、まるで誰か居るような空間がある。降る雨が何かの輪郭をくっきりと示し、何もない空間に何かがあることを証明している。

「日が沈みかけてるから、日差しは横からあたっていた。それなら斜面を転がるんじゃなくて、斜面の側で落下してるとしても、影は坂に映る」

 真上から差す日差しであれば、斜面を転がっているのではないと、直ぐに理解できた。しかし虚構生物の発生が午後五時に限られていたため、影の作り方による誤解が生まれた。

 元より、影は転がっていない。最初から、坂の近くで直下に落ちていた。ならば五樹が聞いた落下音も、接地時に影が潰れるのも理解できる。

 加二人は浮き上がった人型の側に歩み寄る。雨がなければ存在を認知できないそれは、透明人間かお化けなのだろう。

「アンタ大手柄ね、さすがだわ」

「ありがと。で、どうやって対処すんの?」

「簡単よ。五樹、言霊ってわかる?」

「昔話でよくあるよね、言ったことが本当に起こるみたいな」

 雨よ降れと願えば雨が降り、豊作を願えばそのとおりに。昔の人は言葉に神様が宿ると考えていたと、父に聞いたことがある。

「あるのよね、たまに。人の心の奥底の強い思いが形に──探し人シーカーになることが」

「探し人? 虚構生物じゃなくて?」

「虚構生物は才能で産み出したもの。探し人は無意識から産まれるの。誰かに会いたい、帰りたい。何度も同じ場所で口にした言葉が積み重なり、本人も知らない内に探し人が産まれ、願った言葉を実行する。この世のお化けってヤツは総じてこれよ」

 五樹は加賀美と共に探し人へ歩み寄る。存在を見つけたからか、それはもう絶えず落下することはなく、顔もないのにこちらを見ているような気さえする。

「それって危なくない? 人を殺したいとか考えたら、勝手に人殺しちゃうんじゃ」

「えぇ、願いの次第によっては人に危害を加えることもある。世でたまに出る変死体は、全部こいつが原因ってアタシは思ってるわ」

「自分の気持ちが人を殺すって怖いね」

 誰かに復讐心を抱いたり、逆に強すぎる愛情が悲劇を招いたり。自分の感情が独り歩きして、事件を引き起こす可能性がある。それで罪を問われたとしても、きっと自覚は沸かないだろう。

「そうね、アタシもそう思う。でもね、探し人には意識なんてない。だって願ったのはアタシ達よ? だからその思いが人を殺したら、それは無意識じゃない。強く願って口にした人間の責任」

 五樹は何を言えずに息を呑んだ。何を考えるのも自由だとはよく聞くが、口に出した時点で許されないのか。それが、言葉を口にする責任なのだろう。

 絵とは違って、言葉は永遠にどこかに残る。聞いた人の記憶か文面かは定かではないが、覚悟を持たなければならないのだろう。

「成れ果てかもしれないわね。人の思いの成れの果て、救いようのない歪な形」

「この探し人を作った人は、何を願ったのかな」

「可能性なんていくらでも考えつくわよ。ここいらをいわくつきにして地価を下げるとか、誰かの人生の転落を願ってるとか──でもこれは多分、死にたいかしら」

 死にたい。簡単に言ってのけたその言葉は、香椎との会話を経た今はずしりと重い。気持ちを呟くだけで探し人になるのなら、人はどうやって気持ちを解消しろと言うんだ。 

「どうやって対処するの?」

「これはいわゆる、呪いなの。誰かの不幸を願う言霊は、呪いの言葉。だからこれを、願った本人のもとに返すわ」

「返すって、どうやって」

「簡単よ。存在を認識して刺せば死ぬ。死人の思いの結晶の場合はそのまま消えて、生者の場合はモヤになり本人の元に帰る。それを追いかけて持ち主の状態を見届けたら終了」

「それは──」

 気分が鉛のように重くなる。お化けの対処法が欲しいとは言ったが、いざ人間と同じく刺殺できるぞと言われても、嬉しくも何ともない。

 五樹が言い淀んでいると、加賀美が三つ編みをいじりながら深く溜息を吐く。

「これは行き場のない思いが、行き場を求めた結果なの。例えば死んでしまった人に会いたいと口にしたら。叶わぬ思いは勝手に形を得て、愛しい人を探して彷徨うか、何か勝手な行動を起こす。探し人は制御ができないの。飛躍した思いが人を殺すかも。だから急いで返さないと──」

「会いたいって、負の感情なの?」

「え?」

 雨音に搔き消えそうな声で呟いたのを聞いてか、加賀美が首を傾げる。

「斑鳩の時にも思ったんだけどさ。才能の原動力って、何か別のモンじゃないかなって」

「何か別の物?」

「うん、何かはわからないけど」

 根拠は無いし、哀川がした車という説明からその説が濃いのはわかる。

 どちらかとえば負の感情プラス何か、という感じだろうか。

 香椎の原動力の希死念慮は理解できる。

 人形は、ユカが泣き止む為に動かされた。ユカの不安を元にしてはいるだろう。

 ならば伊依と五樹は何なのか。負の感情を原動力に、正の感情を伝える才能を扱うのは少し歪だ。

 負の感情と似たこれは何だ。

 消えて欲しい、泣き止んでほしい、笑って欲しい。

──願い?

 否、今は探し人のことを考えなくては。悶々とした気を晴らすように首を振って加賀美を見る。

「呪いを返したら本人はどうなるの?」

「誰かに願ったことは、自分に帰ってくる。誰かの人生の転落を願ったなら、自分に禍事が降りかかる──死にたいとか、自分に関する願いの場合は、逆に何も起こらないわ。探し人を産み出しても感情は無くならないから、その人が希死念慮を抱いてる証明になるだけで」

 彼は顔色を曇らせて憎らしげに舌打ちをすると、居心地悪そうに強く唇を噛んだ。

「人を呪わば穴二つ。誰かの転落を、願った時点で終わりなの」

「誰にも被害がないように終わらせたりは」

「無理よ。言葉は神様と言っても過言じゃない。口にした言葉は、二度と口に戻りはしない」

 加賀美は傘の下から出ると、雨の降る中透明人間へと歩み寄る。雨粒が彼を濡らし、静けさが空気を重くする。彼の背は何処か悲しげに見えた。

「喝采は赤、称賛は青。惜しむらくは亡き灰の空。共に終わらぬ夜を夢見て。才能開示【再演】」

 彼が金の指輪に触れてつうと宙をなぞると、その軌道に沿って指輪の形状が変わり金の包丁となる。加賀美は筋張った指でそれを強く握ると。

「ごめんなさいね。アンタを放っておいたら、誰かが死ぬかもしれないの。」

 雨に垂れた切っ先は撫でるように、透明人間の首を裂いた。何もいないはずの空間に一瞬、白い人型が浮かぶ。やがてそれはその雁首から黒く蠢くモヤを生み出した。

 雨の降る流れに逆らって、モヤは一筋の線のように浮かび上がると、人の歩くような速度で道路に沿って空を飛び、どこかへ向かい始める。

「さ、追いかけましょ」

 加賀美がぱちんと指を鳴らすと、雨は徐々に勢いを落としてやがて止んだ。ぽつぽつと、電線から落ちる雨音の中、すっかり晴れた空には五樹の心を知らぬように、弧を描いた虹が浮かんでいる。

 二人はそれから二十分程度、モヤの軌道を追うように歩いた。モヤは不可思議にもまるで人が道を歩くように、交通規則に則って進んでいった。

 やがて景色は少しずつ、五樹の見慣れた姿に変わる。カラス避けの緑編み、最近整備された朱色のカーブミラー、隣人の家の整った庭木。

 そしてモヤが辿り着いた一軒家。和モダンな灰塗りの壁と、軒先や二階ベランダの薄茶の木製柵。道路沿いに植わったツツジの低木が、葉の緑を覆うほど鮮やかな白と赤紫に染まっている。

 モヤがその玄関をするりと抜けて家へ入ったのを見て、五樹は家の前で立ち往生する加賀美へ向けて、ぽつりと言う。

「ここ、俺の家」

「なんですって? じゃあ、探し人はアンタ──いや、それならモヤは直接アンタの中に還るはず」

「でも俺は、乙女坂とはなんの関係も──」

 探し人は、同じ場所で感情を吐き出し続けることでそこに産まれる。今回のものは移動せず留まるタイプだったのだから、乙女坂にゆかりのある人間が──

 ふと、考える。五樹は一人暮らしでは無い。けれど両親は家に居らず、ならば残っているのは。

「伊依」

「え?」

「俺、伊依と一緒に住んでる」

 言いながら理解できなかった。加賀美いわく落下の探し人は、死にたいという感情からくるものだ。伊依に希死念慮があると?

 そうは思わない。彼女が歌唱する際に伝達する感情は喜びや嬉しさばかりで、仄暗いものを込めた歌は一つもない。だって負の感情を込めれば、皆が同じ気持ちに──

 思えば、伊依はキルケゴールの元へ来ていた。

 あそこへ来る条件は二つ。直接現地へ赴くか、条件を達成するか。

 人目の無い暗い場所で呪文を唱える。その呪文は自殺スポットへ行くためのものとして、学生の間で噂になっていた。

「伊依は、なんであそこに居たんだ?」

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