第十五話

「加賀美さん、今のって二つ目の才能?」

 煙を吸って咳込みながら、五樹は力なくどさりと床に座り込んで加賀美を見る。彼はじゅうと蒸気のあがる右手を軽く振って払うと、いつものように荒々しく髪を掻く。

「今度説明するから、今は何も聞かないで。まずはあの悪女の拘束を──」

 思えば斑鳩は何処にと、五樹は慌てて周囲を見渡した。するとガタリと、ひしゃげた窓枠に片膝を立てて、創傷まみれの斑鳩が薄笑みを浮かべている。

「炎の才能ですか、分が悪い。この場所は捨てることにしましょう」

 見れば窓の外には、また新たな虚構生物が生み出され、大翼を広げ待ち構えている。

 考えてみれば当たり前だ。ここでは何人もの自殺志願者が遺書を書いたのだから、虚構生物がすぐに生み出せるだろうし、何処かに隠しておくこともできる。

「逃がすか、っぐ」

 立ち上がろうとした五樹の体に激痛が走る。幾度となく打ち付けた肉体が悲鳴を上げていた。見れば加賀美も、遠くで膝をつく哀川も、疲弊した様子で動けないでいる。

「大解放はいつかまた、再び起こることでしょう。身辺整理は手早くお済ませください。では」

「待てッ!」

 五樹の怒号と共に、斑鳩は窓の外へ身を預け、虚構生物がそれを抱えてあっという間に飛び去ってしまう。ばたばたと羽音が遠ざかり、静かになった部屋の中で、加賀美が強く舌打ちをして髪を掻きむしった。

「これは、休憩してる暇は無さそうだね。景、後を追うよ」

「チッ、了解。五樹! 後処理全般任せたわよ」

 二人は痛みに堪えながらも体に鞭打って、足早に階段へ向かっていく。五樹は未だ立ち上がることができず、焦りながらその背中に声をかけた。

「追いかけるって、どうやって! というか後処理って何すれば」

「方法はどうせ後で仙が考えるわ。今はせめて行き先の方角だけでいいから、這ってでも確かめる! 後処理は管理局への通報とか、下の階の様子見とか諸々よ。だってアタシ達二人は法律ギリギリ人間なのよ? アトリエテラスの所在地は何処だって聞かれたら、逃げ場無いじゃない。嫌よそんなの」

 確かに、管理局に仕事を聞かれても、何でも屋ら実質ニート。その上で住所不定、更には私有地立ち入り、加賀美の銃刀法違反疑惑。立つ瀬がないどころか逮捕だ。

「もう五樹くんが全部解決したことにしていいよ、僕らは称賛とかいらないから。かわりに説明全般も任せた。それじゃ」

「あ、うん、了解!」

 返事も聞かず、彼らは時折うめき声をあげながら階下へ降りていった。その背を見届けた五樹は、悼む体を動かす気力もなく、「はぁ」と大きなため息を吐く。

 斑鳩は、大解放が再び起こると言った。あの惨劇が二度も起きれば、果たしてこの国はどうなるのか。

 そして加賀美の扱った炎の才能も有耶無耶になってしまった。

 この先どうすれば良いのか。悩みながら、五樹はスマホを取り出して管理局に連絡をした。



 その後五樹は、階段を登ってきた伊依と香椎に支えられ、部屋の脇の瓦礫の山に腰掛けた。二人は加賀美と哀川に五樹を頼むと言われて来たらしい。

 数分後、三名の管理局員が駆けつけた。中には、コウの元部下である梶谷もおり、五樹は彼らに事態を掻い摘んで説明した。

 梶谷は消失事件の在宅被害者と認識されていた香椎の位置情報を探っており、この建物を示していたことから、調査すべく向かっていたため、通報を受けて早急に駆けつけたらしい。

 彼らは既に遺体の山と部屋の不衛生さを見た後なのか、神妙な面持ちで警戒しつつ階段を登ってきた。

「五樹、これを本当にお前がやったのか」

「まぁ、うん」

 崩落した屋根の瓦礫を指さして梶谷が言う。

 アトリエテラスの名前を出せないことから、五樹が一人で斑鳩に立ち向かい、その後あえなく逃げられたことにした。

 老朽化していた屋根を崩落させたという説明自体は間違いではないため、手順を詳細に説明すると、訝しみながらも納得はされた。

 梶谷は表情を強張らせて声を張り上げる。

「馬鹿なことをするな! もしも相手が何十人も居たらどうするつもりだ、今頃死んでいたかもしれないんだぞ! いいか、お前はまだ子供なんだ。簡単に命を投げ打つな!」

 びりりと、雷が落ちたような怒号に身を強張らせた。梶谷が声を荒げるのを聞いたのは、幼い頃から顔を突き合わせた中で初めてのことだ。五樹は面食らって何も言えなかった。

「お前のその怪我を見れば、酒葉さんは心から悲しんで、お前を心配するだろう」

 いわれて自分の身体を見る。切り傷や打撲まみれで身体が痛んでいたが、まじまじと見た傷跡は痛々しく、目を背けたいほどだった。

 頬につうと触れると、切り傷が固まってぽろぽろと血の塊が落ちる。たこの潰れたごつごつの手は、切り傷と突き指らしきもので青く変色している。何度も打ち付けた腰の色を見るのが少し怖い。

 ボディバッグはいつの間にか胸元に来ていて、そのおかげか辛うじて無傷だ。中の鉛筆の芯は総じて折れていそうだが。

 お気に入りのパーカーは香椎に預けており無事で、五樹は何故かそのことへの安心感が勝ってしまい、危険なことをしたという自覚があまり無い。

 けれど怒られている罪悪感は強くあり、正座をも出来ない身体を動かし、どうにか頭を軽く下げる。

「ごめんなさい」

「管理局員としての説教はここまでだ。ここからは、俺個人の意見として聞いてほしい」

 そう言って梶谷は、瓦礫に片足を乗り上げて手を伸ばすと、ぽんと一度優しく五樹の頭を撫でてくれた。

「よくやった、その勇気は称賛に値する。来るのが遅れて済まない。お前の行動で救われた命が、そこにあるぞ」

 褒められ慣れてなくて、小っ恥ずかしくなって俯くと、梶谷はくすりと笑って離れた。

「少し待て、すぐに救急隊が来る。香椎に有浦。お前たちも一度病院で見てもらおう。香椎は親御さんに──」

「帰りたくない」

 五樹のパーカーを羽織ったまま、香椎がぽつりと消えそうな声で呟く。梶谷は一瞬ぴくりと目元を動かすが、直ぐ様柔和な笑みを浮かべると小さく頷いた。

「そうか。心配しなくても大丈夫だ、管理局で保護しよう。帰れるようになったら帰れば良いさ」

 香椎は自分が消失事件を起こしたと伝えてないのだろう。二人を見てそう思った。梶谷が彼女を見る目は、事件の被害者を見るものだったから。

 梶谷たち局員が斑鳩の対応や下階の調査に追われる中、動けない五樹に伊依と香椎が歩み寄ってきて瓦礫の傍らに腰をかける。

「伊依、ずっと歌ってたの?」

「うん。楽しかったよ」

「そっか、ありがと」

 伊依の歌を聞いて、虚構生物は一瞬動きを止めた。負の感情と正の感情の相対性だろうか。負の感情で動く物を制圧できる伊依だからこそ、虚構生物の動きを制限できたのかもしれない。

「ねぇイツ吉、これあげる。テキトーに捨てるか、他の誰かにあげちゃって。あとパーカー返すね」

 五樹の背中にパーカーを羽織らせて、香椎がスケッチブックを手渡してくる。彼女の話していた、学校の景色を描いたものだろう。

 痛みを我慢しつつページを捲ると、確かに大半のページが消しゴムで乱暴に消してあるが、美しい春の中庭や運動会のテントが描かれたページが所々に残っていた。

「全部消えろって思ったのに、この本は消せなくて。でも見てて辛いから持ってたくないや」

 是非五樹が貰いたいところではあるが、これを貰った羽深が喜ぶ姿が目に浮かんだ。外に出られない彼女に、景色を土産に持っていこう。

「俺の知り合いに、風景画が好きな人がいるからさ。その人にあげたら喜ぶと思う」

「そっか。それならあたしも嬉しいや」

 痛む腕を動かして、その冊子を大事にバッグへ仕舞うと、五樹はそれを大切に抱きしめた。

「ねぇ、嫌いって言ってごめんね、話聞いてくれてありがと。イツ吉って距離感バグってるから、逆に少し安心した」

 香椎は悲しそう目を滲ませて、無理矢理笑みを浮かべた。

 斑鳩を止めても彼女の痛みが消える訳では無い。そうわかってはいたが、救われない彼女を見るのは辛い。彼女はどうか幸せになるよう、祈ることしかできなかった。



 その後五樹は管理局員に背負われて麓へ降り、到着していた救急車で搬送された。梶谷達はそのまま調査を続けるという。

 五樹の怪我は腰部や背中の打撲、擦り傷や切り傷が大半で骨折は無く、数日の安静を言い渡された。

 後日。五樹は哀川と共に依頼人の家を訪れた。

 哀川によると依頼人の娘は、遺体の山の中に居たらしい。遺体は既に警察に引き取られ、間もなく遺族の元へ帰るだろう。

 依頼人の住む一軒家を訪問して、真っ先に扉を開いたのは父親らしき厳格そうな男性。彼は扉を開いて五樹たちを見ると、「まったく、また夜遊びか」と呆れた声で家へ引き返す。まるで五樹など見えていないようだった。

 当惑していると、男と入れ替わるように依頼人こと行方不明者の母親が出てきた。眠れていないのか、目には濃いくまができていた。

 青白い顔色で二人を部屋へ通し、ダイニングの椅子に座らせた。机を挟んで向かいに、しおらしく母親が座る。

「本当に、亡くなってしまったんですね、娘は」

 事件の概要を──虚構生物との戦闘は抜きにして、触りだけ説明すると、母親はハンカチで目頭を押さえ呆然とした様子で呟いた。

「遺書すら残ってないなんて。あの子の思いを知る術が、もう無いだなんて」 

 五樹は何も言えず、膝の上で強く拳を握ることしかできない。

 遺書は既に斑鳩の手で虚構生物化されていたのだろう、どこにも見当たらなかったらしい。遺体が残っていただけマシなのだろうか。

「あの、失礼ですがお父様にこの事は」

 哀川が遠慮がちに口を開く。確かに父親の様子は少し異常に見えた。娘が亡くなったのだから正気で居られる訳無いのは確かだが。

「いえ、違うんです。そうじゃないんです」

 母親が涙を拭きながらに首を振る。

 すると隣室から、ことの本人である父親が入って来て、五樹達へ軽く頭を下げた。

「さっきはすみません、ちょっと立て込んでまして。えっと、お二人が母さんが呼んだっていう探偵の方々ですか? 随分お若いんですね」

「あ、はい」と五樹が驚きながらに頷くと、父親は苦笑いをしながら頭を掻いて、母親の隣席に腰を掛ける。

「いえ失礼しました、年齢は関係ありませんね。お願いします、どうか娘を探してください」

「え」と、五樹は思わず声を返せずに目を見開く。母親が声を殺して泣く嗚咽が聞こえた。

「娘は何か悩みがあったんだと思います。私達はこれまで、それに気づけなかった。だから今度からは親として向き合い、話したい。これまでの事を謝って、これからの事を話し合いたいんです」

 母親は涙を堪えきれず、ついには声をあげて伏せって泣き始めた。父親は彼女を悲しそうに見つめながら、「泣かないでいい。大丈夫、大丈夫」と、しきりにその背を撫でてやる。

 五樹は二人顔を背けて強く唇を噛んだ──その光景は、強く見覚えのあるものだった。

──大解放当時の、伊依の姿だ。

 伊依の両親の遺体は瓦礫に押し潰され、顔と所持品の身分証明書で辛うじて本人だとわかった。

 葬儀はつつがなく執り行われ、伊依は五樹と同居するようになったけれど、伊依は両親の帰りを待ち続けていた。

 死が理解できていない訳では無い。理解した上で、認められないのだ。

 それでも一生目を背けては居られない。両親の死を認めてから──伊依は笑わなくなった。

 どうして両親は殺された、両親が何をした、両親を返せと。毎日泣き叫んで声を枯らしていた。

 そんな伊依は彼女の笑顔が見たくて、五樹は彼女の笑顔を練習した。数ヶ月が経つ頃には伊依も笑顔を取り戻して、やがて両親が褒めてくれた歌の道を目指すようになったけれど。

 その頃の名残で、つい彼女の笑顔を描いてしまう。だから五樹のクロッキー帳には、伊依の笑顔が溢れている。

──母親が少し落ち着いて会話が一通り済むと、両親に深く頭を下げられながら、五樹と哀川はその家を後にした。依頼費は受け取らず、葬式の費用に回してもらった。

「哀川さん」

 言葉もない帰り道で、前を歩く哀川へ耐えきれずに声をかける。

「絶対に、フリークスを見つけよう。俺はそのためならなんだってする」

 数刻の無言が落ちた。哀川の表情は見えずたてだ一定の速度で歩いてから。

「そうか、手を貸すよ」

 振り返りもせず、彼は言った。

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