第十一話

 踏み込んだ建物の内部は、外観と違わず廃れていた。内部構造は小さなオフィスビルに似ている。

 入り口を入るとエントランスのような空間があり、少し奥に折返し階段が見える。窓が割れ、扉が開け放たれた吹きざらしの一階には、落ち葉や枯れ枝がそこここに溜まっていた。

「誰か──」

 誰か居ますかと問おうとして、ふと口を噤む。考えてみれば、被害者だけでなく加害者が居る可能性もある。行方不明者を探すことに夢中になっていて忘れていた。

 哀川がいれば姿を消すこともできたかもしれないけれど。

 どうする? と、加賀美へ視線で訴える。彼は何かを言おうと口を開いて、黙り込む。悩んでいるかのように視線を泳がせて俯いてしまった。

 一度引き返して、哀川が来るのを待つべきか。とするとどれほどかかるだろう──

「ん、新しい子?」

 声がして、五樹は咄嗟に伊依を庇って身構える。加賀美も指輪に手をかけ、声の元を探った。

 見れば階段を下って、十代そこらの少女が近づいてきている。リングエクステのついたマゼンタの髪を二つ結びにした、よれたピンクのパジャマ姿の少女。手すりに手をかけた彼女は眠そうに欠伸を噛み殺し、五樹たちを見ている。

 服装からして被害者側の人間だろう。年の近いのもあり、五樹は緊張の糸を解いた。しかし加賀美を見ればまだ警戒しているようで、少女を睨んだまま指輪から手を離そうとしない。

「あんた、誰?」

「誰って、同じだよ。君たちとおんなじ自殺志願者。まぁまだ死ねてないけど」

 あっけらかんと言って、彼女は力ない笑みを浮かべる。五樹は驚きのあまり言葉を失った。遠目から見た彼女は、病んだようには見えない。しかし近寄ってきた彼女をよく見れば、その目元には黒く濃くくまが刻まれて、唇は青く肌の血色も悪い。

 エクステを付けていたため分からなかったが、髪は長い間洗っていないらしく、べたりと肌に張り付いている。

 来訪者に慣れたような口振りからして、ここに長期滞在しているのだろうか。とすると食事はどうしているのだろう。明らかに体調が良さそうには見えないが。

「あはは、意外そうって顔してる。あたしもよく言われたよ、悩みなんてなさそうって」

「あ、ごめん」

 咄嗟に軽く頭を下げた五樹に、彼女はくしゃりと顔を歪めて、心底楽しそうに笑う。

「謝んないでよ。悩みなさそうって、元気いっぱいって意味じゃん? 褒め言葉だよ。着いておいで、やること教えてあげる」

 少女は返答を待たずに鼻歌交じりにスキップをし、階段をたったと登ってしまう。

「加賀美さんどうする?」

「どうもこうも、追いかけるしか選択肢が無いじゃない。というか五樹、人形の時然りアンタ警戒心はないの? あの子が神隠しの犯人かもしれないでしょ」

「でもまぁ、年齢的に可能性は薄いんじゃない?」

「そういうもの、かしら」

 加賀美が目を瞬かせる。心底驚いている、と言いたげな顔だった。思えば加賀美──それに哀川も、人形の時はユカが犯人だと思っているような口振りで、彼女に接していた。

 確かにその可能性はあったけれど、才能を得る年齢の平均から考えると、不思議とその線は薄くなると思うのに。

 もしかして彼らは、かなり幼い段階で才能を得たのだろうか。そう思えば、子供も才能を扱うものだという考えも理解できる。

「そういうもんだよ」

「マ、アンタが言うなら信じるわ。行きましょ、チビも着いてきなさい」

 納得したのか小さく頷くと、加賀美は顎をしゃくって階段を指し、先んじて歩き始める。

 信じる、という言葉が、五樹の心にじわりと染みた。加賀美にはだいぶ嫌われているように思えていたけれど、その言葉一つで信頼してもらっているのだと思えて。

 自然と口角が上がるのを、頬を揉んで抑える。ニヤけるな。バレたらきっと馬鹿にされる。

「私チビじゃないから! 加賀美さんがでっかいだけだもん!」

 地団駄を踏む伊依に、五樹は「はいはい」と彼女の手を引いて加賀美の後を追った。

 二階の間取りは一階とさして変わらず、廊下の壁に二つほど扉がついている。階段はさらに上へ続いているが、少女は手前の戸口へ入っていった。

 その部屋は、お世辞にも綺麗とは言いづらかった。

 教室ほどの広さをした一室で、側面の壁には隣の部屋へ繋がると思わしき扉がある。部屋の割れ窓はダンボールで覆われ、地面に硝子片が散乱している。唯一残った窓は、換気のためか開け放たれていた。

 天井に吊るされた蛍光灯は点灯しており、入り口の直ぐ脇の手洗い場には水の跡がついている。電気と水道は通っているらしい。

 室内には大きなテーブルが三つあり、それを囲うように長椅子や丸椅子が乱雑に置かれている。

 床には空き缶や汚れたタオルが落ちていた。壁際には埃がつもっていて、部屋の隅ではゴミ袋が山になっていた。

 ちらりと見えた袋の中に、コンビニのパンやおにぎり、お菓子といったものが捨てられているのが見えた。匂いを防ぐためか、袋は何重にもしてある。

──彼女を含めここに来た人は、それを食べて生活しているのだろう。明らかに栄養は偏る。

 室内環境を含め、体に良いとは思えない。

「アンタ、どうやってここを知ったの?」

「ここ、学校で結構噂になってたの。有名な自殺の名所、心霊スポットって感じで。ここに来る方法も出回ってたよ」

「方法?」

「『誰も見てない暗い場所で、何処かに行くイメージをしながら呪文を唱える』だって」

 彼女はやはり学生らしい。

 心霊スポットが噂になるのは、肝試し感覚で考える学生らしいとは思うけれど。

 自殺場所というのは、看過できた話ではない。

 先程の彼女の、自殺志願者という言葉にも引っかかっていたけれど。

 あの呪文と実行方法が、希死念慮に駆られた思春期の子供の間で有名になっているのだとしたら。行方不明になった子たちは、もう──考えて、強く自分の手の甲をつねる。

 冗談でも考えたくない、最悪の可能性だ。

「ねぇ君。君がここに来たのって、死にたいからじゃないでしょ。だって、元気な顔してる」

 椅子に手をかけた少女が、ふと五樹を指さして言う──彼女には悪いが、確かに死にたいとは微塵も思っていない。

「君、名前と歳は?」

「五樹。歳は十七」

「じゃあ、イツ吉だね。そっちの子は?」

「い、伊依です。十六歳」

「イヨ吉かぁ。おにーさんは?」

「名乗る必要ある?」

「あはは、よく考えたら無いね。じゃあおにーさんはおにーさんでいいや」

 何が楽しいのか、彼女は目に涙を浮かべながら声を出して笑う。その笑顔はどこか壊れた人形のようで、情緒の落差が五樹には恐ろしく見えた。

 同時に、今にも死んでしまいそうな危うい存在であることを痛感させられる──自殺志願者というのは、残念ながら嘘ではなさそうだ。

「あたしは香椎一花かしいいちか、十七だからタメでいいよ。イツキにイヨリにイチカだって、三人あわせて胃酸だね」

 何やら痛そうな名称をつけられた。五樹が苦い顔をしていると、彼女は近くにあった棚を漁る。そしてシワの入った紙を数枚と、傍にあったボールペンを三本こちらへ持ってきた。

「これ書いて、できるだけ長文で。そしたら、おねーさんに会えるよ」

「おねーさんって?」

「イカルガ、カガリ? っていうおねーさん。ここに来た皆の遺書読んで、相談に乗って、自殺させてあげてる人」

 斑鳩いかるがかがり。その名前を、五樹は知っている。

 事件記録手帳の中で見た。過去に何百人もの男女に自殺教唆を行い、その事件の残酷さから死刑判決を喰らった女。

 紛れもない、脱獄囚だ。

 頬をつうと冷や汗が伝う。心臓の鼓動が一気に早まるのを感じた。加賀美の様子を伺うと、彼は不機嫌そうに強く舌打ちをして、髪を乱暴にかき乱す。

 スマホを取り出して何かを打ち込む素振りを見せた。哀川に連絡しているのだろう。

「書けって、遺書を?」

「うん。あ、ちゃんと書かないと駄目だよ。おねーさん、相手が本気かどうかわかるらしくてさ」

 五樹は呆然と、半ば押し付けられた紙とペンを見た。遺書をかかせて、斑鳩は何をするつもりなのか。

 これまでここへ来た青少年に、あいつは一体何をしてきたんだ?

 ふつふつと怒りが湧き上がる──それを、唾と共に飲み込んだ。

 感情的になってはいけない、冷静であれ猪戸五樹。そう自分に言い聞かせ、平常を装う。

「嘘ってバレたらどうなるの?」

「一回だけ、嘘の遺書出した人のことを、扉の隙間からちょっこり覗いたことがあるんだけどさ。変な化け物に頭からぱっくりもしゃもしゃ食べられてた」

「どうしよう加賀美さん。俺、喰い殺されるかもしれない」

 震えた声で加賀美を見ると、彼はドンマイと言いたげに、への字口で首を傾げた。その様子を見て、香椎は楽しそうにけらけら笑っている。

「あはは、イツ吉は遺書出さないほうがいいね」

 そんな最中、ふと伊依がぶらぶらと部屋を歩き回って、隣室へ繋がるであろう扉に手をかける。

「ねぇ、この部屋はなあに?」

「ッ、開けちゃ駄目!」

 伊依がそれを僅かに開いた瞬間、香椎が掠れた怒鳴り声をあげる。伊依は驚いて香椎を振り向いた──彼女の身体越しに、五樹はその室内を見てしまった。

 人の死体がある。

 加賀美が勢いよく走り出し、椅子を蹴倒して伊依に駆け寄る。彼女の手を引いて抱きすくめ、自身の身体に強く押し付けて、無理やりその目を覆い隠した。その勢いに伊依の帽子がぱたりと落ちる。

 五樹は紙とペンを放り出して走り寄る。がしゃんと壁に当たったそれが音を立てるのも無視して、一目散に扉を閉めた。

 その最中、五樹は室内を見た。

 そこにあったのは、死体の山だ。

 五樹と同年代の子供が、学生服や私服や寝巻きという種類はあれど。誰かは椅子に腰をかけ、誰かは地に崩れ伏し、誰かは机に横たわって眠るように死んでいた。

 その人数はわからない。十人は優に超えていたと思う。

「か、加賀美さん?! どうしたの急に」

「アンタ、今の見てないわね?!」

 加賀美が伊依を開放する。彼は珍しく心底焦った様子で伊依を見ていた。

「今のって?」

 その言葉に加賀美は安心したように「嗚呼」と声を漏らす。五樹は身体の力が抜けて、扉を背にずるずると座り込むと、両手で顔を覆って溜息を吐く。

 決して心地よい光景ではない。ひと目見ただけで、泥のような嫌悪感と虚無感が心を満たす。

「五樹、何があったの?」

「死体。多分、練炭自殺」

 五樹は震える手でボディバッグから事件記録手帳を取り出すと、斑鳩について記載された数ページを開く。



 自殺幇助五十四件、自殺教唆三十二件、殺人十件。

 これは斑鳩が、約三年のうちに殺した人数である。

 彼女は元々、心理カウンセラーの■■■■だった。

 相談者に希死念慮を植え付け自殺させたのは、彼女の巧みな話術による意思支配に他ならない。

 彼女に相談をして自殺をした者の大半は、相談から自殺までの期間、何の不安も無いような顔をしていたらしい。

 そして皆、決まって同じような場所で、練炭自殺をする。

 森の中、或いは海沿いの崖上。美しい星空が眺められる都会から離れた場所に、ぽつりと車を止めて。

 斑鳩は詩文の表現者である。彼女の才能【カイカウカ】は、負の感情を込めた文章から虚構生物を作るというもの。虚構生物は彼女の背面から産み出される。

 また、斑鳩の虚構生物は人を喰う。

 彼女はそれを食事行為と言ったが、彼女の虚構生物は栄養補給を必要としないタイプのものである。

 彼女は虚構生物に、戯れで食人を命令していた。

 よって彼女はその残虐性と更生の余地がないことから、殺人罪の間接正犯として死刑判決を受けた。

 彼女は事件後、こう語る。

──何故、食う人間と食わない人間をわけていたのか。

「相談者の方々のことは、殺すつもりも、食べるつもりも御座いませんでしたから。私は心から親身になって、皆様のご相談に乗って差し上げていただけに過ぎません。喰らったのは、私と少々相性の悪い方のみです」

──なぜ皆に自殺をすすめたのか。

「皆様のお話を聞き、それぞれとても不幸な境遇にあられるのだと、心から同情しました。なので死んでしまえば楽になる、とお伝えしました」

 その後、彼女は質問に答えること無く一方的に喋った。

「今回の一件で私の才能は成長しました。皆様の感情から虚構生物を作り、そしてその虚構生物で皆様を殺す。それがきっと、皆様のためになるのだと。虚構生物の食した負は、透明な感情になって、静かに夜空を飛び回るのです」



 それ以降、逮捕時の状況についての記載が続いている。

 文字がわざと塗りつぶされた部分もあるが、斑鳩という人間の凶悪性を知るには充分だ。

 彼女の事件については大きく報道され、今でも非道な事件として特集が組まれるほど、事件の残忍さは語り継がれている。 

「ねぇ。斑鳩おねーさんって悪い人なの?」

「へ?」

 思わず間抜けな声が出て、五樹は咄嗟に口を抑える。

「アンタ、知らないの?」

 加賀美があんぐりと口を開けて、眉を顰めながらに香椎を見おろした。香椎は本当に何も理解できないと言いたげに、唸り声をあげながら首を傾げている。

「死刑囚だし脱獄囚だよ。テレビでも何度も特集が組まれてるぐらい。多分、脱獄囚の中でも十位に入るぐらい有名」

「うそ、ほんと? テレビとか見ないからわかんなかった」

 嗚呼、最近はテレビを見ない十代が多いと聞いていたけれど、こういうことか。

 ネットで情報を得られるようになると、興味のない話題は一切目につかなくなるから、脱獄囚は知っていても、彼らが過去に起こした事件を知らない人もいるのだろう。

「でもそっか、考えてみれば悪い人だよね。皆に自殺薦めてたし、こうして死体も放置だし。でも何も言わずここに居させてくれてるから、悪い人に見えなかったなぁ」

 香椎は力を失ったように、ふらりと椅子に腰を掛けて、そのまま天井を仰ぎ見た。

 彼女は笑って怒って悲しんでと、どうやら感情の落差が激しいらしい。五樹とは正反対のタイプだ。

 そんな彼女の様子が少し気になって、五樹はゆっくりと立ち上がると、加賀美が蹴倒した椅子を起こして彼女の向かいに座った。

「香椎は、どうしてここに?」

「やっぱ気になる? じゃあ、皆が遺書書いてる間に話してあげるよ」

 彼女は再度五樹の前へ紙を差し出す。五樹は渋々それを受け取って、斑鳩に合うためにもとりあえず何か描くかと、ペンを走らせることにした。

「ニュースでさ、消失事件ってのやってるじゃん。あれやったの、あたし。嘘じゃないよ。ほら、学生証もあるし」

 ペン先をつけて、驚きのままおかしな線をかく。

──消失事件といえば、連日報道がされて管理局が手一杯になっているあれか。

 軽く投げ渡された赤いカバーの学生証を受け取って見ると、髪を下ろした状態の今より健康そうな顔色をした香椎の写真と、クラスや出席番号などが確かに書かれていた。消失事件があった学校の生徒で間違いない、。

 嘘をついているようには見えない。この状況で、彼女がそんなつまらない話を切り出すわけもない。

 五樹は疑問を飲み込んで、改めて彼女を見た。まずは聞こう、話はそれからだ。

「でもわざとじゃなかったの。自分の犯罪を誇ってなんてない。むしろ──いや、順番に話すね」

「うん。ちゃんと聞くよ」

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