第十話
「さ、お喋りはこのぐらいにして。そろそろ調査にいきましょ」
ソファでだれていた加賀美が、大きく伸びをしながら立ち上がる。
調査のことをすっかり忘れていた。確か加賀美と五樹で都市伝説の呪文の検証、哀川は虚構生物の不法投棄の調査か。五樹は慌てて「うん」と返事をすると、クロッキー帳を丁寧に鞄へ詰めてパーカーを着込む。
「じゃあ、僕は先に行くよ。弥、繋いでくれるかい?」
「はい、花畑の扉を花杜駅へ繋げます。お気をつけて」
羽深の声と共に、先程花畑に繋がった扉がカタリと揺れる。哀川はそれを見てドアノブに手をかけて外へ出る。
戸口の先を遠くから伺えば、確かに花杜駅前の景色があった。どうやら扉は、駅屋舎の側の木造倉庫に繋がれたらしい。まるで瞬間移動だ。哀川は軽く手を振ると、パタリと戸を締めていなくなる。
「お二人もお気をつけて。留守は私にお任せください」
哀川を見送りながら身支度を済ませた二人に軽く頭を下げて、心配そうに羽深が言う。思えば彼女は調査について、何を担当するという話題にあがらなかった。
彼女の才能的に──才能を複数持っている可能性はあるが、戦闘には向いていないように思える。留守番係なのだろうか。
──そもそも才能は戦いに使うものではないが。戦闘がどうのと酒葉に言ったら怒られそうだ。この事は黙っておこう。
「羽深さんは行かないの?」
「私はここから出られません。この空間の元になる絵画を守るために」
「守るって──うわっ」
一体何から守るのか。続けて問うのを阻むように、加賀美が乱雑に五樹の後ろ襟を掴む。
「ほら、くっちゃべってないで行くわよ」
「わかったって。行ってくるね羽深さん!」
早く行くぞと急かす手を振り払って、羽深に大きく手を振ると、靴を引っ掛けて玄関から外へ出た。
「羽深さんって、なんで外出られないの?」
木の根と細かな石のごろついた、緩やかな斜面を下る。ざくざくと足音を鳴らして小枝を踏み締めながら、五樹が耐えきれず加賀美に問うた。
彼は不機嫌そうに三つ編みを指に絡めて、五樹を一瞬だけ振り返ると、あからさまに溜息を吐いて荒々しく髪を掻く。
「昔、嫌なことがあったのよ」
「嫌なこと?」
「死んだのよ、弥の師匠が」
ぶっきらぼうに吐き捨てた加賀美が、五樹を振り返って睨みつける──否、睨んではいないのだろう。彼は怒るというより、悲しそうに眉を震わせていた。
五樹は驚いて足を止める。
羽深の師匠が死んだ? けれど彼女は、五樹もいつか彼に会えると言っていた。
「受け入れられてないのよ、あの人の死が。ずっと心を閉ざして塞ぎ込んで、あの空間に引きこもってるの」
「ずっとって、いつから」
「二年半前、大解放の時」
頭を打たれた心地だ。聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
「弥の空間は、選ばれた人間しか入れないって言ったでしょ?」
五樹は静かに頷く。羽深が許可した人間しか入れないから、五樹も哀川や加賀美と同行していないと、あそこには辿り着けないと聞いた。
「前は誰だって弥の空間に入ることが出来たの。けれど今は違う。弥が人を拒絶する感情が、そのまま空間に現れてるの。居場所を失いたくない、守らなくちゃって」
長年続けたゲームのセーブデータが一瞬で消えた時のような。自分が積み上げてきた物、あって当たり前の何かが崩れる感覚。
身近な人が還らなくなる感覚は、五樹も心臓が痛むほど知っている。怒りと悲しみと、それを凌駕する喪失感。
──後追いを考える人の気持ちも頷ける。あの虚無感は、容易に乗り越えられるものではない。
けれど都市伝説になるほど誰も辿り着けなかった場所に、一体誰が攻められるのか。世界中に何万種類もある才能の中には、羽深の空間に楽々侵入できる力もあるかもしれないけれど。
それはどれ程の確率だろう。
「今日死ぬかもしれない、世界が終わるかもしれないって、一日中考えながら過ごす人が居るかしら。いるとしたら、それは本当に悲しいことよ」
力なく呟いて、加賀美はまた足を進める。五樹はその背に声をかけようと口を開いて、止めた。大人しく彼の背を追う。
羽深の師匠はきっと加賀美にも大切な人だったのだろう。それを失った後、何の言葉をかけられても心が晴れないのも、五樹は理解していた。
「話してる間に、着いたわよ」
加賀美が指をさしたのは、せせらいだ川の側にぽっかりと口を開けた洞穴だった。自然にできたものなのか、大岩と土と木の根が絡むようにして、人が入れそうな大きさの穴を作っている。
曇り空もあってか光が差し込まず、数メートル先は暗闇だ。足音や声が反響し風の鳴る音がする。そこそこ深い洞穴なのだろう。
「アタシが先に試すから、少し経ったら声かけて。アタシが居なくなってたら、アンタも試しなさい」
そういって加賀美は、不確かな足元に怪訝そうな顔をして、スマホのライトを照らしながら奥へと入っていった。
話にはあがっていなかったが、こうしてわざわざ洞穴まで足を運んだのは多分、羽深の空間では神隠しを試せないからだろう。理科でも実験は条件をあわせる。神隠しの条件は不明だが、大前提として現実世界でなければ。
「加賀美さーん?」
二分経って、洞穴の奥へ大きめの声で呼びかける。しかし反応はない──まさか本当に神隠しはあるのか。
五樹は暗い道先にごくりと唾を飲んで、意を決して奥へと向かう。
洞穴内は湿度が高く、むわりとした空気に思わず咽そうになる。湿った岩肌は苔むして、時折天井からぱらぱらと小石が落ちた。
お化けでも出そうだ。五樹は身構えた五樹の足に、何かがこつりとぶつかる。驚いて「ひっ」と情けない声が出て、咄嗟に口を抑えてそれを見る。
石かと思いきや、誰かのスマホだった。
「加賀美さんのスマホかな」
当人の姿は無い。忘れていったのか、届けてやろうと思って鞄に入れる。
自分もここらで試すかと、五樹は壁に背を預けて、冷たい石の地面に座った。身体の力を抜いて目を瞑り、記憶していた言葉を口にする。
「──どろりどろりと人の音 ぼとりぼとりと人の音 暗い穴ぼこ奥深く からすの羽音もなけれども とけた中身は透明に とけた
ひゅう、と、耳元で風音が微かに鳴る。
驚いて瞼を開けば、見知らぬ土の上に座っていた。
目の前には、ここへ入れと言いたげに建物が建っており、地面に『秘密基地』と書かれたぼろい木製看板が杭を打ってある。
建物は土に汚れた打ちっぱなしコンクリート壁の、高い五階建て。アパートのようにも見えた。見上げれば最上部には、天文台を思わせるドームがある。
剥き出しの錆びた鉄柱と、ひび割れた壁面は蔦に覆われている。建物奥に生えた幹の太い大木と合わさったように隣接する様は、人工物にしては構造と用途が不明だ。誰かが才能で建てたのだろうか。
「アンタも来られたのね」
側に植わった木の陰から加賀美が顔を出す。先んじて来た彼はここいらを探索していたのだろう、額に汗を滲ませている。
「加賀美さん、スマホ忘れてたよ」
「助かったわ。アンタは忘れてないの?」
「俺は鞄に仕舞ってたから。文章も覚えてたし」
「そう。アタシはあんなの覚えてらんないから、スマホで見ながら読んだわ」
もしかして、皆がスマホを置いたまま行方不明になったのは、それを手に持っていたからだろうか。このワープのような物が人間と身につけているものだけを対象とし、所持物は置いていかれたのかもしれない。
暗い場所という条件に関しても、少なくとも一定の暗さがあれば良いのだろう。人目につくかどうかの条件もあるかもしれない。
「ここ、どっかの山の中みたいね。遠くの方に村みたいなものが見えたわ」
「あ、位置情報って機能してんのかな」
そう思いスマホで現在位置を確かめると、朝霧村から少し外れた山中を示している。朝霧村は、確か哀川が虚構生物の不法投棄の調査に行くと言っていた場所だ。
「花杜山と似てるとは思ってたけど、数キロしか離れてないのね。とりあえず仙に連絡して、ここに直行できるか試してもらうわ」
「登山じゃん、かわいそうに」
心のなかで合掌をした、南無三。
その時、「あのぅ」と高い声音の声がした。五樹は驚きのあまりびくりと飛び跳ねながら、声のしたほうを見る──どこか聞き覚えのある声のような。
少し離れた高い木の木陰に、小さな人影が一つ。
「アンタ誰?」
警戒したように加賀美がそちらを睨みつけて、指輪に軽く手をかけつつ唸るような声を出す──ナイフを作ろうとしているのか、淡く金の光が彼の筋張った指先に湧く。
人影は怖じたようにびくりと震えて、降伏するように両手を高く掲げて木陰から飛び出してきた。
「て、敵じゃないよ、私だよ!」
遠目でもわかる。白いベレー帽を被った、水色の髪の少女。間違いない、伊依だ。
「伊依! なんでこんなとこに」
五樹が駆け寄ると、彼女は困ったように頬を掻いて首を傾げる。
「帰ってる途中に、気づいたらここにいたの」
伊依は不思議そうな目であたりを見渡していた。歩み寄って来た加賀美にちらりと目配せをすると、彼は指輪にかけていた手を外して眉を潜める。
五樹たちをここへ移動させた才能を、仮に神隠しの才能として。暗い場所や呪文を唱えるなどの制約があるのは確実だが、他にも発動の条件があるのかもしれない。
「本当に情報集めが足りないわ、こんな状態で乗り込んだのは初めてよ」
チッと強い舌打ちと共に、加賀美が髪を掻く。伊依はそんな彼と五樹を見比べて、なおも不思議そうな顔をしていた。
「五樹こそなんでここに?」
「話せば長くなるんだけど──」
そうして伊依に、行方不明と神隠しについて、呪文を試したらここへ飛ばされたという事の経緯を説明する。彼女は首を傾げながらも一応理解はしたらしく、五樹へ同行すると言う。
「じゃ、まずは他の人探そっか。これみよがしに建ってる塔に、誰かしらはいると思うし。状況把握もしたいしね」
大きな溜息と共に渋々頷いた加賀美が先陣を切って、三人は建物へと入っていった。
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