第十二話

「あたし、人に嫌われやすいんだよね。気遣いが苦手でさ。痩せたいって言ってる子に、もう充分痩せてるよって言うとか、そういうお世辞が嫌いなの。痩せたいって言われたら、痩せろブス! って、冗談でも本音でも言い合える友達が欲しい。甘やかしても相手のためにもならないしね」

 確かに、その気持ちは分からなくもない。友人なのに気を遣ったり顔色を窺ってばかりの関係は窮屈だ。限度はあれど、気楽に話して遊べる方が楽しい。

「で、こんな考えのおかげで、いつメンからハブられたってワケ。メッセのグループも、あたし一人残して全員退会したよ。ご丁寧に【一花が大人になれるように、一花のためを思ってだからね】ってメッセ残してさ。面白いよね、あたしをグループから蹴れば済むのに、わざわざ皆で抜けて新しいグループ作るの。なんでかわかる?」

「うん、わかる」

 五樹は小さく頷いた。

「いじめられた、って先生に通報される可能性無くす為だよね」

「あったり〜」

 誰かを蹴れば、それでいじめの可能性が浮上する。蹴られた事をスクショして、先生に通報されるかもしれない。証拠が残れば言い逃れはできない。

 皆が自主的に抜けただけなら、何も問題は起こらないから。

「で、いつメンに明らかに避けられるようになったら、クラスの皆も事情は察する訳じゃん。めでたくあたしはクラスから孤立したってワケ。そっからはもう地獄だったよ。昼ご飯食べるにも居場所なくて、冬なのに裏庭のベンチに座ってさ。授業中に発言するときも、どっかから笑い声が聞こえんの。んであとは陰口。あたしをイチカスって呼んでるのも、全部聞こえてんだよね。ダッサいあだ名」

「それって、先生に言ったりとかは」

「あはは。イツ吉って、人の気持ち汲めないタイプ?」

「あ、ごめん」

「冗談だよ──うん、こういうところが嫌われてたのかな。あたしもいじめって確証ないんだ。ただ自意識過剰なんじゃって思っちゃう。暴力も、教科書を捨てられてもないの。ただ避けられるだけ。最近のいじめって怖いよ、証拠が残るようなことしないの。だから余計に陰湿ってカンジ。証拠も無いから先生にも友達にも相談できない。友達いないけど」

 あはは、と乾いた笑いをこぼして香椎は頬を掻いた。五樹ももはや笑うことしかできなくて、引きつった笑みを浮かべながら遺書を書く。

 ちらりと伊依や加賀美を見れば、伊依は椅子に体育座りをして顔を埋め、加賀美は五樹たちに背を向けて机に腰掛け、遺体のあった部屋の扉を見ている。二人の表情は見えない。黙って会話を聞いていた。

 直接悪口や暴力を振るわれているのなら、録音をしたりで自分で何かしらの証拠を作ることができるだろう。

 けれどそれすらできない。

 陰口は確かに悪口だけれども、その手の輩は本人が近寄った際はあからさまに黙る。直接言えば、証拠になりかねないから。

 証拠が残れば言い逃れはできないけれど、証拠が何も残らないのであれば、何も行動ができなくなってしまう。

「でね、あたし絵描くの好きなんだ。教室の窓の外の景色とか描いてた。で、あたし教室の一番左後ろの席に座ってて、席の後ろにゴミ箱があってさ。あいつらゴミ捨てるフリしてあたしの後ろを通って、絵チラ見して笑いながら席に戻るんだよ。それもご丁寧に一人ずつ」

「──嫌だね、そういう卑屈なの。俺が一番嫌いなタイプだ」

 彼女は淡々と、あっけらかんと語っている。自分の身に起きたことなのに、他人事のような語り口だ。それがあまりにも辛くて、五樹は涙が込み上げてきそうになったのを、唇を強く噛んで堪えた。

 五樹の心臓がぎゅうと掴まれたように悲鳴を上げた。彼女の話を聞くと言ったけれど、何故か胸が苦しいのだ。

 暴力や殺人といった目に見える悪事も嫌いだが、他人を傷つける意図を持った行動も嫌いだ。見えなければ良い訳では無い。

 そんな意味のないことをする人間の気持ちは理解できないし、したくもない。

「それで、流石に我慢の限界が来てさ。いつもみたいに昼休みに絵描いてたの。その日はやけに悪口と笑い声が気になって、『うるさい!』って叫んじゃったんだ。そしたらクラスは静かになるし、皆があたしのことを変な目で見て来て。急に、叫んだのが恥ずかしくなって」

「うん」

「教室から逃げたくて、荷物持って保健室に行って『体調が悪いので早退します』って伝えて逃げ帰って──その日から、学校にいけなくなったんだ」

「──うん」

「その日は金曜日だったから、土日ずっと布団のにこもって考えてた。そしたら怒りと後悔と自暴自棄と頭が混乱して、こんなの描いてたから駄目なんだって、絵を全部消しちゃったの。そしたら、ネットニュースで、学校から全員消えたのを知った」

 管理局内ではどうかわからないが、少なくともニュース上で香椎が犯人とされた様子はない。

 当時学校に居た生徒と、欠席していた一部生徒が被害者という話だ。彼女は被害者の一部生徒として扱われているのだろう。

 彼女の才能の原動力は、間違いなく学校へ対する憎悪だ。

 消えろと願ったら消えた。ただそれだけ。

──それが、どれほど辛いことか。同情はできても、彼女の気持ち全てはわからない。

「逃げるようにここに来たよ、家族に会いたくなくてさ。あ、両親はいい人だよ。お父さんは天然だけど頼りになるし、お母さんは厳しいけど優しい人。可愛い姉妹もいるの。でも、帰りたくないの。だって、娘が犯罪者だって、知られたくないんだよ。申し訳ないんだよ。こんな駄目な娘に育っちゃったことが」

 彼女はぽろぽろと涙を流した。口を開こうとして、涙を手の甲で強く握って、その手がぐちゃぐちゃに濡れて。

 これまでもそうやって何度も泣いたのか、擦りすぎた頬は僅かに腫れて赤くなっていた。血色の悪い肌に頬だけが赤みを帯びている。

「あたしの性格が子供なのはわかる。でも大人になるって何? 馬っ鹿じゃないの? 斑鳩おねーさんに言われたよ。『貴方のためにと口にするだけの人間は、決まって自分のことしか考えていません』」って。だから、あたしのやったことは正しいんだなぁって思っちゃった。あいつらが全員悪いんだ、消えて当然だよ」

 はは、と掠れた声で笑いながら、香椎は俯いた。五樹は彼女を見て、爪が食い込むほど強く拳を握る。

 五樹は彼女を、どうしてやれば良いのだろうか。

 ここのことは、後で管理局に通報しなければならない。遺体もあるし、これ以上被害者を増やす訳にもいかないのだから。

 けれどそうしたら、彼女はどうなる。消失事件の犯人として逮捕されてしまう。まだ未成年だから本名は公開されないが、相応の処置はされるだろう。

 何百人という人間が被害にあっているのだから、規模としては脱獄囚の事件と同じぐらいだ。

──消失の才能を解除して、皆を元に戻すことができたら、罪は軽くなるかもしれない。

「加賀美さん、才能って解除できるんだよね」

「基本はね。アタシの才能の場合は解除しても変えた形のままだし、炎の才能で放火して燃え広がったりした時は、解除しても意味ないけど。その子の消失は、解除で元に戻る種類だと思うわ」

「解除ってどうやんの?」

「簡単よ、解除したいって考えるだけ」

 それならば、香椎が救われる可能性はまだある。

「香椎、まだ救いは──」

「しないよ、解除なんて。だって、ようやく全員消えたんだもん。というか、救いって何? あたし今、もう幸せなのに。勝手に決めつけて話さないで」

 伝えようとした言葉を遮って、香椎が五樹を睨みつける。俯いたまま眉を寄せて、目だけをぎょろりと動かして五樹を見るその目線は、突き放すように冷たかった。

 言葉を間違えた。そう思って、五樹は早鐘を打つ鼓動を落ち着かせるように、服の上から強く胸を抑える。

「今はこの世界のどこにも、あたしの悪口言うやついないんだ。だからすごいいい気分。すごい爽快な、はずなのに」

 顔を上げた香椎の頬を、つうと涙が伝う。

「あ、無理だ、死にたいや」

「駄目だよ、死ぬのだけは」

「なんで?」

「──わからない。死んじゃいけない理由なんて、本当は無いんだと思う」

 生きていたらいつか良いことがある。そう言えたらどれほど楽だろうか。

 そんな綺麗事を言って救われる心なら、彼女は今こんな場所に座っていない。

 死にたくなってしまう人は、追い込まれすぎて死以外の選択肢が見えなくなると聞いた。だからといって、それを解決する術があるわけでも無い。

 けれど香椎には、確実に彼女の死を悲しむ人が居る。両親と姉妹はきっと泣いて、死んでしまった理由や香椎の気持ちもわからずに苦しみ続ける。

 置いていかれた側の気持ちだから、その悲しみだけはよくわかる。

 五樹の中に、将来の不安や絶望は無い。今はないだけかもしれないけれど。

「ごめん。俺は、誰かが死んで置いていかれた側だから。香椎より、遺される家族のことを考えた。家族は多分香椎が死んだら悲しむよ」

「なんで悲しむの?」

「俺は香椎の家族じゃないからわかんないけど。多分、バラエティを一緒に見られなくなるとか、ゲームで一緒に遊べなくなるとか、そういう理由で」

「あはは、自分勝手なこと言いやがって」

「ごめん」

 彼女にかけるべき正しい言葉がわからない。

 彼女を救う方法がわからない。どうすれば、香椎は幸せになれるのだろうか。

 今この状況が幸せであって良いはずがない。彼女の精神衛生にも、肉体的にも良くないのに。

 何か手立てはあるはずなのに、それが微塵も思いつかない──アトリエテラスの三人なら、この場面はどう切り抜けるだろうか。

 しかし加賀美を見れば、彼は何も言わずに背を向けたまま。何か口を開く気配もなかった。

 香椎はぼろぼろと涙を零す。けれどそれを拭く素振りも見せず、涙はぼたぼたと彼女の薄着のパジャマを濡らす。

 せめて落ち着かせてあげられたら。そう思って五樹は自身の服の裾で彼女の頬を優しく拭い、気休め程度に柔く頭を撫でた。

 香椎は驚いたように目を見開いてから、にやにやと笑みを浮かべる。

「あ、セクハラだ。サイテー」

「同年代でもセクハラって適用されんの?!」

「あはは、あたしイツ吉のこと苦手かも。フレンドリーすぎて逆にウザい。でも、クラスのあいつらよりは、百倍最高じゃん」

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