第八話

 花杜駅前で加賀美と合流し、アトリエテラスへ向かう。昨日と変わってまだ日の高い今日は、山道も大して暗くは無かった。

 お邪魔しまぁす、と気の抜けた挨拶をしてガレージへ入る。リビングの茶色いレザーソファに腰掛けた哀川が、天気予報を静かに眺めていた。どうやら今日はスッキリしない天気が続くらしい。

「あら五樹さん、こんにちは」

 窓際のロッキングチェアに腰掛けた羽深が、小さく頭を下げて本を閉じる。その表紙をちらりと見れば見覚えのある題が。

「こんにちは。あ、『いわおせんせい』だ」

『巌せんせい』は、父である猪戸コウの代表作だ。彼の巨人の才能も、これが元になっているらしい。

 舞台は戦前から戦後にかけての日本。男性の平均身長が百六十ほどだった時代に、百八十もの上背があった、巌という小学校教師。彼がある日兵役に赴くことになり──という話。百年前にあった才能の戦争を元に書いたんだとか。

 もちろん読んだことはあるが、授業では未だ習っていない。高校三年生で習う予定と先生に聞いた。

「えぇ。ふと読んでみたくなったので」

「それ結構難しいのによく読めるね。俺、今でも読める自信ないよ」

 五樹が小学生の頃初めて読んだ時は、内容の意味がわからず、作者本人であるコウに直に聞きに行った。苦笑いと共に解説してくれたのを覚えている。

「難しくはありますが、面白いですよ」

「そっか。羽深さんって俺と歳変わんないように見えるけど、すごいね」

「え、私、そんなに幼く見えますか?」

「弥は十九歳よ。今年で二十歳」

 二歳差、といっても彼女ぐらいの歳の人は、大人っぽく見えると言われた方が喜ぶ。言葉を間違えたと思い、五樹は慌てて頬を掻いて誤魔化す。

「その、肌とか綺麗だから若く見えて──か、加賀美さんと哀川さんは何歳?」

 話を逸らせば加賀美があからさまに溜息を吐く。

「仙は今年で二十三、アタシは二十五になるわ」

「哀川さんって加賀美さんより歳下なんだ、同い年だと思ってた」

 哀川を見れば、名前を呼ばれて驚いたのか、ソファの上で小さく跳ねていた。彼はこの会話の最中、なおも天気予報を見ていたらしい。遅れて気づいたと言いたげに苦笑いをしている。

「嗚呼、五樹くんか。来てたんだね。何か飲むかい? 紅茶か珈琲か」

「じゃあ珈琲で」

 キッチンへ向かう哀川を横目に、覚束ない手付きでコートハンガーに上着を掛けて荷物を下ろす。僅かに開いた鞄の隙間からクロッキー帳が見えて、ふと梶谷の言葉を思い出した。

 女性を描いてみろ、という話。伊依だけでない人のことも練習しておいた方が良いのかもしれない。それに折角哀川を描いたのだから、他の二人のことも描いてみたい。

「ねね、羽深さんのことクロッキーしてもいい?」

「もちろん構いませんよ」

「やった! 加賀美さんも描くから待ってて」

「あら嬉しい、待ってるわ」

 五樹はダイニングチェアをギィと軋ませて座り、クロッキー帳を机に──置こうとして、食事場所に筆箱を置くべきではないと思い、渋々道具を膝に乗せる。向かいの椅子に腰掛けて羽深が、今か今かと輝かせた瞳でこちらを見ている。

 しゃんと背を伸ばした彼女を描き始めると、トレイに載せた食器をカタカタ揺らしながら、哀川が五樹から少し離れた位置に珈琲カップを置いた。

 絵を描く際に手をぶつけて零さない為の配慮だろう。「ありがとうございます」と頭を下げると、彼は笑いながら五樹の隣に椅子を引いて座る。

「五樹くんも来たことだし、次やることの話をしようか。描きながらで良いよ」

「次やること?」

「嗚呼。君の助言のお陰で、依頼がメールで一件来てね。行方不明の娘の捜索依頼だ」

 五樹の提案により、駅前掲示板に募集広告を貼るだけでなく、ホームページの作成も行うこととなった。それらに記載されたメールアドレスへ依頼を送ってもらい、文面上もしくはこちらが訪問する形でやり取りすれば問題ない。

 哀川はリビングを指さした。見れば、彼が先程まで座っていたレザーソファの前に、シックなローテーブルが置かれており、その上には資料らしき紙束が数束積まれている。

 加賀美がそれらを抱えると、ダイニングテーブルにのせて羽深の隣に腰を下ろす。無遠慮にそれらが置かれるのを見て、食事場所がどうのと配慮した意味は無さそうだと悟り、思わず苦笑いした。

「メールの内容を要約すると、二週間ぐらい前からその家の娘さんが行方不明らしくて。警察にも届け出を出したけれど、進歩が無いから依頼してきたとのことだ」

「調べてみたら最近、冬境とうきょう郊外──特に八桜子はちおうじ近辺の市で、行方不明者が増加してるみたい。駅前で捜索のビラ配ってる人がいたわよ」

「これって、消失事件と関係あんのかな」

「わからないけど、何かしらの才能は関係していると思うわ。今回のは、家出にしてはどうにも変なのよ」

 加賀美が気怠げに溜息を吐いて足を組む。紙束から二枚の資料を五樹に差し出してきたので、手を止めてそれを受け取った。

 うち一枚は、行方不明者に関する過去の統計のようだ。

 ここ数年での年間行方不明数平均、年齢内訳や数日単位での平均が記載されている。中でも十代が占める割合は、高年齢層の認知症による失踪を遥かに上回る数字を記録。行方不明の理由は、学業や就職に対する不安、家庭や友人などの人間関係トラブルなど。

「実は行方不明って、元々少なくはないの。十代の子供は、全国で一日に五人は行方不明になってる。でもこれは届け出が出ている分だから、実際はもっと多いかもしれないわね」

「じゃあ、異常だね。全国で五人から十人なのに、この資料を見る限りじゃ──」

 寄越された資料の二枚目を見る。ここ数日の八桜子市内や周辺で報告または捜索が行われた、十代の行方不明者数について。

「嗚呼。八桜子近辺だけで、一日に軽く十人は行方不明になっている。届け出がない分もあると考えると、明らかに多すぎる」

「何か痕跡は残ってないの? スマホのGPSとか、目撃情報とか」

「スマホに関しては駄目ね。家に置きっぱなしか、位置情報オフにしてるかよ」

「目撃情報に関しても望みは薄いです。何故か痕跡が全く残されて居ないんですよ。外出したはずなのに誰も見ていなかったり。おかげで捜査も難航しているようです」

 十代の子供が、捜査の手が届かないほど徹底的に痕跡を消すなどできるのだろうか。

「なんか神隠しみたいだね」

「嗚呼、その通りだ。これを見てくれるかい」

 哀川が数枚の紙を手渡してくる。うち一枚は都市伝説掲示板の書き込みが。

『誰か助けて、急に知らない場所に来た。廃墟みたいなとこで人が沢山死んでる。自殺スポットかな』

『【どろりどろりと人の音 ぼとりぼとりと人の音 暗い穴ぼこ奥深く からすの羽音もなけれども とけた中身は透明に とけた外見《そとみ》は泥濘ぬかるみに】』

『これ唱えたら来た』

 残り数枚は、複数名のネットの呟きのようだ。

『冗談でアレ試したらマジで来た。他にも人居る、アレは暗い場所でやるといいらしい。皆スマホ忘れたらしいから、俺のスマホ国宝扱い』

『例のやったら本当に変なところに来た。家に居たくなくて、親にバレないように押入れでやった』

「都市伝説というのは、実際の事件に尾ひれがついて生まれることが多い。今回は鶏が先か卵が先かという感じだけれど」

 どちらが先か。つまり誰かがこれを偶然試して都市伝説が広がったのか、意図的に誰かがこれを広めて都市伝説化したのか。

 哀川いわく、現代の都市伝説や怪奇現象は、才能絡みのものが多いという。先程の呪文が才能発動のスイッチなのだろうか。

「で、依頼者の娘さんについて話すわね。十八歳の女子高校生で──不登校だったらしいの。お母さんが専業主婦で、行方不明になった日も家に居たようだけど、玄関を開ける音はしなかったって。娘さんは寝巻きのまま行方不明になって、スマホもベッドに置きっぱ」

「暗い場所にこもる、スマホ──布団の中でこれを試して、何処かに行った?」

 暗い場所、というのに明度の指定があるかは不明だが。

 都市伝説、それもネット上の情報のためどうも信憑性が薄い。哀川達はユカの人形も含め、ずっと眉唾な方法で対処していたのだろうか。怪奇現象を解決するのに、現実味を持ち込む五樹がおかしいのか。段々と混乱してくる。

「そっちの紙束は何の資料?」

 机の隅に退けるように置かれた紙束を指差すと、哀川がそれを軽く突いて苦笑いをした。

「嗚呼、これは行方不明とは関係ないよ。【虚構生物きょこうせいぶつ】が不法投棄されてるかもって話さ。八桜子の隣にある朝霧村で問題になっていてね、調査に行こうと思って」

 虚構生物とは、才能によって無から産みだされた生命だ。

 作者の指示に合わせて動いたり、作者が想定した行動──猫の虚構生物なら毛づくろいなどを行う。命令と行動の間に自我は介在しないとされ、認識としては動く掃除ロボットに近い。

「へぇ、最低なことする奴もいるんだね」

 虚構生物の不法投棄は犯罪だ。買ったペットは責任を持って飼うのと同じく、虚構生物は作者が管理しなければならない。

──虚構生物はその自由さから、取り扱いに関して度々社会問題になっている。

 作者本人による虚構生物に対する暴行は犯罪なのか。動物の形態の虚構生物は動物愛護法による動物の適正な取り扱いに違反していないか。

 空想上の生物を含め、様々な形態の虚構生物を売買する行為は道徳的にどうなのか等だ。

「急にやることいっぱいだね」

 積み上がった紙束の端を摘んで、思わず他人事のように呟いた。彼らの仕事を手伝うと言ってしまったのだから、これから五樹も忙しくなるのに。

「まぁ、急ぎの仕事は行方不明の方だからね。そっちは五樹くんと景に頼もうと思うよ──万が一が起きたとしても、僕の才能は大した戦力にならないから」

「あ、思いだした。俺の才能ってどうやって使うの?」

「嗚呼、才能を発動すること自体に大したルールはないよ。世界観と実力は前提条件だからね。発動自体は、使いたいと考えるだけで良いんだ」

「そうなんだ」

「口上だけ決めておくと良いよ。この言葉を発動したら才能を使う、という思考の切り替えになる──なくても使えるけれどな」

 魔法の呪文を自分で考えるようで、どことなく恥ずかしさがあるような──ふと思いだしたように加賀美を見る。

「戦力って、そういや加賀美さんの才能! まだ教えてもらってなかった」

 机に肘をついて呆けていた加賀美が、げんなりした顔であからさまな溜息を吐く。聞くなと言われたけれど、やはり気になるのだから仕方ない。

「はぁ、金属の形状変化よ」

 といって加賀美は彼の筋張った指から、金の指輪を一つ抜き取った。彼がそれをつうと指で撫でる。

 すると金の指輪は瞬きの間に光沢のある流動系になり、彼が宙を撫でた指の軌跡に沿って、うねるように伸び。

 やがてそれは、金のナイフへと変化した。

 それを見て思い出す。くまの人形の背に刺さったのも、これと同じく金色のナイフだった。

「まさかくまのナイフも?」

 問うと、加賀美は居心地が悪そうにそっぽを向いて頷く。五樹は思わず椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「武器制作って、犯罪じゃん! 私有地立ち入りよりもよっぽどやばいよ!」

 才能の問題もあるが、そもそも日本の法律で武器製造は禁止されている。銃刀法違反の問題もあるだろう。

 問い詰めると加賀美は、首がねじ切れるのではというほどに五樹から顔を背けた。

「その反応察してたから言いたくなかったのよ。制作してないわ、形状を変えてるだけ。というか指輪をナイフにしたんじゃなくて、ナイフを指輪にしてるの。金属だけでできたナイフの形を変えて、好きなアクセサリにしてるだけ」

「それならギリギリセーフ……なの?」

 武器を作っているのではなく、ただナイフを作り替えているという理屈なのだろう。そしてナイフを持ち歩いていないのならば、銃刀法違反には該当しないだろう。

 また法律の抜け穴だ、ずるい大人のやることだ!

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