第六話

「罪のない人々が、正しく生きられるように──人を脅かす悪人は、死んで然るべきだ」

 五樹の母は精神を病んで、郊外の病院に入った。生活に関しては、父が残した貯金があるから不自由は無い。国の制度も利用している。

 苦しんでいるのは五樹だけではない。伊依は両親を殺されて、引き取り手がなく天涯孤独になった。だから現在は五樹と二人暮らしをしている。

 伊依は今でこそ元気だけれど、一時期は全く笑わなくなった。

 酒葉はそんな二人を気にして、何か不自由は無いかと声をかけ、病気の際は病院へ連れて行ってくれる。

 今後伊依が、怯えて眠ることが無いように。いつまでも笑顔を絶やさないように。

「そうかい。それは、返答に困るね。殺しを肯定するわけにも──そういえば五樹くん、先程自分に才能は無いと言っていたけれど、あれは本当かい?」

 悩みこんだ哀川が、ふと思い出したようにいう。五樹は誤魔化すように笑って頭を掻きながら彼を見上げた。

「あはは、恥ずかしながら」

「そうか、ならそれは勘違いだね。君に才能はある。表現者としてとびきりのがね」

 彼の言葉に面食らって声も出なかった。彼はそんな五樹を見て誇らしげに笑う。

。相手を前向きな気持ちにさせる才能じゃないかな」

「なんでそんなのわかるの」

「君に絵を描いてもらってから、自然と口角が上がるんだ。何故か不思議と笑ってしまうんだよ」

「そうか、そうなんだ」

 五樹は静かに自分の手を見つめる。才能を手に入れたと言われても実感がわかない。

 前向きな気持ちにさせる、伊依の感情共有と似たものだろうか。負の感情が元になるのなら、これは執念か。

 心の奥で沸々と高揚感が湧き上がる。思わず小躍りしてしまいそうなのを、強く手を握って堪えた。口元が緩む。そうか、才能を得たんだ。

 喜びを堪えきれず立ち上がる。哀川がくすりと笑い声をあげて、五樹は恥ずかしくなって自制した。

「嗚呼そういえば質問なのだけれど、僕と景は今、どんな容姿に見える?」

「えっと、哀川さんは高そうなジャケットを肩にかけてて、黄色い目が綺麗。加賀美さんは髪が長くて三つ編みで、強そうなライダース着てる。どっちも丸眼鏡つけてるけど、丸眼鏡好きなの? 二人ともめっちゃお洒落だね」

「あらありがとう、丸眼鏡は色々理由が──って、アタシのことそう見えてるの?」

「え?」

 驚いたように自身の身体を見下ろす加賀美を見て、五樹はとぼけた声をだす。

「僕は普段から自分の姿を、幻で上書きしていてね。本来と違う姿になってるんだ。だから君が僕を描いた時に本当に驚いたよ。本来の姿なんだもん」

──僕はこう見えているのかい?

 そういえば哀川にそんなことを言われていた。あれは、見えないはずの姿を描いたからか。絵の下手さを指摘されたようで、一人で傷ついていた。

「下手って言われたのかと思ってたや」

 頭を掻いて苦笑いをすると、哀川は強く首を振る。

「そんなことは無い。僕は君に描いてもらって嬉しかったよ」

「えへへ、そっか。にしても、なんで本来の姿が見えたんだろ。幻どっか調子悪いの?」

「いや、僕の幻は精度の低いものじゃない──君は物の外面を捉える力が高いんだろう」

「外面を捉える力?」

「嗚呼。君のその、容姿を描写することへの異常なまでの執念と、才能を得ようとする執着が、目を鍛えたんだろうね。審美眼というやつだ」

 褒められているようで、小っ恥ずかしくて頬を掻く。哀川は少し不服そうに眉を寄せて、「嗚呼」と手を打った。

「でも、幻を全て見透かせるわけでは無いのかな──大通りの桜は綺麗だったかい?」

「え、うん」

「なら、僕の腕も落ちていないようだ」

 ふと思う。大通りの桜はあんなにも咲き乱れていたのに、ここのはもう葉桜だ。今年の冬は寒くて、桜の開花も遅かったけれど、それにしても大通りの桜はあまりにも美しかった。

「もしかしてあれ、幻?」

「花見をするのに、葉桜では物足りないだろう?」

 つうと頬を冷や汗が伝う。大通りの並木道いっぱいの桃色が幻なら──並木は元からあるものだけれど、花が幻と全く気がついていなかった。

 五樹が唖然としている間に、哀川は加賀美の道へ口を寄せて何か内緒話をしている。加賀美はそれに少し不快そうな顔色をして、直後大きな溜息と共に眉間のシワを抑えてそっぽを向く。

「よし。五樹くん、君の依頼を引き受けよう。代わりに君も、調査に協力してほしい」

「もちろん! よろしくお願いします!」

 姿勢を正して深く礼をすると、加賀美が再度溜息を吐く。

「それじゃあ着いておいで、僕たちの拠点へ案内しよう」


 三人は電車に乗って、八桜子駅から二駅ほど山に入った花杜はなもり駅に降りる。そこには背の高い木々が隙間なく生い茂る、山景色が広がっていた。

 日は暮れて空は暗く、街灯の薄明かりを頼りに道を歩く。山の空気は肌寒く、すんと鼻を鳴らせば草木の匂いがする。木造屋舎の駅掲示板には乱雑にポスターが貼られ、ばたばたと風になびいていた。

 どことなく懐かしさを感じる寂れた景色の中、興味津々に左見右見する五樹の襟首を呆れ顔の加賀美が引っ掴む。

「こっちよ、着いてきなさい」

 えずきながらも、五樹は大人しく二人の背を追った。舗装された坂道を登って山を登る。少し歩むと二人は、石畳の道をそれて草藪の中へ踏み入った。

 獣道を怖じけず進む二人を見つつ、五樹は心配になり周囲を見る。もはや街灯もなく道には岩や木の根が露出していて、時折足をとられながら進んだ。

 ぼうぼうに生え伸びた低木の枝と絡まった蔦の合間を抜け、苔むした倒木などを横目に歩いて、さすがの五樹も声を絞り出す。

「ほんとにこの道であってるの?」

「えぇ」

 五樹は幽霊が苦手だ。先も見えないほど暗闇に落ちた山道は、即座に走って逃げたいほど恐ろしい。

 足音にも怯えながら歩くと。「ふべっ」と、立ち止まった加賀美の背にぶつかり情けない声を出す。

「着いたわよ」と彼が指差す先を見る。

 そこは鬱蒼と茂る木々の中、林冠の合間にできた、僅かな月明かりの差す空間。そしてその中心にぽつんと建った古臭いガレージ。

 トタンの屋根は元の色もわからないほど錆びついて、打ちっぱなしのコンクリート外壁には枯れかけの蔦が所狭しと絡みついている。伸び放題の雑草の中に、何度も踏まれて潰れた草の獣道ができていて、それはガレージの裏手に続いていた。

「車にでも乗るの?」

「違うわよ、ここが目的地」

「そんなまさか」

 一瞬、何か詐欺にでも引っかかったのかと思った。それともガレージに住むほど彼らは困窮しているのか。

 唖然とする五樹を無視して、二人はずかずかと歩きだす。ガレージに近づくと、汚れたコンクリート壁に似合いの錆びた鉄扉がついていて、加賀美が歪んだドアノブを回す。

「ただいま、帰ったわよ」

 その扉の奥の光景を見て、五樹は絶句した。

 そこには、玄関があった。靴箱と雑貨品と、大小様々な靴が置かれた小綺麗な玄関だ。

 見窄らしい外壁には不似合いな入り口の先には細い廊下が続いていて、奥にまた一つ扉が見える。

「え」

 哀川がまた幻を見せているのかと思った。驚いて外に出て、やはり小汚いガレージだと再確認する。

 落ち着きのない五樹に対して、二人は慣れた手付きで靴を脱いで下駄箱に仕舞う。加賀美が不機嫌そうな顔で五樹を見た。

「さっさと靴脱ぎなさいよ、土足で上がるつもり? ここは欧州じゃないのよ」

「お、おじゃまします」

 困惑しながら靴を脱ぎ、二人を追って廊下の奥へ向かう。

 するとそこには、広いリビングが広がっていた。

 木材の匂いが僅かに香る室内。大きな机の囲むように、椅子が四つ並べられており、吹き抜けになった天井、部屋の隅には螺旋階段。清潔そうな白いキッチンもある。

 陳腐なガレージの中にこの部屋が収まるわけがないここが何らかの才能による空間であることは明らかだ。

「ただいま。留守番させて悪かったわねわたる

 加賀美がひらりと片手をあげて言ったところで、五樹はようやく室内の人影に気がついた。

 月明かりの差す窓際に、静かに揺れるロッキングチェアが一つ。五樹に背を向けたまま、本をめくる音がする。ふとその人の肩がぴくりと揺れると、ゆっくりと立ち上がってこちらを見た。

「お帰りなさい──そちらの方は?」

「五樹よ。五樹、この子はワタル」

 五樹よりも少し小さな上背の、スタイルの良い女性。艷やかな黒髪を一房シルバーグレイに染め、耳にかけている。吊り目寄りの大きな目は、青みがかった紅赤。薄く柔らかな桃色の唇も相まって、人目を惹く華やかな顔立ち。

 タイトな黒いノースリーブタートルネックと、白いショートデザインシャツ。金糸の入った、黒と赤の数層のフィッシュテールスカート。服の各所に小花の金細工や黒いリボンの装飾が施されており高貴な印象をうける。

 冠を思わせる、金翼と赤花の装飾が付いた髪飾り。髪の後ろに流したベールも相まって、出で立ちから気品が溢れていた。

 ワタルと紹介された女性は、傍らの小机に本を置くと、柔らかな笑みを浮かべて五樹へ小さく頭を下げる。

「はじめまして、羽深弥はぶかわたるです。鳥の羽に深海のシンでハブカ、弥生のヤの字で羽深弥です」

「は、はじめまして。猪戸五樹です。猪に戸口のト、五つの大樹で五樹、です」

 思わず仰々しく返して、勢いよく頭を下げる。柄にも無く緊張しているのが恥ずかしい。

「猪戸?」

「そ、英雄の息子らしいわよ」

 顔を上げると羽深と目があって、思わず苦笑いをこぼす。ふと彼女を見て五樹は問いをなげた。

「この場所って、才能でできてるの?」

「えぇ。私の才能で作り上げた空間です」

「すごいね」

 何かを作る力は才能の中では単純で初歩的であり、同時に最も応用が効く能力だ。その力を有している母数も多い。花や水といった自然物の他、武器などの人工物を作り出す表現者もいる。哀川の幻も考え方によってはこの部類だろう。

「私はこの場所を仮象空間と呼称しています」

「空間を操るのにプラスで、弥の描いた絵の周辺、最大距離半径2kmに存在する扉を、この空間と繋げることができるの。つまり絵画の周辺であれば、弥が指定した扉である限り、好きなところから仮象空間に入れるし、全然違う場所から現実世界に出られるの」

「こっから花杜駅に出たりも?」

「ええ、可能です」

 会話の桁が違いすぎて気が遠くなるのを感じた。哀川の幻も青天井だと思ったが、羽深もだいぶ人知を超えている。

 才能の規模は、その人の実力と世界観の精密さに比例する。羽深の場合は世界観どころか、世界を一つ持っているのだ。実力も相当なものだと思われる。

「皆はここに住んでるの?」

「ええ。私の空間なので、気分によって窓の外の景色や内装を変えています。引っ越し後のような気分になれて楽しいですよ」

「家出るの面倒な時とか、インドアなのにアウトドアできそうで良いね」

「その考え方がもうインドアね」

 加賀美が呆れたように髪をいじって呟く。仰るとおりだ。

「じゃあ、元になってる絵画が破けたり燃えたらどうなるの? ここから出られなくなるとか?」

「そうですね、現実と空間のバランスが崩壊して、空間に穴が開きます。境界線が曖昧になってしまって、現実の道を歩いているだけで仮象空間に迷い込んだり。絵画が燃えれば空間全体で火事が発生して、その火種が現実の建物に燃え移ります」

「え、そうなったらどうやって元に戻すの?」

「さぁ、わかりません」

 羽深は苦笑いとともに肩をすくめる。笑い事じゃない、と言いかけたのをぐっと堪える。

「そういえば弥、アタシ達この子の依頼を引き受けて、フリークスと脱獄囚を探すことにしたの」

「フリークスを?」

「嗚呼そうだ、その話を忘れていた。改めて確認するよ、脱獄囚とフリークスを探す助力という依頼で良かったね」

「うん」

 哀川が思い出したように手を打って五樹を見る。五樹も思わず改まって姿勢を伸ばして彼を見返して、ごくりと唾を飲んだ。

「脱獄囚と会える保証はない。彼らの情報は皆無だ。運良く見つけることを願うことになるけれど、それで良いかな」

「ちなみに、これまで脱獄囚と会ったことは?」

「あるよ。何百と解決した怪奇現象の中で数回ね」

 それが多いかはわからない。現時点で全国へ散った脱獄囚は、五十人以上で百人に達するかどうかというところ。

 大解放以降に逮捕された者も居るから、細かい数字はわからない。

「そういえば、依頼が来たことないって言ってたけどさ。募集とかしてないの?」

「既にしていますよ。色々な市に掲載依頼をして、駅前掲示板に依頼募集の張り紙を貼って頂いたり。ですが大体は、掲示期間を過ぎて剥がされてしまいまして」

「だから僕達は、ネットで話題の七不思議や、最近生まれた都市伝説を調査してるんだ」

「管理局に言えばいいのに」

 管理局は、才能を仕事として扱うためのサポートが手厚い。現に美容師や教師や探偵など、様々な場所で表現者が活躍している。何でも屋がその対象になるかは不明だが、探偵も何でも屋も同じようなものだ。

「できるだけ管理局とは関わりたくないのよね、見つかったらやばいのよ」

「やばいってどういうこと?」

「ここ、私有地」

 地面を指さしてあっけらかんと言う加賀美に、五樹は顔を引きつらせた。

 私有地の無断立ち入りは法律で禁止されている。つまり五樹は今、犯罪の片棒を担がされているのか。

 咄嗟に回れ右して逃げようとすると、加賀美に肩を強く掴まれて身体を無理やり向き直らされる。

「まぁまぁ、私有地といったら語弊があるね。先程通ったガレージが、国有地と私有地の境目なんだ。アウトギリギリのセーフという感じだよ」

「いやアウトだろ、私有地立ち入りだけじゃなくて不法滞在もじゃん」

「嗚呼、不法滞在はセーフだよ。だってここはあくまでも弥の空間だからね。現実と同じ座標ってだけで、現実じゃない。抜け穴だけど法律的にはセーフだよ」

「うわ、屁理屈だ!」

 良くない大人と関わってしまったと思いながら、彼らに依頼したのは自分だと気がついて諦める。管理局に逮捕されないことを祈るしかない。

「そもそもなんでこんな場所でやってんの? 駅チカとかの方が依頼人も来やすそうじゃん」

「そんな人通りの多い場所でやったら大変なことになるわよ」

「なんで?」

「巻き込んじゃうのよ、弥の空間に」

 そう言われても理解ができずに首を傾げると、加賀美が呆れたように眉間のシワを抑えて舌打ちをする。

「仮象空間は、弥の許諾した人間しか立ち入れないの──つまり、僕と弥と景の三名のみが行える。アンタがここに来れたのは、アタシ達が同行してたらからってだけ。アンタが一人で入ろうものなら、そもそもガレージにすら辿り着けずに森で迷子になって野垂れ死に」

「俺死ぬの?!」

 ここに来るまでに迷子にならなくてよかった。

 つまり人通りの多い場所に扉を繋げ続けると、その近辺で異常な道迷いが発生するということだろう。確かにそれは怪奇現象になりかねない。

「細かいことはいいのよ! そうね、今気になってるのはこのあたりね」

 加賀美は壁際の棚に近寄ると、透明な書類ケースの紙束から紙を二枚取り出して、五樹に手渡す。それはなにかの怪奇現象についてをまとめたものらしく、噂や目撃情報などが記載されている。

「なになに? 『花杜駅では、死人が生者を恨んで、黄泉の国へ呼び込もうとする。駅には時折呪いのお札が貼ってあり、見た者を黄泉の国へ引きずり込む。誰かを一人を呼び込むと、満足してお札は消える。しかし死者がまた生者の身体を欲するようになったら、その御札は現れる』」

「これに関しては近場だし、アタシ達も何回か調査しに行ってるけど、見かけたことがないのよね」

 三人が悩んだように唸り声をあげる。五樹は何度も紙面をなぞるように読んで、「あのぅ」と、遠慮がちに声を絞り出した。

「これって、アトリエテラスのことなんじゃ」

「え?」

「消えては現れる紙って、依頼募集のことじゃない? ってかこの空間って、羽深さんの才能で来訪者を弾くんだよね。それなら、募集を見た依頼人がここを目指しても、辿り着けないんじゃ」

「「「あ」」」

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