第五話
英雄こと猪戸コウは、正しく生きて正しいままに死んだ。
五樹と両親に血の繋がりはない。数年前に養子と知らされた。けれど二人は五樹を大切に育ててくれた。
四十過ぎの父は元純文学作家で、無愛想で口数も少なく生真面目な性格。元作家ということもあって、巷では芸能人のような扱いだった。
彼が管理局員になった理由は、一般には知られていない。
しかし五樹は好奇心で彼に問うた。
「世のあらゆるは人にあらず、これすなわち無常なり」
幼い五樹にしてみれば、難しくて理解ができない言葉だった。
「この世は理不尽なことが多すぎる。けれど人は、それを当たり前といって受け入れる。そんな世であってはいけないんだ。理不尽な暴力に襲われる人を、一人でも救いたい。俺がこれまで作ってきた作品、培ってきた才能は、そのために扱うべきだ」
父はその言葉の通りに人々を助けた。
彼は管理局にいくつかある対才能犯罪チーム──凶悪な犯罪者に対応する、数十名のチームらしい──の一つである【
仕事内容は守秘義務らしくて知らないが、テレビ中継で父が仕事をする姿を見たことがある。才能犯罪による立て籠もりが発生した際。父の巨人化を始めとして、夜警は優秀な才能を扱い場に対応していた。
彼らのお陰で皆が平和に暮らせていた。
大解放は、その全てを奪っていった。
二年半前の秋。大解放は、深宿の片隅にある商店街で始まった。その場所は刑務所から軽く1kmは離れていた。
夕方十七時過ぎ。人で賑わった商店街に、突如として囚人たちが出現した。その人数は優に百名を超えたという。
前兆なく現れた囚人たち──事件直後は、誰もそれが囚人とは知らなかった。彼らは脱獄すると即座に、才能によって邪智暴虐の限りを尽くした。
火を放ち、人を切り殺し、建物を薙ぎ倒した。
五樹はその場所から少し離れた、区内の公園に居た。その年は日照時間などの関係で、例年よりも紅葉が美しいとされていて、公園はたくさんの人で賑わっていた。
五樹は伊依と二人で、その紅葉を見に行った。
──その日は何故か父に、家から絶対に出るなと言われていたけれど。父が帰宅するまでに家へ帰れば良いと思っていた。
紅葉を眺めて談笑していたとき。
遠くで聳えるビルが、轟音を立てて地を揺らしながら倒壊するのが見えた。ドミノ倒しに次々と崩れて砂埃が巻き起こり、風塵が五樹たちへ叩きつける。
吹き飛んできた瓦礫に押しつぶされて、直ぐ側に居た人が飛沫をあげて死んだ時も、状況は理解できなかった。
その場から離れるように人々が走り出したから、悲鳴の渦に飲まれながら、五樹は伊依を連れて走り出した。
轟々と上がった火の手が紅葉を焼いて、黒い煙をあげていた。走っている間に、空を異形の生物が飛んでいるのが見えた。
公園を離れてビル街に入った時に、人の波に飲まれて転んでしまい、逃げる人に足を踏まれた。
あまりにも痛くて諦めたくなったけど、見知らぬ男性に「走れ!」と叱咤されて。足は折れていたけれど、伊依の手を引いて必死に逃げた。
それから一日後、囚人たちの暴動は収まった。
逮捕された者もいたが、混乱のおりに逃げおおせたものが大半だった。暴動は起こしても、逮捕されたら本末転倒だと考えたのだろう。
世間は管理局を糾弾した。なぜ脱獄が起きたのか、監視体制はどうなっていたのか。
なぜ刑務所から1km離れた場所に囚人が現れたのか。
そもそも一般的に、牢獄の仕組みについても知らされていない。
戦後、深宿の片隅にパノプティコンが建てられ、何度も改築をされてきた。古くから建っていたおかげか、近隣住民にも辛うじて許容されていた。
なのにこの始末。付近では抗議のデモが多発している。
けれど管理局はそれらの質問に詳しくは答えなかった。大解放当時の牢獄内については、暴動が起きたとしか発表されていない。
『刑務施設は囚人の才能使用を封じる、特殊な才能が使用されている。全国にある才能犯罪者専用の拘置所や留置所も同様』
『今回、刑務施設は、人数不明の才能組織により襲撃を受けた。集団の人数、才能の所有数やその詳細は現在調査中』
『その組織の名を、【フリークス】と言う』
大解放後の会見にて管理局はそう説明し、その他の全てを秘匿した。
重軽傷者は数万人、死者数は千人にも上り、行方不明者は一万人を超える。
無念のまま、たくさんの人が死んだ。
──英雄もその一人だった。
大解放後、五樹は骨折と診断された。少し経って帰宅をして、父親を心配しながらその帰りを待っていた。
数日後。家に来たコウの部下と酒葉の口から、父の死を伝えられた。
コウは事件当時、さらなる被害拡大を防ぐために脱獄囚へ立ち向かった。逃げ遅れた人を救い、落下してきた瓦礫に足を潰され、
──子供を庇い、脱獄囚に殺されたらしい。子供を抱き抱えたその背中を、無惨にも何度も刺されたという。
駆けつけた酒葉が応戦したが、コウを刺した脱獄囚は逃亡。酒葉は追跡ではなく、コウの手当を選んだ。
酒葉はそこで、コウの意識があるうちの最後の言葉を聞いた。
「俺は、息子に誇れるようなことが、できただろうか」
五樹はそれを──父の死と、自分に遺した言葉を聞いて、殴られたように思えた。
遺体も見てはいない。凄惨な状態だったから、酒葉が五樹を守るように目を隠した。
涙は出なかった。怒りとやるせなさに苛まれた。父が庇った子供は、五樹と同い年だったらしいから。
父は生前、帰宅するといつも最初に、部屋に籠もって何か書いていた。初めは新作の小説だと思っていたけれど、父は作家を辞めていたから、不思議だった。
死後、遺品にあった黒い手帳を見て、五樹はそれが父のいつも書いていた何かだと察した。
内容を読んで見ればそれには、死刑囚や無期懲役囚など、重い罰を課された才能犯罪者について記載されていた。
その人物の素性や年齢、性格や言動。所有する才能の詳細。事件当時の状況や犯行動機、被害者についてなどが乱雑にメモされていた。
──脱獄囚全員の記載があった訳では。脱獄していない者、した者、脱獄していたが記載のない者も居た。
多分、父が直接目にした犯罪者について書いていたのだと思う。
父が何故それを書いていたのかはわからない。
けれど五樹は思った。
才能犯罪者の卑劣な行為を、絶対に忘れないようにするためだと。
──あの時の恐怖が嘘だったかのように流れる平和は、安心感と同時に深く考えさせられる。
自分が一体何をした、ただ紅葉が見たかっただけなのに。
管理局は何を隠している。あのとき何があって、フリークスとは何者なんだ。
脱獄囚を、フリークスを探して見つけ出したい。
父を──人を殺した奴が、のうのうと生きているのが許せない。
あいつらは人を殺した、ならば殺されてもきっと文句は言えない。
正しく罰せられて当然だ。
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