第四話

「で、伊依。今度からはこういうことするなよ」

 事態が一段落して、改めて伊依を見る。彼女は「う」と唸り声を上げながら、居心地悪そうにそっぽを向いた。

「ほんとにごめん」

「今回は何も無かったから良かったけど、もしも危ない奴が居たら──って、お前ならその心配はないか」

 感情の共有。それが伊依の才能だ。

 伊依の喜怒哀楽──主に嬉しい、楽しいといったプラスの感情を歌にのせ、歌を聴いている人間に伝える。

 のだ。

 彼女はその才能を用いて、曲を再生した人々に喜びや幸せを共有している。だから彼女の歌は人気だ。

 この才能は人を楽しませるだけでなく、犯罪の制圧にも使える──正しい才能の使い方ではないが──相手が直情的に動く人間であれば、感情を共有することで行動を制限することもできる。

──その反面、理性的に行動する相手には弱い。行動に感情を持ち込まない人間に感情を共有しても意味がないからだ。

 彼女はこの才能を使って、親に怒られた際に怒りの感情を喜びで上書きして、状況を誤魔化したりしていた。その後に更に激怒されていたけれど。

「何にせよ、あの状況で勝手にどっか行く奴があるか」

「それに関してはごめん、ごめんなさい。今度から何処か行くときは、場所を言ってからにします」

 伊依は申し訳無さそうにして、座ったままに堅苦しく背筋を伸ばし、五樹へ頭を下げる。ユカの側でやり取りしているからか、彼女は二人の顔をきょろきょろと不思議そうに見ていた。

 その光景が面白くて怒る気も失せてしまい──そもそも大して怒ってはいなかったけれど。先程まで詰めていた緊張の糸が解れ、思わず吹き出してしまう。

「はは、わかったのならばよろしい」

「不安なら、位置情報アプリでも入れておく?」

「居なくなる前提でことを進めるな。でもまぁ、一応入れておこっか」

 溜息を吐きながら、片手でスマホを操作してアプリを入れる。

 ふとあたりを見渡してみれば、公園に来た際よりもだいぶ日が沈んでおり、太陽の茜色が建物の影へ飲み込まれていく。

 公園の時計をちらりと見れば十七時半。街灯がぽつぽつと点灯し始めて、暗く陰った皆の顔が、薄ぼんやりと浮かんで見える。

「もうこんな時間か、そろそろ帰らないとな」

 五樹は大きく伸びをしながらユカを見る。彼女は小さくこくりと頷くと、立ち上がって服の裾を払った。

「あ、じゃあユカちゃん、私と一緒に帰ろっか。お家の場所わかるよね?」

「いいのか?」

「迷惑かけるだけの人間にはなりたくないからね。五樹は先帰ってて」

「わかった、ありがと。ユカ、気をつけてな」

「うん」

 ユカは大きく頷くと、人形を溢れそうなほど強く片腕で抱きながら伊依と手を繋ぐ。伊依はその手を強く握り返すと、ふと思いだしたように加賀美と哀川を見た。

 哀川は伊依を見て薄笑みを浮かべており、加賀美はなおも姿勢悪く座っている──どうも静かだと思っていたけれど、加賀美はどうやらこの状況をずっと見守っていたらしい。悪い人ではなく不器用なのかもしれない。

「あ、お二人もありがとうございました。ご迷惑おかけしました」

「いや、大丈夫だよ。こちらこそありがとう」

 伊依は小さく頭を下げると、ユカを見て「行こうか」と笑いかけて、彼女の足取りにあわせゆっくりと歩き始めた。

 公園入り口のパイプに差し掛かったところで、小さく伊依の声が聞こえる。

「ユカちゃんが元気になれるように、おねえさんがおまじないかけてあげるね。────」

 伊依が歌を歌う。肌を撫でる花風に乗せた鼻歌。心地良い三拍子のメロディは、どこか子守唄のようだった。

 彼女の感情が伝わる。日干しした布団に潜り込んで、お日様の匂いに包まれるような、優しく穏やかな安心感。

「五樹くん、助かったよ。君は正義感が強いんだね」

 哀川に声をかけられて、五樹ははっと顔をあげた。気づけば彼は五樹の前に立って笑いかけている。物音がして横を向けば、凝り固まった身体をほぐすように、首を回しながら加賀美がゆっくりと立ち上がった。

「え、俺は別に何もしてないよ。人形だって動くままだし」

 だって、何も解決できていない。五樹は勝手に、ユカが納得できる結論を与えただけだ。

「嗚呼、多分あれはもう動かない──いや、動いたとして、勝手に行動しないよ」

「どういうこと?」

「順を追って説明するね。才能を扱うには実力と世界観が必要だけれど、そもそも才能は、人の感情──特に負の感情から生まれているんだ。才能を車とすると、世界観と実力はナビとハンドル。感情は車を作る鉄などの素材、そしてエンジンと燃料。ここまではわかるかな?」

「な、なんとなく」

「感情という素材を使ってようやく車が完成する。車ができてようやく、ナビとハンドルが必要となる」

 初心者が才能を上手く使えないのは、ナビがまともに機能していなかったり、運転技術が足りないからだろうか。

 そして車は、そもそも素材が無ければ作れない。車が無いかぎりナビとハンドルは、あっても意味がない。

 感情は前提条件、ということらしい。

「そしてあの人形は、ユカちゃんの意思で動いている」

「ユカの意思? お父さんのじゃなくて?」

「嗚呼。お父さんは車を『ユカちゃんが安心するために』という理由で動かした。だから今回あの人形という才能の車は、ユカちゃんの不安を燃料に動いてる」

「じゃあ、ユカが安心するまで動き続けるってこと?」

「正解だよ、不安がなくなれば燃料切れさ」

 ユカは、人形が動くことを不安に感じていた。それ以前は父の死など、別の不安があったのだろうけれど。

 ユカが人形に不安を抱けば人形は動く。人形が動けばユカは更に不安になる。そうして今回は一種の永久機関になっていた。

 当然、ユカは自分の意思で人形が動いているとわかるはずもないから、不安を拭う方法は無い状態になっていた。

──その中で五樹がユカに、『人形はユカに友達を作るために動いている』と、人形が動く理由を作った。

 これによってユカの中で、『友達ができれば人形が動かなくなる』という認識と目標が生まれる。

 これからユカは、友達を作るために動くだろう。

 ユカが友達を作れば『これでもう人形は動かない』と安心する。ユカが安心すれば、人形は動かなくなる。

「彼女が友達を作れば、人形はお役御免さ」

「じゃあ、ユカがまた不安になったら、人形も動き出すのかな」

「どうだろうね。その時にはもう、才能の効果は切れているかもしれないし──彼女も成長するからね。自分で解決するかもしれないよ」

 五樹は大きく溜息を吐いて、力が抜けたように遊具に座り込む。両手をついて足を放り、空を見上げて呆けた。

 適当にユカを慰めただけのつもりだったのに、裏ではそんなことになっていただなんて思わなかった。

「負の感情かぁ。なんで負の感情なんだろ」

「感情が芸術を作る、っていうのは、ピカソとかが居た時代から言われてる考え方よ」

 加賀美が五樹の顔を覗き込んで答える。

「才能の根幹については、まだ議論と研究がされてるから、確定ってわけじゃないけど──風刺画とか皮肉の聞いた歌詞の曲とかがある通り、そういう物が一つの原動力なのは確かね」

「才能の開花にも例外はあるけどね。トラウマな光景が記憶から離れなくなり、皮肉にもそれが世界観ナビとなり……っていう。世界観から開花する変則パターンとか」

「ふうん」

 難しい話は苦手だ。特に自分が馬鹿になったように感じる──成績は中の上ぐらいなのに。

 哀川の幻や伊依の感情共有も、負の感情なのだろうか。伊依の才能は根幹が感情だとわかりやすいけれど。

「なんだかちょっと虚しいな」

「虚しい?」

「才能って、自由なもののイメージなのに。意外とネガティブっていうか」

「そうかも。感情って魂の切り売りのようなものだから、評価されなければ苦しい、されれば嬉しい。疲弊するのも理解できるわ」

 溜め息を吐く加賀美を見上げて、五樹は「だね」と頷きながら姿勢を正す。

 昼間はあんなに暖かかったのに、そよ風がやけに寒く感じて肌を擦る。今年は寒くて開花の遅かった葉桜が、街灯に薄く照らし出されていた。

「加賀美さんは、どうやって人形を止めようとしてたの?」

 問えば、加賀美は何だそんなことかと言いたげに腕を組んだ。

「単純よ、燃やして捨てる」

 五樹は思わず「本気?」と呆れた声を出した。

 そもそもの元凶がなければ解決! という理屈だろう。自分が解決してよかった。

「ねぇ五樹、アンタ何歳?」

「俺? 先週十七になったよ」

「あらおめでとう。じゃなくて、まだ子供じゃない。誰かのためにって行動起こすのは良いけど、無闇矢鱈に首を突っ込むのはやめなさい」

「う、ごめんなさい」

 見下されているのも相まって、怒られているように感じた。伊依を叱っておいて、思えば自分も同じことをしている。

 ふと思い出す。そういえば今回は、アトリエテラスに伊依を探すのを依頼した形になるのだろうか。とすると、依頼料は一体。

「えっと、今回のお代はどのぐらいに?」

 あからさまに媚びを売るように手を揉んで問えば、哀川は大層驚いたように目を見開いて、直ぐ様ふっと気の抜けた笑みを浮かべる。

「嗚呼、いらないよ。未成年からお金を取る大人がどこに居るっていうんだい」

「え、ほんと?」

「嗚呼。僕らは何でも屋だが、依頼は来たことがなくてね。怪奇現象を勝手に解決してるだけなんだ」

「え、なんでそんなことしてんの?」

 今回だって相手が危険人物の可能性はあった。このような事件を数解決していれば、いつかは本当に危ない人間と相対する日も来るだろう。

 五樹が言えたことではないが無謀すぎる。

「現代で起きる怪奇現象のほとんどは、誰かの才能によるものだ。けれど怪奇現象は怪奇現象、管理局が対応するわけじゃない。なら、それを勝手に解決したってバチは当たらないさ」

 あくまでも人のため。それが才能の正しい使い方。五樹は「ふうん」と素っ気なく相槌を打ちながらも、心の中では彼の考えに僅かな憧れを抱いた。

 五樹も何か、人のためになる事がしたい。力のない学生だから中々行動に起こせないのが、悔しくて仕方がない。

「なによりも──【脱獄囚アナーキー】を捕らえたいんだ」

 脱獄囚。その言葉を聞いた瞬間、咄嗟に五樹は立ち上がって哀川に詰め寄る。

「それ、俺にも手伝わせて」

──二年半前、ユカの父が死んだとされる事件は、歴史に残るであろう規模だった。

 凶悪な才能犯罪者である囚人の脱獄。そしてそれにより引き起こされた火災、暴動、殺人。交通機関の麻痺から停電など。

 そのら全てを総じて、大解放と呼ぶ。

 大解放によって逃げおおせた脱獄囚。

──そして大解放を引き起こしたと言われる元凶、フリークス。

「はぁ? 何言ってんのよ。アタシが言うのもなんだけど、簡単な事じゃないの。あいつらは顔を変えて真横に居る可能性だってある。それに全員が危険な才能を扱ってる、一般人に手出しできる話じゃないわ」

 五樹の剣幕に言葉を失う哀川の横で、加賀美が嘆息と共に眉根を寄せ、呆れた声で言う。

「二人だって一般人じゃん」

「それはまぁ、そうだけど」

「じゃあ、依頼する。それならいいよね? 俺が脱獄囚を捕まえるのを手伝ってほしい」

 有無を言わさず二人の様子を見れば、彼らは何処か不思議そうな顔をしながら五樹を見つめ返している。

 五樹は彼らを横目にボディバックを漁ると、クロッキー帳の裏に隠した冊子を一冊取り出した。

 黒い装丁に銀で装飾が印字された、両手に乗るほどの大きさの冊子。古いもののためか紙は黄ばみ、古紙の匂いがする。

「脱獄囚のことは、全員じゃないけどわかるよ。起こした事件の概要とか、どんな才能を扱うのかとか。これにまとめてあるんだ」

「それは、本かい?」

事件記録手帳じけんきろくてちょう。俺の父さんが作ったんだよ」

 五樹は二人の前で、それを数ページ捲ってみせた。

 個人のメモとして使用されたそれは、早く書き留めることを重視してか、筆記は乱雑でミミズ文字がばかり。文字が潰れて読みにくかったり、何かが雑に塗りつぶされていたりする。

「なんでアンタの父親がそんなの作ってんのよ」

「俺の父さん、猪戸ししどコウって言うんだ。この国の英雄」

「は、アンタ、英雄の息子?」

「うん」

「でもアンタ、英雄って──」

「うん、死んでるんだよね。二年半前の大解放で、脱獄囚に殺されて」

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