第三話

 呼びかけても返事は無い。先程まで五樹の後ろに居たはずの彼女は、気が付かない間に何処かへ消えていた。

 足音──したか覚えていない。会話に夢中になっていたから、伊依のことを気にも留めていなかった。

 まさか、勝手に人形を追って何処かに行ってしまったのか。そう思うと同時に、心臓が早鐘を打つのを感じる。

 哀川を見れば、先程までの雰囲気とは一変して、神妙な面持ちで五樹を見据えている。

「五樹くん、伊依ちゃんに電話かけてみて」

「う、うん」

 慌ててスマホを取り出し、彼女に電話をする。数コール、出ない。思えば彼女は呼び出し音が苦手といって、いつもスマホをサイレントモードにしていた。気づいていないのかもしれない。

「出ないみたい」

「そうか」

 もしも大変なことに巻き込まれていたら──否、悪い考えはよくない。

 はやる気持ちを抑え、深呼吸をする。焦って良いことはなにもない。今は冷静に対処するのが大切だ。

 顎に手を当てて深く考え込んだ様子の哀川を横目に、加賀美がチッと強い舌打ちをしながら、乱暴に髪を掻きむしる。

「五樹、アンタはこっから離れて先に帰ってなさい。後はアタシ達でどうにかする」

「え」

「え、じゃないわよ。何が起きるかわかんないから離れてろって言ってんの」

「──何が起きてるかわからない状況だからこそ、伊依について詳しい俺が居るべきじゃない? 今は思いつかないけど、俺にできることが何かあるかもだし」

「へぇ、正義感が強いのね。何かって、むしろ何ができるの?」

「今は思いつかないって言ってんじゃん」

「どうせ足手まといに──」

 一触即発の掴み合いになりかけた二人を、哀川が割り入って引きはがす。

「落ち着いて、二人とも。五樹くんの言う事は一理ある、人手はあるに越したことはない。僕から離れないことを条件に、手伝ってもらおうか」

「わかった」

「ちなみに君は何ができるんだい? 才能はどんなものを?」

「才能はない。力と体力には自信あるけど」

 言い切れば、哀川が少し驚いたように目を見開く。五樹はそれを見なかったことにして、誤魔化すように加賀美の様子を窺った。

「加賀美さんは、さっきのナイフが才能?」

「アタシ、自分の才能をペラペラ喋るの嫌いなの」

 加賀美は一瞬ちらりと五樹を見て、また直ぐに目を逸らすと、わかりやすく溜息を吐いた。

「じゃ、別行動しましょ。そっちは二人でアタシは一人。人手は分散させたほうが効率が良いわ」

「また子供怖がらせたりしないよね」

「しないわよ!」

 しっしと邪険に手を払いながら、加賀美は足早に立ち去った。ちょっと打ち解けたと思っていたのは、五樹の勘違いだったのかもしれない。少し、いやかなり避けられているように感じる。

「じゃあ五樹くん、僕たちも行こうか。伊依ちゃんが人形に着いていってしまった可能性を考えて、とりあえず近場の公園で別の人形を探そう。それで、その後に着いて行こうか」

「了解」



 段々と日は傾き始め、少し肌寒さを感じて腕を擦る。時計を見れば十六時過ぎ。住宅街の人通りはぽつぽつと増え、買い物帰りらしき主婦と時折すれ違う。

「あ!」

 五樹の土地勘を頼りに、付近の公園を虱潰しに探し歩いてはや六つ目。その園内に小さな人影を見つけて、あれを見ろと哀川の袖を引く。

 遊具もない公園の隅にぽつんとある手洗い場の前で、八歳ぐらいと思わしき少女が、蛇口の水をどばどばと流しながら人形を洗っていた。

 遠目で見れば普通の人形にも思えるけれど、よく見ればその人形は、じたばたと藻掻くように手足を動かしている。十中八九動く人形だろう。

「間違いない、あの人形だ。さて、どうしよう」

「哀川さんって、子供に怖がられたりする?」

「僕は別にそうでもないよ、多分。君から見て僕って怖いかな」

 言われて哀川をじろりと見る。先程までは加賀美が側に居たからわからないが、彼の堅苦しい装いは、子供からすれば圧があるだろう。

 上背は五樹と変わらないし、加賀美より表情も柔和だけれど、ふと真顔になった際は怖さを感じる。美人の真顔は恐ろしい。

「うん、怖い」

 言い切れば、哀川は悲しそうに肩をすくめる。少し申し訳なくなった。

「じゃあとりあえず俺が声かけてくるから、哀川さんはここらへんで待ってて」

 五樹は彼の返事を待たずに、駆け足で少女へ走りよった。

「ちょっといいかな!」

 声をかけると、その少女はびくりとして蛇口の水を止め、恐る恐る五樹を見る。見れば、大人しそうな子だった。不安そうに五樹見るその顔は濡れている。水が跳ね返ったのだろう。

「その人形、君の?」

 問えば、小さく首を振る。

「洗ってあげてたんだ、優しいね」

 五樹が少女と目線を合わせるようにしゃがむと、それにあわせて彼女は俯いた。人見知りなのだろうか。

「ねぇ、ちょっと見せてもらってもいいかな」

 人形を指差すと、少女は少し迷った素振りを見せつつも、「ん」と、五樹の胸に人形を押し付けて、ついでにハンカチをくれた。

「ありがと」と返しつつ、びしょびしょの人形をハンカチで包むようにして持つ。

 遠目からだとわからなかったが、この人形は伊依の持っていたくまではない。泥汚れで黒ずんだ、白いうさぎの人形だ。うさぎは五樹が持ち上げるや否や、手の中でばたばたと暴れ始める。

「ねぇ、この人形ってどこから来たのかわかる?」

「わ、わかんない」

 ぎゅっと手を結んで首を振る彼女を見て、はっとした。どうやら怖がらせてしまったらしい。五樹は慌てて人形を返して、少女の頭を撫で付ける。

「怖がらせてごめん。俺、友達を探してるんだけどさ。このうさぎみたいに、動いてるくまの人形と一緒に居るはずなんだけど。白くてまんまるの帽子被ったお姉さん、知らない?」

「わかんない」

「そっか、ありがと。そういえば君、名前は?」

「ユカ」

「ユカね。俺は五樹、よろしく。ユカは一人で遊んでたの?」

「うん。ともだち、いないから」

「お父さんとかお母さんは?」

「お母さんは、お仕事。お父さんは……」

 そういってユカはまた俯いてしまう。きゅっと人形を握った彼女は、震えているように見えた。父親について触れないのは訳ありなのだろう。

「ユカは──」

 言葉を紡ごうとした瞬間。ユカの手からうさぎがすぽんと抜けだして、地面に降り立った。

 五樹が咄嗟に手を伸ばした手を避けて、人形はとてとてと走り出す。

「あ、待って!」

 ユカはそれを追って走り出す。五樹も慌てて哀川に目配せをして、ユカの側まで駆け寄った。歩幅の違いもあってか、ユカはあまり足が早くなく、五樹は万が一の時のためにユカに寄り添って歩く。

 人形は砂まみれになりながら、公園入口のパイプを潜り、ずんずんと道路の隅を歩いていく。しかし見失うほどの速度ではなかった。ユカの歩くスピードに合わせているのか、早歩きで追えるほどの速さだ。

 十分ほど歩くと、また別の公園にたどり着く。夕日の茜に染まった公園に人気はなく、色の剥がれたうんていや錆びたブランコなど、一昔前の遊具がぽつんと立って寂れている。五樹たちがまだ来ていない場所だ。

 ぐるりと見渡してみれば、公園の隅にある動物型の石造りの遊具──確か、象形遊具といったはずだ。それに腰掛ける人影が二つあった。

 うさぎは公園に入ると、一目散にその人影へ駆け寄っていく。五樹もそれを追いかけると。

「五樹!」

「あら、アンタ達も来たのね」

 伊依と加賀美がそこに居た。伊依はくまとねこの人形を膝に乗せ、加賀美は気怠そうに長い脚を組んで頬杖をついている。

「伊依、こんなとこに居たのか!」

「景はどうやってここに?」

「ねこの人形追いかけたら、ここにたどり着いたの。そしたらこの娘が居てびっくりよ」

「う、ごめん。ほら、人形を追いかけるって話してたでしょう? だから、くまを放して追いかけてみたら、ここに案内してくれたの」

「せめて一言言ってから離れろよ」

「だって難しそうな話ししてたし、横槍入れちゃ駄目かなって」

 申し訳無さそうに肩をすくめる伊依に、思わず大きな溜息を吐く。安心感と怒りでごちゃまぜになりながらも、五樹はふとユカを見た。

 彼女は肩で息をしながら伊依に歩み寄って、集まった人形を抱き上げる。

「こら、駄目って言ったのに」

 叱るように人形へ言ったユカを見て、哀川が彼女の側に歩みよった。

「君が、この人形を動かしていたのかい?」

 訝しんだような顔で問う。ユカはなにも言わない。怖がったように俯いて、ぎゅっと人形を抱きしめる。怒られてると思ってるのだろうか。

「ユカ、誰も怒ってないよ。お話してるだけ。この人形は、ユカのお友達?」

 首を振る。違うらしい。

「この子たち、勝手にどっか行っちゃうの。駄目だよって言っても、知らない人のところに行って、ここに連れてこようとしちゃう。だから嫌い。やめてっていっても、やめてくれないの」

 更に強く人形を抱く。加賀美は組んでいた足を解いて、ユカの様子を見るように顔を覗き込む。

「アンタが望むなら、アタシ達でこの人形を──動かないようにはできるわよ。どうしたい?」

 ユカは一瞬驚いたように肩を震わせて、顔色を窺うように五樹たちを順番に見た。

 そして、こくりと頷く。

「待って」

 それを見て、五樹は咄嗟に声をかけた。

「この人形、ユカの才能で動いてるわけじゃないよね」

「え」

 ユカが驚いて目を見開く。

「才能って、十八歳ぐらいから開花するんだよ。ユカにはまだ早いじゃん。だから誰かを庇ってるのかなって」

 五樹はいつも酒葉に言われていた。才能を発現するのは、平均で十八から二十五歳。天才は十二歳そこらで手にするらしいが、ユカはまだその歳にすら達していないように見える。

 そして才能を得るには、固有の世界観が必須となる。

 もちろんユカが天才児の可能性も考えたけれど、確率でいえばその線は薄いだろう。

 ユカは驚いたように視線を泳がせて、また強く手を握ると、大きな目から涙を流して震える声を絞り出した。

「お、おとうさんの」

「おとうさん?」

「おとうさんがピアノ弾くと、人形が踊りだすの。ユカが泣くとピアノ弾いてくれたんだ、一緒に踊ろって」

 ユカが先程父親のことを言い淀んでいたのは、これが原因だろうか。父親が才能で人形を動かして何かしているから、庇って嘘をついたのだろう。

 五樹はふぅと溜息を吐くとユカの側にしゃがみ込み、その頭を優しく撫でつける。ユカは呆然としながらも涙を流し続けている。

 五樹はその涙を軽く拭ってやって、優しく笑みを浮かべた。

「お父さんが怒られちゃうから、庇ってたの? ユカは優しいね。じゃ、一緒にお父さんにお願いしよ」

「ちがうの。死んじゃったの、おとうさん。二年半前に」

「二年半前、って──【大解放だいかいほう】?」

 ぽつりと、五樹が呟いた。ユカが頷く。

 それを見て、殴られたような衝撃を感じた。

「そっか。それは──ごめん」

 言葉を紡ごうとして、五樹は口を閉じる。

 悔しいね、許せないね、悲しいね。続く言葉のどれもが、正しいと思えなかった。何を言っても気は晴れないと、誰よりもよく知っている。

 瞬きをすると思い起こされる。あの日の紅葉と煙臭い空気、轟々と立ち上る炎と同色の夕暮れ。

 秋が更けたある日のこと、凶悪な才能犯罪者が人々を殺し回った──あれはきっと悲劇として、後の歴史の教科書に載るだろう。

 ひゅ、と呼吸が浅くなるのを感じる。息苦しくなって、服ごと胸を強く掴んだ。

「五樹」

 名前を呼ばれて、意識が引き戻されるのを感じた。伊依が心配そうにこちらを見ている。

「ごめん伊依、大丈夫」

 五樹は呼吸を整えながら、えずくユカを抱えると、伊依の隣に座らせてやった。伊依は何も言わずに俯いて、ユカの手を優しく握る。

「人が死んでも、作品は残り続ける」

「え」

 静かに立ち上がった哀川がぽつりと呟く。見上げれば、彼は何処か魂の抜けた黄色い瞳で虚空を見つめている。

「作者が死んでも、作品は世に残る。表現者が死んでも、その才能の効果は消えないんだ。才能の内容にもよるけれど」

「内容?」

 問えば哀川は、ふっと我に返ったように瞬いて、これまでのように人当たりの良さげな笑みを五樹へ向けた。

「嗚呼。髪型や顔を変える等の、使用者本人に効果があるものは切れる。けれど才能は僕の幻のように、他者や物に影響するものが多いあら、大半は効果が残るんだ。死ぬ直前に才能を解除した場合は別だけれど」

「物を操る系の才能は、使用者の死後に勝手な行動を取りがちなのよ。生前の使用者の遺志で動くから、時間が経つと消えるか、大事にならないことが多いけれどね」

「知らなかった」

 使用者が死ねばその効果も切れると思っていた。

酒葉からも聞いたことがない。

──否、わざと言わなかったのか。

 から。

「でも、嫌い。このお人形、ユカのお願い聞いてくれないいじわるだもん」

「嘘だよね」

 反射でぽつりと呟く。皆が驚いたような顔をして、一斉に五樹を見た。

「嫌いなら、どうして洗ってあげてたの?」

 ユカは人形を洗っていた。だいぶ汚れてしまっているものを、汚い物を扱うようにはせず、ずっと抱きしめてあげている。嫌いなものをそうやって優しく扱うとは思えない。

「それにさ、よく考えたらこの人形、踊ってるだけで何も悪いことしてないじゃん」

 人形は踊る、歩く、その二つしか行っていない。誘導した道が悪く、あわや交通事故という話はあったけれど。それは不慮の事故に思える。

 断定はできない。人形が動いているのがユカの亡き父の意思によるものなら、死人の考えはわからないから。だが現時点で何も悪いことは起きていないのも事実。

「親を嫌うなとは言わないよ、全部の親が優しいわけじゃないから。でも話を聞いてて、ユカの場合は違うって思った」

 ユカは何も言わずに五樹を見つめ返し、ふと腕の中の人形を見つめた。人形も顔をもたげて、ユカを見上げているように思える。

「この人形は、友達を探してたのかもね」

「お友達?」

「うん。ユカみたいな独りぼっちを集めて、友達を作ろうとしてたのかも」

 本当は何か、別の理由があるのかもしれない。五樹は彼女の家庭事情を知らないから。

 けれど死んでしまった人の意思はもとより、誰にもわからないものだ。遺された人はそれを勝手に汲み取って、好きなように解釈する。

 だから幼い彼女が知る正解は、これで良い。

 彼女が傷つく可能性があるなら──彼女の父が、悪意をもって人形を動かしていた可能性があるなら。

 真実を深掘りして、彼女を傷つけるべきではない。

「嫌いって、言わないであげて」

「わかった」

 ユカは震える声で、けれど大きく一度頷いた。

「ユカちゃん、改めて聞くよ。君はどうしたい? その人形を止めるかどうか」

「まだ、わかんない。もう少し、一緒にいてみる」

「そうか、わかった。じゃあ、これをあげるよ。人形を止めたい時でも何か困った時でも、いつでも電話しておくれ」

 哀川がユカへ名刺を差し出す。彼女はそれをじっと見つめてから、人形と一緒に強く抱きしめた。

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