第二話

「五樹!」

 ぽんと肩に手を置かれて、思わず身体が跳ねる。驚いて振り向けばそこには。

「こんなとこに居たんだ。何してたの?」

 きょとんとした顔で小首を傾げる、幼馴染の伊依いよりが立っていた。

 ベビーブルーのポンデリングヘアに、黒い紐リボン付きの白ベレーを深く被り。チェリーピンクの目を瞬かせ。白いハイネックパーカーを着て、小さな上背を誤魔化す厚底靴を履いている。

「課題で、知らない人のクロッキーやってた」

「え、みせてみせて」

 ん、とクロッキー帳を差し出せば、伊依は興味深そうにそれを覗き込み、「かっこいい人だね」と軽く言う。その一言で、上手くかけたように思えて少し元気が出た。

「そういや伊依、今日は遅かったな。自習長めにしてたの?」

 創成塾は地域や規模にもよるが、絵画に限らず様々な分野の指導を行っている。その中でも五樹は絵画コース、伊依はボイトレを習っている。

「ううん、酒葉さんとちょっとお話してた」

「酒葉さんと? 何話してたの?」

「大したことじゃないよ、いつも通り『個人情報には気をつけろ』って、口酸っぱく言われてきた」

「嗚呼、なるほど」

 苦い顔で笑う伊依を見て、五樹もつられて苦笑をこぼす。

 伊依は二年ほど前から、ネット上で歌唱アーティストとして活動している。数名の表現者による音楽ユニット【LINALIA《リナリア》】にて、メインボーカルを担当している。

 企業所属ではないユニットだが、とある楽曲が飛躍的に伸びた影響で、若い層からの人気を集め始めている。

 中でも伊依の歌声は高い評価を得ていた。普段は柔らかく女子らしい高い声音で喋る彼女も、歌い始めれば力強く芯のある声を出す。

 梶谷はそんな伊依を頻繁に気にかけている。活動開始時の伊依がまだ中学生だったこともあるが、「危ない人間には関わるな」「簡単に人を信用するな」と度々言うのだ。

 間違ったことは言っていないけれど、その光景はまるで兄妹か何かのようで、微笑ましくて仕方がない。

 相変わらずだなと笑いを溢しながら、伊依と共に帰路へつく。大通りから離れた寂れた住宅街を歩きながら、伊依が大げさにごほんと一つ咳払いをする。

「そういえば一個報告が」

「お、どうした」

「聞いて驚け。実は今度、深宿駅前の巨大広告でMV流すの! 一週間限定、しかも一時間につき数回の数秒だけだけど」

「おおおおお!」

 誇らしげに胸を叩く伊依に、五樹は思わず大声をあげて手を叩いた。

 それがどれ程のことかわからないけれど、喜ばしいことに間違いない。沢山の人が通りがけに伊依の歌を聞くのだから。

「すげぇじゃん! やったな」

 二人の間では、伊依の活動について一つの約束がある。

 活動報告は、公式発表があってから行うこと。

 楽曲のカラオケ収録、新曲の発表、アルバムの発売。これまでLINALIAが行ってきた活動の全てを、五樹は公式発表の後に聞いていた。

 インターネットの扱い方を守るためだ。当初は互いに中学生であったため、いつどんな間違いをおかすかわからなかった。だから約束をしたのである。

 門外不出の情報を勝手に流してはいけない、リークは以ての外。その当たり前を徹底し、真面目に活動していくために決めたルールだ。

「伊依はすごいな」としみじみ呟けば、彼女は五樹を見ないまま、「すごくなんてないよ」と花のように笑う。

 五樹が褒めると伊依はいつも、自分なんてと謙遜して、曇りなく笑う。驕らず、そして自身の歌唱力を更に伸ばそうと努力を怠らない彼女は、五樹にとって英雄と同じように憧れだ。

「酒葉さん連れて一緒に見に行こうな」

「うん!」

 跳ねて喜んだ伊依が、ふと足を止める。ぼうっと何処かを見つめる彼女に「どうした?」と問えば、彼女は興奮した様子で、住宅の合間の細い道を指差した。

 つられて見れば石畳の道の先から、白い何かが近づいてくる。野良猫かと思って見ているうちにそれは段々近づいてきて、二人の目の前にやってきた。

 どうやらそれは猫ではなく、手のひらほどの大きさをした、白いくまの人形らしい。

「あ、お人形! 可愛いねぇ、誰かの才能かなぁ」

 くまの前に二人でしゃがみ込むと、くまも五樹たちを見上げる。首の可動域が少ないらしく、上目遣いのようになっていてとても愛らしい。よく見れば足の部分に茶色く泥がついており、靴下のような模様になっていた。道を走って汚れたのだろう。

 くまはこてんと首を傾げると、ぱぁと顔を輝かせ──人形だから表情は変わらないがそう見えた──踊りだした。小さな手足を目一杯伸ばして、ゆっくりとサイドステップを踏み、規則正しいリズムで手を叩く。

「きゃ〜! 可愛い!」

 伊依はくまと一緒に肩を揺らし始めた。鼻歌交じりの彼女を横目に、五樹はくまをじっと見つめた。それは機械仕掛けには見えず、ネジが付いてる様子もない。やはり誰かの才能──物を動かすとかだろうか。

 これを操っている誰かが居るのかと思って、あたりを見渡してみても誰も居ない。隠れて反応を楽しんでいるのだろうか。

「にしても、なんでこんなところに──」

 と、五樹がくまに手を伸ばした瞬間。

「待ちなさい!」

 誰かの大声がした。それと同時に何処からか、鋭い刃物が飛んできて、くまの背中にずぶりと刺さる。

「ああっ」と声を漏らした五樹が伸ばした指先で、刃物──鈍く金に光るナイフに貫かれたくまが、こてりと顔から倒れて動かなくなった。

 衝撃で裂け目から綿がこぼれ、柔らかな胴体がくたりと凹む。刃物は綿の支えを失って、金属音と共に地面へ落ちた。

「今度こそ捕まえたッ! 余計な手間かけさせんじゃないわよ!」

 声につられて顔を上げれば、いつの間にか視界いっぱいを覆うように、大柄の男が立っていた。

 藤色のハイライトカラーをいれた青紫の長髪を、三つ編みのポニーテールにして。色眼鏡越しに見える目は、深い緑色をした、目つきの悪く吊り気味の細目。

 紫のライダースにワインレッドのカットソーを着て、黒いパンツにスニーカー。金のピアスや指輪など、至るところに金属製の装飾をつけている。

 しゃがみこんだ五樹から見た彼は、猫背に見えるがガタイが良く、迫力のある出で立ちをしている。身長百八十は優に超えるだろう。借金取りにでも追い立てられている気分だ。鋭い目に睨まれて、ごくりと唾を飲む。

 その傍らで伊依は、震えながらにくまを持ち上げる。

「くまが、穴だらけになっちゃった」

 涙声で呟いた伊依に、「あ」と大男は気の抜けた声を出すと。

「びっくりさせた、かしら」

 罰が悪そうに頭を掻き、引きつった笑みを浮かべた。伊依はそれを見て、涙をためてしゃくり声をあげる。

「ちょ、泣くほどのことじゃないでしょう!」

「伊依落ち着いて」

「これには事情が……嗚呼もう、人形直すから泣き止んでちょうだい」

 五樹は二人の間に立って男性と向き合う。彼は少し困惑した様子で溜息を吐いた。

 本当に警察を呼んでやろうか。くまに刺さったナイフが彼の物なら、あわや誰かが大怪我をしていたかもしれないし、ナイフの刃渡りから見てそもそも銃刀法違反だ。

「なんなんだよあんた、いきなり。危ないだろ」

「だから、理由があるって言ってるでしょう」

 一触即発で睨み合う最中。大男の背後から、溜息交じりに靴音を鳴らして、誰かが早足で歩み寄ってくる。

けい、一度落ち着いてくれないかな。そろそろ本格的に通報されかねない──」

 見ればそこには、先程別れたばかりの哀川が立っていた。彼も五樹の存在を認めて、「君は、さっきの」と驚いたように目を見開く。

「哀川さん!」

「なによぜん、知り合い?」

「とりあえず、一回落ち着こうか」



「嗚呼もう、泣かないで頂戴。アタシが悪かったから」

 哀川に制されて、三人は道の傍らに寄った。大男は何処からか取り出した針で──何故それを持っているのだろうか──人形に出来た裂け目をちくちくと繕っている。伊依は鼻をすすりながら、人形が直るのを待っていた。

 五樹は伊依を背に庇いながらも、哀川と向き合って話す。哀川は走ってきたらしく、額につうと汗が伝っていた。

「申し訳ない。ただ、怖がらせる気は本当に無かったんだ。こちらも焦っていてね。えっと、君は──」

「俺は五樹。こっちは幼馴染の伊依」

「五樹くんに伊依ちゃんだね。改めて、僕は哀川仙。で、こっちの大きいのが」

加賀美景かがみけい。追加のカに祝賀のガ、美人のビの字でケイは絶景のケイよ。ほら、人形直ったわよ」

 加賀美はぬいぐるみの砂をぱっぱと払うと、哀川越しにそれを五樹へ投げて寄越した。彼は意外と手先が器用らしい。人形の綿はすっかり元通りになっており、伊依へ渡せば大喜びでくまを撫でている。

「五樹くんは、この人形をどこで?」

「ここを歩いてたら、この人形が急に来たんだよ」

「なるほど。嗚呼、僕たちは最近ここらで起きている、怪奇現象について調査していたんだよ」

「それが、この人形?」

「人形が子供を誘拐しようとする、という事案でね。君と最初に会った時も、人形を探していたんだ」

「人形が子供を拐うって、どういうこと?」

「先程君たちも、人形が動くのを見ただろう。ああやって子供の注意を引き、歩き出して、何処かに連れて行こうとするんだ。人形を追って道路に飛び出して、あわや事故にという話もあったらしい」

 思わず唇を噛む。子供の好奇心を利用した卑劣な犯罪だ。人形がひとりでに歩くわけも無いから、確実に才能の悪用による犯罪だろう。

「それって、誘拐された子も出てるの?」

「いや、実害はまだ出ていない。周りで見ていた大人が不思議がって声をかけたり、別の子供が引き止めたりでね。人形の方は、目を離している間にどこかに行ってしまうんだ」

 前例がないのならば、誘導される場所がどこかはわからないのだろう。くまが現れた際、近くに誰か居た気配は無かった。犯人は息を潜めているのかもしれない。

「何処へ連れて行こうとしてるのか、誰がこんなことをしてるのか、目的は一体……って感じなのか」

「嗚呼。わかっているのは子供狙いということぐらいだ。子供といっても広義で、五歳程度の子から高校生まで幅広いけれど……僕たちは人形が現れるのを待って、捕まえて様子を見ようと思っていたんだ。もしくは、わざと逃して後を追いかけたりね」

 彼の言葉に、五樹は目を閉じて考え込む。

 誘拐にしては、手法が雑なように思える。特定の誰かを拐うというより、子供であれば良いのだろうか。

 人形による子供の道路飛び出しが繰り返せば、そのうち警察沙汰にもなるはずだ。犯人が大の大人であれば──言い方は悪いが、子供を強引に車へ押し込むほうが早い。この犯行は悠長すぎる。

 人目につかない方法を選んだのか。否、周りの人間が不思議がって引き止めている時点で、かなり目立ってはいるだろう。

 誘拐に関しては、があるから。

「人形って、どういうとこに現れるの?」

「八桜子駅近辺の公園や通学路に、一人で居る子供の前に現れるらしい。人形は三種いるようでね、日に三度の目撃情報が二週間程続いている」

「でも俺たち二人だったよ?」

「嗚呼、さっきの人形はこの近くの公園に出たんだよ。人形を捕まえようとした際に、景が子供を泣かせちゃって。騒ぎになっている間に、逃げられてしまったんだ」

「わざとじゃないのよ、ただちょっと声をかけただけ」

「君はただでさえ身長が高くて顔が怖いんだ、子供と話す際は気をつけろと言っているだろう」

「急いでたのよ」

 唇を尖らせて、居心地悪そうに加賀美が目を逸らす。哀川が眉間にしわを寄せながら溜息を吐くのを見て、五樹は思わず苦笑いをした。

「それで二人は、その騒ぎをどうにかして追いかけてきたの?」

「いや、幻だけ残して追いかけてきたよ。そろそろ幻も消えて、皆が驚いている頃だ」

「逃げてんじゃん!」と五樹が大声を出せば哀川は、「急いでいたからね」と悪びれもせずに笑う。

 よく考えてみればさっきは、自分たちが危険に晒されていたのか。とすると加賀美は、手段は手荒だが助けてくれたということになる。

 責め立てた罪悪感が湧いてきて、五樹は加賀美の様子を窺いながら言葉を紡いだ。

「あの、ごめん加賀美さん。話も聞かないで、警察呼ぶとか言っちゃって」

 彼は一瞬目を見開くと、すぐさまふっと笑って見せる。

「良いのよ、気にしないで頂戴。元はと言えば怖がらせた私が悪かったんだし」

「景が油断して手を離すからこうなったんだよ」

「後始末もしたから良いでしょ。こうして人形も──って、あれ」

 呆れた顔で髪をいじりながら喋っていた加賀美が、ふと言葉を途切れさせる。そして驚いた顔で数度瞬くと。彼は呆けた顔で、五樹の後ろを指差した。

「伊依って子、どこいったの?」

「え」

 つられて振り返る。

 そこに、伊依は居なかった。

「伊依?」

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