第3話
一週間後、また彼女の講義を聴く日がやってきた。
彼女は、教壇に颯爽と現れた。僕は、最前列の中央付近の彼女の目の前の席に陣取っていた。相変わらず、お互いそっけないふりをしていた。
彼女は、財務省から持ってきた資料を配布し、バブル経済の発生と崩壊そして、その後の日本経済の長期低迷について解説を始めた。
「それでは、配布した資料をもとに説明していくので、一枚目を見てください。1985年にアメリカのドル高を是正するために、アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリスの先進5ヶ国の財務大臣と中央銀行の総裁がニューヨークのプラザホテルで開催された会議で、各国が協調してドル安に誘導するということを決定しました。これを、プラザ合意といいます。しかし、これを機会に、日本では円高によって輸出産業が不振に陥りました。では、この円高不況を乗り切るために、日本銀行は何をしたでしょうか? 解る人、手を挙げてください」
この講義には、二十人ほどの学生が参加しているだけである。彼女は、もうほとんどの学生の顔を覚えているに違いない。
「誰も手を挙げないの、しょうがないわねー、じゃあ、一番後ろの右端のあなた」
「解りません」
「こんなことも解らなくて、あなた何しにここへ来てるの! 名前は?」
「寺内です」
「寺内君ね。もう覚えたから」
彼女は、名前を覚えるのが得意であることを、僕は知っている。それと、寺内は確かS高校出身で一橋大学経済学部出身の秀才だと思ったが。
「じゃあ、山口君」
いやー、予想外の展開だ。まさか、僕に答えさそうとするとは思ってもいなかった。
「おい、山口、どうした、もたもたしてんじゃねーよ!」
やっぱり、彼女はサディスティックなところがある。いや、ヒステリックか?
「はい! 何でしたっけ」
「お前、ふざけんのもいい加減にしろ」
彼女は、声を荒げて、僕を睨んだ。
隣に座っている、橋本が見兼ねて僕に、教えてくれた。彼女の質問を。
「はい! て、ていきんりせいさくです」
「解ってるんなら、早く言いなさいよ!」
彼女が、ヒートアップしたら最後。この講義は、とても冷たい時が流れることになるであろう。あと、何分だ、まだ三十分しか経っていないじゃないか。僕は、そう思った。
「それでは、次に進みます。この日銀の低金利による金融超緩和政策は、日銀貸し出しの急増、民間金融機関の貸し出しの急増を招くことになります。この貨幣供給量の巨額の増大は、土地や株式の購入に向かうことになります。その結果、地価や株価が急激に上昇することになり、これが、バブル経済の発生ということになります。この異常に吊り上がった地価と株価に懸念を抱いた日銀は、1990年代に入ると公定歩合の引き上げを行いました。また、不動産融資の総量規制も行われました。このような、金融引き締めの結果、地価と株価は暴落することになります。こうしてバブル経済は崩壊したのです。この結果、日本経済は長期低迷に入るわけですが、何が日本経済を苦しめたのでしょう。わかる人は手を挙げてください」
先程の出来事もあり、既に、みんな凍り付いていた。誰も、微動だにしない。
「いい加減にしてください。みんな、わたしの話し聞いてるの? 何か言ったらどうなの! オイ、黙ってんじゃねーよ! ふざけるな!」
とうとう、彼女の逆鱗に触れてしまった。
「真ん中の列の左側の女の子答えてみて、あなたよ! きょろきょろしない!」
「……」
「あなた、女だからって容赦しないわよ!」
彼女のサディズムに火が付いた。
「こんなことも解らないで、本当に大学院受かったの? ここには、馬鹿しかいないの? これからの講義の方針を考え直さなくちゃいけないわね。しょうがない、名前だけ名乗りなさい」
女子学生は、涙を流し始めた。
「あなた、年いくつ? 泣いたって許さないわよ!」
「つ、つ……」
「聞こえねーんだよ! この阿保たれ!」
ここまでで、女子学生が指されてから約二十分ほどの時間が経過していた。
「誰か、あの子の名前教えて?」
すると、僕の隣の橋本が答えた。
「桜井さんです」
「あなたは?」
「橋本です」
「じゃー、あなた答えてみなさい」
「不良債権です」
「橋本君、あなたのこと、この目に焼き付けておくわ」
そー言えば、この橋本、A高校出身で慶応大学経済学部を首席で卒業した天才だった。確か、桜井さんはT高校出身で東北大学経済学部を出ている才色兼備の持ち主だと思ったが。
「山口君、何ぼけーっとしているの?」
「えー、平成不況について思いを馳せていました」
「なかなか、感心するじゃない」
「このバブル崩壊は、地価を下落させ土地の担保価値を暴落させました。これにより、銀行の抱える不良債権が膨らんだのです。この巨額の不良債権を処理することが、日本経済を立て直すきっかけになると言われてきました。しかし、銀行にとって貸し付け先の企業から融通した資金を回収することが不可能となると、銀行自体が破綻することになりました。実際、北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行が破綻したのは、金融業界に激震が走りました。ここで、話しをやめます。そこで、皆に問いたいのです。日本経済の停滞は、現在も続いているのでしょうか? これから、紙を配るので、それぞれが感じていることを論述してください。残りの時間で、記述してもらいます」
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