第2話

 僕と由樹ちゃんとの再会は、僕が大学院一年の時、彼女が財務省から客員教授として、僕が通う大学院に派遣されてきた時だった。彼女の講義科目は、日本経済論だった。

 僕は、最初の講義の日、一番前の真ん中の席に座っていた。そこへ、女性の教官が入ってきた。

「日本経済論を受け持つ恩田由樹です。財務省から来ました」

 彼女がそう言うと、僕は「えっ、由樹ちゃん?」と心の中で叫んでしまった。そして、彼女の顔を僕は注視した。高校の頃のあどけなさは、今の彼女にはなく、艶っぽい女性に変貌していた。僕は、目の前にいる女性が「恐らくあの由樹ちゃんだろう」と察しがついた。目の辺りに確かな面影はあるし。そんな風に考えると、なんだか、自分の顔を見られるのが、恥ずかしくなり、下を向いて講義が耳に入らなくなった。「そこのあなた」いきなり、彼女に僕は指された。彼女は、次のような質問を僕に、投げかけてきた。

「景気動向を探るうえで極めて有用なデータとなっているものがあるのだけれど、何か答えてくれる?」

 まさに、青天の霹靂だった。

 とりあえず、一息ついてから「はい」と言って、僕は立った。

「四半期ベースで発表される、日銀短観というものがあります」

「正解。名前は?」

「山口良平です」

「あっそー、よく勉強してるわね」

 彼女は、僕に対してそっけなかった。

 その後、彼女は、僕に目もくれず講義を進めていった。


 講義が終わり、僕はレジュメを整理していると、突然、彼女が話しかけてきた。

「リョウちゃん?」

「やっぱり、由樹ちゃん!」

「そうです。高校の頃は、大変お世話になりました」

「そんなに、大したことしてないから」

「でも、わたし、あれからアマチュア無線の免許取れたんですよ」

「それよりも、友達から聞いたんだけど、東大に行ったんだってね。キャリア官僚とは、すごすぎるよ」

「ヤダー、リョウちゃん。恥ずかしいじゃないですか」

「それじゃ、次の講義に遅れちゃうから、じゃあ行くね。とりあえず、携帯の電話番号教えとくから、なんかあったらここに連絡ちょうだい」

 そう言って、僕は、彼女に電話番号をメモった紙を渡して、次の講義へと向かった。


 その日の夜、十時ごろ携帯電話が鳴ったので誰かなと思って、見てみると知らない電話番号なので出なかった。その後、暫くして、また携帯が鳴った。また同じ番号だった。

 僕は、だんだん不安になってきた。何か他人に恨まれるようなことを今日一日のうちで、いや、今までで、僕はしたのであろうか? それとも、妬まれるようなことを……。

 そんなことを考えていると、また携帯が鳴った。一体、誰の仕業なんだ! そう思って毅然とした態度で携帯に出ることにした。

「ハイ!」

「恩田ですけれども、山口良平さんですか?」

「なーんだ由樹ちゃんだったのか。誰か僕を恨んでるやつが、脅迫の電話してきてるに違いないとおもったよ」

「やだリョウちゃん、わたしの講義が終わった後、電話番号教えてくれたじゃないですか」

「そうだったっけ?」

「失礼しちゃう」

「ごめん、ごめん。それで何で連絡してきたの?」

「リョウちゃんは、週末何して過ごしているのかなーと思って」

「洗濯をしてから、部屋の掃除をして、軽く昼食を摂って、午後から散歩して、外の空気を吸ってリフレッシュしつつ、夕食の食材とビールを買って帰宅するって感じかな」

「ビール好きなんですか? わたしは、ワインをよく飲むんですけど、リョウちゃんはワインなんか飲みますか?」

「僕は、ビールを嗜む程度で、ワインは飲んだことないんだ」

「じゃー今度、飲みに行きませんか?」

「いい店知ってるの?」

「表参道辺りに、何軒かいいお店ありますよ」

「高くない?」

「値段がですか?」

「そう、値段」

「いくらくらい、だせますか?」

「一万円くらいなら」

「それなら、それに見合ったモノをたのみますよ」

「なんか、由樹ちゃんて大人だね」

「茶化さないでくださいよー」

「いや、そういう訳じゃなくて、由樹ちゃんは立派な社会人なのに、僕は、まだ学生だし、恥ずかしいなと思って」

「今は、勉強頑張ってください」

「そうだよね」

「ところで、リョウちゃんは、何の研究をするんですか?」

「今、興味があるのはマルクス経済学で、きっちりと『資本論』を読みたいと思ってる」

「なるほど、マル経を。なぜ?」

「資本主義経済について、『資本論』から理論を学びたいんだ」

 僕が、こう話すと、彼女は黙ってしまった。携帯電話を持ったまま、少し沈黙の時間が流れた。そして、彼女は「また電話します」と言って、電話を切った。

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