振り返ったところにある指令

 暮れなずむ町の中をひとり歩いていると、背後で石臼をするような音が鳴った。今となっては親しみすら覚えるその音が鳴り止むのを、ちょっと足を止めて待つ。そのうち音が止んだので、僕は振り返った。


 地面に、何か紙のようなものが落ちている。紙には墨で、


『神流川。石三つ。松村神社へ。鳥居の下へ』


 と書いてあった。僕はそれを見て声を漏らした。


「……結構遠いな」


 この奇妙な指令が書かれた紙が、石臼をする音とともに現れるようになったのは今から三ヶ月ほど前のことになる。その時も、今日のような黄昏時で、耳慣れない音に振り返ってみると、『鎮守の森。樹に綾つ子印。枝を折れ』と書き記された紙が残されていた。


 その時は、たまたまとても暇だったので、やってみる気になった。何か報酬を期待してのことではなかったというわけだ。しかし、実際にやってみたところ驚いた。


 それを達成した途端、また背後からトスンと物が落ちる音がした。そして、振り返るとそこには札束が落ちていたのだ。


 暇つぶしにやっていたことだったが、報酬が出るとなれば話が違う。金はあればあるほどに、良い。そんなわけで、僕は時々現れるその〝任務〟を淡々とこなすようになっていった。それは、ある場所から物を別の場所へと移すものだったり、特定の場所に印を付けるものであったり、とにかく何か儀式めいたものではあったが、苦労するようなものではない。三ヶ月も経つと、僕はちょっとした金持ちになっていた。


 今日も、札束を求めて指令にあった川に行き、石を拾って、神社の鳥居の下に置いた。


「さあ、金を寄越せ」


 トスンと音が鳴った。重さを感じるその音に僕はニヤニヤとした笑みを浮かべながら振り返った。


 金はあった。が、その金の側に見慣れぬ相手が立っている。


 僕よりも、頭ひとつ分はでかい大男で、黒い帽子に黒いスーツという全身黒ずくめの格好で、奇妙なことに耳が尖っていた。


 音もなく彼が現れたので、僕は肝を潰した。


「だ、誰ですか?」


「私は、あなたに指令を出していたものです」


「え、そうなんですか」


 少しオカルトチックなものを感じていたからか、意外に思った。わざわざ姿を見せないように、紙を用意していたかと思うと滑稽にすら思える。


 僕は固くしていた表情をゆるめ、いくらか気安く質問をした。


「どうして、僕にこんなことやらせたんですか。こんなことお金を払ってまでやらせることじゃないでしょう」


「いえ、私はあなたに感謝してますよ。私にはできなかったことですから」


「それにしたって、あんなコソコソと姿を見せずにやることないじゃないですか。最初は、何かもののけの類かと思いましたよ」


 男がそこで笑顔を見せた。何か底冷えのするような、不気味な笑顔だった。


「我々は、昔からの約定で、人間の前に姿を見せてはいけないことになっていたんです。だから、本当にあなたには感謝しているんですよ」


 その時、背後から、不気味な音が響き始めた。古い扉が軋んだ音を立てながら開いているかのような、耳障りな音が。


 背後が気になって、やきもきとしているところで、男が言った。


「金で、町を売り渡してくれた。あなたには感謝しています」


 僕は、後ろを振り返った。

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