分からない動機

 今朝、学生が同級生を刺し殺したというニュースを見た。そういう事件自体は次の日には頭の片隅に追いやられてしまいそうな、非日常ながらも遠くの僕たちにはありふれたニュースだ。けれど、事件直後で、犯人の動機がまだ分かっていないらしく、そのことがどうも僕の心に残った。


 朝食を摂りながら母が言った。


「いじめられてたのかしらねえ……恨みは買うものじゃないわ」


 母のなかではすでに、被害者がいじめっ子、加害者がいじめられっ子の図式が出来上がっていたようで、そう結論づけた。


 父は言った。


「現代っ子なんだし、現実とフィクションの区別がつかないんだろ。おまえは、気を付けろよ」


 父の中ではすでに、ゲームやアニメが原因で、犯行を起こしたと決まっているらしく、僕に忠告を与えた。


 その感想の違いが、面白いと思った。人が人を殺すのに納得する理由を、母は怨恨に求め、父はモラルの低下に求めている。


 ニュースでは、動機は分からないとしか言っていない。だというのに二人は勝手にそうやって穴を埋めて、納得してしまっている。


 そういえば、どこかのゲーム会社の元社員が、人には穴を埋めたくなる本能が備わっているという話をしていたな、とその時僕はぼんやりと考えていた。


 後日、犯人の動機は「言い争っているうちについカッとなって」というものだと報道があった。


 フタを開けてみれば、こんなものだ。ありがちな動機だ。換言すればつまらない動機だった。そこにはフィクションの黒幕のような信念も信条も感情も見られない。ずいぶんと動物的なものだった。


 ため息が出た。僕は少しばかりがっかりしていた。


 ハッとなった。がっかりした自分に驚いたからだ。


 もっとドラマチックな展開がそこには隠されているのだ、と知らぬ間に期待していたとでも言うのだろうか。


 人が人を殺すのだから、陳腐で、衝動的なものではなく、もっと深刻で、重大な動機があって欲しいと思っていたのだろうか。


 もしかしたら、動機が分からない時期に僕が惹かれた理由は、それが関係してるのかも知れない。そう思った。


 実際は案外かんたんに人は人を殺してしまうということを認めたくなかったのだ。

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