真夏の昼の犬
夏休み。特にすることもなく、なんとなくで出かけたコンビニまで道の途中で、犬と出会った。
頭上の青空には雲一つなく、そこから降り注ぐ陽光が、路上にくっきりとした影を作っている。暑さを避けるためだろう。犬はそのブロック塀が作る物陰で舌を出してだらしなく横たわっていた。
犬は首輪をしていなかった。
野良猫を道端で見かけることはたびたびあったけども、野良犬となるとちょっと思いつかない。
そもそも狂犬病やらの対策のために、人の管理下にない犬は保健所に連れて行かれるはずだから、捨て犬がこの大きさになるまでたくましく生きてきたとも考えづらい。見た目も、そこまで汚れている風ではないし、たまたま首輪が付いていないだけの飼い犬が逃げ出した、と考えるのがもっとも妥当なところだろうか。
立ち止まっていても、とめどなく汗が吹き出る程度に外気は熱されているので、こんな犬などはさっさと無視して冷房の効いているコンビニへの道を急ぐ方が良いということは明白であったが、どうもその犬のことが気になって、私は近づいた。
へっへっへっへっと呼吸する犬の声が、生々しく耳元へと届く。「あなたたちの世話だけで充分!」との母の一声で我が家で犬を飼ったことはないし、友人連中にも不思議なくらい愛犬家がいないから、思えば犬とこれだけ接近するのははじめてのことかも知らなかった。このペット全盛期の現代社会で、もはや私のような人間は絶滅危惧種なのではあるまいか。
せっかくだし、撫でるか。
膝を軽く曲げておもむろに手を近づけていったところで、犬が鳴いた。
「嬢ちゃん、こう暑いのに、べたべた触るのはやめてーな」
私は後ろを振り返り、あたりを見渡した。周囲に、私以外の人影はない。
「あんたやあんた。そこの嬢ちゃん」
もう一度視線を戻す。犬が鳴いていた。
「そうあんたや。仮に暑くなかったとしてもパーソナルスペースは大事やで。人間そういうとこ気にしていかな」
いや、犬が喋っていた。
ふてぶてしい顔で地面に寝そべり、あいも変わらず可能な限り体温を下げようとへっへっへっへっと舌を出している犬が、私に話しかけてきていた。
「は、え? なんで喋ってるんですか?」
私は、当然の疑問を口にした。
当たり前だが、犬は人語を話さない。犬であって人間ではないのだから。そもそも喉の形自体、発音に向いていないのだ。
なのに今、事実として、目の前の犬は喋っている。
これには、クラスメイトから「あんたがいると気温が一度下がる」と言われる程度の鉄面皮持ちとはいえ、困惑せざるを得ない。
というかなんで関西弁なんだ。
犬はうなり、言った。うなるように言ったのではない。実際うなって不満を述べた。
「犬が喋ったらあかんのか! そういう日ぐらいあるわ!」
犬歯をむき出しにして、犬は「用がないならはよいねや!」と、人間でもなかなか見ない短気っぷりを発揮して、私を邪険に扱った。
私も私で、異常現象に見舞われて、正常な判断力を失ってしまい、深く考えるより前に相手の言うことを聞いていた。
コンビニに行くことも忘れて、家への帰途の道へ着こうと踵を返した時、後方から、へっへっへっへっという呼吸音が聴こえてきた。
その音がしなくなったあたりで、私は思った。
犬って喋るとあんまかわいくないな。
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