多様性社会において多様性を尊重された結果
今は個の時代だと人は言う。
ゲイだとかレズだとかノーマルだとか、肌の色が何色だとか、何が好き何が嫌い、例え人と全く話さないような性格でもそれは一つの個性だ、と。
そう言ってみれば聞こえ自体はいいんだけどねえ……。
私は言う。
現代は〝孤〟の時代である、と。
間違いなく人と人との真なる交流の絶えた孤独の時代であるとここに断言させてもらおう。
たしかに、多様性の尊重、グローバル化、SNSの発達の潮流に乗り、人は昔より多くの人と関わるようになった。
しかし見ろカフェやらファストフード店やらファミレスで向き合って座る人間たちを。
目の前に相手がいたとしても手にはスマホ、会話もアプリ、ときたま趣味の話をしてみようものならば「私はあなたの意見を尊重します。その代わりあなたは私の意見に口を出さないでください(意訳)」といったアウフヘーベンに至る気もないような中身のない会話ばかり。
変に相手の嫌いなところや直して欲しいところを指摘してみれば、差別発言だと謗られかねない。
人類は、多様性を手に入れた。
しかし人類は多様性の利点を最大限享受できるほど、器用な生き物ではないように思える。
だからもし、過去に戻れることなら父さん母さんよ。私の願いを聞いてほしい。
「右手が疼く! とか封印されし力が! とかが恥ずかしいことだと言うことを、もっと早く言って欲しかった……!」
魂の叫びが、六畳一間の寂しげな部屋にこだまする。
中二病も一つの個性だから……で終わらせたお母さん! まあ、そういう時期もあるだろう、で納得したお父さん! おもしろーいってバカ笑いし続けたトモちゃん! なぜ私を止めてくれなかったのですか!
その結果がこれである。大学生になるまで中二病の治らなかった私に対する世間の目は想像以上に冷たい。いや、実はそんなに冷たくない。
彼らも多様性は尊重してくれるのだ。
彼らは言う。
「あーそういう感じか。でもこれも多様性だよね! 私は関係ないけど」
冷たい目で見られる事はない。そもそも見ることすらしないのだから。
今日も私はこの侘しい部屋で一人である。中学高校と中二的思想に勤しみ絶対的にコミュニケーションの経験値の足りない私は、おそらく社会に出ても孤独なままなろだろう。
部屋の隅にかけられたワイシャツが白く光る。
「個性の過剰な尊重は、子どもに毒だと声を大にして言いたい!!!」
私はまた叫んだ。
ドン!! と隣から抗議の音がした。
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