ギフト・ワーカー/【ワンカット】
「……少しは身構えたつもりだったが、なんの策も講じていないとは思わなかったよ」
「だれ?」
アルアミカが棺桶から視線をはずし、背後を振り向くと、フルッフが着地したところだった。
敷き詰められた葉は、足音をより聞こえやすくしてくれているが、相手が人間だった場合は有効に使いものになるものの、魔女に向けては効力が薄い。
魔法を使って浮かんでしまえば、足音を消すことなど難しくもなかった。
「お姉ちゃん、だれ?」
と、警戒心をまったく抱かずに、
アリス姫が魔女・フルッフに近づいていった。
「おや、目を醒ましたんだね」
彼女は残念そうな顔をした。
「意識がなければ刻印に触れることで、【順位の入れ替え】ができたのだけど、意識があるとなったら、君を傷つけなくちゃならないんだ――君に恨みはないけど、ごめんね」
「ダメっ! 戻って、アリスッ!!」
「え、母さ――」
振り向いたアリス姫の背後、鋭利な枝が急成長して伸びている。
刃と見間違える枝先が複数、アリス姫を貫こうと迫っていた。
――次の瞬間、地面に落ちていた葉が周囲に舞っていた。
倒れるアルアミカが、アリス姫を抱えている。
……その肩には、鋭利な枝が突き刺さっていた。
貫通した枝先から、血液が伝って滴り落ちていく。
ぎゅっと目を瞑っているアリス姫にかからないように、片方の手の甲で滴る血を受け止めた。
「……っ、痛ッ」
ずずず、と貫通した枝が乱暴に抜かれた。思わず声が漏れる。
「こんなものじゃ済まさない」
「フルッフ……」
「お前だけは、絶対に……ッ!」
膨らむ敵意に、さすがにアルアミカも話し合いの場にはできないと動き出す。
身に纏う黒いローブを広げ、フルッフの視界から自分たちを隠す。
しかし、再び伸びてきた鋭利な枝先が、容赦なくローブを突き破り、アルアミカの腹部や腕を突き刺した。
「がふっ」と、吐血しそうになったが、意地でも口を開けないでなんとか堪える。
視界の端、顔の真横を通り過ぎる枝の行き先が、目を瞑っているアリス姫だと気づき、手を伸ばしてぐっと引き止めた。
木の表面を握った手の平が、血だらけになるくらい、まるでヤスリのような手触りだった。
「と、まれぇッッ!」
小さな棘が手の平に何十本も突き刺さりながらも、枝の勢いを止めた。
しかし、一本では止まらない。
穴だらけになったローブでは、もう目隠しにもならず、ただの的である。
……このままじゃ、アタシだけじゃなくて、この子まで……っ。
フルッフの狙いはアルアミカだが、かと言ってアリス姫を見逃すわけもない。
魔女たちが巻き込まれているルールに則り、順位を奪うはずなのだから。
……守ると言いながら、アルアミカにはなんの力もない。
魔法を失った――運動能力も特別、良いわけでもない。あるのは知識だけだ。
ただその知識も、魔力がなければ意味がなく、宝の持ち腐れだ。
……どうしたら守れるの?
『魔法ばかりに頼っていたら、いざ魔法が使えない状況に追い込まれた時、なにもできなくなる……だから日頃から、体も適度に鍛えておくように』
以前、先生からそう教えられた。
当時はあっという間に忘れて、日頃の運動さえも怠っていたアルアミカがどうして今、日常に埋もれてしまっていた言葉を思い出したのか。
なにを示唆している……?
『魔法を使えない魔女は、人間以下に成り下がる可能性もあるんだからな』
魔法の有無という差があるだけで、魔女も、人間も、変わらない。
「……自分が魔女だから……そっか。
与える認識しかなかったけど、貰い受けることだってできるのよね」
「?」
小さな呟きだ。フルッフから、アルアミカの口の動きは見えていない。
「守ることは誰だってできる。ディンゴがそうであるように、別に役目をあえて決めなくたって、守りたいという意志があれば、誰が誰の味方をしようが関係ないんだから!」
「痛みで理性が吹き飛んだのか?」
「いいや、アタシは冷静。今はとっても冴えてるね。……呆れちゃうよ、魔法を失った時点で、なんで気付かなかったんだろうって、ちょっと後悔してる。
魔法を持たないアタシが無能なせいで、この子には危ない目に遭わせてばかりだった……、アタシに力があれば、ちゃんと守れていたのに」
「……? いや……——それって、まさか!」
「絶対に逃げない。必ず守り抜くという、証明を!」
魔女は、選んだ人間を、自身の味方につけることができる。
己の魔力を分け与えた、『
最大数は五人。
それより少なくとも問題はない。
眷属は魔女の壁として機能し、相手の魔女の眷属から、攻撃を受けることがなくなる(眷属を持つ魔女同士であれば関係ないが)。
壁がある以上、生存している眷属を倒さなければ、眷属から魔女への攻撃は通らない。
それは眷属を持たない魔女も同じこと。——そう、眷属を持っていないフルッフは、もしもアリス姫が眷属を作った場合、攻撃が通らなくなる。
――アルアミカという、眷属を始末しない限り。
「魔法が使えてるフルッフは、眷属を作っていないみたいだね」
「……眷属を作れば、魔力を分け与える性質上、魔法が使えなくなる。
眷属に身の安全を預けられるほど、僕は人間を信じられるわけじゃない!」
「そっか。フルッフは人見知りをするものね」
アルアミカは少しずれている。
いや、ずれているのは、どっちだ?
「……逃げられなくなるぞ」
「逃げないよ、もう離れない。眷属であれば、少なくとも魔女側から眷属の居場所は分かるし、決して裏切ることもできない。
管理下に置く――元々そういう意味で作られたシステムでしょ?」
「だからっ、その子に、君は奴隷のような扱いをされても逃げられないんだぞッ!?」
「うん、だから、逃げないって」
「どうして……ッ、その子が一体、お前になにを与えたんだ!?」
アルアミカは困った表情を浮かべた。
「……感情的な話だし、言葉にするのは難しいよ。でも、偶然にしても、この逃げられないはずの運命から助けてくれたのは、この子だから。
アタシに、生きる希望をくれたから。あと、アタシ、この子のことを見捨てたくなくなっちゃったから。逃げないって、思えたんだよ」
そしてこれは、反省でもある。
「言いたいことはなんとなく分かるよ。アタシたちも、どっちかが眷属になれば良かったね。
そしたら裏切れないし、離れることもなかったんだから」
「……無理やり言うことを聞かせても、意味なんかない……っ」
フルッフの呟きは、アルアミカには聞こえなかったようだ。
「魔女同士でできるのかは分からないけど。
……順位がどう扱われるのか分からないし、たぶんできないのかな」
「………………もういい」
フルッフが会話を断ち切った。
これ以上聞いていたら、頭がどうにかなりそうだった。
「魔女をやめたどころか、人間の奴隷にまで成り下がったお前は……僕だけでなく、魔女にとっても裏切り者だ。
……見せつけやがって……。
どれだけ僕の心をぐっちゃぐちゃにかき回せば気が済むんだ、おまえはァッ!!」
身構えたアルアミカの服が、後ろへ引っ張られた。
「母様。よく分からないけど、でも、わたしはなにをしたらいいの?」
彼女は、事情が分からなくとも、自分が必要とされていることは分かったようだ。
アルアミカが屈み、彼女と目線を合わせる。
「アタシが、アリスをずっと守る、っていう証明」
「しょうめい?」
「言葉だけじゃ嘘かもしれない。途中で心変わりするかもしれない。
そうさせないために特別な関係を築いて、離れないようにするの」
「母様は、どっかにいっちゃうかもしれないの?」
「いかないよ。でも、目に見える、アタシとアリスの絆が欲しかったの――」
アリス姫からすれば、もう既に親子という目に見える絆がある。
だが実際は、母親の代替物であるアルアミカ(……他人)だ。
その齟齬に違和感を抱きながらも、やはり答えまでは到達せず。
「…………どうしたらいいの?」
そして。
「――懐かしい感覚」
体内を巡る魔力。
若干、体温が上がった気がする。取り戻した魔力に体が喜んでいるのか、気分が高揚しているのか、アリス姫に、頬にキスされる、という行為に、照れているのか――答えは分からない。
では、頬を手で触れて、にやけてしまうのは一体、なぜだろうか。
「父上」
ひょこっと顔を出したアリス姫に気付いて、ディンゴが飛び起きたが、棺桶の内側に思い切り頭をぶつけてしまう。
「……だいじょうぶ?」
「大したことないです。……外の様子はどうなってます?」
「外?」
「僕は棺桶の外の様子がまったく分からないので」
声は聞こえていた。
アルアミカとフルッフの、傍から見れば痴話喧嘩のような言い合いに口を挟む気も、急いで出ようとする必要もないと感じて、出る努力をしなかったが……、
外の空気が変わったことだけは分かった。
「母様と、お姉ちゃんが、ちょっと喧嘩中……」
子供が見ればそう説明するだろう。
事態はもっと複雑だが、分かるはずもない。
「父上は、わたしと目に見える絆って、欲しいと思う?」
「……なんです、それ」
「母様が欲しいって。親子なのに、もう絆があるのに。
……わたしって、信用ないのかなぁ……」
むすっと、むくれているアリス姫を真下から見られただけでも、棺桶に閉じ込められて良かったと思った。……ともかく、寂しがっているアリス姫を長いこと見ているのはつらい。
「信用がないから、ではないと思いますよ。ペアリング、みたいなものでしょう。深く考えて提案したものではないと思います。
作りたいから作ってみた、二人で共有したなにかがあれば、思い出になるだろう……その程度ですから、落ち込むことも寂しがる必要もないです」
「そう、かなぁ……。うぅん、そうなのかも。
確かに母様と父上相手にお揃いのリングとか、意味もなく持ちたいって言うかもしれない!」
納得できたようで、元気を取り戻したようだ。
「父上は、わたしと絆が、欲しい?」
アリス姫からそう聞かれてしまえば、断るなんて選択肢は存在しない。
「当然、欲しいです」
「じゃあ、もっと、こっち寄って寄って!」
棺桶の隙間から顔を突き出すように体を起こすが、しかし厳しい。
それを見ていたアリス姫が、じゃあ自分から、と、ぐいぐいと体を捻らせて狭い隙間に顔を入れると、すぽっと首から先が入ってしまった。
……近い。
加えて、おかしい。
ディンゴはどれだけ彼女と密着しようが、偶然を装い、胸を触ろうが尻を触ろうが、肌に手を這わせようが、なんとも思わなかった。
慌てる姫とは反対に、冷静さを貫くことができていた。
……なのに、それがなんだ。今は、心臓の音が鮮明に大きく聞こえる。
『変態』呼ばわりされ、罵倒を言われ続け、嫌われてはいないにせよ、気持ち悪がられていることは自覚している。
それが、冷静にちょっかいを出せる理由にもなっていたのかもしれない。
ある程度、拒絶されているバランスだったからこそ、ふざけられた。
だが、今のアリス姫は、好意を直球でぶつけてくる。
慣れていないディンゴは、さっきからずっと押し負けてばかりだった。
「どうして離れるの?」
アリス姫から遠ざかろうとするが、狭い棺桶の中ではこれ以上は離れられない。
「離れますよ、近いんです」
「動かないで、もうっ、父上っ。
……やりにくいけど……うーん。えいっ」
と、アリス姫の唇が、ディンゴの唇と重なった。
「――ッ、っ!?!?」
秒にも満たない一瞬で唇が離れたが、体感ではかなりの時間として引き伸ばされた。
「――ごちそうさまでしたっ、父上っ!」
―― 完全版 ――
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