第19話 序曲

静寂に包まれた夜の街レイヴン、喧騒はなりを潜め、人々は各々の家に入り、それぞれの好きなことをしている。


ここ、ライルノット家の者達も同じく何かをしようと準備をしていた。


「デブリ、神剣は手に入れたのかしら?」

黒いモヤに包まれた人?いや人とは形容しがたいような謎の物体が、そう言葉を発す。


「い、いいえ、まだで、ご、ご、ざいます」

謎の黒いモヤに話しかけられた太った男性は震えた声で答える。

男性はその黒いモヤに対して土下座の体勢をとっていた。


「あら?何をそんなにビビっているの?」

すると、黒いモヤは徐々にその男性に近づく。

「はっ、はっ、いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!それだけはそれだけはやめてください!」

近づいてくるモヤに男性は異常な程ビビる。冷や汗がどこからも溢れ出て、床が汗で染みてしまっている。


「ふふ、期限切れよデブリ。はぁ本当なら今日までに神剣を奪って来てもらうのが確実だったんだけど·····まぁいいか、丁度彼から明日計画を決行するって連絡来たし、街を滅ぼせば変わらないっしょ、と、いうことで!デブリ君、君にはお仕置しないとね♡」

弾むような声と共に、黒いモヤはその中心部から多種多様の拷問器具を取り出す。

その拷問器具のあらゆる所に血がついていることからこのデブの男性は何回もその”お仕置”とやらを受けてきたのだろう。


「し、失敗したのは俺じゃない!ルーシーだ!だから!ルーシーにお仕置してくれ!俺は俺は悪くない!」

どこまでもクズ男である。


よもや命令した自分が一切の責任を負う気がなく、奴隷であるルーシーに責任を押し付けようとするとは。


「貴方という人は、どこまでいっても·····」

そんなクズ男に鉄槌を下すように黒いモヤは男の腕を切り落とした。


「ギャイヤァァァァァァァァァァァァァッ!」

赤い鮮血と共に男の絶叫が鳴り響いた。




それを天井裏から覗く一つの人影。

「よもやこんなことになっていようとは········そしてあの黒いモヤは一体なんなのだ?·····分からないことが多すぎる」

ボソボソと小さな声で呟くその正体はレイヴン・アダリーシアに命令され、ここライルノット家に調査に来ていたビル・アイフゾクトであった。


(収穫があるとすれば、明日、この都市レイヴンを巻き込んだ何かが起こるということだけだ)

「これは深く調べる必要があるようだ」

そう言い残し、ビルは天井裏から姿を消した。






そして迎えた次の日


「うひゃーでけー」

横を見れば端が見えないほど横長く、上を見れば太陽が隠れるほど高い屋敷、ここがライルノット家本家である。


「全く、そんな田舎臭さを出さないでもらいたいですね、田舎が伝染る」

「るせー」

俺の隣で俺を見下したようなことを言うルーシーはピチピチな黒いスーツを着こなし、真っ黒な瞳が目立っている。


奴隷紋の解呪には二つの方法がある。一つは奴隷の体に刻まれている紋章に奴隷に所有者の直筆サインをその所有者自身の生血で書く方法。


もう一つはその所有者を殺す方法である。


だが、今回は所有者をわざわざ殺さなくても良い。

なぜなら姫様から”王女命令”なる指令書を貰っているからだ。


この王女命令には王女様より下の身分の者は逆らうことが出来ない。

その王女命令により、俺は安心安全にルーシーの奴隷紋を解呪することが出来るのだ。


しかし、こんな横暴な命令が簡単に通る訳では無い。

もちろん、姫様より上の者の許可が必要だし、正当な理由づけもしなくてはならない。


その理由として姫様は”魔力保有者を奴隷として酷く扱っている、これは立派な法律違反である”という文言を並べ立てた。

そうこの都市レイヴンには魔力を持つものを奴隷として扱ってはいけないという法律がある。


その法律に則り、姫様は王女命令を発行した。もちろん、すぐに姫様の上の身分の人である第一王女レイヴン・クロミウェルの許可もおり今俺は、こうやって堂々とこの場所に立つことができるのである。


ちなみにルーシーはこのことを知らない。というかそもそも俺が持っている紙のことをなんでも命令できるすごい紙、くらいの表現でしか説明していない。


「さーて、さっさと終わらすぞ」

そして俺はザッとライルノット家の砂利に足を踏み入れた。



すると、がちゃりという鉄と鉄が擦れたような音と共に、俺の目の前で二本の槍が交差する。


「どなたでしょうか?ここはライルノット本家とご存知の上での行為でしょうか?」

「おいおい、あんたそんなに強気に出てもいいのかい?こっちにはこれがあるんだぜ?」


その俺の前に出てきた重そうな鎧を着ている騎士のような二人の人間のうちの一人に姫様からもらった”王女命令”を見せつける。

その王女命令をビビりながら手に取ったその騎士はその中身を確認した。


「こ、これは大変失礼しました!どうぞお入りください」

「うむ苦しゅうない」

俺にへりくだり、頭を下げた二人の騎士を横目に堂々とライルノット家の芝生を闊歩する。


「あなた、権力の元だととことんクズよね」

ため息混じりのルーシーのその言葉は俺の心を深くえぐった。


「·····るせーよ、俺だって権力持ちたかったんだもん」

ぷいっとルーシーから顔をそらす。


「かわいくありませんし、需要もありません」

この子めちゃくちゃ辛辣なんですけど!?


まぁしゃーねーか、こいつを騙したのは俺だ。

そうなると辛辣になるのも納得がいく。


だけど、一つだけ疑問なのが、ルーシーの”死”への無頓着さだ。


俺に捕まった時、確かに「死にたくない」みたいな雰囲気は醸し出していたが、 別に死んでも構わない、という意思も同時に感じられた。


姫様に捕まった時もほとんど無抵抗のまま捕まったし、殺されるかもしれないってのに、ありえないほど余裕を保っていた。


俺はルーシーを見つめ直し、思う。こいつは本当に自分の人生を自分で選択して生きているのか?と。


その事に違和感を持ちながらも俺達は歩を進めた。






ルーシー・ライルノットにとって人生とはどうでもいいものである。


主からの命令を聞き、それを実行する。それだけのものだ人生とは。


奴隷とはどこまでいっても奴隷で、自由なんてない。

酷使され続ける体。終わりのない労働。


たが、彼女を助けようとしてくれる人がいない訳ではなかった。何とかして、救いの手を差し伸べようとした人は何人もいた。しかし、そういう人間達はもれなく全員彼女の主によって殺された。


それが彼女の感情を奪っていった。

そして彼女は自分の心を閉ざしていってしまった。



彼女の心にはいつもぽっかりと穴が空いている。

それは誰かとの大切な思い出、色あせるはずが無いであろう、楽しかった記憶。なのに、思い出せない。まるで思い出すことを拒否されているかのように·····。


思い出そうとすると激しい頭痛に襲われる。



そんな日々は彼女に”生きる”という意味を失わせるには充分であった。


別に死にたい訳では無いが、絶対に死にたくないという意志はない。流れに身を任せ、死ぬ時は死ぬと思っている。運命とはそういうものであると齢十三歳にして悟ったのだ。


そして今日もまた主様から命令された。その内容とは王城に住んでいる人間から神剣という剣を奪ってこいというものであった。


あぁ、主様が欲しかったやつかと彼女は思った。そして無感情に任務へと向かった。



しかし、そこで出会った少年は今まで出会った人間とも違かった。

決して善人とは言えない。そう決していい人間では無いのだが、彼には弱者にはない常識がある。そうまるで別世界の人みたいだった。


「このクズ女!」「お前、しつこいんだよ!」、「がはは!俺の罠に引っかかったな、このバカ女!」


などと、その少年からは言われた。まぁこれは少し誇張しすぎかもしれないけど·····。


そして少年は彼女をさらに驚かせた。少年は彼女と同じ奴隷だったのだ。


ありえない、そう思った。


奴隷っていうのは”生”に絶望して、生きる意味を失った人間のことを指す。


だからこそ、あんなにも楽しそうに生きてるのはどうしてなのだろうか?それが疑問だった。


けど、その疑問はルーシーが捕まってすぐに解決される。


彼の主はレイヴン・アダリーシアというこの国のお姫様だった。


すごく、本当にすごく優しい人だった。奴隷である彼にも明るく接していたし、何より、ルーシーの過去?を見たのか彼女を助けようとしてくれた。


あぁ、この人が彼をこんなにも楽しそうに生きさせているのだな。とそう思った。




それが何よりも許せなかった。



生まれた場所、奴隷にされる時の主によってこんなにも生活が違うものかとそんな理不尽が彼女は許せなかった。



彼女にあるのは彼に対する嫉妬、世界に対する嫉妬。そして自分の不運さへの絶望、だけであった。


だが、この時ルーシーは気づいていなかった。自分に感情が芽生えていることに·····


















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