9. かつての戦争

 それからしばらく、ジュノさんが少女をあやしている間、ルーガルさんと私との間には気まずい沈黙が流れていた。ジュノさんが子守を買って出たのはきっと、ルーガルさんと話す機会を私に与えるためだ。そう分かってはいるものの、なかなか話を切り出すことができないでいた。


「リエル殿は、獣人を見るのは初めてか?」


「あ、いえ、本では知ってたし、研修の頃からよく見てはいましたけれど、実際に話すのは、えっと、はい……」


 私がマゴマゴしている内に、ルーガルさんの方が気を遣って話しかけてくれた。


「南の国はどうにも閉鎖的でいけないと常々思うのだが、こういう機会がある度に、それで良いのやもしれぬと思わざるを得ない」


 こういう機会というのはきっと、先ほど少女を怯えさせてしまったことを言っているのだろう。ルーガルさんはため息をつきながら耳を垂れた。


「我らは強すぎるし、人から見て異質すぎる。それゆえ東の国の小人のように、人と共存することは我らには叶わぬ。かつてそれが火種となり人と争った時代もあった」


 ルーガルさんはそう言って悲しげに遠くを見つめた。その目線のはるか先には、中央図書館のガラス越しに広がる南の国の広大な自然があった。


 見渡す限りに続く荒野、さまざまな獣人たちが木の上に住まいを構える密林、信じられないほど大きな湖、そして、ここからでは到底見ることのできない、全ての最果てにあると言われる聖地、世界樹ユグドラシル。私がそれこそ本の中でしか知らないような世界が、ルーガルさんの見つめる先には広がっている。


 中央図書館が今のように整備されるよりも前の時代、あの南の大地から過激派の獣人たちが大群となって攻め上り、北の国に侵攻したことがあった。世に言う南北大戦だ。争いは長引き、北の国にも南の国にも多くの犠牲が出た。


 その後できた中央図書館が、今のように四つの国の中枢を担うことになったのも、その南北戦争の影響が大きいとされている。


 ここの窓口業務は、いわば国と国を取り持つ外交官としての役割も大きい。ルーガルさんにとってもベガさんにとっても、はるか祖先の事とはいえ、かつて両国に戦争があった歴史的事実は決して小さなことではないのだろう。


 ルーガルさんの悲しそうな顔を見て、彼や他の獣人たちを恐れる自分が、なんだかすごく恥ずかしくなった。


「某が少しでも人間と獣人の間を取り持つべく、尽力せねばなるまい。それが与えられた使命ゆえな。まずはせめて粗野に見えぬよう、礼節ある言葉や所作を身につけねばと鍛錬を重ねているが……某の修行もまだまだといったところか」


 ルーガルさんは悲しげにクゥーンと小さく鼻を鳴らす。沸き上がってくる後ろめたさから、何か私からも言葉を紡がなければという衝動に駆られた。


「た、たぶん大丈夫だと思います。今では獣人のことについて、色んな魔導書で知ることができますし、魔法の整備や魔具なども、南の国にも配慮したものになっています。七賢人の中に南の国の権威の方が二名入っておられるのも、四つの国で協力して統制を取ろうという動きの一環だと思います。だから……その……」


 なんだかやたらマゴマゴした早口になってしまったけど、若輩者が偉そうに慰めるみたいになっちゃったかもしれないけど、全て本当のことだった。かつての戦争の教訓は今ちゃんと生きていると思う。何よりも、ルーガルさんが南の国の窓口として存在していることこそがその最たる例なのだ。


「リエル殿はお優しい。初対面の新米の御仁にすっかり慰められてしまった」


 ルーガルさんはそう言ってこちらに笑いかけた。口元に並んだ牙がきらりと光る。ふと横を見ると、ジュノさんがニコニコ笑いながらこちらを見ている。先ほどまで彼女の側で泣いていた子供も、いつの間にかジュノさんを見て笑っていた。


 獣人は苦手だ。今でもルーガルさんの隣に座っているだけで、動悸が止まらないし辺な汗が出る。でも、今日の私の一番の難関はどうやらクリアできたみたいだとも思った。

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