8. 南の窓口

 なおも戦闘が勃発しそうだった西の窓口からこっそりと退散し、ジュノさんと私は窓口の雑踏の中を進んでいた。


「どうだった? 二人とは仲良くなれそう?」


「えっと、がんばります」


「まあキャラの強い子達だからなかなか最初は難しいと思うかもしれないわね。でも良い人なのはなんとなくわかってくれたでしょ?」


「それは……はい」


「ふふ、良かった。じゃあ次は南の窓口の方に行ってみましょうか」


 なんとなく想像はしていたけれど、この挨拶回りツアーは、各国の窓口担当を巡っていくという趣旨みたいだ。つまり、残りの南と東の窓口管理担当者に会うのが次なるミッション、と言うことになる。


 南かあ……。正直私にとって一番難易度の高いものになる気がする。北の国、西の国、東の国とは異なり、南の国には、私と同じ純粋な人間という種族がほとんど存在しないからだ。


 南の国は、秘境の国。大気に満ちている魔力はどこよりも群を抜いて多い。そのため、魔導書や魔具の特別な加護を受けていない状態で普通の人間が足を踏み入れてると、最悪の場合、魔力が暴走したり大地に魔力を吸収されたりしてしまう。他の国の住人にとってはかなり危険な場所なのだ。そのため、"マナ"と呼ばれる自然に満ちた魔力を扱うことに長けた"獣人"という種族だけがそこで生活している。


 獣人たちが怖い、というのも多少はあるのかもしれないけれど、私の心をざわざわさせている元凶はそれとは少し違う気がする。たぶん私は、自分とは異なる未知のものであればあるほど、それに対して怖さを感じるのだ。


 だからいつだって行きつけのお店に入りたがるし、そこでも決まったものしか注文しない。趣味も旅行も授業も職業も、数ある人生の岐路において、私はずっと『自分がより知っている』方へ舵を切って進んできた。そしてその結果生まれたのが、底が浅くて世界も狭くてやたらと臆病な今の私というわけだ。


 変われるものなら変わりたいと思う反面、そんな危なっかしいことなんてできないとも同時に思っているのが始末の悪いところで、ここ最近はずっと一人、心の中でそんな問答を繰り返しては、どんどん気持ちを落ち込ませる日々が続いている。


 南の窓口に近づくにつれて、周囲の風景における獣人の割合は多くなってきていた。それを自覚して自分の心臓の鼓動が早くなって行くのを自覚する。ああもう落ち着けリエル。まだ怖いことなんて何も起こってないぞ。深呼吸深呼吸。


 と、その時、遠くの方から微かに子供の泣き声が聞こえてきた。ジュノさんもそれに気づいたみたいだ。状況から考えて迷子かもしれない。二人で一度顔を見合わせ、声のする方へ進んでいく。


 泣き声の出所は割とすぐに見つかった。というか、出所は私たちが向かおうとしていた南の窓口そのものだった。窓口の目の前で着物を羽織った小さな女の子が地面にへたり込んでわんわんと泣きじゃくり、その横で白狼の獣人が少女の傍らにしゃがみ、あの手この手で対応を試みていた。


「あら、ルーガル君、なんだか困ったことになっているわね」


 ジュノさんがその獣人に気さくに声をかける。少女を懸命になだめすかしていた獣人は、ジュノさんの声を聞いてピクリと大きな耳をこちらに向けた。そして振り返りこちらに歩み寄る。


「これはジュノ殿。窓口代表として至らぬ姿を見せてしまい、面目次第もござらぬ」


 まるで王を前にした家臣のように、サッと片膝をつきジュノさんの方に直る白狼の獣人。顔は精悍な白狼そのもので、年季の入った水色の魔法服を身に纏っている。一般的な獣人たちは動きやすい身なりをしていることが多いので、それから考えると少し異質な部類だろう。


 被ったフードから出た三角の白い耳が、今はジュノさんの方に向かって申し訳なさそうに垂れていた。もしかして彼が私たちが会いに来た人なのだろうか。


「して、ジュノ殿の横におられるそちらの御仁は?」


「あ、その、リエル・クレールです。ジュノさんの部署に新たに配属になりました。よろしくお願いします!」


 思わず敬礼しそうな勢いで直立不動になりながら、慌てて道中頭の中で用意していた自己紹介をそのまま口から取り出す。


「ほう、となると執筆課の新人か。某の名はルーガル。中央図書館魔力管理課、及び南の国接客窓口の代表を仰せつかった白狼の獣人。リエル殿、以後よろしくお頼み申す」


「は、はい! よろしくお願いしますっ!」


 膝をついたままきっちりこちらに向き直られ、ジュノさんと同じくらい敬意を込めた挨拶をされてしまう。きっとものすごく礼節を大事にしている方なのだろう。こちらも思わず深々としたお辞儀を返した。


 二人のやたらと堅苦しい挨拶の応酬を見ながら、ジュノさんは泣いていた女の子をあやしていた。どうやら少し落ち着いたらしい少女はまだ真っ赤にさせた鼻をグスン、グスンとさせながら、ジュノさんのローブをしっかりと握っていた。


「ルーガル君、この女の子は?」


「うむ。獣人の一人が南の国の入り口に向かおうとする彼女を見つけ、こちらに連れて来たのだ。しかしその連れて来た獣人というのが獅子だったようで、彼女がすっかり怯えてしまった」


 ルーガルさんはそこまで言うと、少しため息をついた。


「普段こうした迷子に対応している人当たりの良い容姿の窓口担当が現在休憩中のため、某が代わって対応していたのだが、某も狼の風貌ゆえ、彼女を余計に怯えさせてしまい、困り果てていたという次第。彼女の装束より、東の国の子供と判断し、先ほどエンジノヒコ殿には連絡を入れたゆえ、そろそろ迎えが来る頃とは思うのだが……」


 なるほど。こういう獣人側の苦労というのもあるのか。ライオンに連れられた先で狼に話しかけられたら、そりゃ女の子が泣き喚くのも無理はない。だが話の通りにそろそろお迎えが来るということなら、このままジュノさんにあやされながら待っていれば大丈夫だろう。


「あら、ちょうど良かった。エンジ君も来るなら私たちもここで待っていましょうか」


 ジュノさんは少女の頭を撫でながら、私の方を見て頷く。確かに迎えに来た東の国の窓口担当にここで会って挨拶ができるのならば、わざわざ私たちから出向く必要もなくなりそうだった。

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