4. 魔導書

 ジュノさんに促され、私は”始まりの詩”を暗唱した。


「北の賢者が天に目を凝らし、南の賢者は大地に耳を澄ました。


かくして魔は生まれた。


西の賢者が魔に時を与え、東の賢者は魔に形を与えた。


かくして魔は広まった」


「素晴らしい! 完璧ね」


 再びジュノさんの拍手が飛ぶ。他意はないのだろうけど、なんとなく授業参観で発表を終えた子供みたいな扱いに思えて、あんまり素直には喜べなかった。


「さて。今リエルちゃんが読んでくれた詩は、この国だけじゃなくて他の国にも代々伝わる、私たちが魔力を使うようになった時代、いわゆる創世期の話を題材にしたもの。まあ大衆向けにアレンジされたものだから、実際の史実とはかなーり違う内容にはなるんだけど……」


 ジュノさんが少し困ったように笑う。私も昔はこの詩の内容を無邪気に信じていたけれど、由緒ある歴史書などを読んでいると、確かにかなり齟齬はある。


「まあ、この詩で言いたいことは、四つの国が、詩の中に出てくるそれぞれの賢者に対応した"魔力に関する力"を行使することができる、と言ったことなのでしょうね」


 数々の歴史書の中でも、"始まりの詩"については概ね今のジュノさんと同じ解釈がなされていたので、私は静かに頷いた。


「"始まりの詩"の言葉通りに言うなら、私たち西の国の住人は"魔に時を与える力"を持っている。具体的には文字に魔力を付加することができるの。例えばこんなふうに」


 そう言ってジュノさんは、羽根ペンで目の前の空間にサラサラと呪文を書いた。綺麗な文字はオレンジ色の光を放って私とジュノさんの間に一瞬残り、淡い光を放って消える。その次の瞬間、何もなかったところから机の上に、ストンと一冊の本が落ちてきた。


 今の呪文は"転移"。あらかじめ登録しておいた物体を、術者の手元に移動させる魔法だ。本来ならば紙に書かれた呪文を読むことで初めて行使できるのだが、技能が高ければ今のように、羽根ペン一つで手軽に行使できてしまう。"速記"と呼ばれる高等技術だ。


 私も"速記"自体は一応できるようになったものの、実技が苦手な私がここまでの精度を難なくこなすのは、きっと数万年かかっても無理だと思う。改めてジュノさんとの距離を感じた。


「文字に魔力を込める。これは西の国の人の中でも私たちのように選ばれた者にしかできない。ただし、私たちが魔力を込めた文字を紙などの媒体に残してあげれば、それを読んだ人たちも、同様の魔力を行使することができる。そうした魔力を持った文字で書かれた書物のことを一般に、魔導書と言うの」


 そして、文字に魔力を込めることで魔導書を作ることができる人のことを”書き手”、”書き手”が作った魔導書を読んで、魔力を行使する人たちを"読み手"と呼ぶ。


 義務教育を受けた西の国の人ならば、基本的な読みはできるようになる。また、遺伝的な才能や、それなりの努力があれば書き手となることも可能だ。有名図書館に入るのに書き手の資質は必要不可欠だったから、私も受験勉強の時には猛烈に特訓したっけ。


 一方で他の国の住民が魔導書を読むためには、西の国の高度専門職である"翻訳家"による魔術的な加工がなければ読むことすらできない。


「魔導書は農業や林業、その他日常生活に至るまで色んなところで使われる。今や西の国の生活にとって必要不可欠な存在になっている。そんなこの国の生命線とも言える魔導書を扱う機関全般のことを図書館と言って、ここ中央図書館は西の国各地にある図書館の親玉みたいなものね」


 ジュノさんは転移で出した本をパラパラとめくり、その中の1ページを見ながら再び羽根ペンで宙空に文字を書く。


 黄色い文字は淡い光を放ちながら、形を変えて四角い枠を作り出した。その中に、今ジュノさんが開いていたであろうページが表示される。


 これは"映写"呪文の一つだ。映し出されたページには中央図書館と地方の図書館の役割がそれぞれ列挙されている。


「こんなふうに、各地の図書館と中央図書館はそれぞれ役割が違っていて、うーん……たくさんあって全部話すのは大変だからすっごく大雑把に言うと、魔導書の管理全般を受け持つのが中央図書館、それらを各地に配布しているのが地方図書館。というイメージかしら。この施設の正式名称が"中央魔導書管理局"なのはそういう理由よ」


 堅苦しいからみんな中央図書館って呼んでるけどね。とジュノさんは苦笑しながら付け加える。図書館と呼ばれる施設に勤める私の肩書きが、司書とかじゃなく局員であることに、最初はちょっと変な感じがしていたけれど、今ではもう慣れた。


 宙空に映されている中央図書館の役割一覧を改めて見つめる。さっきジュノさんは管理全般、と一括りに説明していたけれど、私たちの担当する"執筆"業務の他にも、様々な役割が存在していた。魔導書に関する何でも屋みたいな立ち位置なのが、ここ中央図書館なのだ。


「あとこの一覧に補足して伝えておかなきゃいけないことは、地方図書館が教育機関も兼ねている。ということくらいかしらね。リエルちゃんのいた第二図書館はその中でもかなり成績上位だし、入るのも大変だったでしょう?」


「は、はい。大変でしたね。ここに入るのはそれよりもっと大変でしたけど……」


「ふふ、そうでしょうね。中央図書館の中でもこの部署は、仕事は色々と多いのに人をなかなか取らないから、毎年倍率がとんでもないのよねー。新人が入ってきたこと自体、リエルちゃんがすごく久しぶり。やっぱり優秀なのよ、リエルちゃんは。誇ってもいいと思うわ」


「いえ、私なんてそんな……」


 なんで私みたいな落ちこぼれが、こんな世界の中枢みたいな場所にきてしまったんだろうと自分でも思う。いや私が入りたかったからなのはそうなんだけど、やっぱりまだ実感が湧かない。


「ちょっとだけ話が逸れちゃったわね。で、リエルちゃんがこれから仕事をするのはこの中の執筆係なのだけど、最初のうちはそれだけじゃなくて、色んな係の仕事も受け持ってもらいたいと思っているの。アテム君に適宜サポートしてもらうから、あまり気負わずに色々経験してみて欲しいわ」


 つまり、今目の前に浮かんでいる一覧の中の、執筆以外の役割もこなしてほしいということか。もう一度一つ一つの文字を追いかける。


 ……ああ、なんだか前途多難という感じがする。執筆だけできれば私はそれで幸せなのだけれど、世の中そううまくは行かないな。

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