第十話:挽回
前回のあらすじ!
我らが娘よ。我らの悲願を成就せよ。アストライアを殺せ。
――エリザベス=ランカスターの手記に書かれた血文字 年代不明 ※本人の筆跡ではないとされる。
――帝国暦99年1月下旬、ペルサキス城、執務室
シェアトがエリザベスの治療にあたっていた頃。
通貨も比較的安定を取り戻し、噴火関連事業も軌道に乗りと、大打撃からほんの僅かだが立ち直り、春からはそこそこ儲けられる算段が立ち始めたアレクシアは心の平穏を取り戻していた。
ゼノンのことはまぁエリザベスが上手くやるだろう。そうなれば治安もいずれ回復するはず。と、作曲させている最中の新国歌のフレーズを鼻歌に歌いながら、夜食にと川海老のかき揚げを頬張っているところ。
この後はリブラ商会会長ヘルマンほか、ペルサキス商業組合との会談も待っている。
「アレクシア様。お戻りになってたちまち安定をもたらすとは。流石にございます」
「んまぁ……領内の封鎖はやりたくなかったんですけど。ランカスター地区のおかげでなんとか、といったところですわねぇ……銀行の方はどうですの?」
「ペルサキス銀行の方は……まぁ激務で死者が出ているとは聞いていますが……彼らの働きあってこその経済ですから。誇りを持って取り組んでいるとは聞いております」
英霊たちには勲章と年金ですわねぇ……と遠い目をして、少なくともこの大陸で一番の激務をこなす彼女は食事の手を止めずに話す。
「民のために剣を執るのが貴族……元々はそうでしたわね。平和な時代では民のために筆を執るのが貴き者の努め。平民出身だろうが春までは貴族と同じ待遇を。あ、これ結構かっこいい言葉ですわね。残しておいて下さい」
「はっ。お言葉通りそのまま伝えさせていただきます」
気分良く食事するアレクシアは冗談めかして笑う。
よく食事ができるな……しかも揚げ物を……と、疲労ですっかり食が細くなった官僚が感心する中、いきなりシェアトが執務室に入ってきた。
「アレクシア! エリザベスさんが!」
「は?」
血相を変えて入ってきた彼女に、アレクシアの目が点になる。
まさか殺された? あのランカスター軍が敵わない相手? ゼノンのことを侮っていたのか? と彼女の脳が全力で回転し始めようとして、気づいたときにはシェアトに抱えられていた。
「ちょ、ちょっと! わたくしはこのあと会談が!」
「そんなことより、エリザベスさんのほうが重要でしょう!」
確かに。代理を出しておいたほうがいいか。と抱えられたままのアレクシアは官僚に指示を出す。最悪早朝にもう一度謁見する旨を言い渡し、そのまま連れ去られていった。
――医務室
ベッドに横たわるエリザベスに、アレクシアは息を呑んだ。
この女傑がここまで手酷い負傷を負う相手、一体どれだけの……と考えて、その負傷が、ただの負傷でないことに気づく。
「治療に手は尽くしましたが、目覚めないんです。賊の魔法を受けたと聞いていますが……こんな魔法に心当たりはありますか?」
「……無い。ですわね。一体これは……?」
シェアトが両親の教えを守り続けているおかげで、アレクシアもまだ知らない治療の秘術。
それにより完全に治療されたはずのエリザベスの右半身だったのだが。
「あぁ……うぅ……」
「……エリザベス、何があったんですの……?」
うなされているように、時折エリザベスの口から息が漏れる。
アレクシアは苦しそうに喘ぐ彼女の右半身をまじまじと見つめた。
入れ墨のように肌に刻まれた文様。文字のようにも、只の模様のようにも見えるそれ。
静かに触れてみると、体温より少しだけ高く感じた。
「文字のようですが……読めませんわね。一応スケッチを……なんですのこれ?」
この世界で魔法と呼ばれているものは、精神力を何らかのエネルギーに変換したものを言うはず。
どうしてこんな事が起こる? 魔法で? そんなことはありえない……と、アレクシアは混乱した。少なくとも自分の理論では説明できないそれに、恐怖すら感じた彼女。
学者としての好奇心すらどこかへ行っていたが、なんとか理解しようと努力し、シェアトに聞いた。
「全くわかりません。こちらの言葉でもないですし、こんな模様は見たこともないです」
「……今考えても仕方ありませんわね。報告感謝しますわ。エリザベスのことは頼みましたわよ」
そう言ってしばらくスケッチをして、それが終わったアレクシアは医務室を出る。
残されたシェアトはエリザベスの手をそっと握って、彼女が快復するように心からの祈りを捧げていた。
――翌朝
執務室で軽い朝食を摂りながら、アレクシアとニキアスが話し合う。
ペルサキス外縁部の賊は一通り制圧した、と思いたいところだが。相変わらずどこから湧いてくるんだか中心街での犯罪が増え、ニキアスはその対策に頭を悩ませていた。
そこに昨日のエリザベスの負傷、そして当分休養する旨を聞かされた彼は、怒りのあまり牛乳の入ったグラスを握り砕く。
「僕が行こう。ランカスター軍を指揮、というのは一度やってみたくてね。……元々、エリザベスが失敗した時用の作戦は考えている」
苛つきを隠すように軽口を叩くニキアス。
こういうときに止めるのは彼の怒りを強めるだけだろう、と思ったアレクシアは、彼の無事を祈りながら了承した。
「……得体のしれない魔法を使うと聞いていますから、気をつけるんですのよ」
得体のしれない魔法。アレクシアでもそうとしか言えないのか。と落胆して。
「君の魔法も大概得体が知れないからね。慣れている」
少し考えたニキアスは真剣な表情で返答し、食事もそこそこに席を立ち、外套を羽織り出ていく。
彼の背中に、アレクシアは手を振ることしかできなかった。
「結婚式もある。春までにはなんとかしなきゃな」
ニキアスは一人、呟きながら歩く。外に出て馬にまたがり、手綱を握る。
この程度治められなくてどうする。いずれ皇帝を倒し、この帝国に君臨するべき女帝を、その隣で支えなくてはならない。
正直自ら制圧に向かって、城を離れた自分が悪い。全て終わらせられなかった事自体が自分の失態。どれもこれも自分のせいだ。
アレクシアが不在の間にまんまと陽動に引っかかって……エリザベスには悪いことをした。もっと自分がしっかりしていれば。
そう、彼の頭には苛立ちが募る。
忙しそうに街を行く市民。領主が一人馬を飛ばしていることに気づく者はほとんど居ない。
考えながら馬を走らせていると、気づいた頃には目的地に着いていた。
「ここだったな。アルバート、いるか?」
民家のドアを叩くとドアが開く。
出てきたアンナに、どちらさまですか? と聞かれた彼は名を名乗った。
「ニキアスという。まず中に入れてくれ。人に聞かれたくない」
「え、えぇ……アルバートでしたら、城の飛行場に人を迎えに行っていますが」
すれ違ったか。なら待たせてもらおう。と上がり込むニキアス。
アンナが茶を出すと彼はそれを丁重に断って食卓に座る。
「すまない。外での飲食は極力控えるよう言われていてね。君は彼の奥さんかな?」
「はい。アンナと言います。えぇと……ニキアスさん、ご用は……?」
「負傷したエリザベスの代理だ。僕は領主ニキアス。君たちの総司令官に当たる」
その言葉に、アンナの背筋が伸びる。
思わず立ち上がり気をつけの姿勢をとった彼女を、ニキアスは席につかせた。
軽く手を振って、彼女の緊張をほぐそうと笑いかける。
「固くならなくていい。これからは直接指示を出す。よろしく頼むよ」
「ありがとうございます。ニキアス様、エリザベス様が負傷したというのは……?」
アルバートから聞いていないのか。とニキアスは小さく声を漏らし、アンナは首を横に振る。
「昨日、ゼノンの魔法にやられたらしい。当分は城で休養させるつもりだよ」
そうですか……と肩を落としうつむくアンナ。
しばらく二人に気まずい沈黙が訪れていると、玄関のドアが開いた。
「ただいま。ワシムたちを連れてきたんだが朝食を……ニキアス様!?」
「やぁ。お邪魔してるよ。ワシム……というのは? 聞き慣れない名前だな」
驚くアルバートに笑いかけるニキアス。
アルバートの後ろから入ってきた、見慣れない外国風の男たちを見て、眉をひそめた。
「南洋の大陸から来ました。私がワシム。こいつらは私の部下」
「なるほど。敬語に慣れていないのは許そう。よろしく頼む」
恭しく一礼するワシムに笑いかけて、ニキアスは手を叩く。
海の向こうのことは、商品でしか知らないからな。あとでアレクシアに聞いてみようと、少し興味を持った。
「ここまで人数がいるなら丁度いい。ゼノン掃討作戦について話をしよう。……かなり強硬な手段に出る。こちらも大きく血を流す覚悟だ。きっと着いてきてくれると信じている」
真剣な眼差しで、家に集まった十数名の顔を順番に眺めていく。
ニキアスの口から語られたのは、とてもランカスターの統治で見せた温厚な名君がやるとは思えないほどの、暴君というような作戦だった。
しばらくの間それを聞いていたアルバートが手を挙げると、ニキアスは発言を許可する。
「ニキアス様。それは、市民の信頼を損なうのでは?」
「……正直な話、たった一ヶ月で治安についてはお察しでね。市民の信頼も何もあったもんじゃない……夜に繁華街でもうろついてみればいい。君の妻は家に居たほうがいいと思うけどね」
苦々しい顔をして話すニキアス。ここ一ヶ月で警察への通報は既に例年の一年分。
しかも内容は復興に伴う近所同士のトラブルのようなかわいいものではなく、殺人や強盗といった凶悪犯罪。明らかに悪化した治安。中心街の警備を軍だけに任せたのは失敗だったと彼は悔やむ。
「恥ずかしい話だが、あまり今の軍は信用できなくてね。恐らく内通者がいる。だからこうして君たちを頼っているんだ。……このとおりだ。力を貸してくれ」
正直に話して、ニキアスは深々と頭を下げた。
生まれてこの方、彼が頭を下げたことがある相手は父と皇帝と、そしてアレクシアの三人。
なりふり構わない自分の姿を、彼は心の中で自嘲した。
「……勿論です」
アルバートが返答をする。
総司令官として命令を下すのではなく、自分の領地を案じる君主として、自分たちに助力を乞おうと頭を下げたニキアスを、彼は尊敬していた。
「ありがとう。君たちにはそう言ってもらえると信じていた。作戦に必要な物資は近い内に配達させる。しばらくは英気を養って、ついでに地理に詳しくなっておいてくれると助かるな」
「わかりました。どれくらい掛かりそうですか?」
大きく作戦を変えたからねぇ……とニキアスは指先で顎を撫でる。
エリザベスがやられたとなると、相当な準備をしなければならない。しかもこの少人数でやるとなれば尚更。
「一ヶ月以内に、かな。暖かい地方から来た君たちは知らないだろうが、3月には雪解けが始まる。そうなったら奴らも自由に行動できるようになるから、ギリギリまで準備して冬の間に一気にケリをつけるつもりだ。……その辺は君もよく知っている士官に説明させよう」
「よく知っている……となると、ボレアスです?」
御名答。とニキアスはアルバートを指差す。
シェアトの護衛に勤しんでいたボレアスは昨年末に昇進を果たし、ニキアスの側近として外縁部での掃討作戦に参加していた。そこで実直な働きを買われ、この度のゼノン掃討作戦でニキアスの右腕となる事が決まった。
久しぶりに友人と会う事になったアルバートと、ボレアスの顔を覚えていたアンナは思わず明るい顔でニキアスに感謝を述べる。
それに対して彼は少し微笑んだ。
「あいつは義理堅い。頭も少し堅いが……君たちを裏切る心配だけは絶対にない。安心して欲しい」
では、また近い内に。ニキアスはそう言って席を立つ。
玄関先で手を振り、つないでいた馬にまたがった彼が出ていくと、残されたアルバートたちは床に座り込んでこれからのことを話し合っていた。
「ニキアス様、でしたっけ。お優しい君主さまですこと。ランカスターの人たちも喜んでいましたし?」
ワシムが軽口を叩く。ランカスター地区も彼の統治の恩恵を受けていることは事実。
ぜひとも協力させてもらいましょう。と拳を作って、にこやかに笑った。
「巻き込んですまないな……流石に言い出せなくて」
アルバートが謝罪すると、ワシムは手を振ってそれを遮った。
そもそもワシムたち元海賊は、技術者としての腕を高く評価したニケの推薦を受けてアレクシア大学へ面接に来た、というのがここを訪れた理由。アルバートは彼らと食事でもしようと家に連れてきていた。
「いいんですよ。アルバート様。……ニケ様に謝るのはお任せしますけど……」
あの恐ろしい大熊が、面子を潰されたと怒り狂ったらどうなるか。
それを想像したワシムが声を震わせ、自分を抱きしめるように両肩に手を当てた。
「手紙は書いておく……ニキアス様の名前を出せば納得してもらえると思うし……多分……」
確証はないが……とアルバートも気まずそうな声。
「それはいいとして、ニキアス様が言っていた、繁華街は気になりませんか?」
話が途切れ、うつむく男たち。その沈黙をアンナが破った。
アルバートはニキアスの話を思い出して、彼女を止める。
「夜だっけ? 相当危ないとか言ってたが……流石に君は家に居たほうがいいと思うんだが」
「あなたがいるでしょう。それにワシムさんたちもいますし。今夜行ってみませんか?」
うーん。と考え込む男たち。
その辺の賊なら束になってもアルバートには敵わないし、ワシムたちだって元々賊。
ニケの訓練で更に屈強な肉体に仕上がった彼らを見れば、悪党たちだって寄ってこないだろうとは確かに思う。
「私達はあんまり他人のこと言えませんけどね? おすすめしないですよ?」
「何かあったら俺が一番困る! アンナは家で!」
ワシムも止めようとして、アルバートもそれに乗る。そうだやめとけと周りの男達も止めようとする。
アンナは少し怒ったように頬を膨らませて、彼らに反論した。
「待って下さい。そもそも私は軍人ですよ? 守られるような弱い女じゃないですし。仮に何かあるとしても、アルバートの隣が一番安全でしょう?」
それもそうか? と納得したアルバート。
とりあえずエリザベス様の見舞いに行って、その後繁華街の様子でも見に行こう。と皆に告げる。
「見舞い!? エリー姫、何があったんですか!?」
「あぁ。昨日、敵にやられた」
それを聞いたワシムが素っ頓狂な声を上げた。
アルバートは話しづらそうに、昨日シェアトに吐いたのと同じ嘘を吐く。
口々に心配して祖国の神に祈る海賊たち。
アンナだけがアルバートの嘘に気づき、眉をひそめていた。
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