第九話:女神の呪い

前回のあらすじ!



夢を見た。 コールブランドに選ばれた俺は、あの女神を斬る。

そして恐らくあの女神は、きっとあの女の中にいる。


――アルバートの日記 帝国暦末ごろ?





――帝国暦99年1月下旬、ペルサキス城、兵教練場



 火山の噴火から一ヶ月。やっと分厚い灰雲の隙間から冬の日差しが差すようになった。

 ペルサキスでは復興のため、降り注いだ灰の除去作業、避難民への支援と慌ただしく人々が街を行く。

 そんな昼頃、アルバートは士官たちを引き連れてエリザベスのところへ到着していた。


「お久しぶりですエリザベス様。お変わりなさそうで……少し、健康そうになられました?」


「太ったって言いたいわけ!?」


 まぁこの城の食事は確かに美味しいけど……とエリザベスはアルバートの失礼な物言いに引きつった顔をして、おほんと咳払いをした。

 そして懐からアレクシアの描いた、ゼノンの人相書きを出して彼らに見せる。


「そんなことより本題ね。この人相書き、よく覚えておきなさい。2月中にこいつを捕まえて、皇女殿下の前に差し出すわ」

 

「人探しですか? しかし軍を動員するということは、相当面倒な任務のようですが……?」


 アルバートはその人相書きを見ながら尋ねる。

 エリザベスはため息をついて、本当に面倒そうな声で告げた。


「おめでとうアルバート。大当たりよ。こいつはゼノン。帝国の悪党どもの中でも大物中の大物……現皇帝の弟君よ」


 なるほど……。とアルバートらランカスター軍の士官たちは息を呑む。

 そんな彼らに、エリザベスは命令を下した。


「皇女殿下から、手段は問わず、市民に協力者が居た場合、その生死も問わない。ただしゼノンだけは生かして捕らえろと言われてるわ。最新の中心街の地図、それに隠れ家を何箇所か貰っているから、そこに分かれてしばらく暮らしてなさい。指示書はそれぞれに送るから、まずは一旦解散ね」


「それで夫婦や兄弟の士官たちを……了解しました。それでは一度隠れ家で荷解きを」


 それぞれが荷物を持ち、渡された地図に指定された隠れ家へ向かおうとして。

 エリザベスはアルバートを呼び止めた。


「アルバート。あんたちょっと残って。話があるわ」


「え? わかりました。アンナ、重いのは持ってくから、先に行っててくれ」


 アルバートが振り返り、アンナに声をかける。

 

「食事は作っておきますので。待っています」


 そう言って先に歩いていくアンナを見送って、残った二人は向き合った。


「お似合いの夫婦ね。羨ましいわ」


「……コールブランドのことでしょうか」


 目を細めて、本当に羨ましそうにつぶやいたエリザベスに、アルバートが尋ねた。

 彼女は小さくうなずき、彼に着いてくるよう指を振る。


 しばらくエリザベスの後をついて歩く。

 広いペルサキス城の、来客用の棟。エリザベスが使っている一室へ着いた二人。

 先にアルバートを中へ入れた彼女は廊下に人が居ないことを確認してから厳重に鍵を締めて、ほっとため息をついた。


「まず、コールブランド……エクスカリバーを渡してもらえる?」


 エリザベスが出したその名に、アルバートは心の底から驚いた。

 夢で聞いたその名。今の王国には伝わっていない名前。どこでそれを……? という疑問は腹の底にしまい込んで、彼は荷物の中からコールブランドを取り出す。


「……こちらです」


「よくやったわ。やっぱり倉庫にあったのね……」


 そう言って、エリザベスはその剣を持ち上げた。

 まじまじと鞘に書かれた呪文を読もうとして、それがデタラメな文字列であることに気づく。


「?? これは……どういう事!?」


「どういう事?」


 疑問符を浮かべたエリザベスに、アルバートが聞き返した。

 彼女は慌てたように、ベッドの下に隠されたトランクから、古びた本を取り出す。


「……元の文はこう書いてあるはず……あ、これは……」


 話についていけないアルバートは、エリザベスの持った本を覗き込む。

 古語で書かれたそれは、彼にはほとんど読めなかった。


「なるほど。換字ね。安全装置ってとこかしら。えぇと……」


 そう言って、安心したような顔をしたエリザベスは鞘に触れる。

 片手に本を開いて、もう片手に鞘を。そして呪文を読み上げようとした彼女を、アルバートが慌てて止めた。


「エリザベス様! それは危ないですって!!」


「え? なんで?」


 驚いたような顔をしてアルバートの顔を見るエリザベス。

 彼女はすぐに、この目の前の男が、これの正体を知っていることを理解した。

 優しそうな、しかし問い詰めるような声で尋ねる。


「……アルバート。あんたどうして『これが何か』を知っているの?」


「……それは……」


 しどろもどろのアルバート。何故か家で発動して壁をぶち抜いたコールブランドの虹の刃。

 そして先日夢で見たアーサー王の力。そしてあの女神アストライアの言葉。

 夢の話は信じてもらえないだろう、仮に言ったとして、きっといい結果にならないだろうと直感した彼は、それが家の壁を壊したことだけを告げた。


「ふぅん。あんた、これを発動させたのね……。でも、なぜ鞘もないのに発動したのかしら?」


 その答え……誰かがこの呪文を解読した事。それをアルバートは女神に聞いている。しかし、それを知らないエリザベスは顎に手を当てて首を傾げた。


「……気にしても仕方ないわね。でもそんなに危ないんなら外に出ましょうか。呪文は覚えたし」


 そう言って、今度は建物を出る。

 しばらくランカスターの近況について話しながら雪を踏みしめ歩いた二人。



――中心街を離れて数時間、夕暮れが近づいた頃、ハイマ大河沿いの防風林で足を止めた。



「なるほど、ラングビって賭けだけじゃないのねぇ……」


「ニキアス様もなかなか変わった方でした。ニケ様もよく顔を出してくれますし……」


 ペルサキス家に、随分ほだされたのね。とは言葉に出さず、エリザベスの目が一瞬鋭くなる。

 それに気づいたアルバートだったが、彼女の考えていることは分からなかった。


「ここならいいでしょ。人通りもないし」


 それに。と彼女は指をさす。

 その先には、見るからに人相の悪い集団が焚き火を囲んでいるのが見えた。

 エリザベスが最初に目をつけた、大河に現れている密猟集団のねぐら。最近薄くなっている大河の警備の隙を突いて住み着いた、どこかからか来た不法移民。


「調べてたのよね。ここ。ゼノンと関係あるかどうかは知らないけど。アルバート、あんた上手く行かなかったら頼むわよ」


 コールブランドを腰に提げ、アルバートにそう告げたエリザベス。

 彼らにつかつかと歩み寄った彼女は、彼らに言い放った。


「私はペルサキス軍警察、エリザベト。捜査に協力してくれたら、少しは減刑してあげるけど」


 偽名……でもないなぁ……ただの帝国語読みだし……とアルバートが少し呆れていると、エリザベスと一人の男が押し問答になっているのが聞こえる。


「警察さん、勘弁してくださいよ。この真っ暗な冬で食べるもんもなくて……俺たちやっとここに小屋建てたばっかりなんですよ……」


「中心街で炊き出しもあるし、宿泊所もあるわ。連合国からの難民でも、ペルサキス市民でも使えるでしょ。……あんたも、隠れてる奴らも、誰かの指示でここに住んでいるんじゃない?」


 男の言い訳に、エリザベスは睨みつけながら詰問する。

 彼はしばらく無言で彼女を睨み返し、手を後ろに回した。


「肯定ってわけね……魔法を唱えたら殺す。武器を出したら殺す。いい?」


「たった一人に殺られるかよ」


 彼は小さな木筒を取り出し、彼女に向けた。

 エリザベスはそれに施された焼き印から小型のドラグーンだと判断して、コールブランドの柄を握った。

 鞘に当てた左手が熱を帯び、鞘に刻まれた呪文が血のような紅に染まる。


「舐めてるな? あの方が作った兵器だぞ? お前なんか一発で」


 男の声を、エリザベスはもう聞いていなかった。

 呪文書に書いてあったように、ドラグーンを撃つときのように心の中で呪文を詠唱し、魔法を使うように剣と鞘に意識を集中させる。


――叛逆の虹の刃、神を斬り伏せるもの。正統なる使命の下に、神を貫く光の剣。我に力を。神を殺す意志の力を――


「エクスカリバー……!!」


 エリザベスの目が真紅に煌めき、周囲の空気が歪む。

 離れたところから見守っていたアルバートは、その異様な雰囲気に息を呑んだ。


『アーサーの末裔……ざまぁみろですわね!』


「えっ?」


 どこからか聞こえた声に、アルバートがあたりを見回す。

 空耳か? と首をかしげる彼が視線をそらした瞬間、突然吹き荒れた暴風。

 仰向けに転がった彼が慌てて起き上がろうとすると、視線の先に居たはずのエリザベスが見下ろしていた。


 血の色に輝くエクスカリバーの切っ先を彼の顔に向けて。


「神の器……神の器……お前が……お前が……憎い……憎い……」


「エ……エリザベス様?」


 真紅の瞳で虚ろな表情をして、アルバートの前に立つエリザベス。

 うわ言のように何かを呟く彼女に、このままでは殺されると、彼は悟った。


『選ばれてないくせに生意気ですのよ。まぁ、アーサーの血筋だから無理やり発動する事ができた、といったところですわね』


「この声、アストライアか! どうすれば元に戻る!?」


『殺せば良くてよ。……しかしこんな感じになるんですわねぇ……初めて知りましたわ』


 殺す? そんな事ができるわけないだろ! と彼は叫び、エリザベスは真紅の剣を振るう。

 慌てて飛び退いたアルバートが寝そべっていた地面が、灼熱の輝きとともに溶岩のように融けていた。


「あっつ!! マズイなこれ……本気でやらないと……」


 一撃でも貰えば死ぬ……と、アルバートは冷や汗をかいた。

 エリザベスを見据えて、身体強化を静かに唱え始める。詠唱を終えるまで、まずは生き残る。

 必死に攻撃を躱していると、ほんの僅かの間だけ瞳が元の黒に戻ったエリザベスが動きを止め、目に涙を溜めて、声を絞り出した。


「ア……アルバー……殺し……熱……」


 無理やり止めたように小刻みに震え、ぎこちなくにらみ合う。剣を持った右腕が炎をまとい、焼け落ちた袖の下から、炭のように真っ黒になった腕が覗く。

 肉の焼ける匂いに吐き気をこらえて、呪文を唱え終わったアルバートは叫んだ。


「エリザベス様! 今助けますから!」


 瞬時に飛びかかり、真紅の目をしたエリザベスの振り回す熱線を掻い潜る。

 アルバートは彼女に肉薄し、その炭の腕を取ると、思い切りひねり上げた。

 人のものとは思えない剛力が彼の腕を弾き返そうと必死に抵抗する。


「早く!! 剣を離して!!」


 答えないエリザベス。

 足払いをかけようとしたアルバートが、地面に杭でも刺しているのかと思うほどの重さに驚く。

 正面から抱きつく構図になった彼。思い切り頭突きを食らわせようとしてふと気づいた。


(鞘! アレが本体のはず!!)


 左腕一本で神の右腕を抑え込み、アルバートは必死の形相で右手を伸ばす。

 指先で鞘に触れ、ありったけの力を込めて叫んだ。


「お前が選んだのは俺だろ!! エクスカリバァァァァァァ!!!!!!!!!」

 

 

 ばきん。

 


 鞘の呪文が一瞬だけ黄金色に輝き、金属が折れるような音がして、真紅の刃が砕け散る。

 エリザベスの腕の炎は掻き消え、力の抜けた手のひらからエクスカリバーの柄が落ちた。


「……あり……がとう……」


「ひどい火傷ですから! 喋らないでください!!」


 消え入るような声で礼を言うエリザベス。

 それを無理やり黙らせて、アルバートはエクスカリバーを回収し、彼女を背負って城まで走った。



――ペルサキス城医務室



 大急ぎで駆け込んだ医務室では、シェアトが医療物資の持ち出しに訪れていた。

 彼女はアルバートを見て少し驚き、彼におぶわれたエリザベスの姿に小さく悲鳴を上げる。


「あら、アルバートさん。お久しぶりですね。そちらは……まぁ! 酷い火傷!」


「シェアト様! あぁ、これは……エリザベス様が……賊に……」


「まず、寝かせてあげてください。手当はわたしがします。服を脱がせますから、あなたは外へ」


 とりあえず事情を取り繕うことにしたアルバートに、シェアトは医者として、そんなことは重要でないと叱る。

 彼を追い出した彼女はエリザベスの服を鋏で切ると、その炭化した右の上半身に軽く触れて、悲しそうな顔をした。


「こんな……酷い……エリザベスさんと言いましたね。喋ることはできますか?」


「あ……どなた……ですか……?」


 気がついたエリザベスの目を見て絶句するシェアト。

 火魔法を受けたのだろうか? 高熱に当てられて白く濁った瞳。

 しかし自分ならば治すことができる。


「……気を確かに持って下さい。生きているなら、治せます」


 そう言ってエリザベスを励まし、そっと耳元で囁く。


「エリザベス=ランカスターさん。母上ほど上手ではありませんが、あなたを救うことはアルフェラッツ家の義務でもあります」


「え……? あなたは……だれ……?」


「あなたの、遠い従姉妹です」



 シェアトはそう言って、意を決したように懐から粉薬を取り出すとそれを口に含み、陶酔した顔で生の神へ祈りを捧げた。

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