第三話:宿敵
前回までのあらすじ!
オーリオーン帝国暦98年に世界初の大流行を起こしたインフルエンザ。当時見えざる悪魔と呼ばれたそれは帝国首都の人口の約10%を死に至らしめた。
ヴィクトリア大陸全土で大流行を起こし、最も被害が少なかったペルサキス地域でも人口の半数が感染し、人口の1%に当たる約5,000人が亡くなったとされる。
そのような悲劇にあった市民が、被害の少ないペルサキスを統治していたアレクシアとアポロン4世を比較し、不満を持ち始めたことは無理もないだろう。
――『病と戦争』 アストレア出版 861年 74頁。
見えざる悪魔、ついに討伐!
我らが女神アレクシア様がご闘病から復帰なされたことは記憶に新しい。
我々と共に見えざる悪魔と戦ったアンドロメダ連合国司祭たちによると、アレクシア様は悪魔たちをその御身を賭して地獄に落としたとのことだ。また、ここ1週間にわたって新規の患者は発生していないとのこと。まさに我らが女神の、神の御業と言ったところだ。
なお、我らがニキアス領主は引き続き戦い続ける地域に援助するとの声明を発表している。寄付に協力される方は市役所1階の……
――『ペルサキス新聞』帝国暦98年11月4週発行より抜粋。
結婚式。夫に先立たれた私としては懐かしさとともに寂しさがあります。
アルバートにアンナ、若者には末永く幸せであってほしいものです。
――ニケ=ペルサキスの日記 帝国暦98年ごろ
アルバート、アンナ、おめでとう!!
先日王都広場で盛大な結婚式を上げた二人。集まった人々は実に10万人にも上った。
勇者アルバートは晴れ晴れとした表情でその腰に下げたコールブランドを天高く掲げ、彼の妻アンナは実に幸福そうな笑顔で彼を見守った。筆者の見間違いかもしれないが、かのコールブランドから祝福の虹がかかっていた。二人の新たな門出に祝福を!
――『ランカスター瓦版』帝国暦98年11月1週発行より抜粋。(この頃からペルサキス新聞の子会社になったと見られる)
――帝国歴98年12月初頭、ペルサキス城執務室
すっかり外は雪景色。ハイマ大河も流れの緩いところには氷が張り、人の行き来は少なくなる。
大掃除が始まる前の少しのんびりとした空気が流れるペルサキス城では、地元に帰る使用人の為だのなんだの理由をつけて、ニキアスが毎日のように忘年会を開いていた。
今は午前中の公務をしている途中。
既に酒が入り始めたニキアスがけらけらと笑いながらアレクシアの肩を叩く。
「いやー、すっかり見えざる悪魔も収まったし? 首都にも恩を売れたし? 経営は順調だし? 連合との戦争も終わったし? それも全て君がペルサキスに来たおかげだ!! 今年はいい一年だった本当に!!」
「ニキアス、見えざる悪魔は貴方が追い払ったんでしょうに」
三週間ほど前、アレクシアが病から復帰したその日からぱったりと、ペルサキスでの見えざる悪魔の流行は収まった。同時に首都でも流行の終わりの兆しが見え、今は商人たちが首都への食糧や衣料品の輸送にいそしんでいる。
それにニキアスの採った対策も完璧だ。エリザベスに助言をもらったという部屋の加湿に、体を温めて免疫の強化。それに病院の換気に……と自分の、思い出すだけで恥ずかしい夢の出来事は忘れて、素直に称賛した。
こういう訳で復帰して早々仕事にやる気を見せたアレクシアは少し拍子抜けして、各地の病院からの報告書をまとめた統計作りを冬の仕事にしようとしていたのだが。
「これなら、意外と余裕ありますわねぇ。ほんとうちの民は優秀ですわ~」
五年間にわたるアレクシアの復興事業を支え続けた官僚、そして長年の戦争を乗り切ってきた医者たちは実に優秀だった。表記方法を統一しただけでここまでの速度でまとめられるとは、と喜ぶ。
「いやいや、君の準備も完璧だったけどね。もちろんエリザベスにも感謝しかないが……って、エリザベスはどこに行ったんだ?」
「貴方は忘年会に忙しくて聞いてなかったんでしょうに。……先週からアイオロスを連れて連合国ですわ。謝罪ついでに向こうの戦術研究なんて言ってましたけど」
赤ら顔のニキアスを軽くにらみつけ、アレクシアは二人の旅路に思いを馳せた。
自分の謝罪だというのに妙に喜んで着いて行ったアイオロスの思考が全く理解できなかったが、エリザベスは久しぶりの外出を楽しみにしていたようだった。
そういえば……とアレクシアは呟く。最近忙しくてすっかり忘れていたが、連合国と言えばあの頭のおかしい女。認めたくないが、一応友人と呼んでやらなくもないあの女。
「シェアトはいつ帰ってくるのかしら? 年内とは言っていましたけれど……」
「さぁねぇ……あの王女様にもお礼をしないとなぁ。連合国人にも協力してもらったし」
そのとおりですわねぇ……とアレクシアは憂鬱そうに顎に手を当てる。
見えざる悪魔の対応に予想以上の出費を強いられ、ランカスターを奪った代わりにエリザベスから物資の代金は受け取らなかった。つまり今は台所事情が非常に厳しい。
紙幣の発行により金銀の所有量をはるかに越えて、以前の数倍の予算を動かせるようになったとは言え、いくらなんでも遣いすぎた。
「現金がなくなりますので、これで春までは出費できませんのよ……」
帳簿を見ながらうなだれるアレクシア。新薬の生産量を増やすか……などと考える。
ニキアスも酒が不味くなったようで、グラスを机に置くとうなだれようとして、がばっと起き上がった。
なにか良い考えでも浮かんだのかと聞く彼女に、彼は指をさすと提案する。
「トゥリア・レオタリアだ……! そう、あの強豪チームの経営権があるじゃないか!! ランカスターでのラングビも再開するし、もっと儲けないか?」
「……!? 貴方から儲け話が出てくるとは夢にも思いませんでしたのよ!?」
アレクシアが目を大きく見開いて驚く。ニキアスは何か考えがあるようで、自信満々に鼻息荒くコートを羽織る。
「ヘルマンは暇してるな? 借りていきたい。君は興味ないだろうし、僕が行ってこようじゃあないか!」
「別に構いませんけれど……自分が観に行きたいだけじゃないんですの……?」
颯爽と外へ走るニキアス。リブラ商会からヘルマンを呼びつけ、翼竜大隊に命令を下すと、ランカスターへと飛び立っていった。
「……小銭稼ぎは任せるとしまして……わたくしはわたくしの仕事をしましょうか」
その様子を執務室から眺めて、アレクシアは一人呟く。
報告のあった首都の様子。帝国の状態は想像以上に悪いのかもしれないと思いを巡らせた。
――帝国首都、オーリオーン城、皇帝の私室
「ソロンよ。ご苦労であった」
暖炉の前の椅子に座り、火に手をかざしながら話すアポロン四世。見えざる悪魔の脅威が去ると同時に体調が回復した彼は、最近やっと民衆にも顔を見せるようになっていた。
彼の後ろで話を聞くのは、先日の失態で軍の指揮権を剥奪され、財産の半分を失った宰相ソロン。
「そのお言葉だけで十分にございます」
アレクシアの逆鱗に触れて以来、すっかり大人しくなったソロンは、見えざる悪魔との戦いに尽力し、ある程度の威厳を回復していた。
あくまでも内政ではだが、ある程度の信頼を取り戻した彼に皇帝は優しい声で告げる。
「お前は焦りさえしなければ有能なのだ。それを肝に銘じよ」
「……痛み入ります」
十以上も年下の皇帝に諭される宰相は、背中を丸めて小さくなる。
帝国に大損害を与えた贖罪のために挑んだ見えざる悪魔との戦い。恥も外聞も捨ててペルサキスに助力を乞い、彼らのやっていた対策をすべて模倣した。
そのおかげか12月に入りやっと流行は収まって、今では療養中の市民も無事に医療を受けることができるようになっていた。
「ベネディクト皇太子殿下にもご協力いただきました。また……」
方針が決まってからの帝国首都の動きは実に早かった。
普段は足を引っ張り合う官僚たちは疫病の脅威に一致団結し、遊び惚けていたはずのベネディクトすら、芸術や娯楽事業で培った彼の市民人気を大いに利用してソロンら官僚の命令を市民に浸透させるのに尽力したのだ。
しかし続けようとして言いよどむ。協力した人間の中に一人、皇帝アポロン四世にとって因縁の相手。ソロンにとっても憎い相手。どうしても名前を出すのがはばかられた。
そんなソロンの声色を察して、アポロン四世は心底憂鬱そうに声を出す。
「……ゼノンか……抜け抜けと……」
「……私も思うところはあります。しかし彼の力なしでは……」
ゼノン=オーリオーン。アポロン四世の異母弟。そして十年前の皇后暗殺事件の主犯と見られる男。
決定的な証拠が見つからず無罪放免となった彼は、今では帝国に巣食う犯罪者たちの王として君臨していた。
「仕方ない。朕が倒れていたのが問題だ。しかし、なぜ今更来たのだ?」
その顔を思い出し、苦々しい顔でソロンの方を振り向く皇帝。ソロンが口を開こうとすると、部屋の扉が大きな音を立てて蹴り開けられ、皇帝を一回りは若返らせた風貌の男が入ってきた。
「それは俺が直接説明する必要があるな。兄貴」
「ゼノン! 貴様どうしてここに来た! 二度と顔を見せるなと言ったはずだ!」
彼の姿を見た途端、唾を飛ばし、激昂する皇帝。
無理すんなよ兄貴。体調戻ってないんだろ? と挑発的な視線を向ける彼は、続けて口を開く。
「俺も人のことは言えないが、皇帝の血を引くものは少ない方がいい。あの娘、やっぱり殺しておくべきだったわ」
「ディミトラだけでなく、アレクシアまでだと……!」
皇帝は六歳になったアレクシアが夢日記を見せに来た日から既に気づいていた。
代々の皇帝が持つ神の力……つまり民の信仰の力はアレクシアの下に集まる運命にあると。娘が見た夢を実現させ続けるのなら、この帝国はより豊かに強大になると。
しかし、その夢日記を見せた彼の弟の反応は違った。
常識で測れないものを見た時の反応としては、彼のほうが自然だったのかもしれない。
結局、アレクシアの七歳の誕生日、ゼノンの企てた暗殺は失敗した。
「とにかく、お前はどの面を下げてここに来た!」
皇帝は怒りのままに言葉を放つ。
ゼノンは少し目を伏せて、自らの兄を憐れむような声で返した。
「……義姉さんのことは……いや、何を言っても言い訳か……アレクシア、あいつは危険だ。……兄貴はなぜそれが分からない? ソロン、お前もそう思うだろ?」
真剣な顔で二人に問いかけるゼノン。
皇帝はこの弟の頭の固さに絶句して、ソロンは共感しつつも口を開く。
「……ワシは貴様が気に食わん」
「おーおー、俺の助力を散々受けといていいご身分だな宰相閣下」
宰相か、確かにいい身分だ。と薄く笑って、ゼノンは賛同が得られなかったことを残念がった。
「まぁいい、本題だ。アレクシアは帝国の、兄貴の弱体化を狙っている。これは間違いない。俺はそれを阻止する。どうせ反アレクシア派は結構いるからな……協力はしてもらえなくてもいいが、俺の邪魔はするな。そのために恩を売った、というのが先の協力の理由だな」
「協力には礼を言う。しかし、我が娘が帝国の弱体化を狙う? どこにその根拠がある?」
そう聞く皇帝に対して、ゼノンは何枚かの書類を投げつける。
ソロンが慌てて拾い集めたそれは、アレクシア大学の医者が書いた論文。学長でもあるアレクシア本人直筆のサインが記されたそれには、『新薬の毒性』と書いてあった。
確かに鎮痛剤が出回らなくなって以来、とってかわるように流通しだした新薬。中央貴族も世話になっていることは知っていたが、産まれつき体が強く、老いても健康そのものであるソロンは使用していなかった。
「アレクシアはまだ気づいていないだろうが……こいつはウチの悪党どもが盗んできたものだ。ペルサキス製の新薬、あれは猛毒なんだ。あんなものをバラまきやがって……悪魔の所業だぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で話すゼノンの組織は、自らの配下である悪党……特にペルサキスで逮捕され、刑を終えた犯罪者たちから持ち帰られてくる新薬の依存症に悩まされていた。投薬実験として何度も服用させられたそれの効能で、やがて廃人になり死んでいった彼らを見てきたゼノン。
彼は自らの仲間を守るためにペルサキスを、アレクシアを敵として見ていた。
「待て待てゼノン、それは貴族も市民も使っているはずだが……」
ソロンが慌てて聞き返すが、ゼノンは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ふん……ソロン、調査してみろ。……兄貴、これでもあんたの娘が危険じゃないと言うなら、帝国の未来だというなら、夢を見たままさっさと死んだほうがいいと思うぜ」
そう吐き捨てて勝手に去るゼノン。
あっけにとられたように見送った皇帝と、書類を読みながら絶句するソロンが残された。
『強い幸福感による躁状態、痛覚の喪失、投薬五回目程から非常に強い依存症』
『依存症が発症した患者において、使用中止から七日目、幻覚、破壊衝動。十四日目、自意識の喪失。二十一日目、魔力の暴走。二十八日目、確実な死』
皇帝はなんとか気を取り直し、手を震わせる宰相に聞いた。
「……ソロン、それには何と?」
「……これは……皇女殿下が……まさか……」
ソロンから全てを聞かされた皇帝の力が抜けた。
ペルサキスだけが製法を知っている新薬。一見あらゆる病に効く夢の薬に見えたそれは、やがて確実に命を蝕む猛毒。
それを理解して流通させた自分の娘の悪意、本気で帝国を破壊しに来ようとしている事実。
慌てて調査に向かうソロンが出ていくと、暖炉の前で頭を抱えてひとり呟く。
「……そうか。俺を恨んで……しかし民を巻き添えにするとは……アレクシア……いくら娘でも許容できないことがある」
民のためにアレクシアを倒す。自らの娘に裁きを下す、と震える声で呟く皇帝。
「だが、あれは非常に用心深い。絶対に悟られぬように動かなければな。……ゼノンはしばらく泳がせるか。俺と仲が悪いことはあれも知っているはずだ」
皇帝は決意した。父親だからこそ、自分の娘が何を考えるかは分かる。
それにアレクシアは既に皇帝の、神の力を持っている。彼女が崇拝されているというペルサキスの中では斃すことは出来ない。ゼノンはそれを理解していないから絶対に失敗する。
まず新薬は依存症を発症した患者のために確保しなければならない。論文が盗まれた途端にいきなり購入を止めてはアレクシアも怪しむだろう。可能な限りぎりぎりまで従来どおりの関係を維持する。
それと、なんとかして怪しまれずに彼女をペルサキスから引き離す手段を考えていた皇帝。
彼の頭に丁度いい考えが浮かんだ。
「百年祭だな。それまでは絶対に気取られてはならん……」
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