第二話:勇者の結婚式

――帝国暦98年11月上旬、ランカスター王都


 

 怒涛の10月が過ぎ、すっかり落ち着いて涼しくなったこの南部地域にも、遅い秋が訪れていた。

 真っ赤に染まる山々を遠くに眺める王都では、早速乗り込んできたペルサキス軍や商人たちによる再建工事が進められる。


 既にエリザベスは王都から旅立ち、代わりにこの地を統治することになったのはニキアスの叔母、ニケを筆頭とするペルサキス家の分家だった。……最も彼らはお飾りのようなもので、実質的にはニキアスからの指示で動く軍隊と、アレクシアの息がかかった商人や官僚たちが実権を握っている。


 そしてこの日は先日アイオロスが破壊した通りの再建工事。トゥリア・レオタリアのチームメイト達を率いて汗を流すアルバートのところへ、何かを隠したような、変な表情をしたジョンソンがやってきた。


「ジョンソンじゃないか!! 怪我はもう良いのか? 来週のラングビは、キャプテンには復帰できそうか?」


 先月の戦争で密林部隊として働き、足に怪我を負ったジョンソン。しばらくの療養ですっかり髭面になった彼を見つけたアルバートは喜び、思わず抱きしめた。


「おいおいやめろやめろ、まだ痛むんだ。復帰は来月だなぁ……って、そんなことよりぃ、勇者アルバート様ぁ。最近、貴方のお姫様と会っていないと小耳に挟んだのですが?」


「ぐっ……おい、からかうためにわざわざ起きてきたんじゃないだろうな?」


 アルバートを振り払い、慇懃無礼にわざとらしく喋るジョンソン。アルバートは言葉に詰まる。確かにジョンソンの言うお姫様……アンナには会いたかった。しかし今度会う時はプロポーズをすると決めていて、エリザベスに託された革命のことを思い、まだその時ではないと思って再建工事に励んでいた彼は、彼女のところへ顔を出していなかった。


「睨むな睨むなー。からかうとかじゃなくて呆れてんだよ……さっきお見舞いに来てくれたアンナちゃんから聞いたけど、お前、まだ結婚してなかったんだってな? しかも帰ってきてから避けられてるって泣いてたぞ?」


「……うっ」


 ジョンソンは眉間に皺を寄せてアルバートを問い詰める。彼より年長者で愛妻家であるジョンソンからしたら、アルバートの態度は許せるものではなかった。

 一旦からかって反応を見てやろうとしたのだが、どうやら本気でアンナのことを一旦置いておこうとしているアルバートに、若干の呆れと大きな怒りがこみ上げる。


「『俺の帰る場所を守っていて欲しい!』 って言っといて帰らないとかどうなんだよ?」


「それはその……今はまだその時では……」


 こいつの良いところは見た目だけか……!! とジョンソンの頭が沸騰する。

 別にキャプテンとしてチームのエースの心配をしているわけでも、革命組織の一員として将来のリーダーを心配しているわけでもない。

 目の前の親友を、そしてその恋人を幸せにしなければ! そう叫ぶジョンソンの老婆心が、彼を怒鳴らせた。


「ごちゃごちゃうるせぇ! 抱いたんだろ!? 妻だって言ってんだろ!? さっさと逢いに行けボケ!!」


「大声で言うな!! みんな聞いてるだろ!!」


「聞こえるように言ってんだよ!! 皆さぁぁぁぁん!! この勇者アルバートは恋人を泣かせましたあああああああああ!!!!」


「うるさい!! 行けばいいんだろ行けば!!! うああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 顔を真赤にして怒鳴り合った二人。アルバートは耐えきれずに神速で走り去る。

 彼の黒髪から、きらきらと虹色に輝く残光が尾を引いた。

 

 王城へと向かう光の軌跡を見送ったジョンソンは真剣な眼差しで、アルバートと一緒に作業をしていた選手たちに合図する。


「よし、これでいいだろう。……お前ら、結婚式の準備に取り掛かるぞ」


 口々に返事をするトゥリア・レオタリアの選手たち。

 まずは通りの修繕、そして帝国軍を追い返した勇者のために、最高の舞台を用意してやろうじゃないかと意気込む彼らは、鍛え上げた肉体を自分たちの英雄のために使おうと精一杯働いた。


 結婚式。それはジョンソンがエリザベスから託された頼みでもあった。


――アンナには悪い事したから結婚式、盛り上げてあげてね。


「エリザベス様。男にしてやりますよ奴を!!」


 天に向かって叫ぶジョンソン。

 この熱きキャプテンが、自分は出来なかった結婚式を、若きエースに託す。



――ランカスター王城



 ぜぇぜぇと息を切らしたアルバート。走り出した彼は、一番来たかった場所に来ていた。先日の講和会議のあと逃げ出してしまった場所。アンナが働く王城。


「仕事に忙しいかもしれないが……」


 今だ肌身離さず持ち歩く金の指輪を確かめる。 

 小さな袋から取り出すと、ホッとしたようにそれを撫でた。


「よかった落としてなかった……しかしあれだけ焚き付けられて……どうやって渡したもんか……」


 完全に時期を逃した……と思い悩む彼。収穫祭、そして戦場から帰った直後。

 どこかロマンチストな彼は、ここぞという時に渡したいと考えていたのだったが、どうしても決心がつかなかった。

 

 そしてこれからいつ渡せるだろうかと、目を閉じて考える彼の肩を、誰かが小さく叩いた。


「アルバート……あの……」


 絶対にアルバートを連れて行くから待ってろ!! と意気込むジョンソンに言われて、王城の門前で待っていたアンナ。逢ったら何と言えばいいか分からなかったのはアルバートと同じだった。

 いっそ自分からプロポーズしようかとも考えていたところ、先ほど走ってくる虹色の光を見つけて、嬉しさと恥ずかしさの中、決意して声を掛けたのだった。


「え……あ……アンナ。…………ごめん!! 俺が悪かった!! 結婚してくれ!!」


 ヤケクソだった。アンナを見て完全に真っ白になった彼は、もうどうにでもなれと頭を下げ、指輪を差し出す。

 彼女はその指輪を眺めて頬を緩ませたが、一旦そっぽを向いて怒ったように頬を膨らました。


「……まぁ怒ってるんですけど」


 そんな彼女の口ぶりに、しどろもどろに言い訳を始めるアルバート。


「いやこのほら、なんていうか……収穫祭は駄目だったし、この間もバタバタしててそういう雰囲気じゃなかったっていうか……」


 目の前で縮こまる筋骨隆々の大男がなんだかおかしくなって、アンナは怒ったふりを止めた。


「ふふっ……冗談ですよ。……でも今日来なかったら本当に怒っていたかもしれませんが」


 え、じゃあ……? と顔を上げるアルバート。

 アンナは微笑むと、彼の手のひらから指輪を受け取った。


「結構前からそのつもりでしたから。ありがとうございますアルバート。……貴方と違って、どこにでもいるただの女ですが、どうかよろしくお願いします」


 いつも落ち着いた彼女の顔が、見上げるアルバートにとって眩しかった。

 彼は言葉にならない叫び声をあげて、彼女を強く抱きしめて、長い口付けを交わす。しばらくして離すと、彼女の耳元で囁いた。


「さっき君が言った言葉、ひとつだけ違う。君は、俺にとっての特別なんだ」


 耳まで真っ赤に染まる二人。

 秋の黄金色の夕陽が、二人を照らしていた。



ーー翌朝、アルバートの家の周りは王都の市民で埋め尽くされていた。

 昨夜、ジョンソンやチームメイトたちが繁華街の居酒屋や料理店で散々宣伝した結果、日が昇って間もないというのに、彼の家の外には結婚を祝いに来た客が詰めかける。


「んぁ……なんだ? 周りが騒がしいが……」


 眠い目をこすりながら、隣で眠るアンナを起こす。

 彼女も目を軽くこすって起き上がる。


「……おはようございます。どうしたんですか? 怪訝な顔をして……」


「何かあったかもしれない。少し見てくる」


 そう言って服を着るアルバート。アンナも慌てて着替えを始めた。


「……」


「……あまり見ないでほしいのですが」


 しっかりと筋肉がついた、均整の取れた身体。確かに主張する、どちらかと言えば控えめな胸。

 柔らかかったな……と、目を奪われたアルバートに、アンナが釘を刺す。慌てて目を逸らす彼に、彼女は笑いかけた。


「もう夫婦ですし、毎日見れますよ」


「そう言われると恥ずかしいな……いやそんなことより、外だよ外」


 頭を左右に振って煩悩を振り飛ばす。

 着替えた二人が外に出ると、盛大な拍手と沢山の爆発音で出迎えられた。


「結婚おめでとうアルバート!! さあ広場で準備は出来てるぞ!!」


「アルバート様おめでとう!! みんな準備がんばったよ!!」


 すっかり酒に酔って赤い顔をしたジョンソンとワシムが走り寄る。

 広場に突貫工事で舞台を作り、収穫祭の飾りの余りで飾り付けの指揮を執ったジョンソン。

 祖国の祝いの風習と言って、竹に少量の火薬を詰めた爆竹を作って市民に配り、盛大に鳴らしたワシム。


 完全に面食らったアルバートとアンナの二人は、ぽかんと口を開けてそのバカ騒ぎを見ていた。


「さあ、エリザベス様から礼服も借りてるぞ!! 着替えろ着替えろ!!」


 ジョンソンの声で、王城から来たエリザベスの家臣たちがアルバート達二人に古い礼服を渡し、アルバートの家になだれ込む。

 外ではトゥリア・レオタリアの応援歌の大合唱に始まり、王都の人々は中断された収穫祭の続きを始めるかのように、酒を酌み交わし踊り始めていた。


 古めかしいが、しっかりと手入れされたランカスター地方の伝統の礼服。男は裾の長いゆったりとしたガウン、女は帝国のそれよりもシンプルなドレス。

 式典用とあって真っ赤に染め上げられ、白いフリルや金銀の刺繍で飾られた派手な礼服を無理やり着させられ、さらにランカスターの三頭の獅子の紋章が大きく入ったマントを肩にかけられた。


「これ王族の服じゃ……!?」


 着付けにてこずるアンナをよそに、先に着替えたアルバートが自分の姿を確認して驚く。

 大昔にエリザベスの父が着ていて、小さなころの記憶にも残っている立派な服。そんなものに平民が袖を通していいのかと、彼は気が気でなかった。


「いいんですよ。エリザベス様からのお祝いです。あとこれも持ってください」


「これは……? 剣の柄……?」


「正しい名称は失われていますが、『コールブランド』と言います。刃が入っていない儀礼用の剣ですよ。初代ランカスター王が振るった、光の剣だと伝承にはありますが」


「本物!?」


 アルバートの問いかけに、家臣は笑顔で頷く。

 青銅に鮫の皮を巻き付け、鮮やかな朱色の麻紐を巻き付けた柄。そして金箔で飾られた、獅子の紋章が彫られた大きな鍔。

 軽く握ってその感触を確かめると、まるでずっと握って戦ってきたかのような、不思議な安心感に包まれる。しかも想像以上に重たい。刃が入っていると錯覚するような重量感とバランス。

 

「まぁ、エリザベス様は美術品に疎いので……ペルサキス家に見つかって売られるくらいなら、アルバート様に受け取ってほしいとおっしゃっていました」


 そんな簡単に……と呟きながら握りしめたそれを見る。儀礼用の美術品、と言っているが、これは本当に使われたんじゃないか? とアルバートの直感が告げた。

 明らかに普通の剣や武器とは違った感触。しかしどうやって使ったのかまでは想像がつかなかった。

 しばらくコールブランドを見つめていると、着替えの終わったアンナが彼に声をかける。


「アルバート、どうです?」


 ペルサキスで見た時のような、美しく着飾った彼女に、アルバートはまた恋をした。


「……いいと思う」


「行きましょう。お祝いしてくださる皆さんを待たせていますし」


 何とか絞り出した言葉をアンナはうれしく思って、彼の手を取る。

 笑顔で見つめ合った二人は、エリザベスの家臣たちに連れられて外へ出た。


「おー!! 来たぞ来たぞーーー!!!」


「ほらほら道を開けて!! アルバート様とアンナ様が通るよ!!」


 ジョンソンとワシムが嬉しそうに二人の登場を煽る。

 つられた民衆の大歓声。そして割れていく人波の真ん中を歩く二人。

 通り過ぎた観衆が次々と彼らの後ろに続き、ランカスター人の大行進が通りの中央を練り歩く。

 それを見かけた人々もだんだんとその列に加わって、いつの間にか笛や太鼓の合奏も聞こえ始めた。


「……なんかすごいことになってきたな」


「こんなに祝ってもらえるなんて……うれしい……」


 感慨深く見渡す二人。いつの間にか王都の人口のほとんどが祝いに集まってきた広場。

 華やかに飾り付けられたそこで、二人は向かい合った。


「おーい!! みんな静かに静かに!! 始めるぞ!!」


 いつの間にか礼服に着替えてきたジョンソンが二人の間に立ち、声を張り上げて観衆を静かにさせた。

 彼はランカスターの神々に祈りを捧げると、二人の顔を交互に見て、彼ら平民の結婚の誓いを促す。


「では、仲人は不肖ジョンソンめが…………二人は、互いに、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


 ジョンソンの言葉を聞いている間、アルバートは思い返す。初めて出会った春のこと。彼女と過ごした夏、彼女と旅行した秋。

 思えば知り合ってそんなに経っていないんだな……と思いつつ、生涯の伴侶はいきなり見つかるもんだなぁ……と感慨深くなって、改めて手が震えた。


「……死んでからも。誓います」


「私もです。……誓います」


 緊張したアルバートは、震える声で。アンナは彼を励ますように優しく。

 二人は誓い合い、見つめ合った。


「こほん……それでは誓いの口づけを」


 かしこまったジョンソンが、精いっぱいの威厳を出して話す。

 二人はそっと口づけを交わすと、静まり返った観衆が再び大歓声を上げて歌いだした。


「いええええええええ!!! アルバート様おめでとおおおおおおお!!!」


 離れたところで準備していたワシムが爆竹を炸裂させた。けたたましい音とともに観衆の熱が盛り上がる。色とりどりの煙と紙吹雪が舞い、その中心の二人は満面の笑顔で応えた。


 そんなみんなの様子を見つめていたアンナが、ふとアルバートに呟く。


「幸せです。今、人生で一番」


 涙声の彼女を何も言わずに抱きしめて、彼は彼女を守り通そうと、共に生きていこうと誓う。

 


――アルバートの腰に提げられたコールブランドの本来刃のあるべき部分が、うっすらと虹色に輝くのを、この場の誰も気づいていなかった。

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