外伝
第一章、三話外伝:アレクシアちゃんとエビフライ祭り
――帝国暦98年2月某日、首都近郊、アレクシア邸
「やることなさすぎですわ! しかも冬は毎日同じ食事……! おファックですの!!」
保存の効く根野菜と塩漬け肉を煮込んだスープとパン。それに酢漬けの葉野菜。
貴族でも庶民でも冬はだいたいこんなもの。温室を所有する皇族は果物も食べることができるし、北部沿岸に近い首都ではそれに加えて魚も出る。
しかしアレクシアは一年の三分の一を占めるこの憂鬱な季節の、十七回目にしてついに我慢の限界を迎えていた。
「……漁港市場ですわ! 冬でもあそこなら何か……何かおいしいものが売っているはず……!」
目立つ髪を毛皮の帽子で隠し、水鳥の羽毛を仕込んだ、ふわふわもこもことした防寒具に着替えたアレクシア。
屋敷を抜けだし自ら馬に乗り漁港まで来ると、近くに居た漁師に声をかけた。
「あの、すみませんが冬しか取れない魚とか……殻のついた虫みたいなものとか……売っていませんか?」
「虫……? あぁ、カニとかエビあたりかい?」
「ありますの!?」
十七年も生きてきて知らなかった……今まで食事は料理人任せだった事を非常に後悔して、アレクシアは大いに驚いた。
甲殻類のような、足が四本より多い、虫のようなものは貴族は食べない。貴族の中の貴族である彼女はその存在すら、自らの記憶の中でしか知らなかった。
「食ったことないってことはお嬢ちゃん貴族だろ? 俺ら平民と話してていいのかい」
「……今のわたくしは、美味しいものを探しに来た、そのへんの娘ですわ~」
「ははは! 旨いもんを食いたい、ってのは人間誰でも一緒だな! よーしお嬢ちゃん、捕れたてのを分けてやろう。旨かったら注文頼むぜ!」
すっとぼけるアレクシア。大笑いの漁師はエビを箱に詰めて彼女に渡す。
代金を支払おうとした彼女が金貨の袋を取り出すと、漁師の目が丸くなった。
「…………皇室のお方で?」
「…………気のせいですわ」
弓と槌が交差するオーリオーン家の紋章に、三連の星の刺繍が施された革袋。それを見た漁師は身がすくんだ。
一般市民でも、三連星入りの皇室の紋章を堂々と使うのは血族だけという事をよく知っていた。
「まさか、皇女殿下にあらせられますか……?」
「ですから気のせいですの! ……また注文しますわ」
「はい! 喜んでお贈りさせて頂きます!!」
声が大きい! とアレクシアは慌てて漁師を一喝し、彼の名前を聞いて馬に乗る。
帰ってきたアレクシアは、料理長を呼びつけると一緒に厨房に立っていた。
「さぁ料理長、エビを揚げますのよ!! エビフライですのよ!!」
「ご自分で作るんですか……!?」
揚げ物。それは庶民の食事。固くなったパンを削った粉でいろいろなものを包んで揚げたり焼いたり……というものがこの国の常識。この屋敷では従者たちのまかないとして出されるそれを自分で作ろうとする貴族など、今まで様々な屋敷で料理人をしてきて見たことがなかった料理長は、開いた口が塞がらなかった。
記憶の中から調理法を探し、前世の体に染み付いた動きで器用にナイフを使うアレクシア。背わたを取って殻をむき、エビの腹に切り目を入れて伸ばす。
「皇女殿下、どこでそれを……?」
「まぁ……気にしないで下さいな。それよりソースを。卵黄と酢、塩を用意して貰えますの?」
「ええ、はい。分かりました」
下ごしらえをする最中にソースの用意を命じた。エビフライと言えばマヨネーズ。
残念ながら帝国では材料があるのに発明されていなかったそれを、アレクシアは記憶の中から再現する。
料理長は言われたとおりにソースの材料をよく混ぜて、油を少しずつ注ぐ。
やがて白く柔らかなクリーム状になっていくそれを軽く味見して、彼は驚いた。
「素晴らしい……これは非常に揚げ物に合いそうですね」
「でしょう? 瓶に詰めてそこそこ保存できますわよ」
エビを捌き終わったアレクシアが、水を切ったエビに塩を振りながら話す。
もはや料理長は彼女の知識の出どころなど気にならなかった。料理を生業とし、料理を追求する者として、純粋な好奇心で彼女の指示を聞いた。
「ほら料理長、油を温めてくださいな。衣をつけたら揚げていきますのよ」
「分かりました。油は危険ですからお任せ下さい」
料理長が引き継ぎ、エビに衣を着けて揚げる。
ぱちぱちじゅうじゅうとした心地いい音が厨房に響く。
「クッソ美味そうですわ~」
少し離れたカウンターに肘を付き、まだかまだかと出来上がりを見守るアレクシア。
やがてきつね色に揚がった、大きなエビフライが積み上げられるのが見えた彼女は、思わずあふれる唾を飲み込み、食卓に移る。
まずはそのまま……とフォークで刺して持ち上げ、かぶりつく。
ざくざくの衣の下からぷりぷりとした食感。噛みしめる度に口いっぱいに広がり、鼻に突き抜けるエビの香り。あつあつほくほくと、水で口を冷やしながらそのシンプルな味を楽しんだ。
「あぁ~~~~~」
頬に左手を当てて、普段は気を遣っている礼儀作法はどこへやらと声を漏らす。
右手はフォークを持ったままで、高ぶった感情からか机をどんどんと叩く。
そんなアレクシアに、料理長は嬉しそうな声で尋ねた。
「ご満足いただけましたでしょうか?」
「素晴らしいですわ!! 明日からはエビを使ったメニューもどんどん出しなさい!!」
彼に向かって親指を立て、アレクシアはそう命じながら次はエビフライをマヨネーズに付ける。初めは少しだけ。
揚げ物の油とマヨネーズの程よい酸味にほのかな甘み。脂の暴力が彼女の脳を揺らす。
「この味……もっと早くに知りたかった……ですわ」
彼女は遠い目で、夢に見る異界に思いを馳せる。
食の都……前世の彼の住んでいた大都会。洗練された食事に、至る所で営まれるその世界のあらゆる料理が出される店。
アレクシアはいつか将来、そんな都を築くことをこっそりと決意したのだった。
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