第十九話:開戦

前回のあらすじ!



皇女の手は、人間とは思えないほどに冷たく、少女と思えないほど力強かった。

(中略)彼女たちの助力を取り付けた。命を賭した甲斐がある。


――エリザベス=ランカスターの手記 帝国暦98年ごろ



「夜間飛行? 冗談はやめてくれ。俺はまだ死にたくない」

 私がそう言うと、大学の偏屈で変人で狂人研究者共は諦めた。


――テオ・プテロン著『最初の翼竜』 リブラ出版、19年、29頁。



戦場で死ぬよりも、苦しむことのほうが辛い。特に飢えと乾きは。

何故かアレクシアは僕よりもそれをよく理解していた。まるで自分が経験したとでも言うように。


――ニキアス=ペルサキスの手記 帝国暦98年秋ごろ



――帝国暦98年10月中旬 中央大平野=ランカスター北部街道



「作戦指示書によると……掘って掘って掘りまくれ!! だ、そうだ」


「エリー姫、とんでもないこと考えますね……」


 帝国南部のまだ暑さの残るよく晴れた日。アルバートと、彼の副官に据えられた元海賊ワシムの大隊五百人と、まだ避難に余裕がある周辺の住民たちが、エリザベスがペルサキスから帰ってきてからのここ数日間ずっと、汗だくになりながら街道の土木工事に勤しんでいた。

 ひたすら穴を掘る、そして穴を掘る。更に穴を掘る。街道を塞ぐことができるように、彼らは全員をまとめて隠せる程度の塹壕を掘っていた。彼らの左右を囲むように茂る密林の中では、散らばった別のランカスター軍の隊がそれぞれ罠を張ったり野戦陣地の構築に励んでいた。


 アルバートの大隊は最も苛烈な戦場になることが予想されるこの北部街道。これから一万の帝国軍を迎え撃つというのに、彼が渡されたのは僅か五百人という戦力。しかしそれを指示したエリザベスは、絶対に勝てると彼の分厚い胸板を叩いた。


「……いや、確かににここは狭いし十分塞げるが……密林から突破されたらどうするんだ……」


「何言ってるんですアルバート様。帝国軍はここ、通らないといけません。補給の馬車、ここ以外通るとこないですよ」


「つっても密林の中に入れば果物とかキノコとかあるだろ? 湧き水もあるし動物もいる」


 そんな野生児アルバートに、ワシムはため息をつき、呆れたように反論する。


「えぇ……一万人も食べて飲めるだけはないでしょ。それにランカスターの人じゃなきゃ食べれるものわかんないですね」


 それもそうか……と頷き、穴を掘る手を再開するアルバート。手には血豆がいくつも出来、それが破れてかさぶたがいくつも出来ていた。


「流石にキツい……鎮痛剤はまだあるか!?」


 アルバートが誰ともなく大声で尋ねると、同じく作業を続ける隊員から小瓶が渡される。中の黒い軟膏を手のひらに塗りたくると、痛みが和らぎ、疲労が薄れ、高揚感すら湧いてきた。


「みんな、後少しで穴掘りは終わりだぞ!! 頑張れ!!」


 みんな、と言いつつ自分に檄を飛ばして、アルバート達は作業を続けた。



――その頃、ランカスター王城 王座の間



「あたしが!! 出るの!! 北部街道に!!」


「エリザベス様駄目です! もし死んだらどうするんですか!」


 ドラグーンの配備を終え、ついでにアレクシアが用意した、使用方法を絵で書いた説明書をそれぞれに渡す。物資や戦力の配分と作成する罠の種類や配置場所。全てを指示して取り掛からせていたエリザベスは、玉座の間で駄々をこねていた。

 確かに時間を稼げば、いずれ来るペルサキス軍が着けば王都で帝国軍は止まる。しかし北部は? ペルサキスからでは絶対に間に合わない北部を手放し、北部に配備した兵士たちを見殺しにするというのは、ランカスターを愛する彼女としては絶対に許せない。だからせめて王族として、自分が行って指揮する必要がある、と彼女は訴え、当然のごとく家臣にも士官にも止められていた。

 そんな彼女を一人で見張って止めているのはアルバートの事実上の妻のアンナ。アルバートと共に北部街道へ向かうつもりだった彼女は、彼に全力で止められて王城に残っていた。


「アンナだって行きたいって言ってたじゃない!! 『俺が帰る場所を守っていてくれ』なんてアルバートに言われてさぁぁぁぁぁ!!」


「なっ! 聞いてたんですか!?」


 アルバートのやたらといい声をモノマネして煽るエリザベス。彼ら夫婦が別れる所を目撃した彼女は、その様子に軽く嫉妬していた。

 そんな彼女に顔を真っ赤にしたアンナが詰め寄る。瞬間、エリザベスの目が輝き、アンナの背後に素早く回ると、彼女の首を右腕で締め上げ、左腕でガッチリと固定する。正確に頸動脈を締められ、完全に油断していたアンナは少しだけもがいて失神した。


「ごめんね、アンナ。行ってくるわ。……勝ってくるから許してね」 


 エリザベスは失神した彼女を優しく寝かせ、身体が冷えないように羽織っていたマントを掛けると小さく謝罪し、窓から抜け出した。



―― 一週間後、中央大平野=ランカスター北部街道



 後にアルバート街道、と名付けられることになるこの街道。

 元々はちゃんとした道だったが、アルバート達により至る所に掘られた穴には糞尿や泥水を混ぜて汚泥で凸凹に。さらに道幅いっぱいを塞ぐように、しかしドラグーンの射線を作るために隙間を開けて重ねられた丸太や木の板、そして土の壁で固められていた。

 更にその後ろには大隊全員がすっぽり隠れられるような塹壕が掘られ、ドラグーンの射手や物資が隠される。

 昼は肉体作業、夜は小さな蝋紙に一発ごとに弾と火薬を取り分けて包む作業を続けた彼ら。既に身体強化の魔法をほとんど使い果たし、使い続けた鎮痛剤の興奮作用すら切れ始めた隊員には疲弊の色が見えていたが、全員が祖国を守る一心で突貫作業を完了させていた。


「さぁ、もうすぐね!! 全員!! ここで押し返すのよ!! 密林は別の部隊が守ってる!! あんたたちは後ろのことなんて考えない!! 死ぬまで殺せ!! 死んでも殺せ!! 奴らにランカスターの地を踏ませるな!!」


 数日前に遅れて登場したエリザベス。重ねられた丸太の一番高い所に立つと、颯爽とその漆黒の髪をなびかせながら、三頭の獅子が刺繍されたランカスター王家の旗を掲げ、絶叫した。

 そんな彼女の熱気に当てられ、疲弊の色濃い兵士たちの顔に血の色が戻りだす。

 兵士たちが口々にランカスター万歳と叫ぶのをエリザベスは満足そうに聞くと丸太の上から飛び降りて、アルバートの肩を叩く。


「アルバート、行くわよ。帝国軍はどう?」


「遠見の魔法で見る限り、言われた通り一万程度です。……歩兵がかなり遅れていますね」


 よく晴れ、澄み切った空気。アルバートの目には帝国の中央大平野を行軍する大軍が見えていた。見たままをエリザベスに報告すると、彼女は胸をなでおろした。


「良かった。ペルサキスは仕事してくれてたのね。向こうは食料が足りてないはず。こっちは万全……でもないけど。全員に休息の指示を。アルバートも寝てていいわよ。あたしが見張ってるからさ」


 そんな事はさせられないと言おうとしたアルバートを、エリザベスが制する。


「命令よ。休息しなさい」


「……了解しました」


 自ら見張りに立ちながら、エリザベスは自分の作戦を思い返す。この街道で防御を固め、新兵器ドラグーンで第一陣を鏖殺する。戦線を膠着させたら夜ごとにアルバートやワシムらの精鋭部隊を送り込み、帝国軍に休息の暇を与えない。そもそも遠征して攻める側よりも、本拠地で守る側の方が有利なのだ。食料も物資も尽きてくれば絶対に撤退する。それまでを凌ぎきり、仲裁に来たあの皇女にもランカスターの強さを見せつけ、この地は絶対に守り切る。


「保護された領地じゃ意味ないのよ。最後の目的は独立。エリザベス、分かってるわよね」


 その目的を果たせず死んでいった祖先の、そして彼らに着いていった民の事を思い浮かべながら、彼女は小声で自分に言い聞かせた。



――数時間後



 帝国軍の騎兵隊がドラグーンの射程範囲の少し外で、アルバート達の築いた陣地に向かって構えていた。

 歩兵隊や魔法部隊の到着が遅れているため、少し離れて開けた場所で陣を張って休息をとろうとしていた彼ら。偵察中にそれを発見したワシムの元海賊部隊による奇襲を受けて臨戦態勢をとっていた。爆弾を投げ込まれた彼らは逆上し、わざわざ目立つ場所に正対すると、街道の陣地で引き籠るランカスター人達に対して拡声魔法による罵倒を投げつける。


「臆病者!! 卑怯者のランカスター人め!! 出てこい!! 皆殺しにしてやる!!」


 塹壕の中、そんな声で目を覚ましたアルバート。エリザベスの横できゃっきゃと笑うワシムに、なんかやったのかと問いかける。


「おはよう。アルバート様。奴らの陣地に爆弾沢山投げてきた。すごい慌ててあそこまで来たよ」


「なるほどな。よく逃げてこれたな」


「疲れてるのよ。火も起こしてなかったみたいだしね。食料も尽きかけてて相当イライラしてるはず。さっさと始めて殺すわよ。密林の部隊はまだ隠すから、こいつらはあたしたちで倒すわ」


「了解です、エリザベス様……密林に来る敵に備える必要がある、ってことですね」


「よくわかってるじゃないの。先に来てるのはせいぜい千五百だし、余裕で撃退できるわ」


 真剣な顔のエリザベスが口をはさむ。彼女はワシムに全員を起こすように伝え、アルバートに対して話をつづけた。


「アルバート、あんた向こうにも有名だし、挑発してきて。あと射撃の指揮は任せるわ。目印はあそこ……奴らの少し手前の岩、狙うのは馬よ。音に驚いた馬がどこ行くかわからないから、それだけ気をつけなさい」


 騎兵隊で魔法に秀でた兵士はいない。乗馬中にいちいち攻撃のための呪文を唱え、神々に祈りをささげるのは本来非常に難易度が高く、事前に身体強化魔法を唱えて戦うのが普通だ。その基本を守っている帝国軍であれば遠距離攻撃はせいぜい弓か投石。事前に周囲の石は拾いつくしておいて、さらに弓が通らないように陣地を築いた以上は、ドラグーンが一番有効な相手。とエリザベスは計画を立てていた。


「当然、あいつらはあたしたちが顔を出して戦う必要があると思ってる。魔法にしろ弓にしろ、石にしろ。このドラグーンはその必要すらない。その恐怖を思い知らせてやろうじゃないの」


 作らせたアレクシアすら気づいていなかった事実を彼女は既に見抜いていたのだ。


 アルバートが丸太の上に登ると、彼を知っている帝国軍からの罵倒が激しさを増す。中には勇者に対して失望した、恥ずかしくないのかと声をあげる者たちもいた。

 しかしその彼は、敵に対して拡声魔法で挑発を返す。


「我らがランカスターへようこそ!! 僅かこれだけの俺たちに、ガン首を揃えてぎゃあぎゃあと囀る小鳥たち!! その二度と帰らない故郷の、お前たちの母鳥の代わりに、そのかわいい嘴にたくさん食わせてやろう!! フンを漏らして、泣いて帰るなら今のうちだぞ!!」


 演説で鍛え上げたその舌で、調子に乗ってその後もスラスラとしゃべり続けるアルバートに、なかなか紳士的に煽るんだな……とエリザベスは感心して、ドラグーンを構えさせる。


「……ご清聴ありがとう!! 帝国軍のひよこたち!! さあ殺し合おうじゃあないか!! かかってこいよ雑魚共!!」


「勇者とか言われて調子に乗るんじゃねぇ、アルバート!! ここは戦場だぞ!! 俺たちの仕事場だ!! お前こそさっさと逃げるんだな!! 全員!! 突撃準備!! 踏み荒らすぞ!!」


 彼が罵倒を終えて塹壕に戻ると、反対側から怒声が上がった。

 帝国軍の旗が、天高く昇りきった太陽を指す。それが大きく振られ、後方の騎馬弓兵たちが一斉に弓を射かけると、横一列に先陣を切る騎馬隊が全力で駆け出した。


「三……二……第一隊、斉射」


 ドラグーンの銃身を目印に距離を測るアルバートが横のワシムに指示を出すと、彼は大声で復唱をする。


「あいあい!! 第一隊斉射!! 第二隊、交代!!」


 交代で弾を込め、絶え間なく続く発砲音。障害物に隠れて見えない彼らから、見たこともない攻撃に曝された帝国軍の騎兵隊。音に驚き、鉛弾で撃ち抜かれた馬が暴れ、放り出された騎兵は次々と汚泥に落ちる。そこに向けて降り注ぐ恐怖の炸裂音と、彼らが操っていたはずの馬。先陣を切った数十人はやがて物を言わぬ死体になっていった。


「進むな!! 退け!! 退け!!」


 ほんの十分ほどの一方的な殺戮。帝国軍はすぐに進むことを諦めた。

 その諦めの良さにエリザベスは少し苛ついたが、後方の騎馬弓兵が弓をしまい、背を向けて手綱を握るのを見て、すぐに追撃の指示を出す。

 彼らランカスターには、近距離の白兵戦なら騎兵だろうと殴り勝てる最強の勇者がいる。


「チッ……もう少し減らしたかったわね……アルバート!! 追撃!! 街道は出るな!!」


「了解です!! 行くぞワシム!!」


「あいあい!! 追撃部隊!! アルバート様に続け!!」


 全力の身体強化を唱え、一息に塹壕を飛び出し、陣地を飛び越えて駆け出すアルバート。その後方からは銃口に短剣を括り付けたドラグーンを抱えた数十人の追撃部隊が走って追う。

 たった一人で飛び出した馬より遥かに速い勇者は、暴れる馬を抑えようと奮闘する哀れな騎兵の後ろに飛び乗り、その首を掴んで放り投げる。奪った馬の尻に短剣を刺して飛び降りると、軽くなった馬がさらに暴れだし、逃げようとする騎兵隊に全速力で突撃した。

 それにぶつかられて落馬する騎兵を踏みつけながら、彼は逃亡する敵の背中に大声で叫んだ。


「味方を見捨てるのか!? 臆病者め!!」


 アルバートの怒鳴り声に僅かに怯み、振り返った騎兵たちを次々と引き落としてワシムたちにとどめを刺させる。


 やがて本隊を逃がすための殿を勤めに、役に立たない馬から降りて戻ってきた十数人の兵士を眼前にすると、後方で追いついてきたワシムの方を一瞥もせずに、勇者は指示を出した。


「俺には当たらん!! 遠慮なく打て!!」

 

 銃弾の雨を背負いながら飛びかかるアルバート。

 ただでさえ追撃部隊より少ない殿の彼らに成す術はなかった。

 


――中央大平野南部



「腹の減った軍隊ではあんなものか」


 目立つように明るい緑に塗られた古風な鎧。所有する大牧場で少しだけ生産される、騎兵隊よりひときわ体格の大きな品種の鎧馬。その手綱を握りつつ、武器を何も運ばせていないことこそが、魔法の高い実力を伺わせる。

 かつての暴風将軍、宰相ソロン。街道のはるか後方、数時間の距離から遠見の魔法で見ていた彼が、静かにため息をついた。


「まぁ良い。これでワシの指揮を素直に聞くだろう」

 

 気が逸ったか煽られたか知らないが、彼らが痛い目を見たのはある意味でちょうどいい。

 ランカスターの密林での戦いは歩兵がカギを握る。馬を降りて戦うことを最後の手段だと言い張る彼らが大人しく言うことを聞けば、少しは戦力が増えるとソロンは考えていた。

 しかし、目下の食糧不足の問題は大きかった。


「手配が間に合わんとは……しかも出征直後に……時間がないというのに」


 ランカスターに出入りするペルサキス商人たちからアレクシアやニキアスに報告が行き、ペルサキス軍が乗り出して真実を知ることになるとしたら、この事件をもみ消すためにはもう時間が残っていない、とソロンは考えていた。

 だからこそ強行したのだが、秋の税を納めたばかりの中央大平野の奴隷たちからは雀の涙ほどの食糧しか接収できず、さらに酒保商人たちからは食料の手配が大幅に遅れている連絡が入り、必要量の七割程度しか支度できていないことに、彼は頭を抱えていた。


「あの街道、あの忌々しい密林、虫酸が走る……!」


 二十五年前の悪夢を振り返った彼は拳を握りしめ、唇を噛み締めた。

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