第十八話:皇女の陰謀

前回のあらすじ!



(前略)帝国暦98年の第六次ランカスター反乱について、詳細な記述は存在しない。アイオロス=クセナキスが鎮圧作戦を指揮したこと、捕縛され人質になったことだけが公式に記録されている。しかしこの反乱事件が、諸地域の帝国への不信感を増大させたこと。これが帝国の崩壊を招いたことは、この頃から増えだした帝国に対する民衆の大規模な抗議と併せて、疑いようもない事実だろう。


――『オーリオーン帝国興亡史』 アマリア・サトウ著 アストライア出版 511年 237頁。



――帝国暦98年10月上旬、ペルサキス中心街上空



「さむいさむいさむいさむい!!」


 真夜中。曇り空の薄い星明かりの下でペルサキスを目指し、プテラノドンを操縦するエリザベスはガタガタと震えていた。彼らの領空は昼間、プテラノドン部隊、翼竜大隊による哨戒が行われている。そして夜は各地に建てられた見張り台から兵士たちが監視する。彼らの目が届かない、通常では飛ばないような高高度から、全身を毛皮に包み防寒した彼女がペルサキスの市街を見下ろしていた。

 夜の明かりも少ないこの時代、まだ夜間飛行は現実的ではなかったが、彼女はランカスターを思う一心でここまで飛んだ。全てはアレクシアとニキアスに助けを乞うために。


「あれ、多分城よね。地図は……暗い! 読めない! もう良い! 降りるわよ!!」


 城と思われる場所を見つけたエリザベスは地面と垂直に機首を下ろすと、直滑降で降りていった。



――アレクシアの屋敷



 どすん! と窓の外に何かが落ちる音がして、この屋敷の主、アレクシアは目を覚ます。

 いつも枕の下においてある彼女の短剣を手に取ると、恐る恐る窓を開けた。


「……賊? わたくしの屋敷に……」


 息を殺し、暗闇に目を凝らす。プテラノドンの残骸が目に入った。


「こんな夜間に……? 夜間飛行は訓練すらしていないはず……」


 音も立てずに窓の外に出た彼女は短剣を逆手に持ち替え、いつでも迎撃できるように体制を取る。

 周囲を慎重に見回したその瞬間、背後から気配を感じ、彼女はとっさにその気配の足元を蹴り払うと、それを組み伏せた。毛皮の柔らかな触感、そして掴んだ手首の感触から賊が女だと判断すると、短剣を首筋に当てる。


「誰の命だ」


「いたたた!! アレクシア様! わ、私です!! エリザベスです!!」


 アレクシアのものとは思えない低く冷たい声に、エリザベスは心底慌てたような声を出す。

 それを聞いたアレクシアからは普段どおりの呆れた声が漏れた。


「はぁ? なんで貴女がここに?」


「助けて下さい! ペルサキスしかもう!」


「……外は寒いでしょうに。とりあえず中に入りなさいな」


 エリザベスを窓から中に入れ、食堂へ向かう。

 既に従者も寝静まった夜の闇。燭台に火を点けたアレクシアは台所で茶を沸かす。茶葉に少量の水を加えて煮立たせ、牛乳と砂糖、香辛料を加えて濾す。彼女の好む温かく甘い紅茶を二人前。

 その後ろ姿を見ながら、随分家庭的なところもあるんだな……と呆けていたエリザベスだったが、出来上がった紅茶を渡されて一口飲むと凍えた身体が温まり、少し落ち着いた。


「で、ウチに助けてほしいだなんて。こんな非常識な時間に……何がありましたの?」


「はい……」


 エリザベスは話し出す。ソロンの息子アイオロスが襲撃しに来たこと、彼を捕虜にしたこと。そしてペルサキス商人らにも犠牲者が出たこと。

 話すにつれて目の前の皇女の顔が曇り、燭台の火に照らされた彼女の髪がきらきらと光りだすのを見て肝が冷えたが、全ては自分たちの正当性を訴えるため、何も悪いことはしていないと開き直って話を続けた。


 エリザベスの話が終わった頃、途中から凍りついたように動きを止めていたアレクシアの口が開く。


「……エリザベス、ウチに助けを乞うたのは貴女の勘? それとも理由があって?」


「それは……」


 アレクシア本人の意志を直感して、とは言えなかった。彼女が心の底で皇帝打倒を狙っている事自体は春に出会った時に感じていたが、彼女の口から直接聞いたわけではない。

 その勘を当てにして来たのだが、もし答えを間違えたらランカスターは見放されるかもしれない。とエリザベスは怯え、慎重に言葉を選んだ。利用価値を示さなければ目の前の皇女は自分たちを捨てるだろう。


「ペルサキスの商人、連合国の観光客。あとは貿易中継地の南部港。どれもアレクシア様の、我々にとっても重要なものですから。このままではアレクシア様の面目が立たないと思いまして……」


「それを理解しているのならまぁ……良いでしょう。貴女たちを見捨てるのは簡単ですが、王都や港が中央貴族の……ましてソロンの管理下に入るのは気に食わないので。朝になったらニキアスとも相談しますわ。休んでおきなさい」


 アレクシアはその回答に十分満足し、二つのコップを流しに持っていった。明確に自分たちが下で、何が重要かを理解しているなら救ってやっても良いと考えていた。そうでない使えない駒なら、滅びるのを待ってからソロンを問い詰めるという手段をとったのだが。

 


――翌朝、ペルサキス城執務室



「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!? アイオロスが?? 冗談キツいぞ???」


 早朝から執務室に呼びつけられたニキアスは二人の話を聞くと、素っ頓狂な声を上げた。

 しかしその、アイオロスを知っているような口ぶりにアレクシアは驚く。


「……? 彼を知っているんですの?」


「そりゃあ……かつての暴風将軍ことソロン殿の息子くんだからね……結構前にウチにも留学しに来てたけど……会議は聞いてないわ、戦闘術は駄目だわ魔法も才能ないわでウチの親父を怒らせてさっさと帰ったよ。帝国軍中央の事情は知らないけど、あの馬鹿が司令官とか冗談だろ?」


「えぇ……」


 アレクシアとエリザベス、二人ともニキアスのアイオロスへの評価に驚く。

 その話を聞いて、まさか……とアレクシアの脳裏に嫌な直感が走った。


「まさかとは思いますけど、勘違いで侵攻したとか……?」


「ロクに準備してなかったんだろ? ありえなくはないねぇ。僕も昔、暴走して賊を深追いした彼を救助しに行かされたことあるけど……生きてたなんて、ほんとあいつは悪運だけは強いな……」


「そんな……勘違いで滅ぼされるっていうんですか!? 私の、私達のランカスターが!?」


 倒れそうになるエリザベスを抱きとめたニキアスは、彼女を椅子に座らせると水を出す。

 そして彼女を宥めると、アレクシアと同じようにランカスターを助けることに賛成した。


「そもそも正当防衛だし、中央貴族に喧嘩売ったのもなかなかいい度胸だ。僕は好きだね。アイオロスの行いは到底許されることではないし、これはランカスターの肩を持つのが貴族として正当に見える。アレクシアもそう思ったからエリザベスを連れてきた、ってことかな」


「ま、まぁそんなところですわね。それで、帝国軍が出ているとすれば時間もありませんし……ご相談したくって」


「いいとも。秋の税が重くて苛々していたからね。特に宰相閣下には少し痛い目を見てもらおうじゃあないか。……うん? 宰相閣下……?」


 昨夜、見捨ててもいいかなと思っていたアレクシアは、ニキアスの言葉に少しだけ背徳感を覚えながら、これからの考えを話そうとした。

 しかし、自分で浮かんだ疑問に回答が浮かんだニキアスがはっとした顔で先に口を開く。


「ソロンが攻めるのはありえない……彼がランカスターに立ち入るとは思えないが……」


「なんでですの?」


 彼のつぶやきに疑問を浮かべるアレクシア。エリザベスも顔を上げた。


「あぁ、ソロンはそもそも二十五年前のランカスターの大反乱で三千近くの兵を失ったはずだ。最終的に鎮圧の目的だけは果たせたから一応勝利ではあるんだけどね……昔ニケ叔母さんが言っていたんだが、奴は二度とランカスターへ行かないと泣いていたとか。多分、奴は侵攻の命令はしていないよ。増援は遅れるはずだ」


「それなら、時間的に多少猶予はありますわね……エリザベス、ドラグーンと弾をありったけ翼竜大隊に持たせますわ。食料も手配します。貴女は帰って防衛戦の準備を。ニキアスは万が一突破された場合、ソロンが王都で止まるように軍を進駐させて下さいな。わたくしは仲裁の場に出ますので」


 ニキアスの発言に、アレクシアは確信した。ソロンはアイオロスの不祥事をもみ消すために、準備の整っていない軍隊を連れてやってくる。

 それならば帝国軍の兵站を担う酒保商人たちに妨害をかけて補給を滞らせ、逆にランカスターには物資を送る。あとはランカスターが勝とうと負けようと、後から現れて適度に消耗した彼らを仲裁し、理由はなんとか作ってペルサキスの管理下に置く。

 その作戦を立てた彼女は二人に命令を下すと、自らリブラ商会本部へ赴いた。



――リブラ商会本部


 

 護衛も連れずにマントで顔を隠し、走って現れたアレクシア。

 久しぶりに彼女を見た商会会長ことヘルマンは茶を用意して出迎えたが、彼女は茶に見向きもせずに自分の話を始めた。


「ヘルマン。大規模な買付の知らせはありませんの? 酒保商人から」


 この時代、帝国軍が軍勢を動かす時にその後ろに手配していたのが酒保商人であった。軍と契約し、兵士の食料や武器、嗜好品に娯楽と言ったものを提供する彼ら。その彼らに商品を卸しているリブラ商会は、隠れたところで帝国軍の兵站すら担っていた。


「はいはい姫様。えーっと……帝国軍御用達の酒保商人団体から首都のウチの支部に、一昨日付けで来てるみたいです」


 深入りしないほうがいい話だ、とヘルマンは直感し、日報を見ながら事実だけを伝える。

 それを聞いたアレクシアの口角が上がるのを見て、彼は自分の直感を褒め称えた。


「じゃあそれ、大至急止めるように指示を。量は……なるほど。全部ペルサキス家で買いますわ」


「えっ、流石にそれは……向こうにはどうやって言い訳を……」


「命令ですのよ。あとその日報、複写をお願いしますわ。なるべく早く城に届けなさい」


 ではまた。と嵐のように走り去ったアレクシア。取り残されたヘルマンは彼女の命令どおりに速達の郵便を出し、部下に複写をさせ、冷めきった茶を眺めながらしみじみ一人呟いた。


「姫様……どうせなんかあくどい事考えてるんだろうなぁ……」



――ペルサキス城、執務室



 ニキアスは既に進駐のための命令を下し終わり呑気に蒸留酒のグラスを傾け、エリザベスは既に翼竜大隊とともに大量のドラグーンを持てる限り持って飛び立っていた。

 執務室のニキアスの所に息を切らして入ってきたアレクシアは、慌てて酒のグラスを隠そうとする彼を睨みつけながら、リブラ商会での事を話した。


「リブラ商会に二千人分の食料の注文が来てましたわ。帝国軍の酒保商人団体から。帝国軍の規模はどれくらいになりますの?」


「リブラに二千かぁ……うーん、推定だけど、ざっと八千から多めに見積もっても一万規模かな。半分くらいはこないだの税の……現物納分から用意してるだろうね。残りを色んな所で買い漁ってると思う」


 ニキアスが判断した帝国軍の規模はほぼ当たっていた。実際はもう少し多いのだが、中央平野地域からの接収という非常識な手段に出ることは流石に彼の頭には無かった。


「なるほど、この情報はエリザベスに流しておきましょう。その二千人分はこちらで買い取ったので、今ある備蓄分からランカスターに食料を出して問題ありませんわね」


「なかなか酷い事をするね君も……兵士は飢えが最大の敵だってのに……」


 君とは戦いたくないなぁ……と素直に舌を巻くニキアス。既にペルサキスでは食料や武器は自前の補給部隊で手配できるように整備され、嗜好品や娯楽品と言ったものだけを酒保商人に任せる形になっているのだが、それは彼の父が大河を挟んだ連合国に取り残され、飢えに苦しめられたが故の方策だった。しかし帝国軍本隊はまだ違う。


「だからですのよ。戦えない兵士を多く抱えていたほうが鈍りますし。『帝国軍は味方を見捨てない』、ですわよねぇ」


 士官学校で延々と叩き込まれる一節を引用してにやりと笑うアレクシア。

 彼女の婚約者は引き攣った笑顔で同意した。


「その通りだが……それで、この後は何をしようか?」


「進駐が終わったら仲裁ですわね。アイオロスは王城に閉じ込められているでしょうから、人質の彼の身を案じてペルサキス軍は踏み込めない、って状況だけは今の時点で確定ですわ。あとはエリザベスたちがどれだけ帝国軍を痛めつけるか、ってとこでしょうね」


「まぁエリザベスの能力次第かぁ……正直千も殺せば撤退しそうなもんだけど。あそこの地形は詳しくないから予想しづらいな……多分北部街道だっけ? そこが鍵かな。エリザベスにどれくらい兵力があるかわからないけど、新兵器ドラグーンを装備した最新部隊、お手並み拝見だね」


 棚から地図を出すニキアス。ランカスターの要所である帝国中央大平野=ランカスター北部街道を指して楽しそうに笑う。

 密林の中央を切り拓いて築かれたその街道は後の世に、この地で大戦果を上げた勇者の名前が付けられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る