第二話:旧王国の勇者

――帝国暦98年2月



 一年で最も寒い季節。帝国首都はひたすら凍えるように寒く、うっすらとした雪に覆われる。

 通りには人一人歩いておらず、まるで凍りついてしまったかのように見えた。


 ただ一箇所、異様な熱気に包まれた競技場を除いては。

 心技体を鍛え上げた選手たちがぶつかり合い一つのボールを追いかける、帝国で最大の人気競技ラングビのシーズン最終戦が行われていた。

 帝国首都五十万の人口の殆どが競技場に集結し、中に入れなかった者たちも中をひと目見ようと必死で壁に登っている。


「優勝はトゥリア・レオタリア! ウラニオ・トクソティスとの最終戦に競り勝ち、ついに初優勝を果たしました! そして今季も最優秀選手は偉大なる勇者アルバート!! 三年連続の受賞です!!」


 拡声魔法で増幅された声が闘技場に響き渡る中、観客の視線が一人の男に集中していた。

 精悍な顔つき、短く整った黒髪、そして神が手ずから彫刻したような美しい肉体。

 十二年前に開幕したプロラングビ最大のスター選手であるアルバートは観衆に大きく手を振ると、聞く者全員にひとりひとり語りかけるような力強い声で応えた。


「我が父母、チームメイト、そして応援してくれたみんなのおかげだ! ありがとう!」


 インタビューの間、彼の一挙手一投足に大歓声が上がる。

 一言何かを答える度に会場が揺れ、観客の熱狂は激しくなる。


「……以上です! それではベネディクト皇太子による最優秀選手勲章の授与が行われます! 観客の皆様も一度落ち着いて頂きまして……それではご起立ください」


 場内に響き渡るアナウンスと共に、帝国軍楽隊による国歌の演奏が行われベネディクトが姿を現す。

 アルバートが恭しく頭を下げると、その首に黄金の勲章が掛けられた。

 今度は盛大な拍手が響き渡り、再度アルバートは観客に向けて大きく手を振った。


「よくやったなアルバート。このあとの祝賀会も楽しみにしておくといい」

「光栄にございます皇太子殿下」


 授賞式の台の上のアルバートに、そう声を掛けるベネディクトは遊び人であったが、大衆娯楽を積極的に奨励し援助を行ってきたため帝国首都の庶民からは非常に高い人気を得ていた。

 第三代皇帝の見栄で作られ、特に使い途もなく廃墟となりつつあったこの巨大競技場を活用して庶民のガス抜きを行おうと提案したのも彼である。

 最も、本当の理由は週末の娯楽として昔から親しまれていたラングビを利用してひと財産築こうと上級官僚に入れ知恵をされたからだったが。



――その夜、ベネディクト皇太子宮殿で行われた祝賀会場では盛大な宴が催されていた。



「いやはや、トゥリア・レオタリアの応援団は本当に熱狂的だね。ここまで歌が聞こえる」


 政治に関心を持たないベネディクトは純粋に感心していた。

 アルバート率いるトゥリア・レオタリアは帝国南部の旧ランカスター王国王都地域、現ランカスター領を本拠地とするチームである。

 選手の殆どは帝国建国に際し身分を剥奪され奴隷身分となった貴族や士官の子孫たちで、帝国への対抗意識は特に強い。平民として産まれたアルバートすら彼らの中では身分が高いほうだ。

 地域としても領民は皇帝の許可がなければ領外に出ることは叶わず、帝国で最も重い税を課せられ、領主たるランカスター旧王家も今では貧乏貴族と蔑まれていた。

 それ故に国技とも言えるラングビでのシーズン優勝は彼らランカスターの民に一層の熱狂をもたらしていた。


「観せてあげても良いんじゃないかな。かわいそうだし。優勝掛かってるしさ」とベネディクトの鶴の一声で決まった特例法により産まれて初めて帝国首都を訪れた千人の領民たちは、全員が手枷を付けられ軍隊からの監視すら受けながら、皇太子宮殿の外でチームを讃える歌を歌い続けていた。この後彼らは地元へ帰り、優勝の瞬間を語り歩くのだろう。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません皇太子殿下……受勲の際は気づきませんでしたが怪我をしておられますか?」

「おお、アルバートじゃないか。……私の怪我はまぁ……そう、子猫に引っ掻かれてね……しかし、どんな敵をも打ち倒す伝説の勇者もご婦人方は振り切れないようだねぇ」


 主に貴族のご婦人方の熱烈な愛情をなんとかかき分けてきたアルバート。彼の少しよれた着物を見てベネディクトは苦笑した。

 積年の恨みつらみは確かにあるが、娯楽について良き理解者であるベネディクトとアルバートは良好な関係を築いている。

 何しろランカスター領という出自に気づかれて帝国首都を本拠地とするウラニオ・トクソティスの入団試験に落ち、挙げ句投獄されそうになっていたアルバートを、領外逃亡の罪を取り消した上でトゥリア・レオタリアに入団させたのは公務を怠けに試験を観戦しに来たベネディクト本人だったからだ。

 

 二人が楽しそうに雑談をしていると、若い女性が近づいてきた。エリザベス・ランカスター。ランカスター領主である。


「エリザベス・ランカスターにございます。ベネディクト皇太子殿下、直接お目にかかるのは初めてになります。この度はご招待いただき誠に感謝しております」

「あぁ、お父さんの後を継いだんだねぇ! あーそうそう、領主に賞金も出すから好きに使うといいよ。経営苦しいって聞いたし?」


 貴様らのせいだろうがボケが! 百年も重税で苦しんでんだぞこっちは! と笑いながら軽薄に話すベネディクトへの怒りが喉元まで出かかるが、エリザベスは努力して笑顔を作ると深々とお辞儀をし、感謝の意を表し、アルバートの方を向く。


「そしてアルバート、貴方にも最大の感謝を。ランカスターの民は貴方に勇気をもらいました」

「エリザベス様、もったいないお言葉で……」


 三人でしばらく雑談をして、ベネディクトが先に祝賀会から帰ると、二人も別れて祝賀会の人波に飲まれていった。


――その夜、応援団は帰途に付き、選手たちは宿舎に泊まる。

 翌日は自由行動を許された選手たちは、街に土産の買い物に出ていた。

 被差別民ではあるがアルバートたちの人気は本物であり、通り歩く人々に囲まれ、握手攻めから解放された頃にはすっかり太陽が高くなっていた。


「そろそろ昼飯にするか。いい店はないかな」

「それならアルバート、こっちの店だな。去年来たんだが美味かったぞ」


 そう言ってキャプテンのジョンソンは指をさす。帝国に最後まで歯向かった軍人の末裔で頼れるベテラン選手の彼は、アルバートとは十歳も離れていたが良き友人であった。

 彼に案内されるまま、裏道にある小綺麗な食堂に二人は向かった。


 ここはチーズステーキが美味いんだ、と絵で書かれたメニューに悩むアルバートにジョンソンがおすすめを教える。


「じゃあ俺はそれとサラダで。パンとミルクも欲しいな」


 チーズを牛乳と塩で溶いたソースを、窯でじっくり焼いた牛肉をほぐしたものに絡めた単純な料理。

 中央部に水の豊かな大平野を抱える帝国の農業と畜産業は非常にレベルが高く、庶民料理は素材の味と塩が味付けの主体だ。

 あらかた食べ終わったところで、ジョンソンが神妙な顔で懐から封筒を取り出す。


「……アルバート、この手紙を見て欲しいんだ」

「なんだ? んーと……」


 手紙の内容を簡潔にまとめると八百長の勧誘だった。

『トゥリア・レオタリアが最終戦で敗北したなら、チームに対して報奨金を渡す。断ればランカスター領に対して圧力を掛ける。』ベネディクトの下でラングビ開催委員を務める上級官僚、ソロンの署名があった。


「今更見せるってことは……断ったってことだよな」

「あぁそうだ。エリザベス様とも相談したが、ランカスターの民が掴んだ希望をみすみす捨てさせるわけには行かないとの判断をされたからな」

「いや、でもマズかっただろ。俺達が負ければそれで良かったんじゃ」

「違うんだよアルバート、俺達はもう帝国の奴隷ではいられない。我慢の限界なんだ。これはそれの第一歩なんだ」


 戸惑うアルバートを強い眼光で見据えるジョンソン。


「俺達の組織の名前はスコルピウス……革命に参加してくれ、お前になら皆ついてくる。それにラングビの試合で色んな地方に行っただろう。今の帝国に不満があるのはランカスターだけじゃない」


 思い出せば、豊かな地方と貧しい地方で激しい差があった。

 首都を離れるほど貴族ですら痩せていて古めかしい衣服を着ていたし、宿の飯も貧相だったことをよく覚えている。例外は東部ペルサキス領くらいだっただろうか。

 それに田舎ほど自分たち選手に対して大きな歓声で精一杯の歓迎をしてくれた。

 アルバート個人としてベネディクトに対して悪い感情はないが、帝国に対して思うところは非常に多くある。しかし、いきなりそんな発言をされた彼に決心など付くはずがなかった。


「……そんなこといきなり言うなよ。俺はただのラングビの選手で、せいぜい文字を読める程度の学しかないし……大した男じゃない」

「いいや勇者アルバート、お前にならできる。それにな」


 急に立ち上がったジョンソンに合わせて視線を上げると、周りの客や店主が全員こちらを見ていることに気づいた。


「この店の連中は全員同志だ。お前を連れてくると聞いてわざわざ地方から来てくれた奴らもいる……頼むよアルバート。俺達の同志になってくれ」


 頭を下げるジョンソン、店に集まった数十人の同志たちも続いて頭を下げ、口々に参加を促す。中には官僚や貴族と名乗る者たちもいた。


「……わかった。参加しよう」


 彼らを見て、しばらく考えてアルバートは結論を出す。

 内心複雑であったが悪い気はしなかった。先祖代々帝国を倒す夢を見続けてきたランカスターの民の一人であるアルバート。

 平民や奴隷たちの憧れである彼が参加したことで革命運動は大きく動き出すことになる。


「とはいえ、何をすればいいんだ?」

「まぁまずは我々について勉強してもらう必要があるね同志アルバート。春のラングビシーズンになれば君たち選手は領内を回ることになる。その際に遊説して少しでも味方を増やさなくてはね」


 当然の疑問を浮かべる彼に、先ほど貴族と名乗ったうちの一人の、上品な男が声をかける。


「家庭教師を用意しよう。帝国各地の歴史や文化を知っておくことは重要だ。それに魔法や軍事についてもみっちり叩き込もうじゃないか」

「はは……シーズンオフも休めないな……」


 そう苦笑いを浮かべるアルバート。しかし彼の才能はこのおかげで開花していく。



――オーリオーン城外、上級官僚議会

 


 午前中の議会は昨日の最終戦を観戦した官僚たちが試合の感想を楽しそうに語り合い、普段は軽蔑しているランカスター領を見直した、感動したなどと口々に褒め、特に若い官僚によるアルバートのプレーの物まねが大盛り上がりを見せるなど和気あいあいとした空気が流れていた。

 しかし、たった一人苦々しい顔で眺めていた老人だけが早々に自分の控室へ退散し一心不乱に書類を書きなぐっていた。


「あの田舎者めが! このワシに大損させおって!」


 年老いて禿げ上がった頭を真っ赤に染めながら上級官僚議会主席たるソロンは激怒していた。

 ラングビを利用した金儲けをベネディクトに提案し、その提案と手腕を買われベネディクトの所有にあるウラニオ・トクソティスの事実上の経営者を務める彼は、ラングビ賭博やそれに関わる審判への報酬、既に発注した優勝記念グッズの損失を示す帳簿を読みながら頭を抱える。

 彼の補佐を務める若い上級官僚が宥めているが落ち着かない様子だ。


「ベネディクトの阿呆も素直にランカスターの馬鹿どもを応援しくさって……いったい幾ら賭けたと思っておるのだ!」

「ソロン様、ランカスターへの制裁はどういたしましょうか? 八百長なんて誰も知らないんですから議会も派手には動けませんよ」

「……あいつらの薬に“何らかの問題”が発生したから取引停止だ!」


 投げつけられた殴り書きの書類を読む若い官僚は目を丸くしながら言葉を返した。

 ランカスター領でのみ栽培できる植物から採取されると言われる非常に貴重な軟膏薬で、鎮痛剤として貴族や帝国軍に卸されている貴重な収入源。

 帝国の学者たちすら製法が分からず元の植物すら不明であったが効果は確かで、それを守り続ける限りランカスター家は生かされていると、この若い官僚は把握していた。


「そんな……でっち上げであそこにしかない鎮痛剤の取引を無くすなんて……不満出ますよこれ」

「あぁん? あんなもん欲しがるのは病人と東部前線だけだろうが。首都に備蓄はあるしどうにでもなる」

「いやちょっと待ってくださいソロン様、東部といえばアレクシア様が嫁ぐところでしょう。あの方は正直何をするかわかりませんよ。皇帝から全権を授かるわけですし」

「小娘ごときがたった一人で中央に歯向かうとでもいうのか? 寝言は寝て言え!」


 まだ何か言おうとした官僚に対してソロンはさらに声を荒げる。


「とにかく! これは決定事項だ! 皇帝への説明なんぞワシが済ませる! あの馬鹿どもに思い知らせるのだ!」

「ははぁ……」


 官僚も縦社会、上司には逆らえないので大人しく通達を清書する若い官僚。思わずぼやきが口から洩れる。


「でもアルバートのプレー、良かったんだよなぁ……」

「何か言ったか若造! とっとと清書しろ!」

「すみませんソロン様、早く終わらせますんで」


 苦境に負けず戦うトゥリア・レオタリアの活躍によりランカスター領に対して同情的な民の声はここ数年聞かれていたが、そのような貴族すら増え始めていることにソロンは気づいていなかった。

 百年前に滅んだはずの王国が現在自分たちを苦しめる帝国を倒す。まるで絵物語のような彼らを応援する人々の興奮がやがて革命への勇気を駆り立てることになる。

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