第三章 基準 3
「博己には一ヶ月に一回、孤児院に来てもらっているんだ。それで少しの間、子供たちの面倒を見てもらう。その間に僕は墓参りに行くんだけど、年が年でね。友達の多い博己に誰か連れてきてもらおうと思ってたんだ。だから、悪いけど、僕についてきてくれないかな」
そんな回りくどく言わなくても、さっきの話を聞いてしまった手前、断ることはしないだろう。
話を聞いていなくても、断るヒビキではない。
二人は墓場へ向かった。
「実はさっきの話、孤児院に来た若いトランスセクシャル・バスターズには全員話しているんだ」
「その方がいいと思います、誰だって悲劇は起きてほしくないですから」
「君みたいな若者が増えてくれればいいんだけどね……博己なんかは文句ばかり言っていたし」
「あの野郎……本当に人間の血が通っているのかしら」
「僕から言っておいてなんだけど、博己をあまり責めないであげてくれ。なんだかんだ言っていい奴なんだ」
「まあ、滝沢さんが言うなら……」
墓場に登るための階段を登りづらそうにしていたので、ヒビキは肩を貸した。
そうして何とか登り切り、墓の前で手を合わせた。
一秒、二秒、三秒が経ち、滝沢は「帰ろうか」と言った。
「もう、いいんですか?」
「ああ、毎月来てるし、今日は暑いし、アイス買わないといけないし」
「え、なんでアイス?」
「アズマに外出するならアイス買ってきてくれと頼まれてね」
「あの野郎……」
老人をパシリにするな、コンビニは通り道だったけども。
「まあ、いいんだ。博己は孫のように思っている。アイスくらい安いもんさ、もちろん君も選んでいいからね」
「滝沢さんが言うなら……」
と言いたいところだが、さすがに看過できないので、帰ったらぶん殴ってやろうと思ったヒビキである。
「あ、そうだった」
急に滝沢は何かを思い出したような声を出した。
「どうしました?」
「ごめん、君に言い忘れていることがあったよ」
「はい、何ですか?」
「もしも、僕が死んだら、子供たちを頼む」
「…………」
「寿命が近いってわけじゃないさ。それにこれこそであった若い人達にこぞって言っていることさ。だから老人の戯言と思ってくれてもいい、そもそもこれはこちらのお願いだからね」
ヒビキは他人のために生きている人間を見たことがなかった。滝沢は他人のために生きる人間だった。
だから滝沢から出た「頼む」と言う言葉に違和感があった。
その後会話は続いたが、ヒビキは滝沢の問いについて答えなかった。なぜなら、他人のために生きる幽霊のような、責任に捕らわれた囚人のような人間が、他人を使って自分を満たしてしまったら成仏してしまいそうに見えたからだ。
少なくとも、ヒビキの目にはそう見えた。
孤児院に帰り、アズマに制裁を加えようと思っていたヒビキの気持ちはアイスで買収され、孤児院の子供達と一緒に仲良くアイスを食べた。
アイスを食べ終わり、二人は帰った。
*
夜、滝沢は夢を見た。
息子の夢だ。
「ママ」
そう口にするのは自分の息子だ。五歳の時のままである。
気づけば自分は若返っていた。美しい姿に戻っていた。
口は動かなない、体も動かない。
「ママはなんで生きてるの?」
答えようとしても口が動かない。
「死んでないから生きてるんだよね、ぼくはわかってるよ」
死んでないから、と言う言葉が生き残ってしまった滝沢に刺さる。
「ねえ、生きてるのって楽しい?」
楽しいわけがない、お前が死んでから毎日悲しいよ。
「そうなんだ」
生きるのは痛みを伴う。なぜなら周りが死んでも自分は生きているから。
生きていれば知っている誰かは必ず死ぬ。その死を悲しみながら生きていかなくてはならない。何があっても命だけはある。命だけは残る。それは自分を地上に残る足枷だ。
「そろそろママにも来てほしい、パパも待ってるよ」
そんな時、手が自由になった。
孤児院の子供のことは、何かに阻まれたように思いだせなかった。
*
明くる日。
日曜なので今日も学校は無い。アズマはそれをいいことに昼間まで寝ていようと企んでいたが、アズマの分まで朝食を作ったヒビキに阻止された。
ヒビキが朝食を食べ終わり、パジャマから服に着替えた。アズマは寝ぼけた顔で朝食を食べていた。
「アズマも早く着替えちゃってね、早く洗濯物回したいから」
「うーい」
そうは言ったが、アズマが朝食を食べるスピードは変わらない。
駄目じゃこりゃと頭を抱えて、ため息を吐きながら、洗いものを始める。
そんな時、電話が鳴る。
二人が住むマンションには家電が付いており、今回なったのはその家電だ。
家電はヒビキと同棲するより前から付いており、なんで一人暮らしなのに家電が付いているのかとヒビキが聞いたところ、これは妨害電波をカットできる電話なのだとアズマが言っていた。相変わらず無駄なとこだけ金掛かってんなとヒビキは思った。
電話を取る。
少女の声だった。
「もしもし」
『……あの……』
ヒビキはこの声の持ち主を知っている、孤児院の中で一番年上の花の声だ。
「花ちゃん? どうしたの?」
『…………あの!』
花の声が「うう……」とすすり泣く声に変わった。
これはたたごとじゃないと察したヒビキが優しく問いかける。
「どうしたの?」
『あの…………あの、』
息を整えて、花は言う。
『院長が……死にました』
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