第三章 基準 2

 「ヒビキ、今何時?」

 「一時五十三分だけど?」


 今日は土曜日なので学校が無い。なので二人は家の中でだらだらするなり趣味に耽るなりしていた。


 「しまった。もうそんな時間か」


 そういううとアズマはその場で着替えだしたので、ヒビキは後ろを向いて「今日なんかあるの?」と聞いた。ヒビキもアズマに慣れたものである。


 「あ、ヒビキも行く?」

 「どこに行くかで決めるわ」


 ヒビキはアズマの行き先がデパートか何かだと思っていた。しかしそれは違い、意外な答えが返ってきた。


 「孤児院だよ、正確にはトランスセクシャル・バスターズ候補育成院幼少部こうほいくせいいんようしょうぶ。最近は大分マシになったんだぜ」

 「ここら辺にそんなのあるの?」


 ヒビキが施設にいた時は幼少部なんてものはなく、全て同じ場所に詰め込まれていた。


 「地域によっては十五年くらい前からあるよ」


 年齢をごちゃまぜにするか、年齢によって分けるか、本部の意見は割れている。その結果地域によって幼少部があったりなかったりする。


 「で、ヒビキは行くの? 行かないの?」

 「行くわ、今の施設がどれくらいマシになっているか見たいし」

 「じゃあ早く行こう、二時に行くって言っちゃってるし」

 「もうすぐじゃない! あわわ早く着替えないと……」

 「あーあー遅い遅い、着替えさせてあげるからバンザイして」

 「余計時間かかるわっ!」


 ヒビキは迫りくるアズマの手を払いのけ、急いで着替えた。

 ヒビキが着替え終わると、アズマはバックを持って走りだした。それに続いてヒビキも走りだした。


 「ちなみにここから孤児院まで二キロくらいあるから」

 「そんなに時間ないのによく私の着替えを邪魔しようとしたわね! いたずら心無限大かっ!」



 二人は何とか二時までに孤児院に着いた。彼らの体力は肉体改造をしていることもあり、尋常ではない。二人は二キロを全力疾走してきたというのに数十粒汗をかいているだけで息切れもしていない。

 ヒビキが今考えていることは「疲れた……」ではなく、「何か手土産でも持ってきた方が良かったよな……」だ。


 「院長―、いる?」

 「ああ、ここに」


 後ろに、傷を負い潰れた左目を持つ、坊主で百八十センチはありそうな巨体の、六人位殺して捕まったが脱走してきた死刑囚みたいな老人の男が立っていた。


 「ひっ!」


 いつも強気とはいかずとも弱気では無いヒビキが一瞬すくんだ。


 「いらっしゃい、子供たちは中にいる。お嬢さんも初めまして、こんな見た目だけど、私はここの院長の滝沢だよ、今日はよろしく」


 見た目にそぐわず、滝沢の態度は物腰柔らかく、笑顔は穏やかだった。


 「よ、よろしくお願いします!」


 ヒビキは二十五センチ上を見上げ、失礼がないようにと出来るだけ大きな声で挨拶をした。軍隊かよとアズマに笑われた。


 *


 アズマは孤児院の中に入ると、一番近くにいた男の子に話しかけた。


 「よっ、ハジメ」

 「あーヒロにぃだ! みんなヒロ兄きたよー! ってああ! ヒロ兄女連れてきてる! ずるい! ちょ、真衣まいー! ヒロ兄が女連れてきてるよー!」

 「ちょ別にあたしはヒロ兄なんてちょっとも……あああああ! すっごい美人! あああああ! ヒロ兄取られた……」


 真衣呼ばれた女の子はアズマの隣に居るヒビキを見るなり崩れ落ちながら嘆き始めた。

 するとそれに釣られたのか、子供たちがぞろぞろとやってきた。


 「なになに?」

 「え、ヒロ兄それカノジョー?」

 「バカやろっ、真衣が泣くだろッ」

 「うわあああああん」

 「あっ、ヒロ兄ヤッホー」


 見た目で判断すれば、全員が五、六歳くらいだ。年相応に落ち着きがない。

 そんな中、一人だけ落ち着いて、ゆっくり歩いてくる十歳くらいの少女がいた。


 「ヒロ兄こんにちは。そちらはどなた?」

 「よう、こいつは従妹のヒビキだよ」

 「そうなんだ、初めまして、村田花むらたはなです」

 「あ、わ、私は西尾ヒビキです初めまして……」


 丁寧な花の態度に比べて響きの態度はおどおどとしている。

 十歳の少女にもコミュ障を発動してしまった男、西尾ヒビキ十六歳。


 「よー花―。おまえでっかくなったな」


 コミュ障こじらせたヒビキの横から、アズマが花に言う。頭をくしゃくしゃと撫でまわす。


 「うにに~」


 花は珍しい笑い方をした。


 「あなたずいぶんここの子供たちに懐かれているのね」

 「よく考えれば目の前の人間は、自分より弱者であることを思い出し、コミュ障が治ったヒビキはフォローを入れたアズマに小声で囁いた」

 「語り部みたいな喋り方をするな。あと私のことなんだと思ってるの」

 「コミュ障」

 「違うし!」


 これまでの経験を含めると、違うとは言い切れないヒビキであった。……というか、違くない。


 「君が西尾ヒビキ君かい?」


 滝沢がヒビキに話しかける。ヒビキは「そうです」とビビりながら言った。


 「奥で話があるんだ。来てもらえるかな?」

 

 *


 院長はアズマに子供を任せ、奥の部屋でヒビキにお茶を出した。


 「育成所を十年未満で卒業したんだってね」

 「え、ええ……」

 「おや、緊張しているのかい?」

 「……なんていうか、本当にここで……」

 「ああ、トランスセクシャル・バスターズの育成をしているよ、君だって育ってきただろう?」

 「ええ、まあ……」

 「本当に緊張しなくていいんだよ、君のことは博己から聞いているから」


 会話の間に間を開けるたどたどしい喋り方のヒビキに、院長は諭す。

 ここにアズマが、あるいは知っている人が居ればヒビキももうちょっと落ち着くだろうが、そんなものはない。

 しかし何か会話を引っ張りだそうとして、言葉が出た。


 「育成所なのに、ずいぶん綺麗なんですね」


 言った瞬間、失礼だったということに気付き、「すみません……」と謝った。


 「ああ、いや、いいんだ。僕も気持ちはわかるよ。最近は良くなったんだ」


 僕にもわかる、それはなぜか。


 「僕も戦ってたからさ、トランスセクシャルバスターズとしてね」

 「え……?」


 困惑が口から洩れた。


 「不思議がるのも無理は無いよ、こんな見た目じゃ女に見えないもんな」


 彼のしわがれた声は、女の声と言うにはあまりに低い。しかし彼が女なのは事実だ。

 滝沢真里たきざわまりそれが彼の本名だ。


 「いや、元女と言ったところか」

 「…………元?」

 「ああ、元。元女。つまり今は男って言った方がいいのかな。どっち道、性別なんてもう捨てたようなものだからね。どっちでもいいと僕は思うけど」


 滝沢は剥げた頭を左手で掻く。


 「はあ……」


 ヒビキはあいまいな反応しかできなかった。彼女にとって性別はどうでもよくないからだ。


 「男性ホルモンを接種しすぎてね、元々の見た目とはかけ離れてしまったんだ。つまり、僕の見た目はトランスセクシャル・バスターズのなれの果てってところかな」


 ヒビキの背筋に悪寒が走った。滝沢を見下しているわけではないが、戦いに明け暮れて自分もこんな姿になってしまうのかと思うと、寒さで身が震えた。


 「なんてね、冗談だよ。僕の場合、ちょっとホルモンを摂取しすぎたんだ。普通はここまでならない」

 「そうなんですか……よかっ」

 た。


 よかったと言いそうになって、ヒビキは慌てて口を押える。そんな彼女を見て滝沢ははにかむ。


 「すみません……」

 「いやいや、いいんだ。普通の反応だよ」

 「あの……」


 聞きづらいことを聞くとき、用途をはっきり言えないことがヒビキの年代にはよくある。それを察した滝沢が「なんだい」と聞く。


 「……なんで、ホルモンを接種しすぎたんですか?」

 「お金が欲しかったからだよ」


 滝沢はさらりと答える。


 「僕には息子がいた」


 これもさらりと答えた。


 「十五歳の時に妊娠してね、子供を育てるためにお金が必要だった。相手は二十歳で、当時は最強と呼ばれていた男だったけど、僕をかばって死亡したよ。それから色々あったけど何とか出産できた。

でもそこからが大変だったんだ。

お金は無いし、だから稼がなきゃいけないし、子供の世話は本部の人に任せていたけど、君も知っている通り、本部の人は命の扱いが雑でね、心配でしょうがなかった。

……まあ、なんだかんだ五歳までは生きてたよ。でも、まだ、五歳だから保護者が必要だった。だから施設に預けていたんだ。本当は僕が面倒を見るべきだったんだけど……息子の分も戦いで稼いでいたから一緒にいてあげられる時間が少なくてね……でもその分、僕は息子に愛情を注いだよ」

滝沢の話が急に止まる。彼は上を向いた。思い出した息子を眺めるような、屋根と空の上に居る自分の子供をみあげるような、そんな顔だった。


 「息子は死んだよ。怪異と戦ってね」


 ヒビキの目が見開く。そんな目を見て滝沢が言う。


 「君の世代なら知っていると思うが、育成孤児院では院長が絶対だからね、院長が裸になれと言えば、みんな裸になるし、踊れと言ったら寝てても踊るし――命がけで戦えと言えば、命がけで戦う」


 ヒビキのいた時は大分マシになっていたが、それでも大方その通りだった。


 「まさか!」

 「そのまさかさ、僕の息子は孤児院を襲撃してきた怪異と戦わされた。院長がその場から逃げるためにね」


 なんという話だろう。

 保護者が子供を守らず、盾にして自らが危険から逃れるなんて。


 「酷い話だろう?」

 「はい……」


 ヒビキは少し泣きそうだった。声が震えて、鼻がつんとした。


 「戦って手に入れたお金も、男性ホルモンを入れ過ぎてボロボロになった体も、全部無駄になった。一つ残るものと言えば悲しさだったよ。でも悪いことばかりじゃない。この悲しさがバネになって僕は院長になれた」

 そして、と続ける。



 「こんなことが二度と起こらないように、僕が彼らを守る。目の前の子供だけでも」

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