第一章 トランスセクシャル・バスターズ 3
怒ったヒビキはアズマに聞くこともなく先に風呂に入っていった。
問題の張本人であるアズマは今更頭を抱え込み、そして焦っていた。
そんなに怒ることか? ちょっとした冗談じゃないか。笑って許してくれよ。アズマの頭に思い浮かぶのは自分を肯定する戯言ばかり、こういうところが他人とずれている。
東野博己は考える、どうやれば人は許してくれるのか。人を怒らせたときに次どうやったら怒られないかより、どうやって許してもらうかを考えるから、彼はすぐ人を怒らせてしまうのだろう。
記憶を巡る。記憶を辿る。人を怒らせたときにどうやったら許してもらっていたか。
アズマがまだ考えている途中、ヒビキは風呂を上がった。
ピンクが好きなのか、ピンク色のパジャマを着て頭をタオルで拭いていた。
「空いたわよ」
「あ……うん」
ヒビキは女装をしている男だが、中性的な顔立ちのためスカートの様な女性を連想させる服装でなければ全然男としても見れる。もちろん女としても見れてしまうが。
ピンク色のパジャマという、女性らしい姿ではあるものの、ヒビキの男にしては華奢だが、女ではないようながたいを見ていると、女として動かされそうなものがあった。
アズマは男口調で男装をしているが、心は男ではない。女だ。
彼は、いや彼女は、ヒビキに見蕩れ言葉を詰まらせていた。
しかしそんなこと本人が知るはずもなく、彼女は不機嫌そうな顔でアズマに言う。
「なに? もしかして本当に女みたいだって思ったの? 一応言っておくけど、こんなパジャマを着てるのも女口調なのも女性ホルモンを受け入れるためにやってることなんだからね」
「そういうことじゃねえよ」
それだけ言い残すと、アズマは風呂に入っていった。
風呂に入っている間、アズマはヒビキが風呂から上がった時から中断していた、ヒビキに許してもらう方法を考え出した。
アズマは窓に映った自分の顔を見た。こちらも中性的ではあるが、男の顔だった。次に自分の体を見た。凹凸の少ない体だが、女の体だ。
アズマは彼女に許してもらう方法を思いついた。
髪を洗い、できるだけ丁寧に体を洗い、彼は風呂を上がった。そして着替えた。持ってきた着替えの、上半身の上着だけ着て、ヒビキの方へ向かった。
ヒビキは機嫌良さげに、音楽を聴きながらベッドの上に座っていた。
アズマがあんなに悩んでいたヒビキの怒りだが、実はヒビキは、そんな怒りなどとうに忘れている。
風呂に入ったら気分がよくなって許せてしまった。
そもそもヒビキはあまり怒っていない。ヒビキは女装をしているので基本女として扱われる。男であった時よりも舐めた態度をとられることが多かったため、そこまで怒っていなくても怒っているような態度をとってしまう。
そんなヒビキは風呂に入って気持ちが良くなったこともあり、ご機嫌だった。アズマが出てきたら一緒にトランプでもやろうかなとすら思っていた。
実はヒビキには友人がおらず、だからフレンドリーにしてくれる人間はそこまで嫌いではなかった。全く話しかけてくれず、気まずい雰囲気になるよりはセクハラとからかいしかしてこないがべらべら話しかけてくるアズマの方が全然良かった。
はっきり言って、ヒビキも他人とずれている。最初最低だと思っていてもすぐに考えを変える。ゲームのセーブデータのようにアップデートされていく。
トランスセクシャル・バスターズは他人と価値観がずれる過去を持つものが多い。
しかし、アズマはずれ過ぎていた。
一般人が1だとして、外国人との文化の違いを5だとしよう。ヒビキのずれは3くらいだった。
アズマのずれは300だ。
「アズマ、ババ抜きでもやりましょう。勝った方がベッドを使うの」
ヒビキはアズマが部屋に入ってきた瞬間そう言った。
しかし、次の瞬間ヒビキは押し倒された。
「⁉⁉⁉」
ヒビキは突然のアズマの奇行に言葉を失う。
「さっきはごめんね、ヒビキのこと女みたいだとは思うけど、女だとは思わないよ。だからさ、俺のことも男みたいだとは思っていいけど、女じゃないとは思わないでね」
「あ……え? ……わあああああああああああ!」
訳が分からずアズマの顔から視線を降ろした先に地肌が透けかかっているシャツを見て大声を出す。
「ちゃんと服着ろ!」
「南海って知ってる? 俺の横にいたやつなんだけどさ」
駄目だ。話が通じない。
「あいつ俺が男だと思ってエロい話ばっかしてくんの。いつもはおとなしい癖にさ」
「ちょ、力つっよっ、え、私男で一応育成訓練で結構鍛えたはずなんだけど⁉」
アズマはヒビキをはるかに超える力で押さえつけてくる。
「だから男の性欲には理解ある方なんだぜ」
「はぁ?」
意味が分からない。お前が襲っている側だろうがよと口に出そうになったが焦りすぎて語彙力がヒビキの口から消失していた。
「俺は君が好きだぜ、だからこのまま行くとこまで行こう」
「ちょ、ちょっと待て。意味が分からないんだけど」
「え?」
アズマが首をかしげる。
「まず、私のどこが好きなの」
「顔かな」
「顔かよ!」
アズマが風呂を出てきて以来、初めて話が通じた……のだろうか? いまだにアズマはヒビキの腕を離さない。
「だってヒビキの顔可愛いんだもん」
「それはわかった。じゃあなんで私押し倒されてんの?」
だんだん落ち着きを取り戻してきたヒビキが息を整えながら言う。
「え? ヒビキはヤリたくないの?」
「当たり前でしょ!」
「私の顔は確かに男っぽいけど、女としてもそこそこだと思うんだけど」
「別に顔は嫌いじゃない、そういうことは好き同士でやるものなんだから」
そんなヒビキの一般的な意見にアズマは驚いた。
アズマは大抵のことを性的なことが絡むことで解決してきた。別に嫌じゃなかった。こうするだけで殴られない。こうするだけで嫌われない。これは彼の価値観を曲げたハンマーのほんのわずかな一振りである。
「そっか、ごめんね」
アズマはヒビキの腕を離し、謝った。
「うん、わかってくれればいいんだよ」
ヒビキはアズマが自分と大きくずれていることをたった今理解した。それは性格の違いではなく、過去の違いでありしょうがないものであると。自分も同じ状況にいたから理解するまで早かった。
理解したからと言ってすぐに許せることではないと思うが、彼女はすぐに許した。
「あのさ、まずちゃんと服着てくれない? 目のやり場に困るんだけど」
そう言ってヒビキは自分のパーカーをアズマに渡した。
「あ、ごめん」
アズマはヒビキからパーカーを受け取りそのまま着た。ヒビキのものなので女物だが、アズマには似合った。男装しているとはいえアズマも女なのだ。
「ねえアズマあなたの倫理感では恋人でもない異性と一緒にベッドに入るってどう思う?」
仕切り直しと言わんばかりにヒビキはアズマに聞く。
「別に良くね?」
「私は駄目なんだよね」
「え? もしかして潔癖症?」
「違うわよ」
潔癖症に対する理解はあんのかい。
「そこでトランプを用意したんだけど、このトランプで今からババ抜きをして負けた方がソファで寝るってことでどう?」
「別にいいけど俺、ババ抜きのやり方知らないんだよね」
「嘘でしょ⁉」
いろいろなことがあったが、ヒビキはこの事実が今日一番驚いた。
「今ネットで調べるからちょーとまってな……ってあれ、通信障害かな……」
スマートフォンの検索エンジンでババ抜きのルールを調べようとしたら、回線が落ちてしまった。
「回線落ちちゃったから、ババ抜きのルール教えてくんね?」
「なんだか今日はありえないことがいくつも起きている気がするわ……今時検索エンジンで回線落ちるって……」
呆れながらも、ヒビキはアズマにババ抜きのルールを説明し始めた。
時計は一時を回っていた。ヒビキはアズマにルールを教えている途中に眠くなって寝てしまった。健康意識の高いヒビキはできるだけ十時までには寝れるようにしているので、誰かと話している途中に寝てしまうのも当然と言えば当然だった。それに今日はいろいろあったから疲れていたんだろう。
ヒビキはこれ見よがしに寝ているヒビキを抱きしめた。頬にキスをしようか迷ったが止めた。
負けてもいないのに椅子で眠るのは尺だったので同じベッドで寝てやった。
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