第一章 トランスセクシャル・バスターズ 2
東野博己は生まれた時から女で、心も女である。
西尾ヒビキは生まれた時から男で、心も男である。
ならばなぜアズマは男装をして、ヒビキは女装をしているのか、それは彼らがトランスセクシャル・バスターズだからである。
トランスセクシャルバスターズとは自分の体とは、自分の体とは真逆の性ホルモンを接種することによって、身体を強化することができる特殊能力を持つ少年少女の戦士のことである。日本政府が仕切る孤児または志願者から選ばれ、世界のために怪異と呼ばれる魑魅魍魎と戦う。こういう組織があることを政府は一般に公開していない。
真逆の性ホルモンを体に入れることは身体に相当の負荷がかかるので普段から真逆の性別にならしておくために、女子なら男装、男子なら女装をしている。その際戸籍の性別は逆になる。
「ヒビキ」
着替え終わったヒビキにアズマが声をかける。
「……何?」
ヒビキは不機嫌そうに返事をした。不機嫌そうに、というか不機嫌だ。不機嫌で当然である。彼女(戸籍上では女なので、西尾ヒビキは男だが彼女と呼ぶことにする。同じ理由でアズマのことは女であるが彼と呼ぶ)は友人になれそうな人間に着替えを覗かれた上、股間をがっしりと掴まれた。しかも、自分と同じく日の当たらない場所で生きる人間であることが判明してしまったのだ。不機嫌どころか絶望ものである。
そんな顔を無視してアズマは続ける。
「ヒビキの住む家、まだ住所しか教えてもらってないだろ、だから俺が案内してやるよ」
「……そりゃどうも」
ちなみにこの絶望はアズマも感じている。なぜならアズマは、トランスセクシャル・バスターズを統括する組織からは、今日ヒビキが来ることを「今日転校生が来る。そいつ」程度の情報しか渡されなかった。もう少し男っぽければ「なるほど彼か」で済んだのだが、ヒビキが圧倒的に女より女らしかったため、アズマでもすぐにはわからなかったのだ。
そのためもしかしたら彼女とは仲良くなれるかもしれない、という希望を込めてみたが、やっぱり男だった。
学校から二人が出た時、夏特有の生ぬるい風が吹いてヒビキの髪が揺れた。花のようなふわりとした匂いがアズマの鼻腔をくすぐる。彼は彼女の方を見た。やはりどう見ても美しい女のようにしか見えない整った顔が見えた。
「どうしたの?」
「……ああ、いや、今更だけど着替えてるとこに突撃してごめんね」
「別にいいです。組織の情報が適当で、私が本当に男かどうかわからなかったんでしょ」
わかってくれてはいる。だが不機嫌だ。
第一印象は最悪だ、だけどこれから起きることで挽回する。アズマはそう思った。
しかしアズマは何かと感覚がずれている。これから起きることは普通の人間だったら間違いなく関係が悪化することである。
しばらく歩いて、アズマとヒビキは目的地である響きが今日から住む家にたどり着いた。
そこは田舎街にしては珍しい、高級マンションだった。
「ここだよ」
「……」
普通、高級マンションに住めることになれば喜ぶだろう。一日泊まるだけでもわざわざ数万円払う人だっているのだ。
しかしヒビキは知っている。組織の財布の紐の固さを。
政府はトランスセクシャル・バスターズの存在を公認しているが、資金は微々たる量しか出していない。理由はいくつかある。まず一つ目は一般公開をしていないからだ。一般の人間に知られてはいけないのであまり大きな金を動かせない。二つ目は彼らがいないことの実害が全くないことだ。裏返せばそれは彼らトランスセクシャル・バスターズが優秀であるということなのだが、人とはどうも良く解釈してはくれないもので、政府は彼らがいなくても実害は変わらないと考えている。いざとなれば自衛隊がいる、むしろ身元不明の子供の処理としてトランスセクシャル・バスターズを組織したなんて噂があるくらいだ。もちろん眉唾物だが。
こんな複雑で狡猾で卑屈な理由で政府は彼らに金を出さない。だからトランスセクシャル・バスターズを統括する組織にも金は無い。それなのに一戦士に高級マンション一部屋を与えるなんて贅沢はさせられないだろう。
アズマとヒビキはエントランスでカードキーを貰い、部屋までたどり着いた。
「俺と一緒の部屋だけど我慢してね」
やっぱり。
彼女は落胆した。
しかし中を見てみると意外とそうでもなかった。八階から見える景色は結構いいし、部屋も掃除が行き届いていて居心地がいい。部屋も広い。さすが高級マンションだ。
しかし気になることが一つあった。
ベッドが一つしかないのだ。
「ベッドも一緒だけど我慢してね」
「出来るかっ!」
ヒビキは怒った。全てがアンバランス過ぎる。
彼女が巨星学校に転校してきた理由は、アズマのサポートのためである。なぜ性別が違う自分を送った? 同じ性別の人間を送った方がいいに決まっている。
それになんだ、高級マンションなのにベッドが一つしかないってどういうことだ。高級マンションを買える金があるなら、普通の部屋二つ別々にしてくれよ。
「まあまあ、意外と人肌があったかくていいかもしれないよ?」
なぜアズマがこの状況に怒っていないのか、ヒビキにはわからなかった。
彼女の気のせいかもしれないが、むしろどこか得意げに見えた。
二人の夕食はカップ麺だった。
最初ヒビキはカップ麺を食べるくらいなら自分で作ると言って冷蔵庫を開けたが、中にはエナジードリンク数本とカップ麺しかなかった。
「どうするのよ、これじゃ料理できないじゃない」
「じゃあ買いに行くか? もう十一時だけど」
今日ヒビキがアズマの家に引っ越ししてきたことと、二人の口喧嘩が何回かありその結果十一時になっていた。
十一時からでは、買い出しどころか料理をする時間にしてもかなり遅い。買い出しから帰ってきた時点で日を跨ぐことになるだろう。
「……今日は仕方ないけど、明日からは自炊する。買い出しには付き合ってもらうから」
「おっ、もうデートの約束か? 積極的だねえ」
「違う!」
不機嫌になりながらもヒビキはカップ麺を作ってアズマと一緒に食べた。
「うん、うまい」
「おいしい? これ」
いつも食べているであろう普遍的で不味いカップ麺をうまいと言って食べているアズマをヒビキは不思議に思った。
「誰かと一緒に食べる飯はうまいんだよ」
「今日初めて会った仲も良くない私とでも?」
ヒビキは嫌味を言う。さっきまで手玉に取られていたせめてもの仕返しだった。
「当たり前だろ、大学の研究でも証明されてるんだぞ」
「え、本当?」
嘘である。
アズマのでまかせだ。
「ああ、誰かが一緒にいると唾液が出やすくなって美味しく感じるんだってよ」
嘘の癖にやたら説得力があり、知識がないと嘘だと言いきれない絶妙で狡猾な噓である。
「……そうだったのね、よく考えたらこのカップ麺おいしい気がしてきたわ」
ものすごい速度で手の平を返したヒビキにアズマは笑いを堪えながらカップ麺をすする。
「特に孤独を経験している人だと美味しく感じるんだってさ」
「私たち孤児だし、結構美味しいものを食べているんじゃないのかしら」
アズマは少しばかり感動した。思い込みだけでここまで人は意見を変えるのかと。
ちなみにカップ麺を食べ終えた十分後、スマートフォンで大学の研究についてヒビキが調べたことにより嘘はばれた。
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